ミトラ教②:キリスト教に奪われたローマの国教の座

 

前回の投稿では、古代ペルシア・インドを起源とするミトラ教について、基本的な教義とヘレニズム時代までの経緯についてみてきました。今回は、ローマ帝国内でのミトラ教の信仰とその「興亡」についてまとめました。なお、ローマにおいて「ミトラ教」は、ギリシャ語化した「ミトラス教西方ミトラ教)」と呼ばれました。ローマ帝国で受容されたミトラス教はどういう運命をたどったのでしょうか?

 

前回の投稿をお読みでない方は、先にお読み頂ければ、本稿の理解もさらに深まるかと思います。

ミトラ教①:古代ペルシャの密儀宗教

 

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  • ミトラ教のローマへの伝搬

 

ミトラス(ミトラ)教は、ローマ帝国で紀元前1世紀から紀元後5世紀までの間、信仰されました。きっかけは、前1世紀(紀元前60年ごろ)にローマの将軍ポンペイウスが小アジアを征服したことでした。以後、ローマ軍の移動にともなって、ミトラ教は、25年ほどでローマ帝国全土に伝えられたとみられています。

 

このとき、小アジアでは、ローマに対して略奪行為を働いていたキリキア(小アジア南部)の海賊たちが、ミトラ神を信仰しており、(密儀をともなう)ミトラ教を拠り所として団結していたとされています。

 

また、キリキアの首都タルソスにいた知識人の中でバビロニア出身のストア派の哲学者や神官たちの活動もミトラ教の布教を後押ししました。ストア派と言えば、一般的には、快楽や欲求の衝動を、理性の力(自制心や忍耐力)で抑制する禁欲主義の生活を送ることが個人の幸福につながると主張する学派と解されていますが、ストア派とミトラ教はどういう関係があったのでしょうか?

 

ストア派の自然観では、宇宙の根本原理を火(「神火」)ととられ、世界は、火から生まれ、そこから空気、水、土が生じて、さまざまな「もの」が生成されます。これらは、神火を通じて、宇宙全体に生命が吹き込まれ、世界全体は一定の秩序・目的のもとに統一されると解されています。この一連の法則がロゴス(万物の根本原理、普遍的理性)で、このロゴスを認識できるようになることがストア派の目標です。

 

至高神であり光明神(太陽神)であるミトラを中心に、ミトラ神群が調和して配置され、天地が創造・運行していると説くミトラ教と、ストア派自然観は合致するわけですね。もっとも、ストア派は、紀元前3世紀頃から形成されたと言われていますが、この時、バビロニアの宗教指導者(マギ)などからミトラ教が伝えられていたのかもしれません。いずれにしても、ストア派は以後、ローマでのミトラ教の布教に大きな役割を演じることになります。

 

さて、小アジアのキリキアなどからローマに入ってきたミトラ(ミトラス)神は、特に太陽神と同一視され、ローマの神々と融合していきました。また、牛を屠(ほふ)る儀式があったことが大きな特徴です。ローマに入ってくる過程で、「牡牛を殺すミトラ神が新時代をもたらす」という考え方も広がってことが背景にあるようです。

 

ただし、当初は、軍隊や兵士、商工人、解放奴隷など下級層に、神秘的、秘儀的な密儀宗教として、広がりました。とりわけ、アケメネス朝ペルシア時代のミトラ神がそうであったように、ミトラ神は戦士の保護者や勝利の神という性質があったため、ローマでも、下級兵士を中心に軍人に人気がありました。また、友愛の教えに基づき、信徒同士の連帯は強く、ローマ軍将兵の間には、秘密結社型の組織が形成されていたとも言われています。

 

こうして、ミトラス(西方ミトラ)教は、やがて、上級ローマ市民らにも浸透し、2世紀以降のローマ帝国時代に全盛期となり、その後、約300年間、帝国の広範囲で信仰されていくことになるのです。

 

 

  • ミトラス神話と西方ミトラ教の神々

 

