東方正教会:ギリシャから正統性を継承

 

これまでの投稿で、キリスト教の歴史とともに、ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会をみてきました。今回はもう一つの大きなキリスト教の宗派であるギリシャ正教(東方正教会)についてまとめてみました。

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<「ギリシャ正教」の意味>

 

ギリシャ正教は、東方正教会、東方教会、ビザンツ教会、正教会など様々な呼称があります。「ギリシャ正教」という時の「ギリシャ」は、現在の国としてのギリシャではなく、ギリシャ文化(ヘレニズム文化)の伝統をさし、それゆえ「ギリシャ正教」は、ギリシャ文化の土壌で成熟したキリスト教であることを意味しています。

 

その一方で、カトリック教会が発展した地域の名を冠してローマ・カトリック教会というように、正教会も地域としての「ギリシャ」を前面に押し出して、ギリシャ正教と呼ばれるようになったとも解されています。

 

しかし、現在、「ギリシャ正教会」といえば、ギリシャ国内の教会だけを指すことになるため、教会全体を総称する場合は、「東方正教会」または「正教会」の語を用いるのが一般的になっています。「正教会」は、英語でOrthodox Churchというように(オーソドックスとは「正統」という意味)、自分たちこそキリスト教の正統であることを主張します。

 

イエスが天に昇られた後、使徒たちはイエスの教えを、ローマ世界へと広め、この過程で初期のキリスト教ができました。「使徒」とは、文字通リの意味では、イエスの特別な弟子のことをいいますが、正教会では特に、イエス・キリストの十字架刑による死と三日目の復活という出来事を直接体験し(聖霊を通じて復活したイエスに会った体験)、それを証人として世界中に伝えた弟子たちのことだと強調されています。

 

ちなみに、正教会では、イエス・キリストをイイスス・ハリストスと呼びます。イイススという名前は「救う者」という意味で、ハリストスとはメシアをギリシャ語で意訳した言葉です。

 

正教会は、自分達がその「生きたハリストス」のことを伝える教会で、ハリストス(キリスト)とその弟子たちから現代まで連綿と継承していると見なしています。また、彼らは、イエスがエルサレムに建てた教会をそのまま引き継ぎ、教義においても、ハリストス(イエス)の教えと、この使徒たちの信仰を唯一正しく、途切れることなく、受け継いできたと自負しています。

 

また、新約聖書の原書は、ローマで使用されていたラテン語ではなく、ギリシャ語で書かれました。正教会は、聖書を原書のギリシャ語で写本して守ってきたとされています。

 

加えて、正教会は、教義に関しても、ニケーヤ公会議(325年)やコンスタンチノープル公会議など、東西教会の分離前に開催された7つの公会議によって、ローマ教会を含む全教会で確認したキリスト教信仰だけを保持し続けています。ですから、分離後、カトリック教会の教義となった「ローマ教皇の不可誤謬性(ローマ教皇の首位権)」、「煉獄」の存在、「聖母マリアの処女懐胎や被昇天」を認めていません(後述)。

 

こうした点を背景に正教会は自らを「正統」な教会と位置づけています。ですから、ローマ・カトリック史観ですと、正教会が分離したとなりますが、正教会史観では自らが正統で、ローマ・カトリックが分離したとなります。

 

 

<正教会の略史>

 

ローマ帝国は、4世紀後半に西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分裂しました。そして、西ローマ帝国では、バチカンを中心にローマ教会が、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、コンスタンティノープルを中心にコンスタンティノープル教会が栄えていきました。ただし、この時には別々の宗派に分かれたわけではありませんでした。

 

しかし、東方正教会では、偶像崇拝を厳しく禁じているイスラム教の影響を受け、726年に聖像禁止令が出され、偶像崇拝が禁じられると、両者の溝が深まり始めました。カトリック教会ではマリア像の信仰があるように偶像崇拝は普通に行われていたからです。

 

その後、十字軍における確執なども相まって、1054年に相互破門という形で、東方教会と西方教会に完全に分裂しました。その東方教会が正教会(ギリシャ正教)であり、西方教会がローマ・カトック教会です。

 

ローマ・カトリック教会やプロテスタント諸教会が西ヨーロッパ中心に広がったのに対し、正教会はイエス・キリストが生まれたエルサレムや、アンティオキア、アレクサンドリアなど中近東を中心に、ギリシャ、東欧、ロシアへ広がりました(ゆえに東方正教会と呼ばれる)。

 

