ヴェーダ: バラモン教とヒンズー教の聖典

 

「世界の宗教」の中から、ヒンズー教についてシリーズで解説しています。前回はヒンズー教の土台となったバラモン教を紹介しましが、バラモン教は「ヴェーダの宗教」と言われていたように、ヴェーダはバラモン教の根幹であるだけでなく、その後のヒンズー教を含む宗教や、インドの人々の文化・芸術、生活に絶大な影響を与えています。まさに、インドにおいては、キリスト教徒にとっての聖書に匹敵すると言えるかもしれません。今回はそんなヴェーダについてまとめました。

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 

<ヴェーダとは?>

 

ヴェーダは、「リグ・ヴェーダ」に始まる古代インドのバラモン教の根本聖典(群)で、アーリヤ人の自然崇拝の伝承を集約した、現存する最古の文献です。サンスクリット語で「知る」「知識(「聖なる知識」)」の意味がありますが、特に宗教的知識の意味に用いられ、さらに転じてバラモン教の聖典を意味するようになりました。

 

このため、バラモン教とはベーダの宗教であるといってさしつかえなく、バラモン教は,ヴェーダを絶対の権威として仰ぎ、ヴェ―ダに規定されている祭式を忠実に実行することによって、(現世や来世でのさまざまな願望など)神の恩恵を実現しようとしました。

 

ヴェーダは、バラモン教の聖典の中でも最も早い時期に記録されたもので、古代のリシ(聖仙、聖賢)たちに明かされた永遠の真実が記されていると言われています。リシとは、本来サンスクリットで、神話・伝説上の聖者あるいは賢者達のことをいい(やがて、森林に隠れて苦行する行者をいうようになった)、彼らは、ヴェーダ聖典を感得し、教義を磨き上げてきた存在です。

 

古代インドにおいて、聖典はシュルティ(天啓)とスムリティ(聖伝)に分類されますが、ヴェーダはシュルティに属します。シュルティとは、サンスクリット語で「天啓聖典」を意味し、神より啓示された聖典のことをいいます(これに対し、スムリティは、聖仙や偉人の著作による聖伝書をいう)。

 

啓示を受けた内容は、古代インド・アーリア人の祭式と密接に結びついていました。アーリア人は、戦勝、子孫繁栄、降雨、豊作、長寿などさまざまな願望を成就するために祭式を行いましたが、ヴェーダはそうした祭式の意味や方法を説明するために集成され、つねに祭式との密接な関連のもとに発達した文献群で、何世紀にもわたり口承にて記憶、編纂、伝承され、後に文字に起こされました。

 

具体的には、司祭階級のバラモン(ブラーフマナ)が、天の神へ祈る儀式の方法や、彼らが唱える、太陽、火、風、雨、雷などの天の神に捧げる歌や祈祷文などをまとめあげ、聖典「ヴェーダ」を完成させました。

 

ヴェーダの成立(編纂)時期は、紀元前1500年頃から紀元前500年頃とされ、この期間をヴェーダ時代とも呼ばれます。さらに、インド西北地方に入ったアーリヤ人がガンジス川流域に移動する前と後で、前期ヴェーダ時代(前1500~1000年頃)と、後期ヴェーダ時代(前1000~前500年頃)に分けられます。

 

 

<ヴェーダの構成>

 

聖典ヴェーダは、サンヒター(本集)とその三種の付属文献(ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッド)の4部門から構成されます。これを広義のヴェーダともいい、狭義の「ヴェーダ」として、本集のサンヒターのみをさす場合もあります。

 

ヴェーダ4部門

サンヒター(本集)

ブラーフマナ(祭儀書)

アーラニヤカ(森林書)

ウパニシャッド(奥義書)

 

 

  • サンヒター(本集)

 

サンヒター(ヴェーダ・サンヒター)は、祭式の中で唱え歌われる賛歌,歌詠,祭詞,呪文(呪句)(=総称してマントラ)を集大成した文献群をさし「本集」と訳されます。そのサンヒターも、祭式を実行する祭官の役割分担に応じて,「リグ・ヴェーダ」、「サーマ・ヴェーダ」、「ヤジュル・ヴェーダ」、「アタルヴァ・ヴェーダ」の四集があり、四ヴェーダといわれ、バラモン教の根本聖典とされました。

 

