ミトラ教①:古代ペルシャの密儀宗教

 

日本ではあまり知られていないミトラ教(ミトラス教)という、西アジア地方に広く普及していた宗教がありました。ミトラ教は、ペルシアではゾロアスター教、インドでは仏教の登場で、下火となりましたが、ヘレニズムやローマで受け入れられ、一時、国教の地位を得るまで隆盛を極めました。しかし、その後、キリスト教に飲み込まれ、歴史的には消滅したとされています。

 

それでも、クルド人を中心に、ミトラ信仰の火は繋がれ、中国の西方の一部地域で形を変えて伝えられている(日本にも影響)と言われています。また、キリスト教、仏教、イスラム教の中にも、ミトラ教の教義がしっかりと継承されているとの見方もあります。そのミトラ教とは、どういう宗教なのでしょうか?ローマに伝搬するまでのミトラ教をまとめました。

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  • ミトラ神とは?

 

ミトラ教は、ミトラ神を祭る西アジアにあった原始的な密儀宗教で、その起源は古代インドや古代ペルシアに遡ります。密儀宗教とは、教義や儀式が秘密にされている宗教で、信者はその内容を誰かに言うことを禁じられているため、関連する文献も残っておらず、内容は不明なことが多いとされています。

 

ミトラ(ミスラ)の神は、インド・ヨーロッパ語族の神で、特に古代インドや古代ペルシア(イラン)にいたアーリア人たちから崇拝と帰依を受けた太陽神光明神)です(本来、ミトラ神は光の神だったが、ヘレニズム以後、太陽神とされるようになった)。さらに、戦いの神戦闘の神)として崇拝を集めた時代もありました。

 

また、語源からいえば、「ミトラ」はもともと「メイ」からきており、「契約」や「交換」を意味することから、ミトラ神は契約の神とされました。加えて、契約が締結された後、盟友関係に発展し、友情友愛の神でもありました。ミトラの本質が「友愛」なので、ミトラ神話には、「七曜神」あるいは「七大天使」と呼ばれる仲間が登場します。

 

その一方で、ミトラ(神)は、全知全能の最高神(至高神)で、永遠の神としても信仰されていました。ただ、そのミトラは目に見えない存在ではなく、太陽が天空の中心に現れるように、美少年の姿でこの世に現れるとも考えられていました。では、ミトラ教は一神教であったかというとそうではなく、古代イランのアーリア人は、さまざまな神々を祀っており、その一つがミトラ(ミスラ)神だったのです。

 

このように、ミトラ神は、さまざまな神格や属性を併せ持つ神と言われています。また、古代インド神話の聖典「ヴェーダ」や、古代ペルシア(古代イラン)のゾロアスター教にも登場するなど、歴史的にも複雑な起源や経緯を持つ神でもあります。そのためか時代によって呼び方も様々で、ミトラ(神)はミスラミトラスとも呼ばれていました。ゾロアスター教が出る以前はミスラ、ヘレニズム・ローマ帝国ではミトラスが一般的であったようです(本稿ではミトラで統一する)。

 

 

  • ミトラ教の起源

 

ミトラ教の起源は、インドの「リグ・ヴェーダ」やゾロアスター教よりも古く、紀元前1700年以前にまでさかのぼることができるとされています。この時代は、イラン系民族(ヒッタイト、ミタンニ、カッシートなど)が西アジアに移住し、国を形成していた頃で、この当時のミトラ教は、原始ミトラ教と呼ばれます。

 

このうち、ミタンニ王国(前1700-前1270)は、イラン系民族の一つミタンニ人がシリアからイラク北部にかけての地域につくった王国ですが、ミタンニという国名は、ミトラからきており、ミトラ教は国教とされるなど、ミトラ神信仰が定着していたことがわかります。実際、前14世紀にヒッタイト帝国と結んだ条約を刻んだ碑文から、至高神ミトラや、次に説明する様々な「ミトラ神群」が崇拝されていたことが明らかになっています。

 

ただし、ミトラ教は密儀宗教であったので、古代インドや古代イラン系民族の神話などからしか、その全貌を伺い知ることができません。しかも時代によって、神々の地位や特性が変更されたり、新しい考え方が導入されたりと流動的で、統一的な教義が確立されていたとは言い難いと思われます。

 

 

  • ミトラ教の神々:ミトラ神群

 