その後、正教会はさらなる発展を遂げましたが、20世紀になり共産主義革命による迫害を受け、多くの信徒や聖職者が世界各地に散らばっていきました。ただし、これが逆に、世界各地に正教会の名を広め、教会の設立にもつながったとされています。今日、正教会の信徒数は、1億5000万から2億人と言われ、全キリスト教徒のほぼ10分の1を占めています。

 

 

<正教会の仕組み>

 

正教会は、カトリックのバチカン(教皇庁)のような世界を統一した組織はありませんし、教皇のような全世界の指導者も存在しません。というのも、正教会は、それぞれの国に伝道されると、その国の文化を重んじ、吸収しながら成長、成熟すると独立という形がとられ、各正教会はゆるやかに手を結び合っているからです。

 

国や地域によりロシア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会、アメリカ正教会など、国名・地域名を冠した正教会に分かれています(正教会はその国の名前を頭につけて呼んでいる)(日本にある正教会は日本正教会という)。しかし、プロテスタント諸教会のように、教義の解釈などで対立しさまざまな教派があるわけでもありません。

 

その独立した一つ一つの教会には主教がおり、その教会全体を管理します。主教は形式的に「総主教⇒大主教⇒府主教」に区分されています。現在の正教会には、かつての五大総主教区からの4人と、後世に至って認められた5人の計9人の総主教がいます。

 

かつての五大総主教区とは、コンスタンチノープル、ローマ、アレキサンドリア、アンテオケ(アンティオキア)、エルサレムの総主教で、キリスト教会の基礎を築いた教区です。なお、古代の五大総主教の一人であったローマの総主教(現在のローマ教皇に相当)は、当然、正教会の総主教には数えられません。また、後代に総主教区位を認められた正教会とは、ロシア、グルジア、セルビア、ルーマニア、ブルガリアの教会をさします。

 

ちなみに、大主教は、キプロス、ギリシャ、アルバニア、シナイ、フィンランドの正教会で、府主教は、ウクライナ、ポーランド、アメリカ、チェコ、スロヴァキア、日本の正教会の主教の肩書となります。

 

このように、正教会は、カトリックのようなローマ教皇を頂点とするピラミッド型の組織ではなく、各地に総主教(大主教、府主教)という責任者をおいてそれぞれに発展しました。各地の総主教はいずれも「使徒」たちの後継者であり、各国の正教会の主教に権威の差異はないとはされていますが、名誉上、コンスタンチノープル総主教がすべての主教の首座にあたります。また、「コンスタンティノープル総主教座」(トルコのイスタンブール)に加えて「モスクワ総主教座」の2つが、各国の正教会のまとめ役を担っています。ですから、各地の正教会は主教座を中心とし、それぞれ自治を行っていると言えます。

 

また、各教会においては、カトリック教会と同じように、ヒエラルキーと呼ばれる階級制度が存在します。聖職者の位階は、正教会の場合「主教―司祭―輔祭」となっています(カトリックの場合は「司教―司祭―助祭」)。

 

 

<正教会の教義>

 

では、正教会の教義をカトリック教会と比較しながら、みてみましょう。両者は伝統も歴史も文化も異なり、キリスト教の教義にも対立がみられます。

 

  • ローマ教皇の首位権

 

カトリック教会では、ローマ教皇を最高権威として全世界の教会を支配するとしていますが、正教会は、神キリスト(ハリストス)以外に世界の最高権威は存在しないと考えるので、ローマ教皇の絶対権力を否定します.

 

また、カトリック教会が、ローマ教皇を頂点とし、全世界の教会が司教を中心に一枚岩となるピラミッド型の組織を作りだしたのに対して、東方正教会は、前述したように、各地の総主教は同格で、各地域の正教会がゆるやかに手を結びあう分権主義的な構造になっています。

 

 

  • 三位一体説

 

教会の礼拝などで「父と子と聖霊の名においてアーメン」という言い回しを聞いたことはありませんか?正教会もカトリック教会も、「父なる神(天なる父)」と「その子キリスト(神の子)」と「聖霊」を唯一の神として信仰する三位一体説(正教会では「至聖三者」と言うを受け入れていますが、その解釈については隔たりがあります。この説明の前に、三位一体(正教会では「至聖三者」)説についてまとめると以下のように解釈できるでしょう。

 

天なる父

ここでいう「父」とは、万物を創造された、私たちの上におられる全能で唯一の愛の「神」という意味です。

 

