仏教

 

仏教思想

 

仏陀は、日常生活にまつわる快楽を捨て、森林での苦行による禁欲生活を送ることにより、悟りの境地に達すると説いたのではない。

 

仏陀(566BC~486BC)は、当初禁欲的な苦行を行って悟りを求めたが得るところがなく、禁欲苦行を捨てて瞑想の修行に入り、遂に悟りを得ることができたとされている。

 

仏教の開祖ブッダは、涅槃を実現する道として四諦八正道を説いた。

 

仏教の慈悲は、

もろもろの衆生(人間に限らず生きとし生きるすべてのもの)に対する愛、人類愛にも結びつく。一切の区別なく向けられるもので、救いを求める者に限って注がれるというものではない。修行を積む者のみに具現するというようなものではない。すべての同胞から苦しみを取り除き、安楽を与えようとする無差別の愛である。

 

仏教では、キリスト教のように、他の動物と人間を区別して、人間を動物より優れた存在だとみなすことをせず、徹底した平等観に立つ。

 

 

小乗仏教(上座部仏教)においては、世俗を離れて出家し、一人悟りを求めて修行する阿羅漢が理想とされた。

 

小乗仏教は、自己の解脱を求める伝統的な宗派であり、スリランカやタイなど東南アジアに伝えられた。戒律や経典の解釈などに重点を置いている。

 

大乗仏教は、自分1人だけの悟りを求めるのではなく、すべての衆生の救済を主張する。

 

ブッダの死後、大乗仏教は、ブッダの慈悲の精神を受け継ぎ、衆生の救いをめざした。大乗仏教では、他のものすべてのために救いの活動に励む人を菩薩と呼び、自身を犠牲にしても人びとを救おうとする菩薩は、慈悲に生きる人間の理想像であるとした。

 

大乗仏教の理論を確立したナーガールジュナ(竜樹)は、縁起の教えを深め、すべてのものは様々な原因と条件が合わさって生まれ、それ自体は固有の本体を持たないという空の理論を完成した。「空」の理論は、「般若心経」などで明確に述べられている。

 

参考

ジャイナ教

人生は苦しみに満ちており、その原因は心に欲望が集まっていることにあるが、その欲望を消滅させるには、断食等の厳しい苦行と禁欲を実践し、永遠に続く不変の本体を得ることが必要であるとした。

 

「ウパニシャッド」は「リグ=ヴェーダ」の附属文献の一つで、バラモン教の形式主義に反発した一派がその哲学を発展させた。ブラフマンは宇宙の根本原理のことであり、これと自我の根本原理であるアートマンが究極的に同一であることを悟るため修行している。

 

 

<仏教史>

 

インドではシャカが現れ、バラモンの教えに飽き足らない王候や商人の間に仏教が普及した。

 

その後、西北インドに地盤とするマウリア朝(紀元前4世紀~紀元前2世紀)がアショーカ王により建てられ、インドの大半を統一した。王は熱心な仏教徒で、仏教思想の影響を受けたダルマ(法)の政治を行うことを誓い、その理想を領内の岩石や石柱に刻ませた。

 

グプタ朝は4~6世紀にガンジス川沿いにおこり、北インドを統一した王朝である

 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 

<仏の種類>

仏教の仏様は、役割の違いによって、仏格の順位に従って、如来、菩薩、明王、天部に分類されます。

 

如来

最高の境地に至った存在で、「真理に目覚めた者」のことを言い、仏と同じ意味で使われます。阿弥陀如来や大日如来などが有名です。

 

釈迦如来とは、仏教の開祖、釈迦(本名はゴータマ=シッダールタ)を仏として敬う呼び名で、釈迦如来とはその釈迦が悟りを得た姿をあらしています。

 

大日如来とは『大日経』や『金剛頂経』などに説かれる仏で、「毘盧遮那仏」ともいわれ、生きとし生けるものの根本となる仏様です。密教(真言宗)では、大日如来は、宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指す仏の中の最高の仏とされています。すなわち、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、すべての仏は大日如来の化身と考えられています。

 

阿弥陀如来は、『般舟経』によれば、すべての仏は、阿弥陀如来のお力によって仏のさとりを開かれたと説かれているることから、多くの仏様の中で一番上の仏様となります。

 

 

