バラモン教:カースト制を生んだカルマと輪廻の宗教

 

今回からインドの民族宗教、ヒンズー教について学びます。ただし、ヒンズー教といっても、最初からヒンズー教が興ったのではなく、ヒンズー教はバラモン教からの発展です。ヒンズー教は、バラモン教を土台に土着の信仰を受け入れながら形成され。そこで「ヒンズー教を学ぶ」シリーズ第1回目として、バラモン教についてまとめました。

 

一般的にバラモン教というと、支配階級のバラモンの宗教で、カースト制という差別的な身分制度を確立した不平等な宗教……、また、バラモン教そのものも祭祀中心の形式主義に陥ったことから、釈迦が仏教を興した…というように、バラモン教にはマイナスの印象がつきまといます。実際はどうなのでしょうか?

 

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<ヴェーダの宗教>

 

バラモン教は、古代インドの宗教で、聖典ヴェーダを権威とするアーリヤ人の自然崇拝から起こった多神教であり、アーリア人の民族宗教です。その教義の中心は、自然神に対する崇拝と輪廻転生からの解脱です。

 

紀元前1500年頃、アーリア人(ペルシャ系)が、インダス川上流地方に侵入し、先住民であるドラヴィダ人(タミル系)を征服しました。この地方に定住したアーリア人の社会が発展するなか、紀元前1300年(紀元前13世紀)ごろ、アーリア人の神々と土着の神々の信仰が混交するバラモン教が形成され始めたと見られています。

 

紀元前10世紀頃、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合(バラモン教と民族宗教)も進み、紀元前5世紀頃には、4大ヴェーダが現在の形で成立したことで、バラマン教も宗教としての形が整いました。

 

ヴェーダとは、紀元前1500年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称をいい、アーリヤ人の自然崇拝の伝承を集約した、現存する最古の文献で、バラモン教の聖典です。

 

司祭階級のバラモンは、天の神へ祈る儀式の方法や、(太陽、火、風、雨、雷などを淵源とする)天の神に捧げる歌などを伝承し、聖典「ヴェーダ」を完成させました。ヴェーダは、古代インド・アーリア人の祭式と密接に結びついています。アーリア人は、戦勝、子孫繁栄、降雨、豊作、長寿などさまざまな願望を成就するために祭式を行いましたが、ヴェーダは、それらの祭式の実行と解釈のために作られたと考えられています。

 

実際、バラモン教は,ヴェーダを絶対の権威として仰ぎ、主として,そこに規定されている祭式を忠実に実行し,現世でのさまざまな願望,また究極的には死してのちの生天を実現しようとしました。祭式では、神々に供物をささげ,それによって神の恩恵を期待するという祭式主義をその根幹としました。。ヴェーダはまさに、この祭式の実用のために成立したと言えます。

 

紀元前1500年頃から紀元前500年をヴァーダ時代ともいい、まさにバラモン教は「ヴェーダの宗教」と言われます。なお、そのヴェーダ時代も、インド西北地方に入ったアーリヤ人が、ガンジス川流域に移動する前後で、前期ヴェーダ時代(前1500~1000年頃)と、後期ヴェーダ時代(前1000~前500年頃)に分けられます。

 

 

ヴェーダ

聖典ヴェーダは、サンヒター(本集)とその三種の付属文献(ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッド)の4部門から構成されます。狭義の「ヴェーダ」は、本集のサンヒター(ヴェーダ・サンヒター)のみを指しますが、そのサンヒターも、リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダの四集から成っています。これを「四ヴェーダ」といい、リグ=ヴェーダは、前1200~前1000(900)年頃に編纂され、他の三ヴェーダは前1000年~前500年頃に作られたとされています。

 

ヴェーダ文献の中でも、「リグ・ヴェーダ」が、最古で最も権威があります。祭式に関わる神々の伝承として、祭式の中で唱え歌われる賛歌,歌詠,祭詞,呪文がありますが、リグ・ヴェーダは、このうち賛歌を集めたもので(合計1028の讃歌より構成)、「神々の讃歌」と呼ばれています。そこには一貫した世界観を持つ神話は現れていませんが,当時のインド・アーリヤ人が持っていたなんらかの神話を前提として詩作されたとみられています。

 

 

<自然神崇拝(バラモン教の神々)>

 

バラモン教は、「ヴェーダ」を聖典とし、天・地・太陽・風・火などの自然神への信仰を説きました。初期のバラモン教において、最高神は一定しておらず、儀式ごとにその崇拝の対象となる神を最高神の位置に据えたと考えられています。そうした中、「リグ・ヴェーダ」に現れる神々のなかで、中心となる神は、自然神としての雷神インドラ、火神アグニ、天空神ヴァルナでした。

