世界で最も自由の国アメリカは、ある意味、世界で最も宗教的な国かもしれません。大統領の就任式でも、聖書とともに宣誓する新大統領の姿は象徴的です。そんなアメリカの宗教事情についてまとめました。
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<アメリカの宗教分布>
アメリカは、プロテスタントの国です。歴史的な事実として、プロテスタントでなければ、アメリカ大統領になれないと言われています。これまでに延べ46人のアメリカ大統領がいますが(現在のバイデン大統領は第46代大統領)、カトリック教徒のケネディ大統領一人を除き45人がプロテスタントです。オバマ前大統領も黒人初の大統領で話題になりましたがプロテスタントです。こうしたアメリカの宗教事情についてまとめました。
アメリカがプロテスタント国である理由は、国の成り立ちからわかります。16世紀、イギリスのエリザベス1世はイングランド国教会を確立しましたが、17世紀にかけて、国教会の改革を主張する新教徒(ピューリタン/清教徒)が出てきて、その中でも国教会からの独立を求める(清教徒)分離派と呼ばれるグループがいました。彼らは当然、イギリス国教会から弾圧を受けることになります。
1620年、宗教的弾圧を逃れて、イギリスから宗教的自由(信仰の自由)を求めてピューリタン102人が、メイフラワー号に乗って、アメリカ大陸にやってきました。ピルグリムファーザーズと呼ばれたこの一団は、メイフラワー号船上で、キリスト教徒にとって理想的な社会建設をめざす「メイフラワー誓約」を交わしたとされています。
なお、ピューリタンとは、広義にはイギリスにおけるカルヴァン派の名称とされますが、アメリカにやってきたイギリス国教会の清教徒分離派は、アメリカ国内では主に、会衆派、バプティスト、クエーカーの3派に分かれて拡大していきました。このように、アメリカはピューリタンが宗教的弾圧を逃れてヨーロッパからアメリカにやってきて以来、人口の圧倒的多数はプロテスタントになったのでした。
現在、アメリカの人口3億人のうち約78%がキリスト教徒で、そのうちプロテスタントは51%と過半数を超え、カトリック教が24%、モルモン教が1.7%を占めています。キリスト教以外では、ユダヤ教の1.7%、仏教の0.7%、イスラム教の0.6%と続き、無神論を含め無宗派の比率は約15%となっています。
アメリカにおけるキリスト教は、1990年頃から、バプティスト派、メソジスト派、ディサイプル派、ルター派教会、カトリック教会、モルモン教の六つの主要グループからなると言われるようになりました(モルモン教はキリスト教の異端とされる)。では、プロテスタント教会を中心に、アメリカの宗教団体を宗派別にみてみましょう。
<アメリカのプロテスタント>
プロテスタント(新教)は、16世紀の宗教改革で始まった反カトリック諸宗派の総称です。ローマ法王の権威を否定し、聖書(福音)を唯一の信仰の拠り所とする点では各宗派が共通しています。しかし、教義と教会運営の面で、それぞれに違いが見られ、アメリカにおいて、プロテスタントは主流派(メインライン)と福音派(エヴァンジェリカル)に分類されています。
福音派(福音派プロテスタント)は、厳格にアメリカのキリスト教文化を守ろうとする保守的かつ伝統的な立場を堅持すると同時に、イエスの復活や奇跡など聖書に書かれた内容を歴史的な事実として受け入れる原理主義的な教会です。
これに対して、主流派(プロテスタント主流派)は、比較的リベラル(柔軟)な教会で、新しい思想と社会の変化を受け入れる傾向があります。例えば、彼らは同性愛者、性転換者に対しても一定の理解を示すほか、他者との協調・共存を志向しています。
「主流派」という名称は、かつて、プロテスタント教会内で文字通り「主流派」だったからそう呼ばれました。しかし、1970年以降、「福音派」が政治的な影響力も行使するようになると、形勢は逆転し、伝統的な主流派の信者の数は全体の18%に対し、福音派は26%を占めるなど現在では福音派が「主流」になっています。さらに、その主流派と福音派の中にも多くの宗派が存在しています。
主流派
ルター派
メソジスト派
聖公会派(英国教会)
長老派/改革派
会衆派、ディサイプルス派
福音派
バプティスト派
ペンテコステ派
無所属/無宗派
現在、アメリカのプロテスタント教会の中で、最大な教派は、福音派のバプティスト派(より正確には南部バプティスト派)で信徒数は約1500万人、2位が700万人近い信徒がいる主流派のメソジスト派となっています。
<プロテスタント主流派>
- ルター派