菩薩

人々を救いつつ、仏(如来)になることを目指して修行する人、悟りを求める者のことを言います。弥勒菩薩や観音菩薩などが知られています。

 

弥勒菩薩は、遠い未来に人々を救うことが約束されている釈迦を継ぐ者とされています。弥勒とは古代インドではマイトレーヤと呼ばれ、慈悲から生まれた者を意味しています。釈迦が亡くなられてから56億7千万年後に仏となりこの世に現れ、釈迦の教えで救われなかった人々を救済するといわれています。

 

 

明王

如来の化身とされ、間違ったことをするものに厳しい態度で教えを授け存在です。それゆえ明王の代表的な存在である不動明王をみてもわかるように、明王は剣を持ち怒りの形相をしています。

 

天部

天部は、仏教では如来、菩薩、明王の下に説かれ、彼らが生きとし生けるものの救済を目的としているのに対して、仏教世界の天上界に住んで、仏法を守護する役目を持つ仏法の守護神です。

 

「天」という言葉は、サンスクリット語で神(デーヴァ)という意味で、「部」は「集まり」という意味で、天部を直訳すれば、「神様の集合」ということになります。もっとも、天部の諸天は、元々仏教の神だったわけではなく、インドで、仏陀の生まれる前から信仰されていたバラモン教やヒンドゥー教の神様(古代インドの神々)で、仏教の誕生で、仏教に取り込まれていきました。仏教の観点から言えば、仏の圧倒的な慈悲や力に屈服/感服して、仏教に帰依し、如来や菩薩、明王を守る役目を果たしているとされています。ですから、天部は神様で、仏を守る守護神ではありますが、如来・菩薩・明王の域には達しておらず、六道では私たち人間と同様、苦しみ悩むこともある存在で、私たちを救う力はないとされています。

 

(参考)六道(六界)とは?

仏教で説かれる六つの世界で以下の6つの世がある。

天道(てんどう|天上界):天部(神々)の住む世界

人間道(にんげんどう):人の住む世界。悩みや苦しみもあるが楽しみも感じられる世界

修羅道(しゅらどう):常に争いや戦いがあり苦しみ怒りにあふれる世界

畜生道(ちくしょうどう):動物の世界。

餓鬼道(がきどう):常に食べられない苦しみの世界。

地獄道(じごくどう):常に苦しみに襲われる世界。

 

天部の諸天も天道という仏の世界に近いところの住人ですが、欲や悲しみ、苦しみもある六道の世界の住人であると仏教では教えています。

 

天部の神々

天部の諸天は、すべて全く同じ位であるわけではなく、天上界の上位にいる神様から、人間界に近い神様まで存在しています。代表的な天部を紹介します。

 

梵天(ぼんてん)

梵天は、インド神話上の宇宙の創造神のブラフマン(梵語で梵天はブラフマン)で、インドでは最高位の神様です。後にシヴァ神やヴィシュヌ神と共に、三神一体の一柱に数えられています。梵天は釈尊(釈迦)の守護神とされ、釈尊は、梵天の声を聞き、衆生の救済に立ち上がったという逸話もあります。

 

帝釈天(たいしゃくてん)

インド神話のインドラと言う神様で、インドラは阿修羅やその他鬼神、魔人と戦う雷神として描かれていました。仏教において、帝釈天は、「須弥山(しゅみせん)」という仏教世界の真ん中にある山の頂上にある「喜見城」に住んでいるとされ、その四方をさらに四天王が守護しています。仏法の守護神として、梵天と一対としてとらえられることもあり(その場合、両者を「梵帝」とひとまとめに呼ぶ)、釈迦如来像の脇侍となっている場合が多く見られます。

 

阿修羅(あしゅら)

阿修羅は、インドの神話の中では、アスラという魔神で、帝釈天(インドラ)と、何度も戦い敗れました。しかし、阿修羅は何度倒されても、復活してまた戦いを続けたことから、戦いの絶えない苦しい世界の主とされます。「修羅場」や「修羅の道」と言う修羅は、戦いに明け暮れた阿修羅からきた言葉です。そんな阿修羅も、釈迦の説法によって心を改め、千手観音菩薩の守護神の一人に数えられます。

 

四天王

天部の諸神の中で、四天王と呼ばれる神様が有名です。

 

