ユダヤ教:旧約聖書とタルムードの教え

 

ユダヤ教はキリスト教の源流であると同時に、古代ペルシャの宗教(ゾロアスター教)との深い関係も取りざたされるなど、謎の多き民族宗教です。今回は、ユダヤ教が成立する経緯を追うことで、ユダヤ教の特色を深堀りしていきます。

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<ユダヤ教とは?>

 

ユダヤ教(Judaism)は、ユダヤ人(ヘブライ人、イスラエル人)の民族宗教で、世界の創造者であり、唯一かつ絶対神ヤハウェ(ヤーウェ)への信仰を基礎とし、一神教、選民思想、律法主義、メシア思想と終末観などを特徴とします。

 

ユダヤ教の始まりは、古代エジプトで奴隷として扱われるなど苦難の道を歩んでいたユダヤ人が、預言者モーセの導きの下、エジプトを後にしてからとされています。この時、モーセはヤハウェから「十戒」を授かりました。これは、神ヤハウェとイスラエルの民がモーセを通じて、次のような契約(約束)を交わしたことを意味していました。

 

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ユダヤ民族は神から選ばれた民族で、ヤハウェは、ユダヤ人を苦難から救済し、繁栄と救済を約束した。来る終末期においてもメシアの導きで、ユダヤ民族には永遠の魂の救済が与えられる(選民思想)。しかし、その引き換えに、イスラエルの人々は、絶対神ヤハウェを信仰するだけでなく、ヤハウェが彼らの授けた神の命令である律法を遵守し、それを生活の中で実践することが求められた。

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このように、ユダヤ教は、唯一神ヤハウェ(ヤーウェ)と、神から選ばれたユダヤ人の間に交わされた契約に基づく信仰ということができます。ただし、ユダヤ教に開祖はおらず、ユダヤ民族の長い苦難の年月をかけてでき上がったとされています。

 

 

<「出エジプト」とモーセの十戒>

 

ユダヤ教の歴史はユダヤ人の歴史であることから、ユダヤ教は、4千年の歴史を持つと言われます。ユダヤの歴史が始まった紀元前2000年ごろ、古代のヘブライ人(ユダヤ人)は、古代オリエント地域に流入した砂漠の遊牧民で、BC15世紀頃にパレスチナという場所に移住してきたとされています。ただし、その中の、パレスチナの地に留まらず、エジプトに定住した支族が、やがて、迫害を受けるようになりました。

 

紀元前13世紀ごろ、イスラエル人(ユダヤ人)の預言者(神の声を聞いた伝える宗教指導者)モーセは、当時エジプトで奴隷となっていたイスラエルの人々を率いてエジプトを脱出し、故郷のカナン(パレスチナ)を目指しました。モーセはその途中、シナイ山で神ヤハウェ(ヤーウェ)の言葉を聞き、神の意志として十か条の掟(十戒)を授かったのです。

 

  • 十戒
  1. わたしのほかに神としてはいけない。
  2. 偶像を作ってはならない。
  3. あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはいけない。
  4. 安息日を守り、これを聖別せよ。
  5. 父母を敬いなさい。
  6. 殺してはならない。
  7. 姦淫してはならない(結婚前、配偶者以外との性行為禁止)。
  8. 盗んではならない。
  9. 隣人に対して偽りの証言をしてはいけない。
  10. 隣人の家を欲してはならない。

 

第1戒から第3戒までは、「神の恩恵に対する信仰の自覚」、第4戒以下は、「共同体における基本的な生活指針」が示されています。また、十の戒の中で、最も大事なのは1~4までの戒律とされています。

 

第1戒 わたしのほかに神としてはいけない

ヤハウェ(ヤーウェ)は、世界を作った創造主であり、絶対唯一の人格神(一神教)ですから、そのヤハウェ以外を神としてはなりません。ヤハウェは、律法を守る者を救い、破る者を罰する正義の神、裁きの神という性格を持っています。

 

第2戒 偶像を作ってはならない

「偶像を作って神としてはいけない」として、偶像崇拝(神を像に刻み、それに向かって礼拝すること)を禁止しています。これは、神(ヤハウェ)に形はなく、見る事はできないということであり、また、神は、人間の考え及ぶ英知をはるかに越えた存在なので、そもそも描くことはできないと解されているからです。加えて、偶像崇拝は、最終的に人間礼拝(同時に神から離れる)につながるため、神が最も嫌うことでした。