冒頭でも指摘したように、ミトラ神を崇拝するミトラ教と言っても、ミトラ神は、一神教的な唯一絶対神でありません。原始ミトラ教の信仰形態の中で、ミトラ(至高神)、ヴァルナ(原人)、アリヤマンの三柱に、四柱の神々を加えたミトラ七神への崇拝がありました(ミトラはミトラ七神の第一の神)。

 

七神のうちミトラ神とヴァルナ神は、ミトラ教における2大神で、表裏一体の対を為している神として認識されていました。例えば、ヴァルナ神は、象徴的な少年神ミトラに巻きついている黄金蛇に姿を変えたものとして描かれていました。

 

二神は、不可侵の神聖な契約に基づく、友愛で結ばれた盟友関係にあったとされています(これが、「友愛の神」ミトラの由縁)。ミトラ神は契約を締結・祝福する役割を、一方、ヴァルナ神は契約の履行を監視する役割をそれぞれ果たしたとも言われ、人間との関係においても、契約が履行されれば、二神から祝福され、契約に背いた者には厳しい罰が与えられたそうです。

 

このように、契約と友愛の神として崇められたミトラ(神)とヴァルナ(神)でしたが、時代が進むにつれて、宇宙の統治者・全能の神としての属性を付与されるようになっていったとされています。この意味においては、原始ミトラ教におけるヴァルナはミトラの天地創造を手伝う共同創造者という位置づけでした。

 

なお、原始ミトラ教において、ミトラ七神とは別の枠組みで、原人オフルミズドがいます。オフルミズドは、ヴァルナの子、またはヴァルナの化身とされ、人間の原像となる存在です。ゾロアスター教の主神アフラ=マズダに相当するとの見方もあります。

 

また、ミトラ教の別の神学的な見解の中に、神々のヒエラルキー(階層)の頂点に立つズルワーンが登場します。永続的時間神とされるズルワーンは、万物の創生と破壊を司り、宇宙を構成する四大元素である火・水・地(土)・風(空気)を統制する万物の根源的な神でもあります。性別や情念も持たない存在とされていますが、体に蛇を巻きつけた獅子頭の怪人という象徴的な姿で表されることがあります。

 

さらに、この関連で、ミトラ教においては、次のような天地風水火の元素神なども存在しています。

 

天(天空神):スワーシャ

地(地母神):ザミャート

火の神:アータル

水の神:アーパスアナーヒタ

風の神:ワユワータ

 

このように、ミトラ教では、ミタンニ王国の時代(1700-1270 B. C.)になると自らの神群「ミトラ神群」を形成していたと見られています。

 

 

  • ミトラ神とヤザタ神群

 

一方、ミトラ神と同じように、ゾロアスター教以前のかなり古くから、古代ペルシアで信仰されていたヤザタ神群と呼ばれる一群の土着の神々(天使)がいました。このヤザタ神(群)を通しても、ミトラを理解することができます。というのは、ミトラ神(ミスラ神)もこのヤザタ神群の一員、より正確には「ミトラはヤザタたちの長である」という伝承があるからです。

 

そもそも、ヤザタとは、イラン系諸語の語源としては「崇拝に値する神」「礼拝されるべき神」で、転じて「至高神」「最高神」「主神」を意味しました。古代ペルシアにおいて、この定義にあてはまる神はミトラしかいなかったと言われ、ミトラには、「ヤザタ」を連想させるミフルヤズドという別の呼び方があったと言われています。(これが、「至高神」ミトラの由縁)。

 

「ヤザタの王」という表現は、至高神ミトラの尊称とされ、ヤザタ神群は、後にミトラ神群をさすことばとして使われるようになりました。具体的には、ヤザタを単数形で使うとミトラをさし、複数形で使うと、ミトラの七大神をさしたとされています。さらに、ヤザタ崇拝は、後にミトラ教の天使崇拝に発展して行ったとも言われています(七大神=七大天使)。

 

また、ヤザタ神群とミトラ神群にはほかにも多くの共通点があります。ヤザタの神々(ヤザタ神群)は、アニミズムの影響を受け、天体を含めた自然の事象を司るとされ、ミトラ神群と同じ名前の「火の神アータル」や「水の神アナーヒター」などいます。また、ヤザタ(神群)も、戦闘など現世的な事柄をそのまま司ることを特徴としており、戦闘の神(戦いの神)とも定義づけられているミトラ神とも共通しています。