 

インドラ

インドラは、古代インドのヴェーダ神話の雷神(雷霆神)であり、天界最強の軍神(武勇神)、戦士の守護神です。「リグ・ヴェーダ」の全1200編の讃歌の中でインドラに捧げる讃歌が約4分の1と最も多く、「リグ・ヴェーダ」の中で最も重視された神といえます。

 

インドラは、初期ヴェーダで、もともと、雷霆(らいてい)神として(雷霆とは激しい雷の意),、暴風雨(降雨や嵐など天候)を支配し、ギリシア神話のゼウス、北欧神話のトール、スラヴ神話のペルーンに比較されました。

 

その後、次第に擬人化され、英雄神、軍神(武勇の神)としてとしても崇拝され、バラモン教(初期ヒンズー教)の神々 (デーヴァ) の王(代表者)となり、インドラはインドの国名にもなりました。しかし、絶大な人気を誇ったインドラも、時代が下り、ヒンドゥー教が成立した時代になれば影が薄くなり、その地位は下がり、神々の中心の座をシヴァやヴィシュヌなどに奪われました。

 

なお、古代バラモン教の神々は、仏教に取り込まれ、天あるいは天部として、仏法を守る護法神となりましたが、インドラは、帝釈天という名で崇敬されています。

 

 

ヴァルナ

ヴァルナは、アーリア人が北西インドに侵入した時代、最高神であったと推測されています。というのも、ヴァルナは多くの属性を持っていたからです。

 

「リグ・ヴェーダ」において、ヴァルナは、幻力(マーヤー)の力により、天地(三界)を創造した始原神、天地に雨を降らせて豊穣をもたらす天空神、降雨や水流を、操作して万物を養う維持神とされました。また、水との関係性が強まり、水の神、海上の神、さらに蛇とも関連づけられ、水神にして蛇神であるとされました。

 

加えて、ヴァルナは、天則(リタ)と掟(ヴラタ)の守護者として、世界の秩序と、日月の運行、四季の循環を守ったことから、天則や掟を侵す者を裁く司法神(=契約と正義の神)としての役割も担っていました。

 

しかし、ヴェーダの時代(前1500年〜前500年頃)の後期には、ヴァルナの地位は下がり始め、たとえば、上記の神格のうち、始源神としての地位は、ブラフマー(後述)によって奪われました。また、ヒンズー教の時代になると、水神、海上の神の地位にとどまり、仏教においては、西方を守護する「水天」として崇拝されました。

 

 

アグニ

アグニは、ヴェーダ神話の火の神で、太陽、稲妻、祭火から、家や森の火、心中の怒りの炎、思想の火まで世界に遍在する全ての火を象徴する存在です。神格としてのアグニの起源はヴェーダの成立(前1500年頃)に先立つとされ、アーリア人の拝火信仰を起源とする古い神だと考えられています。

 

アグニの火の働きの中でも、特に儀式における祭火の力は特筆されます。というのも、祭火(祭式において祭火壇のなかで燃え上がる火)は人と神々、地上世界と天上世界との問を媒介する役割を果たす存在 として、ヴェーダ期の祭式において重要な役割を担っていたからです。ここから、アグニは、地上の人間と天上の神との仲介者とみなされるようになり、祭祀を執り行うバラモン階級から重要視されています。

 

また、アグニの働きの中で、浄化の力も重要視され、アグニは天則(リタ)を犯す者や悪魔を焼き払う神でもあります。大地が一度焼き払われれば、その地は人の居住可能な場所になるとされていますが、これはアーリア人の移動の歴史とつながっています。

 

しかし、火神アグニも、ヒンズー教の時代には影が薄くなりました。もっとも、仏教には取り入れ、仏法擁護の神(天部)となってからは、南西を守護する火天(かてん)となって信仰されています。

 

バラモン教の三大神(インドラ、ヴァルナ、アグニ)のほかにも、太陽、火、風、雨、雷などの天然現象に淵源する神々には、太陽神スーリヤ(日天)や風神バーユ、河川の女神(川の精)サラスバティー、森の精アラニヤーニーなどいます。

 

 

<バラモン教の教義>

 

  • 業と輪廻転生

 

このように、バラモン教は、神々への賛歌「ヴェーダ」を聖典とし、自然現象を神として畏敬する信仰と同時に、業(ごう)や輪廻(りんね)といった宗教思想が根本にあります。業とは、サンスクリットで「行為」の意味で、カルマとも言い、輪廻とは次の世にむけて生死をくり返すことです。