 

第3戒 あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはいけない

ヤハウェ(ヤーウェ)という神の名を直接呼ぶことは禁忌されています。これは、ヤハウェの超越性の表れとされ、(ヤハウェの)名前は秘されているのです。聖書では、神を呼ぶ際には、「主よ」と呼びかけています。他の文献などでは、神を唯一神YHWH(Yahweh)と表記して、読み上げられなくする場合もあるそうです。

 

第4戒 安息日を守り、これを聖別せよ

週の7日目を安息日として、これを忠実に守り、すべての労働を避けなければなりません。

働かなくてもよい(休んでよい)のではなく、働いてはいけない(休まなければならない)のです。

 

旧約聖書の第一章、天地創造の中で、「神は6日間で世界を造られ、7日目に休息を取られた」とあります。7日を一週間と言うひとまとめとして考えだしたのは、ユダヤ人だとされ、週は日曜日から始まり、7日目は土曜日になります。ユダヤ教では、7日目の土曜日が安息日となります。正確には、金曜日の日没から土曜日の日没までは、どんなことがあっても働くことはできません。

 

現在では、ユダヤ教のラビ(宗教指導者)の話し合いによって、安息日にしてはいけない39種類の仕事が、決められているそうです。例えば、旅行、運転、料理から、外国でのスポーツ大会の出場、飛行機に乗ること、電気やエレベーターのスイッチを入れることまでも労働とみなされます。お金を使うことも禁止です。

 

十戒の中でも、「安息日を守ること」「偶像崇拝の禁止」はユダヤ人(ユダヤ教徒)としての独自性の表れとされています。

 

 

<バビロン捕囚とユダヤ教の成立>

 

モーセによる出エジプトののち、イスラエル人は、カナンの地(パレスチナ)に帰還して王国を建て、繁栄しました。とりわけ、紀元前10世紀頃のダビデ王やソロモン王の時代の栄華は特筆されますが、やがてソロモン王が亡くなり、イスラエル王国は、紀元前930年に南北に分裂してしまいます。その滅亡の過程で、南の王国では、紀元前6世紀(前586年)には、イスラエル人は奴隷としてバビロニアに連れ去られる(「バビロン捕囚」)というような民族の迫害・亡国・離散という苦難を経験します。

 

その後、ユダヤ人たちは、ペルシャに解放されて帰還が許されますが、このバビロン捕囚という民族的危機を経験して、自分たちの苦難の原因は「ヤハウェに対する不信仰」にあったという反省が芽生え、民族の固有の信仰を守ろう、また、祖国を追われたことでユダヤ人としてのアイデンティティーを維持し団結しようという機運が高まりました。

 

こうした民族的連帯意識の高まりを受けて、異教バビロニアの文化の影響を受けながら、ユダヤ教が形成されていったのです。これは、従来のヘブライ神話の段階から「ユダヤ教」という宗教体系になっていったことを意味します。具体的には、ユダヤ民族を1つに束ねる新たな枠組みとして、過去の伝承、記録等が「律法」という形でまとめられました。また安息日の遵守などユダヤ教独自の戒律、割礼の実施、カシュルート(食事の戒律規定)なども、この時期に制度化させました。

 

その過程で、国を失って外国に離散したイスラエル民族が、ヤーウェの恩恵を得て、民族保持のために、厳密な律法遵守を重視する姿勢を鮮明にし、ユダヤ教の律法主義が確立します。また、「選民」としての自覚がとくに強調されていったのも、バビロン捕囚後の時期です。

 

ただし、律法の遵守は、律法の字句にこだわる形式主義へと陥っていき、また、選民思想は、一神教の排他性もあって、閉鎖的な民族宗教へと傾斜していったとの批判もなされます。

 

一方、ペルシャの天使思想の影響がユダヤ教にも入ってきて、天地を創造した神ヤーウェがこの世の歴史に終末をもたらし、神の審判が下るという終末観が形成されました。そして、ユダヤ人を救う救世主(メシア)が出現し、選ばれしイスラエル民族のかつての栄光が再現し、神の支配がもたらされると待望されるようになったとされています(メシア信仰の成立)。

 

どうして、ユダヤ人は何千年もの間、国を持たず、異国で暮らし、なお異教世界への同化から身を守ることができたかといえば、バビロン捕囚時代にユダヤ人としてのアイデンティティーの確立がなされたからだとされています。