四天王は、帝釈天の配下にいて、仏教の世界を守護する4柱の神様で、それぞれ東西南北に配置されています。歴史的にも「徳川四天王」など、四天王は様々な使われ方をされていますが、仏教の四天王が「本家」です。なお、四天王は、他の天部の神々と同様に、インドの神を由来しています。

 

東:持国天(じこくてん)(ドゥリタラーシュトラ)

西:広目天(こうもくてん)(ヴィルーパークシャ)

南:増長天(ぞうちょうてん)(ヴィルーダカ)

北:多聞天(たもんてん)(クベーラ、ヴァイシュラヴァナ)

 

多聞天(毘沙門天)

四天王の中で、北方を守護する多聞天(たもんてん)は、むしろ、毘沙門天(びしゃもんてん)の名前で有名です。四天王の中では多聞天と呼ぶのが一般的ですが、多聞天が単独で呼ばれる時の名が毘沙門天です。

 

毘沙門天は四天王の中でも最も強い神様とされており、武神として知られ。戦国大名の上杉謙信は、毘沙門天を崇拝をしていたことは有名です。源義経が年少の時に育った鞍馬寺(京都府)は、毘沙門天を祀っています。加えて、毘沙門天(多聞天)は、本来、インド神話の財宝の神クベーラ、ヴァイシュラヴァナとして描かれていたことから、財運上昇、商売繁盛の神として、民衆の信仰を集めています。

 

このように、毘沙門天は、軍神(武神)として、財宝の神として民衆信仰を集めており、七福神(庶民の身近にあって暮らしに幸運をもたらす七柱の福の神)の中にも、その名を連ねています。

 

四天王は、それぞれ、戦闘用の甲冑に身を固め、仏法の敵である邪鬼を踏みつけています。そして、この四天王をそれぞれ8人(計32人)の神様が仕えています。それぞれ、八大将軍三十二神将とも呼ばれます。その中で、韋駄天を紹介します。

 

韋駄天

韋駄天(いだてん)は、四天王のうち南を守る増長天に従う八大将軍の一人(三十二神将のリーダー)です。韋駄天とは、「足の速い神様」で有名です。「韋駄天(いだてん) 」は、もともと古代インドの宗教バラモン教の神で、バラモン教がヒンドゥー教に継承された際には、破壊神・シヴァ(シヴァ神)の次男、軍神・スカンダとされました(兄の名は歓喜天だとか)。韋駄天は、その後、お釈迦様が、仏教を興したとき、仏教の守護神として迎えられました。

 

韋駄天(いだてん)が、仏教に取り込まれ、さらにインドから中国に伝えられる際、最初は「塞建陀(スカンダ)天」と音写で漢訳されました。それが何度も書き写される内に、一文字省略されたり、書き間違いが起きたり、さらには、道教の神様である韋将軍(いしょうぐん)とも混同されたりしながら、「韋駄天」となったと言われています。こうして、韋駄天は、仏教の神様となって、現在に至っています。

 

また、インドの伝承によると、お釈迦様がお亡くなりになられた日、捷疾鬼(しょうしつき:足の速い鬼)という鬼が、お釈迦様の御遺体から「仏舎利(ぶっしゃり:釈迦の遺骨・歯)」を盗んで、須弥山に逃げていきました。慌てた弟子たちが、韋駄天(いだてん) に仏舎利を取り返してほしいと頼むと、韋駄天は一瞬で、1280万キロともいわれる距離を駆け抜け、鬼(夜叉)を捕まえ、お釈迦様の歯を取り返したそうです。この逸話から韋駄天は「速く走る神」とされ、それが由来となって、足の速い人を「韋駄天」と呼ばれたり、早い走り方、またとても速く走ることを「韋駄天走り(いだてんばしり)」と比喩表現したりするようになったそうです(韋駄天は「俊足の代名詞!」、身体健全(特に足腰)のご利益があるとも)。さらに「盗難・火難除けの神」ともされ、修行を妨げる魔障を走ってきて取り除いてくれるとして、寺院や僧侶の住居の守り神となっています。

 

さらに、インドの伝承では、韋駄天はその足の速さを生かし、釈尊(お釈迦様のこと)や、修行中の僧侶のために、東西を駆け巡って食べ物を集めて回って振舞ったことが、「ご馳走」という言葉の由来となりました。また、食後の挨拶の「ご馳走さま」という言葉も「足の速い神・韋駄天さま」からきています。こうして、今も、韋駄天は食卓を守る神様として慕われ、韋駄天を拝めば、食に不自由をしないという功徳があるとされています。寺院の厨房に祀られることも多いそうです。