 

ここまでみてきた、複雑で多様性のある原始ミトラ教は、古代インドの前1200年頃に成立した「リグ・ヴェーダ」における神群やゾロアスター教など他の信仰の形成に影響を与えたとみられています。また、逆に、「ヴェーダ」やゾロアスター教などの影響を受けながら、後のミトラ教も進化していきました。その経緯をみていきます。

 

 

  • 占星学とミトラ教

(七曜神と七大天使)

 

オリエント地域を初めて統一したアッシリアが612年に滅亡すると、イラン高原にはメディア王国、メソポタミア地方にはカルデア(新バビロニア)王国が出現し、それぞれの地域を支配しました。イラン系のメディア王国は、かつてのミタンニ王国同様、ミトラ教を国教として、至高神ミトラとミトラ神群を崇拝しました。また、メディア王国が支配した地域にも強力に布教し、各地でミトラの祭祀が行われたと言われています。

 

メディア人は、前835年頃からクルディスタン地域(トルコ東部、イラン西部、イラク北部、シリア北部、アルメニアの一部にまたがる地域)に移住してくると、先住のフリル人やセム人と混血し、やがてクルド人になります。

 

また、バビロニアにも移住したクルド人はカルデア人と混血すると、カルデアで信仰されていた神々との習合が行われました。結果として、カルデア(新バビロニア)王国では、シュール以来の惑星神(地球以外の惑星の神)が信仰されていたことから、バビロニアの宇宙論や占星学などがミトラ教の密儀や儀礼と結びつき、「秘教占星学(ズルワーン神学)」が生まれるきっかけとなりました。

 

七曜       惑星       ミトラ神群             

日曜       太陽       ミトラ

月曜       月           女神マーフ

火曜       火星       アーリマン/アズ

水曜       水星       ティール

木曜       木星       オフルミズド

金曜       金星       女神アナーヒター

土曜       土星       ズルワーン/スワーシャ

 

七曜(しちよう)とは、太陽と月に五惑星(水星、金星、火星、木星、土星)を合わせた7つの天体の事をさし、ミタンニ王国とメディア王国の時代に、それぞれに神が対応されて七曜神(惑星神)となりました。そもそも天使とは「神の使い」、「天界の住人」のことをいいます。ミトラ教では、最高神ミトラに使える神々(ミトラ神群の七大神)が七大天使となったと考えられます。

 

ミトラの七大天使は、ミタンニ=メディア時代の七曜神を起源とし、カルデア=メディア王国においては、ミトラが大神化して「無敵の太陽神」となり、七曜神(七大天使)が太陽神ミトラの七つの分霊と考えられるようになったのです。こうして、ミトラ教に占星学の要素が加わり、教義の原型が出揃った形となりました。

 

一方、メディア王国支配下で、ゾロアスター教がイラン人のなかで広がり、ミトラ教の信仰は一時的に抑圧されたと言われ、次のアケメネス朝の時代には、ミトラ教とゾロアスター教は鋭く対峙し、政治的・宗教的な緊張が続くことになります。

 

 

  • アケメネス朝ペルシア下でのミトラ教

(ミトラ教とゾロアスター教)

 

6世紀半ばに、イランにアケメネス朝ペルシア(BC555~BC330)が興隆し、メディア王国とカルデア王国を滅ぼし、西アジアを統一しました。この時代、ゾロアスター教でも、創始者ゾロアスターによる一種の「宗教改革」が興り、最高神として創神された善神アフラ・マズダと、悪神アーリマンによる二元論的世界観が確立しました。

 

この時、ゾロアスター教の中でのミトラ(神)は、最高神アフラ・マズダを助け保護する神のひとりに格下げられてしまいます。ゾロアスター教の聖典「アヴェスタ」でも、戦い神、契約の神、太陽神であるミスラ神は、最高神アフラ・マズダに次ぐ神格とされたのです。これに対して、原始ミトラ教においては、ゾロアスター教の最高神アフラ=マズダは、ミトラ神の下位に位置付けられ、ミトラのために天地創造を行う従属神とされていました。

 