祭式の中で唱え歌われる賛歌,歌詠,祭詞,呪文をマントラと言いますが、「リグ・ベーダ」は賛歌を,「サーマ・ヴェーダ」は歌詠(歌詠の方法)を,「ヤジュル・ヴェーダ」は祭詞を,「アタルバ・ヴェーダ」は呪文(呪術に用いられる呪句)をそれぞれ集成し(まとめ)たものです。このうち、リグ・ヴェーダは、前1200~前1000年頃に編纂され、四ヴェーダでは、最古で最も権威を持っています。他の三ヴェーダは、前1000年~前500年頃に作られました。

 

 

リグ・ヴェーダ

 

リグ・ヴェーダは、祭式の中で、諸神(自然神)を祭壇に勧請して、その威徳を賛称するために唱え歌われる賛歌を集めたものです。ゆえにリグ・ヴェーダは、「神々への讃歌集」とも呼ばれ、神話や寓話も含めた合計1028の讃歌より構成されています。

 

リグ・ヴェーダに登場する神々の多くは、アーリア人に自然神に対する崇拝を反映して、太陽、火、風、雨、雷なの自然界の構成要素や諸現象(天然現象)、その背後にある神秘的な力を神格化したものです。

 

雷神インドラ、火神アグニ、天空神ヴァルナ、天神ディヤウス,太陽神スーリヤ(日天),風神バーユ、河川の女神(川の精)サラスバティー、契約の神ミトラなどがよく知られていますが、なかでも、インドラは、全1200編の(1000編を超える)讃歌の中でインドラに捧げる讃歌が約4分の1と最も多く、「リグ・ヴェーダ」の中で最も重視された神とされています。

 

 

サーマ・ヴェーダ

 

サーマ・ヴェーダは、祭式において旋律にのせて歌われる讃歌(歌詠)(サーマン)を収めた聖典で、祭祀のとき,一定の旋律に合せて歌詠を行う歌詠僧(ウドガートリ祭官)に属した。前 1500年頃から数世紀の間に成立したとされています。。

 

歌詞は大部分(賛歌の多くは)、最古の「リグ・ヴェ―ダ」から採録され,内容については独立性と独創性に乏しく、他のヴェーダと比べて思想上の価値は低いが,楽譜を伝えているため,古代インド音楽の研究上貴重な文献です。

 

伝説によれば、「サーマ・ヴェーダ」はかつて1000の流派(シャーカー)に分かれていたそうですが、現在はカウトゥマ、ラーナーヤニーヤ、ジャイミニーヤ3派のものが文献として残されています。

 

 

ヤジェル・ベーダ

 

ヤジェル・ベーダは、祭式において唱えられる祭詞(ヤジュス)を集録したもので、成立年代は、紀元前800年を中心とする数百年間と推定されています。祭詞(ヤジュス)とは、祭式の効力が現れる事を祈って、神格や祭具、供物などに一定の行作と共に呼びかける文句で、祭式の作法や供物の献呈方法など祭式の実務が詠まれています。なお、ヤジュルはヤジュス の連音形です。

 

ヤジェル・ベーダは、祭式において行作(ぎようさ)を担当するアドヴァリユ(アドバリユ)祭官の管掌に属するとされてきました。かつて、86派あるいは101派に分かれて伝承されていたとされていますが、現存するのはこのうちの数種だそうです。「リグ・ベーダ」のような神話的・文学的興味には乏しく、韻文の部分は大部分リグ・ヴェーダに同じものが存在します。しかし、散文で書かれた祭文や祈りの文句はヤジュル・ヴェーダに固有のもので、かつ祭詞の順序はほぼ儀式の順序に一致していて,バラモン教祭式の実際を知るうえで重要な文献とされています。

 

 

アタルヴァ・ヴェーダ

 

賛歌、歌詠、祭詞を集成した他の3つのヴェーダは、儀式の構成や方法、マントラの誦讃などいずれも祭式に関わる神々の伝承であったのに対して、アタルヴァ・ヴェーダは、主にバラモン教の呪術的な儀式で唱えられる呪法や、吉祥増益と呪詛調伏などその具体的な内容について書かれた呪文(呪術に用いられる呪句)が集められた聖典です。その管轄は、祭式全般を司るブラフマン祭官で、多くの呪文が書かれていることから、密教の基となった書物ともいわれています。

 

アタルヴァ・ヴェーダの古い部分は、紀元前1500年ころに、また文献全体としては紀元前1000年頃に成立し、その後も時代とともに加筆されたとみられています。アタルヴァ・ヴェーダは、当初、「ヴェーダ聖典」として認められていませんでしたが、紀元前500年ころから徐々に認められ、「第4のベーダ」として聖典の列に加えらました。

