スペイン・ポルトガル史

 

<スペイン史>

 

イベリア半島では、8世紀以来、キリスト教徒によるイスラム教徒の駆逐運動(レコンキスタ)が展開されていたが、カスティリア王国(王女イザベル)と、アラゴン王国(王子フェルナンド)の2国が、1479年に統合されてスペイン(イスパニア)王国となった。

 

そのスペイン王国が、イスラム王朝最後の拠点となっていたグラナダを攻略し、国内統一を完成した。統一後、イザベルとフェルナンドは、都市と結んで封建貴族を抑え、政治的、経済的に安定させ、海外進出を果たしている。その後、ハプスブルク家出身のカルロス1世によって絶対王政が確立された。

 

スペインは、フィリピン諸島を経営し、ルソン島ではマニラを拠点地とし(貿易と伝道を行なった1571年)、16世紀にはその大半を統治した。しかし、アメリカとの戦争に負け、その大半を譲ることとなった(1898年米西戦争)。

 

海外に進出したスペインは、「新大陸」の銀を独占して急速に富強となり、16世紀後半のフェリペ2世の治世に全盛期を迎えた。また、ポルトガルを併合してアジア貿易の拠点であるマラッカを領有したことから、「太陽の沈まぬ国」としての強盛を誇ったが、1588年には無敵艦隊(アルマダ)がイギリス艦隊との海戦に敗れて、大西洋の制海権を失った。

 

スペインでは、フェリペ2世の時代、地中海のシチリア島、キプロス島を占領し、キリスト教徒の地中海貿易を脅かしていたオスマン帝国の大艦隊をレパントの海戦に破って、その脅威を和らげた。

 

スペインは、ラテンアメリカの銀を独占してこれを財政の基盤とし、レパントの海戦(1571年)の勝利によって「太陽の沈まない国」として強盛を誇るに至った。

 

スペイン経済は、毛織物の国内産業の基盤が弱かった。

 

 

<ポルトガル史>

 

ポルトガルは、ジョアン2世の時代、バルトロメウ=ディアスがアフリカ南端の喜望峰を発見し、また、エマヌエル1世の命で、ヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに到着した。これにより、当時、地中海の覇権を握っていたオスマン帝国の脅威のさらされることなく、アジア直接赴くインド航路の開拓に成功した。

 

このインド航路の開拓は、一種の国営事業として行われたため、それに伴う香辛料の直接取引はポルトガル王室に莫大な利益をもたらし、首都リスボンは繁栄を誇った。

 

ポルトガルは、インドのゴアを根拠地として、東南アジアを制圧し、マカオに居住権を得て、欧州、日本、マニラと貿易した。