また、善と悪の対立という絶対二元論を構築したゾロアスター教において、悪神アーリマンは絶対悪として敵視しされました。しかし、ミトラ教においては、アーリマン(アリヤマン)は、本来、悪でなく、ミトラの従神になります。ミトラは友愛の神ですから、一定の期間が過ぎたとき、アーリマンを赦して復活させるのです。ミトラ教における赦しの思想は、マズダー教にとっては、根本教義の「絶対二元論」そのものを崩壊させてしまうことから、受け入れられなかったと解されています。

 

しかし、ゾロアスター教は、次第にミトラ教ならびに古代の多神教的要素が入り込み、折衷的な宗教に変質していきました。ミトラ(神)は、アフラ・ミトラという名に変わり、地上の統治権を得ただけでなく、「最後の審判」で、死後の冥府で死者の生前の行状を裁く審判者(裁判の神)としての役割を担うようになりました。最終的には、ミトラ(アフラ・ミトラ)は、段階的にアフラ・マズダと習合していきます。

 

ゾロアスター教の教典「アヴェスタ」を構成する「ミフル・ヤシュト(ミトラ讃歌)」の中で、「ミトラはアフラ=マズダと同格の神であり、地上統治権をアフラ=マズダから譲り受けた神である」と宣言され、ミトラを、「光の神にして誓約の守護者」、「(悪との戦いにおける)勝利の神(=戦いの神)」、「この世とあの世における正義の保護者」と称えられました。

 

このように、アケメネス朝ペルシアの時代になると、ミトラ(神)には、「契約の神」「友愛の神」に、「戦いの神」、「勝利の神」、「戦士たちの保護神」、「天国への仲介神」、「富・豊穣の神」といった性格が加わったのです。(これが「戦いの神」ミトラの由縁)。

 

ペルシア帝国内においては、当初、ミトラが至高神でしたが、帝国内の宗教事情を考慮した、ダリウス1世(522-486 B.C.)は、諸派を折衷した三アフラ教(折衷ゾロアスター教)を国教にしました(広義には、三アフラ教ゾロアスター教と解される)。

 

三アフラ教とは、三柱のアフラ神に対する信仰のことで、三神とは、アフラ・マズダ、アフラ・ミトラ、アフラ・アパム・ナパート(アナーヒター)をさし、帝国では、公式に至高三神(至高神団)を祀り、三柱のアフラの教えに従うことが求められました(アフラは「主」を意味する)。

 

もっとも、三アフラ教に実効性のある統一教義が存在したわけではなく、三アフラ教は、至高三神の名の下にまとまっているにすぎず、ミトラ教、ゾロアスター教、その他の宗派はそれぞれ独自に布教を行っていたようです。

 

教団としての力関係でいえば、クセルクセス王(486-465 B. C.)時代に、ゾロアスター教が一時的に興隆し、アフラ=マズダが称揚された時代もありましたが、次のアルタクセルクセス1世とアルタクセルクセス2世(前404年~前359年)の時に政策変更され、アフラ・マズダとともにミトラ神も守護神として崇拝し、三神体制が維持されました。しかし、次のアレクサンダー大王の登場によって、ミトラ教を取り巻く環境が大きく変化していきます。

 

 

  • ヘレニズム時代のミトラ教

 

前334年のアレクサンダー大王の東征から、226年のパルティア王国の滅亡までの約550年間をヘレニズム時代と呼ばれます。

 

アレクサンダー大王(356-323 B. C.)は、ギリシャを統一した後、東方遠征を開始し、前331年アケメネス朝ペルシアを滅ぼすと、アケメネス朝を象徴したゾロアスター教(三アフラ教)を厳しく弾圧しました。アレクサンダー軍は、ゾロアスター教の司祭を多数殺害し、教典「アヴェスタ」も焼くなど、折衷宗教ゾロアスター教を徹底的に破壊したのです。

 

ミトラ教は、アケメネス朝ペルシア帝国の時代にはすでに、小アジア(アナトリア半島)にまで広がり、ギリシャ語化した「ミトラス教」と呼ばれるほど、ギリシャ系の人々に受け入れられていました。

 

アレクサンダー大王は、新しい時代の到来を強調するために、新たに臣下となった西アジアの人々に、ミトラ崇拝を奨励しました。ペルシア帝国下でのゾロアスター教の「アフラ=マズダーとアーリマンが戦った時代は終わり、ミトラの時代が始まった」と宣言し、自らをミトラと呼ばせました。ミトラ教の教えでは、王はミトラの化身であったので、クルド、ペルシア、バビロニアの人々は、アレクサンダー大王をミトラの化身と受け取ったと言われています。