 

このためか、ヴェーダとしての権威を認められたのも遅く、聖伝として一段低いものとみなされることがありますが、内容は以下のように多岐にわたり、後世に与えた影響も大きいものでした。

 

現世利益に関する呪法

・商売繁盛の祈願

・牛や家畜の繁栄・作物の豊作祈願

・蛇や害虫を駆逐するための呪文など

 

男女の性愛に関する呪法

・異性の愛を得るための呪文

・夫の愛人や恋敵を呪うための呪文

・性欲を増進させるための呪文など

 

悪霊退治の呪法や呪詛の調伏法

・悪霊や悪魔に対する呪文

・呪文や呪術者に対抗、敵の力を奪い取る呪文など

 

こうした呪詛や祈願法がある中で、アタルヴァ・ヴェーダでは、治療や健康予防に関する呪文も数多くあります。ヴェーダが軸となった時代は、病気は悪霊の仕業と考えられ、悪霊を退治するための呪術と医学は区別されていませんでした。

 

治病・長寿のための呪法

・熱病、黄疸、水腫などの病気を癒す呪文

・解毒、咳を鎮めるための呪文

・長寿をえる呪文など

 

これらの医療に関する呪文においては、単に呪法のみならず、実際の儀式において用いられるハーブや薬草類に関する薬学、また人体の構造や臓器の働きといった多くの医学知識が含まれていました。

 

このため、アタルヴァ・ヴェーダの医学に関する記述は、古代インドの医学書であるだけでなく、現存する世界最古の医学書と目され、古代ギリシアや古代中国の医学にも影響を与えていると考えられています。

 

なお、今日、「アタルヴァ・ヴェーダ」の医学・健康に関する記述は「アーユル・ヴェーダ」として抜き出されています(「アーユルヴェーダ」はアタルヴァ・ヴェーダのウパヴェーダ(副ヴェーダ)として位置づけられている)。

 

加えて、ヴェーダの世界観という視点でみても、アタルヴァ・ヴェーダにおいては、宇宙の最高原理・ブラフマン、個人主体のアートマン等の一切を同一視する思想が含まれていることから、後のウパニシャッド聖典において確立される「梵我一如」(後述)の思想のさきがけとなった指摘されています。

 

以上、ここまで、聖典ヴェーダは、サンヒター(本集)の中身をみてきましたが、次に、その三種の付属文献(ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッド)についてみていきます。

 

 

  • ブラーフマナ(付随3文書)

 

ブラーフマナ(祭儀書)は、聖典ヴェーダを構成する四つの部門のうち,サンヒター(本集)につづく第2の部門にあたり、およそ前 1000~前800年(前900年~前500年)に成立しました。

 

ブラーフマナの語源は、カーストの司祭階級バラモンです。時のバラモンたちは、個々の祭式の実行と自然現象との間に密接な対応関係があり,祭式は霊力をもつと考えていました。それが高じて、祭式の正しい実行によって宇宙の諸現象を支配でき,神々さえ霊力に縛せられるとみなすまでに至ったとされています。

 

ブラーフマナは、サンヒター(本集)に含まれる賛歌や祭詞の適用法とその由来などを説明したもので、ビディ(儀軌)と、アルタ・バーダ(釈義)で構成されます。前者は祭式の次第・順序、諸規則など祭式の実行に関する規定が、後者は、マントラ(賛歌,歌詠,祭詞,呪文)の起源・語義や、祭式の由来・意義・目的について神学的説明がなされています。

 

ブラーフマナ文献中、アルタ・バーダ(祭式やマントラの解釈など)と関連して、ノアの箱舟を思わせる人祖マヌと大洪水神話や、天女ウルバシー伝説など、多数の神話や伝説(ブラーフマナ神話)を交えた神学的説明(解釈)がなされ、後代の文学にも影響を及ぼしました。

 

また、古代インド最高の創造神(造物主)、全世界の主宰者とされプラジャーパティによる種々の創造神話も説かれています。たとえば、プラジャーパティは、地・空・天の三界を創造したのちにそれを熱すると、大地からアグニ(火神)が、空界からバーユ(風神)が、天界からアーディティヤ(太陽)が生じた…といったストーリーなどが描かれています。なお、プラジャーパティの「プラジャー」は子孫、「パティ」は主の意味があります。

 