 

古代インドでは、人間はこの世の生を終えた後は一切が無になるのではなく、輪廻していくと考えます。では、来世にどんな存在として生まれ変わるかは、現世での行いによって決まります(人間ではなく、動物や虫に転生することもある)。

 

この人間が現世で行った行為が業(カルマ)で、これは、死によっても失われず、輪廻に伴って、次の世にも代々受け継がれていき、生まれ変わりの運命(輪廻)が決まります。この世のカルマが「因」となり、次の世で「果」を結ぶというわけです。

 

輪廻転生を繰り返すかぎりは、不安を抱き、完全な平穏は訪れません。そこで、無限(永遠)に続く輪廻から抜け出す(解脱)ことが望まれ、人としての理想は、輪廻の循環から解放されて生死を越えた絶対の境地に至ることであると説かれました。

 

バラモン教では、そのための手段として苦行が説かれ、当時、理想的な修行者のことをバラモンと呼まれました。輪廻転生というと仏教の教えと思っていた方もいるかもしれませんが、元はバラモン教の教義だったのです。

 

 

  • カースト制

 

一方、アーリア人は、天・地・太陽・風・火・川などの自然神への信仰の中で、世の中の出来事の全ては神が司ると信じていました。そのため、バラモン教では、自然現象に神秘的な力を認め、供犠(くぎ)(=いけにえ)によって神を祭ることで災厄を免れることができると考え、司祭階級が行う祭式儀式)が重視されました。

 

この祭りを司っていたのが、バラモンと呼ばれた階層の人たちで、侵略したアーリア人は自分たちが優位になるように、身分制度(階級制度)としてカースト制度(ヴァルナ制)(四姓制)をつくりあげたと言われています。

 

実際は、紀元前800年ころ鉄器の使用の開始とともに、アーリヤ系民族は先住民から稲の栽培の技術を学び、農耕生活が安定し、余剰生産の増大とともに、生産に直接従事しない司祭者や王侯武士階級の人口も増えたことが、カースト制度の端緒となりました。

 

バラモン教は、カースト制度という身分制度の下で、その最上位に立つバラモンが、司祭し指導して、発展したという言い方も可能です。バラモン教という名称も、バラモン教が実質的にバラモン階級における内部的な宗教であることから、ヨーロッパ人が便宜的につけたものだったそうです。

 

カースト制は、司祭階級バラモンを最上位として、クシャトリヤ(王族・戦士階級)、ヴァイシャ(農工商人・庶民階級)、最下層のシュードラ(被征服民の奴隷階級)によりなり、4つの身分の分類(ヴァルナ)毎に、さらに細分化された世襲の職業別の集団(ジャーティ)(生まれ・出生)が形成されています。

 

バラモン

バラモンは、カースト制の最高位で、神聖な職についたり、儀式を行ったりできる司祭階級です。最高神のブラフマン(ブラフマー)(後述)に祈りを捧げることができるなど、祭祀を通じて神々と関わる特別な権限を持ち、祭事を独占しました。

 

バラモンの語源は、サンスクリット語のブラーフマナ(ブラフマン)からきており、音写して婆羅門(バラモン)となりました。その意味は「ブラフマン(梵)(ぼん)(=宇宙の根本原理)を有するもの」(後に詳説)で、自然界を支配する能力を持つものとされます。

 

実際、本来のバラモン層は、たとえば数(学)の存在の発見など、下層集団が持たぬ知識を持ち、それを独占・蓄積した集団であったことから、宇宙の根本原理ブラフマンに近い存在として敬われていた言われています。

 

クシャトリヤ

王族・貴族、戦士など政治力や武力を持つ階級で、下位のヴァイシャとシュードラの2階級を統治しました。仏教の開祖釈迦は釈迦族の王子であったことから推察できるように、クシャトリヤ階層に属していました。

 

ヴァイシャ(庶民)

商業、農業、牧畜、工業および製造業などの職業につくことができる階層で、貢納によって、バラモンとクシャトリヤを支える義務を有していました。ヴァイシャはのちに主として「商人」を指すようになりました(土着金融業を含む)。

 

シュードラ(隷民)

古代では、一般的に人が忌避する職業のみにしか就くことしかできず、インド社会における苦役を一手に引き受ける階級でした。ただし、中世頃になると、ヴァイシャは商売を、シュードラは農牧業や手工業など生産に従事するようにすみ分けが進みました。「大衆」、「労働者」とも訳されます。

 