前回投稿でも説明したように、ミトラ教は密儀宗教のため、信者から教えを口外されることはなく、また経典、聖典などの文献資料も存在しないとされていますが、それでも、伝承や、神殿内で時々出土する彫像や壁画などから、西方ミトラ教の実情を浮き彫りにすることが可能になります。とりわけ、以下に示すミトラス神話から、ミトラス神が太陽神であり、西方ミトラ教で牛を屠(ほふ)る儀式が行われた由縁なども推察できます。

 

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原初、混沌の中から、大地と農耕の神サトゥルヌスクロノス)の時代となり、地上の世界が創造されましたが、神々の反乱などで、地上の世界は荒廃した状態が続きました。そこで、サトゥルヌ(クロノス)は、世界に豊穣をもたらすため、岩から新しい光の神ミトラスを生み出すと、ミトラス神は、地面から泉を湧き出させたり、果実を実らせたりするなどの奇蹟を行いました。

 

クロノス:ギリシア神話の神

サトゥルヌス:ローマ神話の神

 

(ミトラス神は、洞窟世界の天井の岩盤から生まれたので「岩から出てくる神」と言われている。壁画では、マントと烏帽子のようなフリュギア帽を身につけ、短剣と弓矢で武装した姿で描かれている。)

 

その後、太陽神ソルヘリウス)は、カラスを使者として派遣し、ミトラ神に対して、天の牛舎にいる豊穣の牝牛を犠牲獣として捧げるよう命じました。

 

ローマ神話の太陽神:ソル(ソール)

ギリシア神話の太陽神:ヘリウス(ヘーリオス)

 

そこで、牝牛を捕らえたミトラス(ミトラ)は、岩窟へと背負って運び、肩口に短剣を突き刺して牝牛を屠りました。牛の傷口から出た血潮には犬や蛇が吸いつくと、やがて、牡牛の体から小麦や薬草があふれ出し、牛の尾は麦の穂に変わりました。また、牛の生殖器からは種子が放出されあらゆる種類の家畜を生み、牛の血は葡萄酒となって大地に生命がもたらされました。

牝牛が死ぬと、太陽神ソル(ヘリウス)が地上に舞い降り、ミトラス神と、牛屠り(うしほふり)による生育の種子を太陽の光で守り育てるという契約を結び、握手が交わされました。これにより、ミトラは太陽神の神性を取り込んで一体となったのです。

 

その後、太陽神とミトラ神は、饗宴の食卓につき、牡牛の肉とぶどう酒を食した後、太陽神の戦車に乗ってともに昇天しました。また、万物の源として屠られた牛の霊魂も、天に昇って神となりました。

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一方、ミトラス(西方ミトラ)教でも、ミトラ神以外の神々が登場します。ミトラス神には、脇侍神として、カウテスカウトパテスがいました。壁画や彫刻などでは、どちらもフリュギア帽をかぶり、松明(たいまつ)を持っていますが、カウテスは上向きの松明を持ち、カウトパテスは下向きの松明をもって描かれています。上向きの松明は、日の出の象徴で、冬至から夏至までの期間を表し、下向きの松明は、日没の象徴で、夏至から冬至までの期間を表しているそうです。

 

一方、謎の神として、身体は人、頭は獅子で、翼を生やし、直立した胴体に蛇を巻きつけた獅子頭神(ししがしらしん)の存在もあげられます。その正体は不明で、ミトラ神との関係なども正確にはわかっていませんが、ゾロアスター教の永遠の時間を表す神であるズルワーン(ズルヴァン)、または、ゾロアスター教の悪神アーリマン(アンラ・マンユ)に由来するという見方で分れています。

 

 

  • ミトラス教の信者と入信儀式

 

前述したように、ミトラス(ミトラ)教は、忠誠、服従、信頼、戦勝が強調されたこともあり、兵士たちを中心に、商工民、解放奴隷など社会の比較的低階層の人たちの間で信仰されました。このため、信者は主に男性で構成され、一部の例外を除きミトラ教に女性は入信できなかったとされています(もっとも、女性には女性しか入信できないエジプト由来のイシス神に対するイシス信仰があった)。

 

また、入信儀式は「秘蹟サクラメントゥム)」と称されました。その内容は明らかではありませんが、古代ペルシアの伝統に従った「禊(洗礼)」の儀式で、聖水の撒布や本格的な沐浴などが実施されていたとみられています。

 