ブラーフマナの時代(前900年頃~前500年頃)、しだいに世界の最高原理ブラフマン(梵)の重要性が認められるようになり、やがてブラフマンは人格神ブラフマーとして描かれ、ブラフマン(ブラフマー)による宙創造が説かれるようになりました。

 

なお、ブラーフマナは、「ブラーフマナ」という一つの文献というよりは、「アイタレーヤ・ブラーフマナ」、「ジャイミニーヤ・ブラーフマナ」など、マントラの一つ一つの神学的説明や祭式規定などを集大成した文献の名称です。

 

 

  • アーラニヤカ(付随3文書)

 

アーラニヤカ(森林書)は、ブラーフマナ文献を補足して、祭式の神秘的意義を説き,特に森林において伝授される秘法を集めた文献です。森林書の名称も、人里離れた奥深い森の中で伝授されたことに由来します。実際、大部分は秘儀的な祭式、およびマントラ(賛歌,歌詠,祭詞,呪文)の象徴的解釈で占められ、呪術的な性格が強いとされます。

 

ブラーフマナに次いで編纂され、前 1500年から数世紀にわたって成立(主に紀元前600年頃に成立)しました。内容上、ブラーフマナと、次に説明するウパニシャッドの中間的な性格を持ち、祭式に関する説明をなしつつ,一部に哲学的な思想を含んでいます。

 

 

  • ウパニシャッド

 

ウパニシャッド(奥義書)は、ヴェーダの秘教的な思想を集めた古代インドの宗教哲学的文献の総称で、ヒンドゥー哲学においても、その基礎と位置づけられています。ヴェーダを構成する4部門の最後を形成しており、ヴェーダの総仕上げ(「ヴェーダの極致」)として位置づけられています。

 

その内容は、宇宙の根本原理・輪廻転生・解説・カルマ(業)等々多岐にわたり、特にブラフマン(梵)とアートマン(我)との本質的同一性(梵我一如)を説く、神秘的哲学の部分は、インド精神文化の源泉としての価値を持ち続けました。

 

ブラフマン(梵)は、宇宙の根本原理(最高原理)のことで、自然現象の背後にあって現象を動かす原理のことを言います。

アートマン(我)は、自我の根本原理のことで、それは人間の本質であり、自己の内奥にある我でもあります(個体の本質を指している概念)。

 

ウパニシャッドは、師弟が対座して師から弟子へと伝達される「秘義」をさすようになったことから、「奥義書」と訳されます。ただし、「ウパニシャッド」という名前の文献があるわけではなく、全部で200以上の著作の総称をいいます(いずれも著者は不明)。

 

各ウパニシャッドは、紀元前500年以前にまでさかのぼれる(紀元前7世紀に遡る)ものから、10世紀以後(16世紀)につくられた新しいものまでありますが、その独創的な中心思想は、仏教興起以前に属する(仏教は紀元前5世紀頃にインドで生まれた)、前7世紀ないし前6世紀に遡ると見られています。これらは、「古ウパニシャッド」と呼ばれ(14ないし17編),それ以降の「新ウパニシャッド」と区別されます。

 

バラモン教においては、ヴェーダ時代の後期、その祭祀中心主義・形式主義への反発・批判から、「ウパニシャッド」を根拠にウパニシャッド哲学が興りました。バラモン教とその後のヒンズー教の基本教義である業と輪廻思想は、ことのとき形成され、仏教にも取り入れられました。

 

ブラフマン(詳説)

ブラフマン(梵(ぼん)と漢訳、音写される)は、もともと、聖典(ヴェーダ)のことば・文句(賛歌・祭詞・呪詞/祈禱)に内在する(が持つ)呪力(神秘的な力)を意味していました。それがやがて、この力が宇宙を支配すると理解され、「宇宙を支配する原理」とされました。すると、ブラフマンは、全ての存在に浸透しており、「リグヴェーダ」など初期のヴェーダ文書の中では、全ての神々は、ブラフマンから発生したと見なされました。

 

それが、後期ヴェーダのブラーフマナの時代(前900年頃~前500年頃)には、ブラフマンは、人格神ブラフマーとして描かれるようになり、ブラフマーによる宇宙創造が説かれました。ブラフマンの神格化であるブラフマーは、宇宙創造神,神々を支配する最高神、万物の祖父(ピターマハ)として尊敬されるようになったのです。

 

しかし、前5世紀ころ確立したウパニシャッド哲学において、最高神への関心は薄れ,ブラフマンは、もっぱら非人格的、抽象的な理念上の宇宙の根本原理、根本的創造原理に集約されました。