不可触賤民

加えて、これらのカーストに収まらない人々はそれ以下の最下位の身分である不可触賤民とされました。彼らは、パーリヤ(触れてはいけない人々)、アヴァルナ、アチュート、ダリット(壊された民)、パンチャマ(第5のヴァルナ)、「指定カースト」など様々な名称で呼ばれています。

 

不可触賤民が生まれた背景には、隷属民とされていたシュードラが農民・牧畜に従事するようになると、その下に別に差別の対象ができたことにあり、社会の最下層で、動物の屠殺や皮革加工、清掃・洗濯などの雑役に従事する人々が不可触民として扱われるようになりました(インド社会で不浄とされた死、血、排泄などにかかわる職業)。不可触選民は、2億人近くいるとされ、何世代にもわたって、カースト上位の人々から差別・迫害を受けてきました。

 

カーストは親から受け継がれ、生まれた後にカーストを変えることはできません(移動は認められていない)。異なるカースト間の結婚もできません。また、他の宗教から改宗して、現在のヒンドゥー教徒になることは可能ですが、その場合は最下位のカーストであるシュードラにしか入ることができません。

 

輪廻思想(生死を繰り返すこと)が根本にあるバラモン教において、現在のカーストは過去の生の結果であるから、現世ではこれを受け入れなければなりません。現在の人生の結果によって次の生で、より高いカーストに上がることができると考えられています。

 

カーストによる差別は1950年に憲法で禁止されていますが、現在もインド社会に残されています。このカースト制をバラモン教の中に確立させたのが、マヌ法典です(マヌ法典については「ヒンズー教」の中で解説)。

 

 

<バラモン教の改革>

 

ヴェーダ時代(前1500年〜前500年頃)が終わる頃には、部族社会が崩れ、前6世紀頃にガンジス中・下流地域に都市国家が形成され、武士階層のクシャトリヤと商業に従事するヴァイシャが台頭してきました。

 

また、人々が信仰していたバラモン教も、祭祀を司るバラモンの権威が著しく強くなり、次第に形式的な祭式至上主義に陥っていました。当時の状況の一例をあげれば、後期ヴェーダ時代(前100年~前500年)のバラモンたちは、個々の祭式を行うことと自然現象との間に密接な対応関係があり,祭式は霊力をもつと考え、祭式の正しい実行によって宇宙の諸現象を支配でき,神々さえ霊力に縛せられると考えるまでに至ったと言われています。

 

紀元前5世紀頃に、4大ヴェーダが現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性がはっきりと示されるようになると、その反発から、バラモン教の改革運動が起こりました。それは、バラモン教の中から生まれたウパニシャッド哲学という神秘的な独自のインド思想と、仏教やジャイナ教という新しい宗教の誕生という形で表れました。

 

  • ウパニシャッド哲学

 

前5世紀頃、バラモン教の祭式至上主義・形式主義に満足しない人々の間で、内面的な思索を重視する一派が現れ、バラモン教の教えを理論的に深めたウパニシャッド哲学を興しました。(もっとも、ウパニシャッドの神秘的哲学の中心思想は、紀元前5世紀頃にインドで生まれた仏教興起以前の紀元前8(7)~6世紀頃に遡るとも指摘される)。

 

ウパニシャッド哲学の「ウパニシャッド」とは、ヴェーダを構成する附属3文書の最後を形成している古代インドの宗教哲学書の総称で、ヴェーダの秘教的な思想を集めたものです。「奥義書」とも漢訳され、「ヴェーダの極致」、ヴェーダの総仕上げとして位置づけられています。

 

ウパニシャッド哲学は、この「ウパニシャッド」にもとづいた、宇宙と人間の関係を探求する思想体系で、古代インド哲学の出発点となりました。その内容は、宇宙の根本原理・輪廻転生・解説・カルマ(業)等々多岐にわたります。

 

前述したバラモン教の基本教義である業と輪廻思想も、「ウパニシャッド」に示されています。インドにおいて、古い時代から、業(カルマ)の思想は重要視されていましたが、ウパニシャッド哲学では、「霊魂は不滅であり、行為(=カルマ、業ごう)の結果に従ってさまざまに姿を変えて生まれ変わる」という輪廻思想が、哲学的に展開され、仏教の輪廻思想・縁起の基礎となりました。

 

さらに、ウパニシャッド哲学について特筆されるべきは、ブラフマンとアートマンが究極的に同一であるとする「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の思想です。

 

ブラフマン(梵)は、宇宙の根本原理(最高原理)のことで、自然現象の背後にあって現象を動かす原理のことをいいます。

アートマン(我)は、自我の根本原理のことで、それは人間の本質であり、自己の内奥にある我でもあります(個体の本質を指している概念)。

 