 

それを可能にしたのは、バビロン捕囚後から生まれ、世界中に存在するユダヤ教の礼拝堂であるシナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)の存在です。シナゴークは、ユダヤ人の公的祈りの場でありますが、礼拝堂と言うより、集会所、あるいは学校のように教えを学ぶ場所であり、彼らはそこで宗教的生活規範を学ぶことがでました。実際、「律法」を学ぶ事はユダヤ民族の義務とされました。シナゴーグは、かつてユダヤ人にとって唯一の礼拝堂であったエルサレム神殿に代わるもので、世界のどこにいても、ユダヤ教徒としての実践が可能になったのです。

 

 

<預言者の活躍>

 

こうして、現在のユダヤ教の枠組みが成立しましたが、ユダヤ人への神の試練はその後も続きました。そのような民族の苦難に対して、神との契約を忘れ、信仰を見失いかけると、イザヤやエレミアなどの神の言葉を伝える預言者が登場し、信仰する心を取り戻すということが繰り返されていきました。

 

預言者は、ユダヤ人が神の律法に背いたので、神が罰を下され、人々が律法を守れば、神はわれわれを苦難から救い出すと説き、さらに、苦難のつづくイスラエル民族を救い、かつての繁栄を再びもたらす救世主が、この世に送られるであろうと預言しました。キリスト教的には、ユダヤの人々が救世主(メシア)の到来を信じていたころ、イエスが登場することになります(救世主はヘブライ語でメシア、ギリシャ語でキリストという)。

 

その後、ユダヤ人の国家は、一度は復興しましたが、1世紀後半にローマ帝国によって完全に滅ぼされ、1948年、イスラエルが建国されるまでの2000年の間、ユダヤ民族には国家のない状態が続くことになるのです。

 

 

<ユダヤ教の3つの派閥>

バビロン捕囚後に、様々な思想が導入されながら成立したユダヤ教は、紀元前2世紀ごろには、独自の考え方を持つグループが現れ、当時3つの派に分かれていました。

 

  • サドカイ派

少数派ながら祭司を中心に富裕層(上流)の人々によって構成され、思想的には保守的で、律法を絶対的権威ととらえています。したがって、ペルシャ的な「天使」や「復活」の信仰を否定しました。その一方で、ユダヤ社会に広まるヘレニズム文化は許容していたと言われています。

 

  • パリサイ派(ファリサイ派)

宗教的自由の回復を目的とする新興の民衆グループで多数派を形成。天使、復活、最後の審判の考え方は受け入れました。ヘレニズムへの大きな潮流のなかでも、ヘレニズム文化に溶け込む事なく、自分たちのユダヤ文化の伝統を守り続けました。

 

  • エッセネ派

財産を所有せず、人里離れて厳格な規律を守る共同体で、バプテスマのヨハネや立教前のイエスが所属したと言われています。死海のほとりの洞窟から「死海写本」が発見されてからその存在が急速に知られるようになりました。

 

 

<旧約聖書>

 

さて、ユダヤ教の聖典(教典)は、ヘブライ語で書かれた旧約聖書です。「旧約」があるということは「新約聖書」も存在しますが、こちらはキリスト教の聖典です。もちろん、この旧約、新約という名称は、キリスト教からの見方でユダヤ教徒は「旧約聖書」とは呼ばず、ただ「聖書」と呼びます。

 

いずれにしても、(旧約)聖書とは、神とユダヤ人との契約の書のことで、シナイ山で神が授けた律法や、天地創造の神話、ダビデやソロモンの活躍、その後の王国の分裂、バビロン捕囚などの歴史、さらには預言者の説教をまとめた預言が書かれています。

 

ユダヤ教徒にとって、39の書からなる旧約聖書の中で、最初の5書、「創世記」、「出エジプト記」、「レビ記」、「民数記」、「申命記」が最も重要な経典とされています。ユダヤ人が、十戒に基づいて生きていくのに必要なことが含まれているためで、最初の5書は、「律法(トーラ)」または「モーセ5書」とも呼ばれています

 

  • 創世記

天地万物、人間、イスラエル民族の起源が述べられ、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフらが登場します。

 

  • 出エジプト記

イスラエルの民のエジプト寄留と脱出、またシナイ山の契約(モーセの十戒)の話しはここに書かれています。

 