 

ヒンズー哲学におけるウパニシャッド

さて、ウパニシャッドは、ヒンドゥー哲学の基礎ともなり、ヴェーダ4部門を含めたシュルティ(天啓聖典)の中でも特に優れた書であるとされ、その基本理念はヒンドゥー教哲学や信仰にも継続的に影響を与え続けて言われています。

 

ウパニシャッドは、前述したように、約200以上ある書物の総称をいい、ヒンドゥー教では、108のウパニシャッドが列記され、後世に書かれたムクティカー・ウパニシャッドを伝統的に認めてきました。そのうち最初の10から13が最も古く、最も重要なものとして、主要という意味で、「ムキャ・ウパニシャッド」と呼ばれています。

 

改めてヴェーダの構成(詳説)

ここまで、ヴェーダについて、「リグ・ヴェーダ(賛歌)」、「サーマ・ヴェーダ」、「ヤジュル・ヴェーダ(祭詞)」、「アタルヴァ・ヴェーダ(呪詞)」の四ヴェーダからなる「サンヒター(本集)」と、これに付随する3文書「ブラーフマナ」,「アーラニヤカ」,「ウパニシャッド」から構成されるという形で説明してきました。

 

ただし、厳密には、サンヒター(本集)だけでなく、ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)の中にも、各々4部門「リグ・ヴェーダ(賛歌)」、「サーマ・ヴェーダ(歌詠)」、「ヤジュル・ヴェーダ(祭詞)」、「アタルヴァ・ヴェーダ(呪詞)」が含まれ、ヴェーダは都合4×4の16種類となります

 

ということは、同時に、「リグ・ヴェーダ(賛歌)」、「サーマ・ヴェーダ(歌詠)」、「ヤジュル・ヴェーダ(祭詞)」、「アタルヴァ・ヴェーダ(呪詞)」の四ヴェーダは、それぞれ、サンヒター(本集)、ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)の4部門に分けられるという言い方も可能です。

 

 

<ヴェーダの神々>

 

前述したように、ヴェーダとは、アーリヤ人の自然(神)崇拝の伝承を集約したもので、太陽、火、風、雨、雷などの天の神に捧げる歌や祈祷文などがまとめられています。とりわけ、リグ・ヴェーダには、一貫した世界観を持つ神話は現れていませんが,神話や寓話も含めた1000以上の讃歌が収められています。

 

そうしたヴェーダを聖典としての生まれたバラモン教においても、多くの神々が信仰の対象となりましたが、中心となる神はインドラ、ヴァルナ、アグニでした。

 

 

  • バラモン教の三大神

 

インドラ

インドラ(Indra)は、古代インドのヴェーダ神話の雷神(雷霆神)であり、天界最強の軍神(武勇神)、戦士の守護神です(仏教においては、帝釈天の名で知られている)。その後、次第に擬人化され、英雄神、軍神(武勇の神)としても崇拝され、バラモン教(初期ヒンズー教)の神々 (デーヴァ) の王(代表者)となり、(インドラは)インドの国名にもなっています。

 

そんなインドラ賛歌の中で、旱魃・冬の化身で、水をせき止める悪竜ブリトラを退治し(倒し)、人間界に待望の水と光明をもたらした偉業(武勲)は、最も有名で、繰り返したたえられています。この戦いは、アーリヤ人と異民族の戦闘、混沌を打ち破る天地開闢神話、乾いた大地に水の恵みをもたらす自然現象など、様々な意味を持つと言われています。

 

このように、インドラは、リグ・ヴェーダの時代には、神々の中心に位置し、絶大な人気を誇りましたが、ヒンズー教の時代にはその地位は下がりました。

 

 

ヴァルナ(Varuṇa)

ヴァルナは、アーリア人が入ってきたインド・イラン共通時代のインド・イラン人の最高神であったと推測され、幻力(マーヤー)の力により、天地(三界)を創造した始原神、天地に雨を降らせて豊穣をもたらす天空神、降雨や水流を、操作して万物を養う維持神とされました。

 

また、ヴァルナと水との関係性は強まっていき、やがて、水の神、海上の神という位置付けが与えられることとなりました。そこから、しばしば蛇とも関連づけられ、水神にして蛇神であるとされます。

 