一方で、入信儀式は、過酷な試練を伴うものであったとも言われています。ミトラ教の奥義を誰にも口外しないという誓約を行った上で、「服を脱がされ、目隠しされて、剣をかざされる中、牡牛の血を浴びる…」といったような恐怖を取り除く儀式を経験したそうです。これによって、入信後、信者の結束は極めて強固になり、互いのことを「兄弟」と呼び合う関係になるまで高められたとされていますが、そもそもそういう厳しい儀式が本当に行われていたのかと疑問視する向きもあります。

 

 

  • ミトラ教信者の階級

 

ミトラス教に入信すると、信者は7つの階級(父、太陽の使者、ペルシア人、獅子、兵士、花嫁、大鴉)のいずれかに属しました。

 

これらの位階は、七つに区分される地上界から天界に対応し、各位階には対応する天体と守護神があり、霊魂が至高天に至るまでの行程を表していると見られています。なお、七つの位階の名前のいわれや、選ばれる基準、昇位のルールなどは不明です。

 

父(パテル/パーテル)

守護神:サトゥルヌス(土星)

ミトラ教の最高位で、儀式や昇進を執り行い、入信者への責任を負ったとされています。「父」の中でも、最も上位の者には「父の父」の称号が与えられたとも言われています。

 

太陽神の使者(ヘリオドロムス)

守護神:ソル(太陽)

第2の位階で「父」の補佐的役割を果たしていたと考えられています。

 

ペルシア人(ペルセス)

守護神:ルナ(月)

第3の位で、収穫の守護者として位置づけられていました。

 

獅子(レオ)

守護神:ユピテル(木星)

第4の位で、獅子はミトラ神とともに狩りに出る重要な存在だったそうです。

 

兵士(ミレス)

守護神:マルス(火星)

第5の位で、ミトラス神に仕えて悪の勢力と戦う忠実な戦士たちを象徴していました。

 

花嫁(ニンフス)

守護神:ウェヌス(金星)

第6の位で、ミトラス神との盟約を交わす意味が込められていると考えられています。

 

大鴉(大鳥)(おおからす)(コラクス)

守護神:メルクリウス(水星)

最下位の位階で、神々の使者メルクリウスの代理としての役割があったとされています。

 

この七位階の中で、「獅子」より上の位階を受けた信者だけが、教団の密儀への参加が認められ、後位の三位階(大鴉、花嫁、兵士)の信者は、密儀への参加を認められなかったようです。

 

 

  • ミトラ教の神殿と儀礼

 

ミトラ教の儀式や祭儀が行われたり、信者が集ったりする神殿は、ゾロアスター教が自然洞窟で儀礼や教義の実践を行っていた影響で、天井が円筒形で洞窟の形をしていました。中心となる部屋に祭壇があり、両脇にベンチのような石の信者席があったとされています。

 

また、ミトラ教にとって、春分や秋分、夏至、冬至に行われる儀式が最も重要なイベントでした。春分には、新しい神殿が開かれる式典や、牛屠りの儀式が実施されたと言われています(ただ、牝牛を入れるだけの広さを持たない神殿も多くあった)。冬至にはミトラス神の誕生が祝われました。誕生日は12月25日とされ、今日まで残るクリスマスの起源とみられています。

 

ミトラス教の祭儀の饗宴ではパンとブドウ酒(ワイン)が使用されましたが、それぞれ、牛の肉と血を象徴しているとされます(キリスト教に影響を与えたとも)。信者たちは、神殿の石の長いすに横になりながら聖餐の儀式をしたそうです。

 

 

  • ローマ帝国内でのミトラ教の展開

 

「ローマの平和」の時代

紀元前1世紀頃に、ローマに入ってきたミトラス教は、ネロ帝(在54~68)からマルクス=アウレリウス帝(在161~180)の時代にかけて大きく成長し、あらゆる階層に広まりました。その背景には、ミトラ教を支持するストア学派の学者や神官らの帝国内での影響力が強かったことがあげられます。

 

皇帝ネロ(在54~68)と言えば、キリスト教徒に対する大迫害を行った暴君のイメージが強い皇帝ですが、ローマにほぼ同じ時期に流入してきたキリスト教とミトラス教のうち、ミトラス教を受け入れました。

