2014年にウクライナの統治下だったクリミアを武力で併合したプーチン大統領は、21年7月に「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」との論文を発表し、ロシアとウクライナとは同祖、同じナロード(民)であると主張しました。
キエフ・ルーシ以来のロシアとウクライナは兄弟であるという考え方はプーチン大統領の揺るぎない政治目的になっています。だからといって、今回のロシアのように、ウクライナがロシアから離反しているとして、戦争を仕掛けることが国際法上、許されるわけはありません。
国際法を破ってまでも、実行したクリミアとウクライナへの侵攻の背景に「ルーシキー・ミール(ロシアの世界)」という思想があります。今回は、ルーシキー・ミールに基づいたついてまとめました。
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<ルーシキー・ミールとは?>
プーチンをウクライナ侵攻に駆り立てたプーチンの歴史観の根底にある概念が、「ルースキー・ミール(ロシアの世界)」で、「ルーシキー・ミール」は、今回の侵略戦争の正当化にも利用されています。
「ルースキー・ミール(ロシアの世界)」は、「世界でロシア語を話す人やロシア正教を信じる人の連帯」いう意味で、「ロシア語を話したり、ロシア人として生活したりする人たちを、独自の文明圏とみなし、広く保護していく」と解釈されます。プーチンは、ウクライナを「ルースキー・ミール」という概念の中で見て、「ウクライナもロシアの一部である」、「ウクライナをロシアの支配圏に取り込む」ととらえているのです。
プーチンが最初に、「ルースキー・ミール」という言葉を政治的に用いたのは2007年の年次教書の時とされていますが、ルースキー・ミールの考え方が広く知られるようになったのは、プーチン論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」が発表された時と言えます。
プーチンの「統一論文」
(ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について)
ロシア軍がウクライナに侵攻する8カ月前の2021年7月、プーチンは、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」という題名の論文(プーチンの「統一論文」)を発表しました。まさに、今回のロシアによる侵略戦争の根底理論とみられている論文で、「ルーシキー・ミール(ロシアの世界)」思想を背景に書かれた、プーチンの歴史認識の原点とされているものです。
そのなかで、「ロシアの東西の人々は、同じ言葉をしゃべり、ロシア正教会を信仰していること」と指摘し、「私たちはウクライナ、ベラルーシ、そしてロシアという三位一体の民だ」と述べ、「ロシア人とウクライナ人、ベラルーシ人は、家族であり、一つの人民(民族)」、皆ロシア人である」という自身の見解を示しました。
◆ ルーシキー・ミールの背景
この考え方は、歴史的な事実を反映しています。ロシアという国家がウクライナから始まりました。9世紀に成立したキエフ大公国(キエフ=ルーシ)は、3国の前身で、キエフは首都として発展しました。プーチンをはじめロシア人にとって、キエフはそのルーツ(古都)とされるところであり、ロシア国家の源流はモスクワやレニングラードではなく、キエフにあるのです。
キエフ公国は、モンゴルの侵攻で滅びましたが、やがて、かつてのキエフ大公国のなかのモスクワから興り、モスクワ大公国が発展してロシア国家となりました。その後、18世紀後半にエカテリーナ女帝が、ウクライナを併合して以降、ロシア帝国は、欧州からアジアにまたがる真の「帝国」となりました。
このとき、まさに、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの3国がひとつの国家で、ロシアは大ロシア、ウクライナを小ロシア、ベラルーシは白ロシアと呼ばれました。東スラブの3民族(ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人)は1つの家族であり、1つのナロード(人民)であり、それらすべてがロシア人であるという、プーチンの言説が登場する背景がここにあります。
ウクライナ併合後、ウクライナのロシア化が進み、ウクライナ語の使用は禁止され、ロシア語が国語化されました。その結果、現在のプーチンのように、ウクライナを一体のものと認識するようになったのです。