神の子

ここでいう「子」とは、神の子であるイエスのことを指します。イエス(ハリストス)は、神(父)から、マリアを通して生まれた「神の子」で、完全に人間になった神(「神が人間になったお方」)です。このことを、カトリックなどでは「受肉」、正教会では「籍身(せきしん)」といいます。

 

聖霊(聖神)

(正教会では「霊」を幽霊や動物霊などと区別して、聖霊ではなく聖神を用いる)

 

「聖霊(聖神)」とは、神そのものであられ「私たちの内におられる神」とたとえられ、「私たちの救いのために私たちのもとへ遣わされる」という言い方がされます。具体的には、洗礼の時、「光や鳩のような形で聖霊(聖神)が降りてきた」と表現がなされたり、イエスが病人などを癒す奇跡も、聖霊(聖神)の力と共になされたという言い方がされたりします。ですから、私たちも聖霊(聖神)によってイエス(ハリストス)の救いに預かることができるとされ、正教会は、日々、聖霊(聖神)の降臨を祈り求めています。

 

このように、三位一体説は、神には三つの人格ならぬ「神格」があり、父としての神格と、人間性を取った神格と、聖霊としての神格の三つはまったく同じ神としての本性をもっていると解釈されています。父、子、聖霊(聖神)の三つの神がいるようですが、あくまで一つの神なのです。

 

さて、この三位一体の聖霊に関して、カトリック教会では、聖霊は「天なる父」からだけでなく、「神の子(イエス)」からも出るとしている一方、正教会では、聖神は「父」のみから出ると主張しています。正教会は、父のみが聖霊(聖神)の唯一の本源であることを強調します。聖書は、聖霊(聖神)は、父より子を通してこの世に出る(降臨する)と教えているからです。

 

 

  • 偶像崇拝とイコン崇敬

カトリック教会では、神(天なる父)やキリストと並んで、聖母マリアが信仰の対象としされ、カトリックの教会や学校にはマリア像があります。これに対して、726年に聖像禁止令を出した正教会では、偶像崇拝が禁じられ、カトリック教会と対立しました(東西両教会分裂の一因ともなった)。

 

正教会では、今日でもなお、偶像崇拝を避けるために、イコンやモザイクなどの平画像しか認められていません。イコン(聖画像)とは、イエスや聖人の姿、聖書や教会史上の重要な出来事などを絵にしたものです。

 

このイコン(聖像画)崇敬によって、正教会ではキリストの復活によって実現した救いの喜びが強調され、カトリック教会の原罪やキリストによる十字架の贖罪が重視されるカトリック教会とは対照的です。

 

 

  • 聖母マリアと煉獄

 

さらに、聖母マリアに関して、カトリック教会では「マリヤの無原罪懐胎」と「マリアの被昇天」を主張します。「マリヤの無原罪懐胎」とは、人間は原罪を負っているというキリスト教の考え方がありますが、マリアは原罪の汚れや「とが」を存在のはじめから一切受けていなかったとする教義で、「聖母マリアの被昇天」は、マリアは、霊魂も肉体もともに天に引き上げられたというものです。

 

これに対して、正教会では、聖母マリアについて、神であるハリストス(イエス)が、マリアを通して人間になったとしか言っていません。

 

また、正教会は、煉獄(れんごく)についても、多くを語りません。煉獄は、死後、地獄には墜ちないものの、天国には行けない人が行く場所で、人はここで苦罰によって、罪を償い、浄化された後、天国に入ることができるとされます。

 

煉獄の存在は、カトリック教会が主張するもので、正教会では、マリヤの無原罪懐胎なども含めて、人間の理解をこえた事柄については謙虚に沈黙することをモットーとしています。これは、古代教会の姿勢を遵守していると言われ、カトリック教会が加えた「新しい教え」は一切、退けられます。

 

 

  • 礼拝

 

正教会は、カトリック教会を比較して、神秘主義的、形而上的、瞑想的などと言われます。その典型が礼拝です。正教会の礼拝堂は、カトリックと比べて荘厳である上に、礼拝そのものも壮麗な印象があります。

 

正教会では、礼拝全体を「奉神礼(ほうしんれい)」と言い、その中で、最も重要な儀式が聖体礼儀で、主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)が復活したとされる毎日曜(主日)を中心に行われます。

 

聖体礼儀は、イエス・キリストが最後の晩餐でパンとぶどう酒を弟子たちに与え「パンは私の体であり、杯は私の血による契約である」と述べたことにちなんで、パンとぶどう酒(聖体聖血)を会衆に分け合い食する(これを「領聖」という)儀式です。正教会では最も重要な奉神礼とされています。