 

その一方で、大王は、同胞のギリシャ人に対しては、自分をゼウス・アモンの子、アポロと呼ばせ、ゼウスの時代は終わり、アレクサンダー大王(アポロ)の時代が始まったと宣べました。

 

このアレクサンダー大王による、ミトラ=アポロ崇拝の奨励によって、各地でミトラ崇拝が盛んになり、ミトラ教のヘレニズム化が起こると、ミトラとアポロの習合も定着し、ミトラ神話とギリシャ神話の融合が進みました。まさに、ヘレニズム時代は、ギリシャの多神教とミトラ教の時代が現出したと言えます。

 

この時期のミトラ神話は、著しくギリシャ化しており、当時のミトラの七大天使(ヤザタ神群)もヘレニズム(ギリシャ)風の名称に、例えば次のように切り替えられました。

 

ミトラ神群  ヘレニズム風の名称 

女神マーフ            女神ダイアナ(ルナ)

バフラーム            ヘラクレス

水神ティール         水神ヘルメス

―――――           ――――

 

また、ミトラ神は古代ギリシャ神話の「太陽神ヘリオス」と同一視されるようになり、古来からの「光の神(光明神)」ミトラに、太陽神としての性格が付与されました。(これが「太陽神」ミトラの由縁)ギリシャ神話にも、ミトラの教義が取り入れられ、ギリシャの神々はミトラの神と順応していきました。ギリシャ人彫刻家が多くのミトラ神像を創作し、ミトラ神殿に奉納されたと言われています。

 

このように、ミトラ神とその信仰は、ギリシャ文化やギリシャ神話と融合して、ギリシャの諸都市は言うまでなく、アレクサンダー大王が進攻した、北シリアからインドのバクトリア辺りまでの地域に建国されたヘレニズム諸国へも深く浸透していきました。

 

大王の死後、アレクサンダー帝国を継承したセレウコス朝シリアの中から興きた、イラン系のアルサケス朝パルティア(B.C.247~A.D.228)では、ミトラ神は至高の最高神(主神)となり、「戦争の勝利の神」として民衆や支配階層から厚い信仰を受け、この王朝の守護神になったとされています。パルティアで、ミトラ崇拝が進んだことを受けて、パルティア周辺には、バクトリア王国、アルメニア王国、カッパドキア王国といったミトラ教国家が次々と誕生していったのでした。

 

さらに、1世紀後半には、ミトラ教は、バクトリア王国後の北西インドに建国されたクシャーナ朝にも伝播して、ミトラ神は、「太陽神ミイロ」となって信仰されました。そこでは、仏教の菩薩とも習合して、ミトラは「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」として崇められるようになったとも言われています。

 

 

  • ヘレニズム後のミトラ教

 

その後、パルティア王国を滅ぼして成立したササン朝ペルシャ(226-642)では、ゾロアスター教が国教となった復権しましたが、バビロニア以西では、なおミトラがアフラ=マズダーの上位に位置していたとされています。

 

ササン朝ペルシア帝国内では、250年頃、マニ教も興隆しましたが、東方ミトラ教とも呼ばれました。そこでミトラ神は、太陽神にして宇宙の創造者であり、救済神として崇敬を集めていたとされています。

 

一方、アルメニアや、シリアで、完全にギリシャ化したミトラ教も生まれ、こちらは西方ミトラ教と呼ばれました(ヘレニズム時代のミトラ教を含めて西方ミトラという場合もある)。西方ミトラ教は、ローマ帝国全域に急速に広がり、ついにはローマ帝国の国教になっていくのです。

 

<参考>

ミトラ教②:キリスト教に奪われたローマの国教の座

ゾロアスター教①:ユダヤ教・キリスト教の源流!

ゾロアスター教②:ペルシャからの発展と衰退

 

 

<参照>

ミトラス教の光明神ミトラ(ミスラ)(Es discovery)

ミトラ教の歴史1(新版)(東條真人)

ミトラ教.ミトラ神学.西方ミトラ教の歴史(東條真人)

ミトラ教〜キリスト教〜弥勒信仰〜聖徳太子…〜

生・老・病・死ー老いと死を考えるー 「ミトラの密儀」3 ..

世界史の窓

世界の歴史マップ

Wikipediaなど

 

(2022年6月16日)