この歴史的事実を根拠に、プーチンは、「ウクライナ人はロシア人なので、存在しない、してはならない」という考え方に至っています。さらに、「ウクライナの真の主権はロシアとのパートナーシップによってのみ可能だ」と結論づけ、ウクライナの主権を事実上否定しています。
1991年のソ連邦解体によってウクライナが独立国家として自立し、30年が経過する中で、ウクライナはロシアとは別の国家であることは、世界中で認められているにもかかわらず、侵攻後、プーチンは、「ウクライナは真の国家として安定した伝統がない」と述べ、ロシア革命から現在に至るウクライナの歩みを批判し、国家の正統性そのものに疑問を呈しました。ルースキー・ミールの立場にたてば、ウクライナには、国家としての根拠も固有性もないと捉えられるのです。
そのようなウクライナが、ロシアに反旗をひるがえしてNATOに加わる、あるいはEU(ヨーロッパ連合)の一員になるのは許せないわけです。プーチンにとって、ウクライナ侵攻は、エカチェリーナ2世の時代、このウクライナ国家を消滅させて「小ロシア」として組み込み、同化させた歴史を繰り返した結果にすぎません。
◆ ロシア帝国の復活
プーチンは、「ルーシキー・ミール(ロシア世界)」の概念をさらに広げ、ロシアの復興、すなわち、その影響力をロシア帝国の版図まで戻すという考え方にまで至っていると思われます。こうした考えの根底にあるのは、ロシアは欧米とは異なる文明を有する偉大な「帝国」であるべきだとするプーチンの歴史観と信念とみられています。ロシア帝国時代のロシアの過去の栄光は、プーチンの思考に大いに影響を与えているようです。
2022年9月、ロシアがウクライナの4州(ルガンスク州、ドネツク州、ザポリージャ州、ヘルソン州)の自国への併合を承認した際、プーチンはクレムリンで演説し、この4州の地域に関し、ロシアの歴史を語っています。
「我々の祖先、すなわち古代ロシアの起源から何世紀にもわたってロシアを建設し守ってきた人々の世代が勝利を収めてきた。ここノヴォロシアでは、ルミャンツェフ、スヴォーロフ、ウシャコフが戦い、エカテリーナ二世とポチョムキンが新しい都市を築いた。私たちの祖父や曾祖父は、大祖国戦争中、ここで死闘を繰り広げたのだ」
ノヴォロシア(新しいロシア)とは、ロシアが併合した地域とさらに北部に広がる領域で、エカチェリーナ2世がこの地域を併合した際に生まれた言葉です。敢えてノヴォロシアという名称を出したということは、「先祖が確保した土地は、我々のものだ」という領土欲を示したものとの見られています。
大国ソ連への憧憬
なお、プーチンは、かつて、「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学的悲劇」と呼びました。この言葉は、大国だったソ連の誇りを取り戻したいという意思の表れと解されています。プーチンにとって、第二次世界大戦でドイツの侵略と戦って勝利したソ連の歴史は大いなる誇りとなっているとみられ、ウクライナに軍事侵攻して以来、「スターリングラード攻防戦のように戦おう」とロシア国民を鼓舞することが多くあります。
プーチンは、“ルースキーミール(ロシアの世界)”の思想を背景に、ロシア帝国ならびにソ連「帝国」の復活を目指していると考えられます。
<ロシア正教会キリル総主教との蜜月>
「ルースキー・ミール(ロシアの世界)」を、プーチンと共有し、その実現をめざしているのが、ロシア正教会のトップであるキリル総主教です。出身はプーチンと同じサンクトペテルブルクで、今では盟友のような存在でもあり、プーチンを精神的に支えています。
ソ連から持ち出されたKGBの機密文書「ミトロヒン文書」によると、キリル総主教は、ミハイロフというコードネームを持つKGBのエージェント(工作員)であったと指摘されています。KGB工作員として、反共産主義の立場のカトリックやプロテスタント等西側のキリスト教会に対し、マルクス主義的な思想(教義)を浸透させる任務を遂行し、ラテンアメリカでは解放の神学(カトリック+マルクス主義)や、欧州ではキリスト教社会主義の「浸透」に貢献したとされています。
そうした活動が当局に評価されたこともあり、キリル1世は、カリーニグラード府主教などを経て、2009年2月にモスクワ総主教に就任しました。
プーチン政権が3期目に入った2012年頃から、プーチンとキリル総主教(キリル1世)の蜜月関係が始まったと指摘され、さらに、ロシアによるウクライナ侵攻後、「ルースキー・ミール」の思想が、プーチンの戦争動機として取り上げられるようになると、いっそう鮮明になりました。