 

カトリック教会とプロテスタント教会でも、正教会の奉神礼にそれぞれ相当するミサ聖餐式(せいさんしき)と呼ばれる礼拝の中で、同様に行われていますが、正教会の場合は、とりわけ、パンと爵(祭器)から、聖体・聖血を分かち合うことを通じて、信徒はハリストス(イエス)と神と一つになることが強調されます。

 

正教会の奉神礼(聖体礼儀)は、かなり儀式的で、初代教会の礼拝のかたちと霊性がしっかり保たれているので、信者が奉神礼に集まる時、使徒たちの上に聖霊(神)降臨が起きたように、必ずそこの神の臨在があるとされています。

 

ちなみに、カトリック教会では、礼拝(ミサ)で楽器を使用するのに対して、正教会は、奉神礼では、一切楽器を使用せず肉声だけで行ないます。

 

 

  • 儀礼

 

キリスト教には、神の見えない恩寵(神の人類に対する慈愛)を具体的に見える形で表す各種の儀礼(儀式)があり、正教会では「機密」と呼ばれます(カトリック教会では「秘蹟サクラメント)」、また、プロテスタントでは「聖礼典」と呼ぶ)。

 

聖体礼儀で行わる聖体機密もその一つで、正教会もカトリック教会も7つの機密(秘蹟)があり、礼拝で(礼儀として)行われます。

 

 

正教会の機密(括弧はカトリックの秘蹟)

 

  1. 洗礼機密(洗礼)

人が新しい生命に更生し、ハリストス(イエス)と共に復活する恩寵が得られる機密。聖体礼儀で行われる。

 

  1. 傅膏機密(堅信(けいしん)・傳膏(ふこう))

使徒と同じように聖霊(聖神)が降臨することを祈る機密、洗礼機密の直後に、聖膏(油)を塗ることで執行される。聖体礼儀で行われる。

 

  1. 聖体機密(正餐(せいさん))

ハリストス(キリスト)の体と血となったパンと葡萄酒を食する機密で、聖体礼儀で行われる。

 

  1. 痛悔機密(告解(こっかい)・痛悔(つうかい))

信徒が教会生活から離れたときの赦罪(罪の赦し)を得るための機密で、告解礼儀で行われる。

 

  1. 神品機密(叙階・神品(しんぴん))

神品(主教・司祭・輔祭)を任ずる機密で、他人の霊を育てる恩寵を得ることができる。聖体礼儀で行われる。

 

  1. 婚配機密(結婚・婚配)

婚姻と、子を生み養育する事を得られるための機密で、戴冠礼儀で行われる。

 

  1. 聖傅機密((病人への)塗油(とゆ)・聖傳(せいふ))

霊疾(霊の病)と身体の疾病の癒しの恩寵を得るための機密で、聖傅礼儀で行われる。

 

なお、プロテスタント諸会派では「洗礼」と「正餐」の二つだけしか認めていません。

 

 

  • 聖書

 

正教会では、信仰の源泉に旧新約聖書を置きますが、それだけでなく、正教会が認定した「聖伝(伝承)」も経典に含まれます。

 

聖伝とは、キリスト教における伝承のことで、連綿と受け継がれてきた神による啓示に基づく信仰と教えをいいます。それは、文書や単なる事件の記録、記念物といったものだけでなく、聖師父の著作、全地公会議による規定、奉神礼で用いられる祈祷書といった文書となっているものもあげられます。さらに、正教会において、聖書も正教会の聖伝から生みだされたと考えられ、「聖書は聖伝の中に含まれる」と捉えます。これに対して、カトリック教会では「聖書と聖伝」と並び称します。

 

 

  • その他の違い

 

カトリック教会は、司祭の妻帯を認めませんが、正教会は、聖職者に対して独身の要求をしていません(妻帯者を司祭に任命することができる)。ただし、司祭になってからでは、新たに結婚できないので、未婚で司祭になったら、結果として、そのまま生涯独身となります。また、カトリックと同様に、男性しか司祭にはなれません。

 

信徒の離婚については、カトリック教会では認めていませんが、正教会において、離婚は基本的には好ましくないというスタンスですが、その諸事情により判断されます。

 

 

<参考>

カトリック教会:ローマ教皇とバチカン

プロテスタント教会:ルター発の聖書回帰運動

 

 

<参照>

東方正教会〜キリスト教はカトリックとプロテスタントだけじゃないよ〜

日本正教会HP

Wikipediaなど

 

(2020年11月15日、最終更新日2022年6月20日)