 

これには、ネロの幼少期、家庭教師を務めたストア派哲学者のセネカ(BC4~65)の影響が強かったと考えられています。セネカはネロが皇帝に就任した際、最初の演説の原稿を書いたとも言われるほど両者の関係は密接であったと思われます。実際は、ネロもミトラス教に入信し、ローマ帝国内でミトラ教が拡大する契機となったとされています。

 

皇帝マルクス=アウレリウス(在161~180)は、2世紀、ローマ帝国が最大版図になった「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」を謳歌した五賢帝最後の皇帝で、ストア派の哲学者として広く知られています。アウレリウス帝は、政治家としての日々の悩みや自らの行動を省みる内容の「自省録」を書いたことでも有名で、そこにストア派哲学の研究者としての思想を見いだすことができます。

 

マルクス=アウレリウスの次の皇帝が、息子のコンモドゥス帝(在位180~192年)で、残された記録上、ローマ皇帝として初めてミトラス教の儀式に参加しました。また、皇帝領の一部をミトラス教団に寄進したという事実も明らかになっており、ミトラス教が社会に浸透していたということが示唆されます。

 

また、ローマ市民に憩いの場として大浴場を提供したことで知られるカラカラ帝(在位211~217年)は、そのカラカラ浴場の地下に、壮大なミトラ神殿を建設しました。その規模は、ローマ時代のミトラ神殿の中で最大とも言われています。

 

軍人皇帝の時代へ

この頃から、ローマ帝国では、皇帝を太陽神の化身とみなし、自らの権威を高めるようとする風潮がでてきました。

 

ローマ皇帝ヘリオガバルスエラガバルス)(在218~223)は、古代シリアの一地域で信仰されていた太陽神「エラ・ガバル」をローマに持ち込み、「不敗の太陽神(ソル・インウィクトゥス)」と呼んで信奉し、その信仰をローマ市民に求めました。当時、ローマの最高神であったユピテル(ギリシア神話のゼウスと同一視された神々の王)をエラ・ガバルへと置き換えようとさえ言われています。ヘリオガバルス(エラガバルス)帝は、もともとバッシアヌス(ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス)という名前でしたが、自らエラガバルスと名乗り、太陽神の化身になったのでした。

 

その後、ローマ帝国は、235年から285年の50年の間に、70人もの軍人皇帝が乱立した、「3世紀の危機」と呼ばれた軍人皇帝時代に入りました。ローマでは、ヘリオガバルス(エラガバルス)帝が導入した不敗の太陽神(ソル・インヴィクトス)信仰が盛んになっていました。

 

当時3つに分裂していたローマ帝国を統一し、「世界の修復者」の称号を得た軍事皇帝アウレリアヌス(在位270~275年)も、太陽神(ソル・インヴィクトス)を認め、厚く崇拝し、「不敗の太陽神」のもとにローマ帝国内の諸宗教の統一を図ろうとしました。

 

当時、ミトラス教(西方ミトラ教)は、当時のローマで最大の宗教勢力となっていたとされており、不敗の太陽神(ソル・インウィクトゥス)の呼称も、ミトラスなど他の神に対しても用いられていました(太陽神「エラ・ガバル」とミトラス神などが習合していた)。

 

そこで、アウレリアヌス帝は、274年12月25日、不敗の太陽神信仰を、伝統的なローマの様々な信仰と並んで正式な信仰と認めただけでなく、ミトラス(ミトラ)を「不敗の太陽神ミトラス」として、ユピテルに替えて、ローマ帝国の最高神に定めました(ユピタル神の上にミトラス神を据えた)。また、「不敗の太陽神」に仕える大神官団を創設し、その神官団の長に、アウレリアヌス帝自ら就任しました。さらに、その日(12月25日)を太陽神の生誕の日と定めていました。こうして、ローマ帝国の最高神となった「不敗の太陽神・ミトラス神」に対する崇拝が、ローマ全土に広められたのです。

 

ローマ帝国の国教

さらに、マルクス=アウレリウス帝とともにストア派の皇帝として知られるディオクレティアヌス帝(在位284~305年)の治世において、ミトラス教は国教の地位を獲得します。