加えて、ヴァルナは、天則(リタ)と掟(ヴラタ)の守護者として、世界の秩序と、日月の運行、四季の循環をつかさどり(を守り)ました。したがって、天則や掟を侵す者を裁く司法神(=契約と正義の神)としての役割を担っていました。そのため、ヴァルナは、「千の目(星)」や間諜を用いて、あらゆる時・場所で人間の行為を監視し、悪行に裁きを下し(罪人を罰した)たとされています。その一方で悔悟した者を許し、悔い改める者に対しては、慈しみ深く、医薬を用いて人間の命を守る慈恵の神でもありました。

 

このように、ヴァルナは、始原神、維持神、天空神、水神、蛇神、司法神、慈恵の神など様々な属性をもっていましたが、時代が移ると共に、ヴェーダの時代(前1500年〜前500年頃)の後期には、ヴァルナの地位は下がり始めました。たとえば、上記の神格のうち、始源神としての地位は、ブラフマーによって奪われ、インドラのように人々に親しまれる神ではなくなっていたとされています。

 

 

アグニ(agni)

アグニは、ヴェーダ神話の火の神ですが、神格としてのアグニの起源はヴェーダの成立(前1500年頃)に先立つとされ、アーリア人の拝火信仰を起源とする古い神だと考えられています。「リグ・ヴェーダ」においては、最初に「アグニ」の名前が出てきて、冒頭で讃歌が捧げられています。その数(讃歌の数)はインドラに次いで多く、全編の五分の一を占めています。

 

アグニの火の働きの中でも、特に儀式における祭火の力は特筆されます。というのも、祭火(祭式において祭火壇のなかで燃え上がる火)は人と神々、地上世界と天上世界との問を媒介する役割を果たす存在 として、ヴェーダ期の祭式において重要な役割を担っていたからです。

 

また、アグニの働きの中で、浄化の力も重要視され、アグニは天則(リタ)を犯す者や悪魔を焼き払う神でもあります。大地が一度焼き払われれば、その地は人の居住可能な場所になるとされていますが、これはアーリア人の移動の歴史を物語っています。

 

 

  • 最高神の変遷

 

ヴェーダ神話において、時代とともに、また儀式ごとにその崇拝の対象となる神々が変わることに特徴があります。ヴェーダ神話における最古の主神・至高神は、ディアウスだとされ、その後、ディアウスからヴァルナに替わりました、

 

それから、ヴァルナ神を含むアーディティヤ神群へと変化すると、アーディティヤ神群の中からミトラが至高神となり、やがてその地位はインドラへ移っていきました。さらに、後期ヴェーダのブラーフマナの時代(前900年頃~前500年頃)には、ブラフマーが、宇宙創造神,神々を支配する最高神として尊敬されるようになりました。

 

ディアウス

ディアウスは、ヴェーダ神話(ヴェーダ文献に基づく神話)における、アーリヤ民族の最古の主神・最高神で、雷や雨を司るなど天空を神格化・擬人化した天神・天父(父神)にあたる存在です。他のインド・ヨーロッパ語族の主神であるギリシア神話のゼウス 、ローマ神話のジュピター、北欧神話のテュールと起源、語源を共有しています。インドラ(雷神)、アグニ(火神)、スーリヤ(太陽神)、ウシャス(曙の女神)など、多くの神々を生み出したとされています。

 

アーディティヤ神群

アーディティヤ 神群は、古代インド神話における神々の集団の1つで、「リグ・ヴェーダ」に登場する最古で無限の大女神、アーディティから生まれた七柱の神々をいい、ミトラ(契約の神)、ヴァルナ(天空神)、アリヤマン (歓待の神格化)、バガ (分配・幸運の神)、ダクシャ (意力の神)、アムシャ(配当の神)、インドラ(雷神)をさしました(後に12神とされた、時代によって神々の入れ替わりもあった)。その中で、首領(首長)の役割を担ったヴァルナとミトラに、アリヤマンを加えた三神をインド最古の至高三神団(アーディティヤ三神)とされました。

 

ミトラ

ミトラ神は、光の神、正義の神。契約で結ばれた盟友の神、友情友愛の守護神(契約の神)、(友愛の神)です。アーディティヤ神群崇拝が始まると、その一柱であるヴァルナとは表裏一体を成すとされ(一対の神として讃えられ)、ミトラヴァルナとも呼ばれましたが、やがて、ヴァルナは格下げされ、ミトラが至高神になり、宇宙の統治者・全能の神としての属性を付与されました。しかし、発祥地のインドにおいては次第にミトラ神に対する信仰は衰えていきました(一方、イランでミトラは至高の神とされた)。

 