  • レビ記

レビ族に託された律法の種々の細則が書かれています。

 

  • 民数記

シナイ山における人口調査と出発、その後のシナイ山からカナンの地にたどりつくまでの記述の中で、律法によって求められた生き方が記されています。

 

  • 申命記

死を前にしたモーセが、十戒を授かってからカナンの地に至る40年もの荒れ野の旅を振り返りながら、人々に律法を与え、その遵守と神への忠実などを説いています。

 

「律法(トーラ)」に書かれている戒律は、全部で613に及ぶとされ、割礼、安息日から、食物規定、生活全般にいたるまで、細かな取り決めがあります。例えば、カシュルート(食物規定)では、ユダヤ教徒が食べてよい食物(「コーシェル」)とそうでない食べ物が定められています。

 

コーシェルでないもの

豚、ウサギ、ラクダ等

(豚は不浄な動物とされ、ハム、ソーセージ、そしてベーコンも食べられない。)

 

鱗のないエビ、カキ、たこ、うなぎ、貝類

(イクラは食べられるがキャビア食べられない。)

 

牛肉は食べられますが、血のしたたるビーフステーキは食べられません。

(血は命で、血を食することは禁じられているから)

 

肉と乳製品を同時に食べることはできません。

(トーラの「子ヤギを、その母の乳で煮てはならない」に由来)

(原則、「チースバーガー」はイスラエルでは販売されない)

 

 

<タルムード>

 

一方、ユダヤ教では、神はモーセに対し、書かれたトーラー(律法)だけでなく、口伝で語り継ぐべき律法をも与えたと伝えられています。これを口伝律法(口伝のトーラー)といい、ユダヤ教においては旧約聖書に続く聖典されるタルムードにまとめられています。

 

タルムードは、前2世紀から5世紀ごろまでに生きたユダヤ教ラビ(宗教指導者)たちが、モーセの律法などに関して行った口伝や、旧約聖書(トーラー)に対する議論や解説・解釈を集成したものです。タルムード(ヘブライ語で「学習、研究、教訓,教義」を意味する)は、6部構成、63編から成り、「教育」「労働」「食事」「死生観」「性」「婚姻」「商法」など多岐に渡って教義が記され、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっています。

 

現在でも、タルムードの内容は、例えば以下のように、「ユダヤの格言」として知られています。

 

最悪なことが最良なことだと信じなければならない。

 

最も良い教師とは、最も多くの失敗談を語られる教師である。

 

今日、あなたが自分の穀物倉庫をみて、穀物の量を数えようとした。その瞬間にあなたは神に見放される(お金に一喜一憂することを戒めたもの)。

 

 

このように、イスラエル民族は、律法と預言者の言葉を通じて、超越神ヤーウェが、歴史において自分達を守ってくれていることを確信しながら、選ばれた民としての自覚を持ち、律法を中心とする生活共同体に生きています。そうした中で、ユダヤ教は、人々が、日々の生活の中で、契約を通して、神と人格的な交わりを持っていることを教えています。

 

 

<付記>

ユダヤ教徒=ユダヤ人

ユダヤ教徒になれるのはユダヤ人だけです。たとえ、両親がユダヤ人であっても、本人がキリスト教徒や仏教徒になれば、ユダヤ人ではなくなります。逆に日本人もユダヤ教に改宗すれば、ユダヤ人になれます。

 

ヘブライ人=イスラエル人=ユダヤ人
ヘブライ人、イスラエル人、ユダヤ人は同意語で、時期によって呼び名が変わりました。ユダヤの歴史が始まる紀元前2000年ごろ、遊牧民であったユダヤ民族の人々は、ヘブライ人またはヘブル人と呼ばれていました。それが、モーセによる出エジプトの後、約束の地・カナンに定着したころ、ヘブライ人はイスラエル人と呼ばれました。

 

また、紀元前930年にイスラエル王国が南北に分裂し、南の王国はユダと呼ばれ、ここからユダヤ人という名前が使われ始め、紀元前586年、イスラエル人がバビロン捕囚からパレスチナに帰還してからは、一般にユダヤ人と呼ばれるようになりました。

 

 

<参照>

旧約聖書三十九書の順序とその意味

日本聖書協会HP

世界史の窓(ユダヤ教)

Wikipediaなど

 

(2022年6月18日)