キリル総主教にとっての「ルースキー・ミール(ロシア世界)」は、ロシア正教会の復興と発展です。これに対して、東方正教会の最高権威、コンスタンチノープル総主教・バルトロメオ1世は、、2018年10月、300年以上ロシア正教会(モスクワ総主教庁)の管轄下に置かれてきたウクライナ正教会の独立を認める決定を下したことは、キリル総主教にとって大打撃となりました。
ウクライナ正教会の独立によって、ウクライナ府主教庁は、モスクワではなく再びコンスタンティノープル総主教庁の傘下に入ることになりました。ロシアの意向が通じない教会勢力の出現に、プーチンも激高したそうです。ロシアによるウクライナ侵攻のもう一つの要因とも指摘されています。
<ルーシキー・ミールの生みの親>
この「ルースキー・ミール(ロシアの世界)」の概念に思想的に影響を与えている人物もいます。その代表的な存在が、思想家のアレクサンドル・ドゥーギンと、政治学者のウラジミール・メジンスキーです。
アレクサンドル・ドゥーギン(1962~)
「プーチンの頭脳」 と評されている思想家で、「過激なナショナリズムの精神的支柱」、「ロシア拡張主義の思想的支柱」などとも形容されています。アイルランドのダブリンから極東ウラジオストクまで広がる「ユーラシア帝国」のビジョンを掲げ、ロシアをユーラシア帝国の中心に位置づける思想の潮流を主導しています。。
ドゥーギンは、「ルースキー・ミール(ロシアの世界)」という言葉の生みの親とも言われています。また、ロシアによる2014年のクリミア併合前、ウクライナ領の一部を含む地域を指す「ノボロシア(新しいロシア)」という表現の復活にも寄与したとされています。プーチン大統領は2014年3月にクリミアをロシアの一部と宣言した際、この言葉(ノボロシア)を使用しました。
ウラジミール・メジンスキー(1970~)
ロシアの政治学者、作家として知られていますが議員でもあり、2004年から2011年までロシア連邦議会下院国家会議代議員(下院議員)を二期務めた後、プーチンに重用され、2012年から文化大臣を務め、2020年にはロシア連邦大統領補佐官に抜擢されました。
メジンスキーは、ウクライナもロシアの一部だとする「ルースキー・ミール(ロシアの世界)」を理論的に支えたとみられています。というのも、大統領に再選されたプーチンが自らの歴史観が確立させ、そのイデオロギーを、徐々に表に出し始めたのが、メジンスキーが文化大臣に就任した2012年以降だったからです。
また、翌2013年、メジンスキーは、ロシアの歴史を研究し解釈するロシア軍事歴史連盟の代表に就任し、文化省は「寛容と多文化主義」の拒絶を呼びかけ、ロシアの伝統的価値観を強調していきました。2021年7月、プーチン大統領が発表し今回の戦争の根底理論として注目されている論文、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」もメジンスキーが深くかかわっていると言われています。
<プーチンの側近たち>
こうした、ルースキー・ミール(ロシアの世界)を、プーチンの手足となって支えているのが、「プーチン閥」とも呼ばれる、大統領府を中心とする諸エリート集団です。
現在のロシアの政治は、プーチンが大統領に再登板した2012年5月以降、プーチンと数人の取り巻きに牛耳られていると言われています。プーチンの取り巻きとは、プーチンが大統領に再登板(大統領3期目)以降、政権において主導権を握った「シロビキ」「チェキスト」等の強硬派をさします。
プーチンは、2000年の大統領就任後、東ドイツ時代のKGBやサンクトペテルブルク時代の同僚や仲間たちを政権に呼び寄せ、その後、シロビキ、サンクト派と呼ばれる、反米、愛国主義のインナーサークルがクレムリンに形成されました。
◆ シロビキ
シロビキとは、警察(治安)・国防・情報機関の出身者らによる勢力のことで、イデオロギー集団ではなく、党の官僚出身とも異なります。実用的な法秩序を求め、ロシアの国益を最優先し、強いロシアの再興を目論んでいます。このための反政府勢力に対する弾圧や、反米思想の浸透なども行っているとされています。
シロビキの中核組織は、旧KGB(国家保安委員会)の後身であるロシア連邦保安庁(FSB)で、これに内務省と国防省などの武力省庁が加わる構図とされています。
パトルシェフ安全保障会議書記、ボルトニコフ連邦保安庁(FSB)長官、ナルイシキン対外情報局 (SVR) 長官、ジョイグ国防相の4人がシロビキの代表格として、プーチン大統領の側近グループを形成しています。このうちショイグ国防相を除く3人は元KGBでプーチンの同僚でした。クリミアやウクライナへの侵攻政策を推し進めたのもシロビキです。さらに、この4人のなかでも、プーチンが最も信頼するとされているのが、盟友のパトルシェフ書記とされています。
