明治神宮:人工林の「永遠の社」

 

明治神宮(東京・渋谷区)は、1920年11月1日に、その名の通り、第122代の明治天皇と、お后(きさき)の昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)を御祭神とする神社です。

 

1912年(明治45年)、明治天皇は59歳でご崩御された際、今は神宮外苑となっている東京の青山で御大葬が行われ、京都南郊の伏見桃山陵に埋葬されました。その2年後の大正3年(1914)には、後を追うように昭憲皇太后も亡くなられました。

 

これを受け、国民の間からは「お二人のご神霊をおまつりした神社」の建立を求める声が高まりました。それに応える形で、実業家の渋沢栄一などの有力者により委員会が組織され、1915年、当時は御料地として土地の空いていた場所で、お二人が生前よく訪れていたゆかりのある代々木の地に、神宮を建設することが決まりました。

 

境内はそのほとんどが、全国から集った延べ11万人にも及ぶ青年団の勤労奉仕により造苑整備され、着工から5年後の1920年(大正9年)11月1日に鎮座祭が行われ、明治神宮は創建されました。この時、体調の優れない大正天皇の名代として、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が出席されています。明治神宮創建にあたって、全国から献木された234種、約10万本が植栽され、人工林の「永遠の杜」が造成されました。

 

しかし、1945年4月太平洋戦争の折、明治神宮は米軍の空襲に見舞われ、創建当初の主要な建物が焼失してしまいましたが、戦後、多くの浄財が寄せられ、1958年11月に明治神宮は現在の姿となって復興し、現在に至っています。

 

明治神宮は、2020年11月1日で、鎮座してから100年を迎え、鎮座百年祭が取り行われました。祭典では、天皇陛下からの御幣物が奉られ東游という舞が納められました。また、祭典を記念して明治天皇が詠まれた和歌を歌詞とする神楽舞が作られ、初めて舞い納められました。

 

天皇皇后両陛下は、記念祭典の前の10月28日に、明治神宮に参拝されました。両陛下が明治神宮にそろって参拝されたのは平成14年以来で、18年ぶりのことだったそうです。

 

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明治天皇

明治天皇は、1852年11月3日、孝明天皇と、権大納言の中山忠能の娘である中山慶子との間に第二皇子として誕生され、1867年1月30日、父の孝明天皇が崩御すると同2月13日)、満14歳で践祚(皇位につくこと)されました。明治維新を成し遂げ、近代化が進んだ日本を支えた天皇として、国民に広く親しまれています。

 

昭憲皇太后

昭憲皇太后の旧名は、一乗美子(はるこ)と言いました。一乗家は藤原家ゆかりの家柄です。お二人の間には子どもが生れず、側室5人の間に15人の子が生まれましたが、10人は夭折し、成人した男子は典侍(ないしのすけ=女官)柳原愛子(やなぎわらなるこ)の子・明宮(はるのみや)(嘉仁親王)だけだったそうです。そこでお二人は、嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)を養子とされました。

 

 

<参照>

明治神宮HP

Wikipediaなど