 

先ほど、毘沙門天が七福神のお一人と述べましたが、毘沙門天以外にも、七福神に関係のある天部(の神)がいます。それが、大黒天と弁財天、そして吉祥天です。

 

大黒天(だいこくてん)

大黒天は、インド(ヒンズー教)で暗黒を支配する神様であったマハーカーラ(「偉大な黒」を意味する)に由来し、創造と破壊を司るシヴァ神の化身とされています。日本では、「大黒=ダイコク」という言葉が、大国主命(オオクニヌシノミコト)につながることから習合されるようになり、大国主命=大黒様として定着しています。

 

弁財天(べんざいてん)

弁財天(弁才天)は、インド古代神話では、河の神様でサラスヴァティという水神で、ヒンドゥー教では梵天(ぼんてん)の妃です。七福神の中では、唯―の女神で、琵琶を弾いた天女の姿で描かれることが多く、音楽、芸能の神様としても知られています。その一方で、昔は刀や金剛杵を持った勇ましい姿で描かれていたこともありました。弁財天を祀っている場所としては、江島神社(神奈川県)が有名で、武装をした八臂弁財天像と、女性らしい柔和な妙音弁財天の二つの像があります。

 

吉祥天(きっしょうてん)

吉祥天は、インド神話の美・豊穣の神のラクシュミーが由来の女神で、弁財天の前の七福神に含まれていました。元々朝廷から民衆まで広く信仰された福や財をもたらす女神とひて人気があります。

 

 

その他の有名な天部

 

荼枳尼天(だきにてん)

荼枳尼天は、日本ではお稲荷様とも呼ばれる、もともとは、人を食べていたというインドの夜叉・羅刹のダーキニーが由来です。この怖い存在であったダーキニーは、大黒天に調伏されて、仏法の守護神(天部)に改心したとされ、現在では、豊穣の神としても知られています。日本では、荼枳尼天は、同じ豊穣の神、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)と同一視されるようになります。この宇迦之御魂神が、お稲荷様として祀られていたことから、荼枳尼天もお稲荷様として信仰の対象となりました。

 

なお、夜叉(やしゃ)とは、インドの神話において鬼神とされる存在で、仏教に取り入れられて夜叉と呼ばれるようになりました(夜叉も天部に含まれる)。

 

 

閻魔天(えんまてん)

閻魔天(焔摩天)は、まさに、あの閻魔大王のことで、冥府の世界の神様です。インド神話のヤーマに由来し、始めて死ぬ人間と言われ、冥界に始めて訪れて、そのままそこで天部の神様になったと言われます。

 

金剛力士(こんごうりきし)

金剛力士は、仏や寺院に悪者や魔物が入ってこないように守護しています。金剛力士のサンスクリット語の意味は「金剛杵を持つもの」という意味で、帝釈天が魔物や鬼神を退治する際に利用した武器の金剛杵を持つ勇ましい神ということです。金剛力士は二体で一対の像として、山門に配置されています。正面向かって右に口を開けた「阿形像(あぎょうぞう)」、左に口を閉じた「吽形像(うんぎょうぞう)」と呼ばれる像が配置されます。金剛力士像は、運慶と息子の快慶が作った東大寺南大門の仁王像が有名です。

 

鬼子母神(きしもじん/)

鬼子母神はインド神話でハーリーティーとされます。鬼女で、500人の子供を産んでいる母でしたが、人の子を食べて、自分の養分としていました。ある時、釈迦が鬼子母神の子一人を隠したところ、泣き叫び、発狂をしたとされます。釈迦に助けを求めたところ、釈迦に「多くの子を持っていながら、一人の子を失ってそれだけ悲しむのであれば、一人の子を持つ親の苦しみはいかほどか」と諭され心を改めて仏法に帰依することになりました。なお、鬼子母神は訶梨帝母(からていも)ともいう。

☆★☆★

 

 

密教

仏教の密教では、世界の中心にそびえる須弥山(しゅみせん)という聖なる山(須弥山)があり、須弥山を四方に守る守護神(天界の4守護神)がいて、四天王と呼ばれます。

(続)

 

<参考>

仏教ウェブ入門

仏像ワールド

やさしい仏教入門

神仏ネット