アリヤマン

アリヤマンは、歓待と結婚、縁結びを司り(一般には「歓待の神」とされる)、家畜の繁殖など、アーリア人の社会、共同体の維持に努め、守護神的な役割を担いました。神話の世界では、バガ(分配の神)とともに、主権神ミトラに従い、これを補佐しました。「リグ・ヴェーダ」だけでなく、「アタルヴァ・ヴェーダ」にも登場します

 

一方、「リグ・ヴェーダ」には、ヒンズー教の時代に最高神の一角とされたヴィシュヌ神やシヴァ神も登場しますが、それほど重要視されていませんでした。「リグ・ヴェーダ」にヴィシュヌの讃歌はありますが、その数はわずかです。一方、シバは、「リグ・ヴェーダ」に登場する暴風神ルドラと同一視されていました。

 

  • 宇宙の創造神話

リグ・ヴェーダには、いくつかの創造神話があり、その中で万物創造を説く讃歌が謳われています。

 

創造神ブラフマナスパティの世界創造説

ブラフマナスパティ(別名ブリハスパティ)は、聖歌を司る神で、祈祷の行為を神格化したものと考えられています。聖歌はヴェーダの「ことば」を意味し、呪力(神秘的な力)を持つとされていました。創造神ブリハスパティが、そうした呪力を使って、鍛冶工のように宇宙をあおぎ鍛えて世界を創造したされています。

 

原人プルシャの巨人解体説

プルシャは、宇宙の根源、世界の最初に存在した原人とされています。そのプルシャが神々に捧げられる犠牲となり、その身体(死体)から、神々を含む世界の全て(一切万物/森羅万象)が生まれたとされました。この巨人解体神話では、たとえば、太陽はプルシャの眼から、月は意から、空界はへそから、天界は頭からできました。

 

カースト制の起源もここにあり、プルシャの口からバラモン(司祭)が,両腕(臂(ひじ))からクシャトリヤ(武人)が,両腿(もも)からバイシャ(農民、商人)が,両足からシュードラ(奴隷)が生じたとされています。

 

ヒラニヤガルバの「世界の原因」説

ヒラニヤガルバ(ヒラニヤ・ガルバ)(「黄金の胎児」の意)は、「神々の上に位する唯一神」で、世界の秩序を維持する万有主宰者です。「リグ・ベーダ」では、創造神ヒラニヤガルバが、原初の茫洋たる水(太初の原水)の中に「黄金の胎児」を宿し、そこから神々が生まれ、天地ができ、太陽と交わり山や海が生じたとされています。

 

 

  • 人間の始祖

ヴェーダには人間の始祖や世界の始まりに関する神話や説話も含まれています。

 

マヌ 

マヌは、ヴェーダ神話における人間の祖先(始祖)で、全生命を滅ぼす大洪水をヴィシュヌ神の助けで生き延び、洪水後に人類の始祖となったとされています。大洪水後、1人生き残った人祖マヌは、子孫を得るべく苦行を重ねると水の中から一人の女性が現れ、ふたたび地上に人々が生まれるようになりました。

 

なお、マヌが生き延びた大洪水に関する神話は、「リグ・ヴェーダ」ではなく、「ブラーフマナ」文献に残されています。

 

人祖マヌと大洪水の物語

ある日、マヌが水を使っていると、手の中に小さな魚が1匹飛び込んできて「『数年後に大洪水で人類が滅亡する』と予言し、私を飼ってくれたら洪水の時にあなたを助ける」と話した。マヌはその魚を養ってやり、魚がじきに大きくなったので海に放してやった。

 

数年後に大洪水が起こったが、マヌは事前に魚の残した助言に従って、用意した船に乗り込むと、魚が近付いてきたので、魚の角に船を繋ぐと、魚は北のヒマーラヤ山の高い場所まで船を運んだ。

 

その間、洪水はすべての生類を滅ぼし、地上にマヌだけが残った。マヌは子孫を得るべく苦行を重ね、水に供物を捧げる祭祀を続けると、1年後、水の中から一人の女性が現れた。彼女は、マヌに「あなたが水に捧げた供物から生まれた」と話した。マヌはその女性とともに人類を生み出し、ふたたび地上に人々があふれた。

 

一方、「リグ・ヴェーダ」によれば、マヌは、「最初の祭祀者」と言われるヴィヴァスヴァットの子とされています。ヴィヴァスヴァットは、賢者マヌの父ともされ、インド神話における太陽神の1つ(「遍照者」の意)で、後に「アーディティヤ神群」12神の一柱にも加えられた生者を統一する神です。

