マズダク教:共産主義の生みの親!?

 

5世紀から6世紀にかけてのササン朝ペルシアにおいて、かつてのマニ教と同じく、ゾロアスター教から分かれた新興宗教にマズダク教があります。

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  • マズダク教とは?

 

マズダク教は、5世紀末、マニ教の影響を強く受けたゾロアスター教祭司マズダク(出身はイラン東北部のホラサーンともバビロニアとも言われる)が創始した宗教です。

 

イランでは、ササン朝の支配のもとで大飢饉が続き、イラン各地の農民生活は悲惨を極める一方、免税などの特権をもつ貴族や祭司たちは裕福な生活を送っていたとされ、この当時イランで広がっていた社会的矛盾が背景にあるとされています。

 

マズダクは、当時の主流であったゾロアスター教を批判しつつ、「禁欲」と「平等」を説き、親切や忍耐や同胞愛によってこの世の暗黒に光明を増やすべきだと主張しました。具体的には、「不殺生(ふせっしょう)(生き物を殺してはいけない)」、「採食主義(肉を食したりしてはいけない)」に加え、友愛を増し、欲望や嫉妬の原因を減少させるために「所有物の共有」が説かれました。

 

なお、「所有物の共有」の教えには、「私有財産の廃止」や「女性の共有」を含んでいました。「女性の共有」は、男女平等に反するのではなく、当時、女性はその最も近い男性親族に属するとされていた法律の廃止や、王の後宮や貴族の囲い者として連れ去られていた若い女性の解放を意味していたと解されています。

 

マズダクの教えは、非暴力、土地所有の平等、富の分配、女性の解放、さらには農民と貴族の階級闘争など、一切の平等に基づく社会的抗議運動の提唱であると解され、マズダクは史上初の共産主義者ともいわれています。そのため一時期、共産国の学者によって、マズダク教は積極的に研究されたそうです。

 

 

  • マズダク教の隆盛と弾圧

 

マズダク教は、教祖のマズダクが、カワード1世(488年-531年)の治世において、宰相に取り立てられるほど、受け入れられました。

 

これは、即位前に2年間エフタルへ人質に出され、ペルシア国内の政治的基盤が弱かったカワード1世が、既存の貴族勢力に対抗するための政治的手段として行った結果ではありました。ただ同時に、父のペーローズ1世(459~484年)がエフタルとの戦いで死去した後に即位したカワード1世は、人質に出されたエフタルの半遊牧社会において、比較的独立・平等が認められているのを知り、マズダクの提言する社会改革に心を動かされたとも指摘されています。

 

この新しい動きに強く反対した貴族とゾロアスター教の聖職者は、マズダクの教えは異端の最たるものと非難し、カワード1世を494年に一時廃位に追い込みましたが、カワード1世は、エフタルへ逃亡し、逆に、498(9)年にエフタルの助けを得て復位しました。

 

しかし、マズダク教が広まり、国王の意図を超えて社会運動化していくと、信者は納税を拒否したり、中に大貴族の家を襲撃したりする急進的な者たちも出始めただけでなく、財産の共有なども説いたため、社会が混乱に陥っていきました。

 

復位したカワード1世は、マズダグ教への支持をやめ弾圧に転じました。カワード1世の後継者に、マズダク教への信仰を捨てなかった長男のカウスではなく、第三子のホスローが選ばれると、皇太子ホスロー(後のホスロー1世)は、528年、王の命を受け、マズダグのために宴会を開き、その席で教祖マズダクを始め多くの信奉者を殺害してしまいました。

 

即位したホスロー1世(在位:531~579)も、社会秩序を優先し、マズダク教を徹底的に弾圧したことから、マズダグの運動は実質的に消滅しました。

 

 

  • イスラム・シーア派とともに

 

しかし、マズダク教は絶滅したわけではなく、その影響は生き続け、イスラム教の到来後も、ホッラム教・バーバク教と名前を変えつつ生き残り、最終的にはシーア派と習合しました。スンナ派のアッバース朝への対抗勢力として、ムカンナの反乱(776~783年)にも関わるなど、幾度となく軍事的な衝突を繰り返していきました。

 

ホッラム教

マズダク教と過激シーア派思想との混交によって成立したイランの反アッバース朝的性格の強い異端の宗教で、イスラム教シーア派グラートが合流すると、武装集団に変質したとされています。アッバース朝の内乱に伴い、バーバクという人物の指導の下、反乱を起こし、816年 – 837年にわたってイラン高原北西部で独立勢力となりました。

 

 

<関連投稿>

マニ教①:グノーシス的な折衷宗教の教えとは?

マニ教②:「第4の世界宗教」の発展と衰退

 

 

<参照>

マズダグ教(世界史の窓)

マズダグ教とは(コトバンク)

マズダグ教(Wikipedia)

 

(2022年7月19日)