バラモン教(ウパニシャッド哲学)では、この真理の知覚と、ブラフマンとアートマンとが融合する「梵我一如」の境地を追求する(直観する)ことによって、輪廻の業、すなわち一切の苦悩を逃れて解脱に達し、真の幸福とその永続性を得ることができると考えます。バラモン(バラモン教の司祭階級)は、「梵如一如」を悟るために修行している極論できます。

 

 

ブラフマンとブラフマー

ブラフマン(梵(ぼん)と漢訳、音写される)は、もともと、ヴェーダのことば・文句(賛歌・祭詞・呪詞/祈禱)に内在する呪力(神秘的な力)を意味していました。それがやがて、その力が宇宙を支配すると理解されるようになりました。すると、ブラフマンは、全ての存在に浸透しており、初期のヴェーダ文書の中では、全ての神々は、ブラフマンから発生したと見なされました。

 

後期ヴェーダの時代(前1000年頃~前500年頃)には、ブラフマンは、神々をも支配する力、絶対者(最高神)の一呼称となり、人格神ブラフマーとして描かれるようになるとともに、ブラフマーによる宇宙創造も説かれました。ブラフマンの神格化であるブラフマーは、宇宙創造神,万物の祖父(ピターマハ)として尊敬されるようになったのです。

 

前述したように、司祭階級のバラモンは、紀元前5世紀頃までに、聖典「ヴェーダ」の主要な部分を完成させ、宇宙の創造神であるブラフマン(ブラフマー)を最高神として、ブラフマンに祈りを捧げる祭事中心の社会を作りあげました。

 

「ヴェーダ」によれば、宇宙の創造神のブラフマン(ブラフマー)が最高神で、他に三十三天(神)がいます。全神界は、天・空・地の三界に分けられ、それぞれ11名の天の神が存在しています(その天の神を総称して三十三天という)

 

しかし、前5世紀ころ成立(確立)されたウパニシャッド哲学において、(神々をも支配する)最高神への関心は薄れ,ブラフマンは、もっぱら非人格的、抽象的な理念上の宇宙の根本原理、根本的創造原理に集約されました。もっとも、ウパニシャッド哲学でない立場や、また特にバラモン以外の階級の人々に対しては、ブラフマン(梵)を唯一最高神とする信仰が説かれたとされています

 

また、ヒンズー教の時代になって、ブラフマンの人格神としての側面は継承され、ブラフマーは、シバやビシュヌとともに、ヒンドゥー教の最高神として崇敬されました。ただし、ブラフマーは、最高神の地位を、前二者にとってかわられ、仏教にとりいれられて梵天となりました。

 

 

  • 仏教・ジャイナ教

 

一方、バラモン教の改革運動のもう一つの動きは、紀元前5世紀になって、バラモン教の祭祀中心の形式主義を批判した、祭祀にとらわれない自由思想家群の出現です。この中から、バラモンの権威を否定する新しい宗教が生まれ、バラモンの支配をよく思っていなかったクシャトリヤ(王族・戦士階級)などの支持を集めました。その筆頭が、ブッタの仏教であり、マハービーラのジャイナ教です。両宗教の台頭によって、1世紀頃までには、旧来のバラモン教の勢力は失われていきました。

 

しかし、それでも、民衆の日常生活の中ではなおもバラモンの教えは存続した一方、仏教やジャイナ教の出現により、バラモン教も変化が求められました。その結果、4世紀になると、ほかのインドの民族宗教、土着信仰などを取り込みながら、バラモン教は自然に変化することで再構成され、ヒンドゥー教へと発展・継承されていったのです。

 

<関連投稿・サイト>

ヴェーダ:バラモン教とヒンズー教の聖典

ヒンズー教:ビシュヌにシバ、創造・破壊・性愛の神

ヒンズー思想:古代インドの六派哲学

 

「世界の宗教」を学ぶ

 

 

<参照>

What’s ヒンドゥー教? 3分でわかる! 世界五大宗教④

(2021.12.24、TRANSIT)

インド思想史概説

(野沢正信 、沼津高専 教養科 哲学)

佛教発祥の地インド

(薬師寺管主 加藤朝胤)

仏教とバラモン教の違いとは?

(Divership編集部)

ブッダが実在した当時の宗教 バラモン教の思想 「図解」13

(えん坊&ぼーさん)

ウパニシャッドを解読する

(Philosophy Guide)

原始仏教の思想Ⅰ

(中村元 春秋社1)

バラモン教とヴァルナ制度

(世界の歴史まっぷ)

やさしい仏教入門

(SHOBOIN)

世界史の窓

コトバンク

Wikipedia

 

(2024年6月29日)