 

ヴィヴァスヴァットについて、ヴェーダの中に独立した賛歌はありませんが、トヴァシュトリ神の娘サラニユーとの間に、マヌと、ヤマ・ヤミーの兄妹が誕生したと記されています。

 

ヤマ

ヤマは、「リグ・ベーダ」において、マヌと同様に、ヴィヴァスヴァット(太陽神)と、トヴァシュトリの娘サラニューの間に生まれた最初の人間として描かれています(双子の妹であるヤミーは妻でもあり、ともに人類の祖先とされた)。

 

さらに、ヤマは、同時に最初の死者でもあります。死後、冥界への道を発見し、天に昇ると、死者が進む道を見いだして、死者の王となり、死の世界を支配するとみなされました。そして、この地上に生きる人間が死んだ時には、その魂を死後の世界へと導いたとされています(ヤマは司法・冥界の神で、死を見守る存在であった)。

 

また、「リグ・ヴェーダ」には、人が死んだ時に、邪悪なる存在にその魂が奪われないようにヤマに守護をお願いする祭祀が語られています。その祭祀とは、死者が無事に、死者の楽園(最高天)に導かれ、祖先に迎えられ、カルマや悪行を拭い去り、祈りによって、光輝に満ちた新たなる身体を手に入れることを願うものでした。そして死者が、死者の楽園に導かれることによって、生きている人々が、長き命を全うできるように祈られました。

 

実際の祭祀は、ヤマとその父親である太陽神ヴィヴァスヴァト、祖霊(先祖の霊)を呼び出して、ソーマ酒や供物を捧げ、アグニ(火神)とヴァルナ(水神)の力を借りて行われたとされています。

 

このように、「リグ・ヴェーダ」において、ヤマは最初の人間であり、最初の死者でもありますが、通常マヌが、人間の祖の役割を果たしていることから、ヤマは基本的に死者の主(王)として扱われます。なお、死者の王としてのヤマは、仏教が中国に入ったとき閻魔(えんま)と漢訳され、死後の審判を司る役割を担う恐ろしい存在となりました。

 

 

  • デーヴァとアスラ

 

ヴェーダ神話においては、神々はデーヴァ神族とアスラ神族とに分類されました。デーヴァは、現世利益を司る神々で、人々から祭祀を受け、それと引き換えに恩恵をもたらす存在でした。代表的なデーヴァは雷神インドラです。

 

一方、アスラ(アシュラ)は、倫理と宇宙の法を司る神々であると同時に、鬼神の一種で、恐るべき神通力と幻術を用いて人々に賞罰を下す者として畏怖されました。代表的なアスラは、天空神ヴァルナです。アスラは、サンスクリットのアスラasuraの写音で、アシュラ、阿修羅とも表記されます。

 

もっとも、アスラは、「リグ・ヴェーダ」初期においては、必ずしも悪い意味で用いられていませんでした。「リグ・ヴェーダ」の初期の頃というのは、歴史的にはアーリヤ人のインド・イラン共通の時代であり、この時代、アスラは単に「主」という意味であって、神(デーヴァ)の称号として用いられ、インドでは、ヴァルナをはじめ有力なアスラ神がデーヴァとされていたのです。

 

しかし、アーリア人がインドとイランに分かれて定住してからは、インドでは、デーヴァとアスラは対立し、戦いあう存在としてとらえられました。さらに、デーヴァ信仰が盛んになるにつれて、アスラの信仰が衰え、アスラが悪神を,デーバが善神を意味するようになりました。「リグ・ヴェーダ」の末期(~前500年)になると、神々に敵対する悪魔を指すようになったのでした。

 

 

<関連投稿・サイト>

バラモン教:カースト制を生んだカルマと輪廻の宗教

ヒンズー教:ビシュヌにシバ、創造・破壊・性愛の神

ヒンズー思想:古代インドの六派哲学

 

「世界の宗教」を学ぶ

 

 

 

<参考>

インド思想史概説

(野沢正信 、沼津高専 教養科 哲学)

佛教発祥の地インド

(薬師寺管主 加藤朝胤)

仏教とバラモン教の違いとは?

(Divership編集部)

ブッダが実在した当時の宗教 バラモン教の思想 「図解」13

(えん坊&ぼーさん)

ウパニシャッドを解読する

(Philosophy Guide)

世界史の窓

コトバンク

Wikipedia

 

(2024年6月29日)