ニコライ・パトルシェフ (1951 – )
パトルシェフは、KGB(ソ連国家保安委員会)出身の政治家で、KGB時代から同僚のプーチンと親しく、ソ連崩壊以降、プーチンの側近として、政権を支えてきました。1999年、プーチンの首相就任に伴いロシア連邦保安庁(FSB)長官を引き継ぎ、その後、2008年5月、メドべージェフ大統領就任に伴い、ロシア連邦安全保障会議書記に転じた後、2024年より大統領補佐官を務めています。
プーチンに対し絶対的な忠誠心を持ち、プーチンから全幅の信頼を寄せられていると言われています。2022年に始まったウクライナ侵攻をプーチンに進言したとされています。プーチンの戦争目的の一つ非ナチ化の設定は、パトルシェフら側近たちとの決定にもとづいたと見られています。
この4人以外にも、大統領補佐官や連邦麻薬取締庁長官を務めたヴィクトル・イワノフや、大統領府副長官やその後ロシア最大の国営石油会社ロスネフチ会長となったイーゴリ・セーチンらが、シロビキの代表格です。メドベージェフ元大統領・首相もこのグループに含まれます。
◆ チェキスト
チェキストとは、パトルシェフ安全保障会議書記に代表される旧KGB出身の勢力をさします。現在のチェキストは、1970年代後半、プーチンとほぼ同時期に、KGB(国家保安委員会)レニングラード支局に勤務していた者たちをさします。プーチンが大統領に就任すると、当時の部下たちが多数集められ、現在、政権の武力官庁(諜報、警察、国防)だけでなく、 経済官庁でも枢要な地位(ポスト)を占めています。
チェキストの思考の根底にあるのは、現在の国際秩序の基本となっている欧米を中心とするリベラルな価値観こそが、ロシアの精神的な基盤を破壊するという危機感であるとされ、チェキストは、欧米のリベラルな民主主義に対して「ロシアの伝統的、精神的価値観」の優位性をことあるごとに主張します。
その攻撃的なイデオロギーは、プーチンの軍事戦略などに反映され、ウクライナ侵攻前の2021年に全面改訂されたロシアで最も重要な戦略文書「国家安全保障戦略」にも明記されました。
国家安全保障戦略
プーチン論文発表と同時期の2021年7月に、改定された国家安全保障戦略を発表しました。その骨子は、ロシア国境付近におけるNATO(北大西洋条約機構)の軍事インフラの構築や、ロシアに対する大規模な軍事編成に対する警戒感を強く示すと同時に、ソフト面においても『欧米の価値観がロシアの価値観を脅かしている』ということを強調していて、『ロシアの価値観を守らなければいけない』ということが謳われました。
なお、チェキストの語源は「チェーカーの人」という意味で、チェーカーというのは1917年のロシア革命時にレーニンがつくった秘密警察(非常委員会)をさします。現在のチェキストたちは、ロシア革命を守るために創設された特殊機関の「末裔」であるという意識が強いと言われています。
こうした、シロビキやチェキストを中心にプーチンを支える政権の強力なインナーサークルに対して、資金を提供しているのが、「大統領の金庫番」といわれる、銀行王・メディア王のユーリー・コワルチュクや、石油ガス大手ノバルテックの大株主ゲンナジー・チムチェンコら、親プーチンのオリガルヒ(新興財閥)たちです。
このいわゆる「プーチン閥」の形成に対して、プーチンは、政権の要職に旧友や旧同僚たちの子弟、さらには自身の親族まで登用しながら、公然と個人支配体制を固めて、ルースキー・ミールを推し進めています。
<関連投稿>
ロシアの歴史
ウクライナの歴史
ロシア・ウクライナ戦争を考える
<参照>
なぜプーチン氏は破滅的な決断を下したのかウクライナ侵攻の背景にある「帝国」の歴史観
(2022年2月25日、東京新聞)
“プーチンの戦争”は歴史家への挑戦 「帝国の敗北で終わる」
(2023年8月10日、国際NHK)
「ウクライナ戦争の解明」
(金沢星稜大学)
落日のロシア新興財閥、プーチン支配 一段と
(2013年2月24日、日経新聞)
ロシアにおけるオリガルヒについて
(J-Stage 中澤孝之 著 · 2000 )
プーチン氏の精神状態に異変? ウクライナ攻撃は「密室決定」か【解説委員室から】
2022年03月02日、時事ドットコム
「プーチンの戦争」を支えるロシア正教会キリル総主教とは
日テレ 2022年4月27日「深層NEWS」より
アレクサンドル・ドゥーギン氏とは何者か、過激なロシアナショナリズムの精神的支柱
(2022.08.25 CNN)
スターリン化するプーチン大統領 その思想を支える男がいた【報道1930】
(BS-TBS『報道1930』、2022年3月14日放送)
投稿日:2025年4月5日