 

ディオクレティアヌス帝は、「3世紀の危機(軍人皇帝時代)」を収拾し、それまでの元首政(プリンキパトゥス)を廃止したうえで、新たに四人の皇帝による(「四帝分治」)専制君主政(ドミナートゥス)を導入しました。

 

ただ、四帝分治といっても、実質的には、ディオクレティアヌス帝の独裁体制で、皇帝は、自らを神として、ローマ市民に、皇帝崇拝と、伝統的なローマの神々への祭儀の参加を強要したとされています。ですから、これを拒否したキリスト教徒に対して、303年、ネロ帝以来最大といわれる「最後」の大迫害が行われました。

 

一方、ミトラス教に対しては、他の共同統治者であるガレリウス帝とマクシミアヌス帝とともに、ウィーン郊外のカルヌントゥムにかつてあったミトラ神殿を復興させるなど保護しました。西暦304年には、正式に「不敗の太陽神」という称号がミトラス神だけをさすものとし、ミトラス神こそが帝国の保護神であると宣言しました。こうして、ミトラス教はローマ帝国の国教となり、帝国の各地にミトラ神殿や礼拝の洞窟が建立されました。

 

キリスト教の公認から国教へ

しかし、コンスタンティヌス1世(在位306~337年)が、313年に、「ミラノ勅令」を出してキリスト教を公認すると事態は一変します。キリスト教徒の迫害はなくなり、キリスト教徒の数は、ローマ帝国内で急増していった一方、ミトラ教の方は、帝国内にあった各地のミトラ神殿が、キリスト教徒とみられる暴徒によって襲撃、破壊されるようになりました。

 

これに対して、コンスタンティヌス1世の甥にあたるユリアヌス帝(在位361~363)が、ミラノ勅令によるキリスト教の公認を取消し、ローマの神々への信仰の復帰をめざして、ミトラ神殿の再建と祭祀の再開を図りました。しかし、この「宗教改革」もユリウス帝が早死にしたこともあって、一時的な効果しかありませんでした。

 

380年には、グラティアヌス帝 (在375~383)は、当時共同皇帝であったテオドシウス帝(在379~395)とともに勅令によって、キリスト教を国教とし、ローマ帝国市民にキリスト教を義務づけました。また、その2年後にはミトラス教を含むすべての密儀宗教が禁止されました。これによって、ミトラス(西方ミトラ)教は、ローマ帝国の国教としての地位を喪失したことになりました(ローマ帝国の国教であった年数は約75年)。

 

さらに、392年、テオドシウス帝は、アタナシウス派キリスト教をローマの唯一の公式宗教(国教)と定め、ミトラス教の太陽神信仰や、ギリシア・ローマの神々などすべての異教(多神教)の祭礼と供犠を法的に禁止しました。これによって、ミトラス教も異端宗教として、以前にもまして弾圧されるようになり、その洞窟神殿は破壊され、その跡地にはキリスト教の教会が建立されるようになったと言われています。

 

このように、ローマ帝国の異教・異端信仰となったミトラス教の影響力を急速に失われ、ミトラス(西方ミトラ)教は4世紀から5世紀ごろには、ローマ帝国内からその姿を消していったと伝えられています。

 

<参考>

ミトラ教①:古代ペルシャの密儀宗教

ゾロアスター教①:ユダヤ教・キリスト教の源流!

ゾロアスター教②:ペルシャからの発展と衰退

 

 

<参照>

ミトラ教 ―ローマ帝国で勢力を誇った太陽神崇拝の密儀宗教―

(古代ローマライブラリー)

ミトラス教の光明神ミトラ(ミスラ)(Es discovery)

ミトラ教〜キリスト教〜弥勒信仰〜聖徳太子〜フリーメイソン・イルミナティ

ミトラ教の歴史1(新版)(東條真人)

ミトラ教.ミトラ神学.西方ミトラ教の歴史(東條真人)

生・老・病・死ー老いと死を考えるー 「ミトラの密儀」3 ..

謎の「ミトラ教」最大の神殿は、なぜ古代ローマ憩いの場・カラカラ浴場の下に作られたのか?(20121/2/27、サライ)

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(2022年6月16日)