ルター派(ルーテル派)は、マルチン・ルーテルの流れを汲む元祖プロテスタント教会です。ドイツからスウェーデン、デンマークなど北欧諸国に広がる中で、そこから移民が渡った先のアメリカにも伝わりました。
- メソジスト派
メソジスト派は、18世紀、イングランド国教会の司祭、ジョン・ウェスレーが聖書的なキリスト教を回復するために起こした改革運動から始まりました(これを「メソジスト運動」という)。教義はルター派に近いと言われています。ウェスレーは、信者たちに対して、イエス・キリストの福音を体験するために、断食などを含む厳格な戒律と敬虔な信仰生活の実践を求めました。メソジストという名前の由来は、その信者たちの几帳面で厳格な生活を見たオクスフォード大学の学生たちが、彼らを「方法論者」(メソジスト)というあだ名をつけたことがきっかけだとされています。
メソジスト教会そのものは、ウェスレーの死後、イギリス国教会から独立する形で成立しましたが、本国イギリスでは、それほどの勢力にはなりませんでした。しかし、アイルランド、アメリカ、ドイツなどに早くから布教され、とりわけアメリカでは大きく発展しました。
1760年代にアメリカにもたらされたメソジスト運動は、バージニア州やニューヨーク州で定期的に集会が開かれ、1784年にアメリカ・メソジスト教会として、正式に組織として認められました。
その後、アメリカ国内では、19世紀初頭、ドイツ系アメリカ人が多い中西部や、西部の開拓地で目ざましい成功を収め、1840年には、アメリカ最大の教派にまで教勢を伸ばすことに成功しました。現在は、バプティスト派(後述)に首位の座を奪われていますが、メソジスト派は、その信徒数がアメリカの人口の約5%に相当する推計およそ1300万人と、国内で2番目に多いプロテスタント教団となっています。なお、アメリカ・メソジスト派は現在、連合メソジスト教会、アフリカ・メソジスト基督教会など10以上のグループで構成されています。
- 聖公会
聖公会は、イギリスのヘンリー8世が自分の離婚問題でローマ法王と対立して創設したイギリス国教会のことです。カトリック教会から分離したので、プロテスタントに属しますが、教義はカトリックに近いので、厳密にはプロテスタンとは言い難いとの指摘もあります。
聖公会は、アメリカ独立戦争以前はイングランド国教会の一部で、聖職者の就任においてもイギリス国王の承認を得る必要がありましたが、1776年にアメリカがイギリスから独立した際に、米国聖公会が創設されました。
アメリカにおける信徒数はおよそ300万人とされ、富裕層や社会上層部に信者が多いという特徴があります。歴代のアメリカ大統領の1/4、米国議会の半分が聖公会の信者とも言われています。また、中絶と同性愛を公認するなど、国内のキリスト教諸教派の中で最もリベラル寄りだと評されています。
プロテスタントのルター派、メソジスト、聖公会は、カトリック教会や東方正教会のように、「司教・司祭・助祭(輔祭)」の叙任制度を採用する監督制(主教制)を採用している特徴があります。本来、プロテスタントは、神と人は聖書を通じて直接つながると主張するので、信者を監督・指導する役職者を置くことに対して、他のプロテスタント宗派からは批判を受けています。
- 長老派(改革派)
改革派/長老派は、カルヴァン派の流れを汲む宗派です。両者に違いはなく、教義もルター派に比べて原理主義的であるという点でも同じです。改革派の信仰は、聖書によって改革され続けるというカルヴァンの教えを堅持したもので、スコットランド、ドイツ、フランス、オランダなどで広まりました。スコットランドに伝えられた時、改革派は、長老派(プレスビテリアン)と呼ばれる宗派になり、独立後の1789年にアメリカへ入ってきました。ゆえに、アメリカでは改革派ではなく長老派と呼ばれます。
なぜ長老派と呼ばれたかといえば、改革派(長老派)が教会の運営において、長老制度を採用していたからです。この制度では、一般信者のなかから経験の深い指導者を選挙で選んで長老(治会長老)とし、長老たちが長老会で教会運営の方針を決め、牧師と共に指導に当たります。信者の総会で選ばれる牧師も、教会の仕事を託されるだけで、一般信者と身分的には全く変わりません。この個人主義的で民主主義志向が強い制度が、アメリカ社会に広く受け入れられました。
ただ、カルヴァン派の厳格な教義のためか、かつて、マサチューセッツ植民地では「魔女狩り」やクエーカーなど他宗派の信者に対する迫害もあったと指摘されています。なお、アメリカで独立以来、主力であったアメリカ合衆国長老教会は、1983年に組織替えしUSA長老教会となっています。
- 会衆派
会衆派の起源は、イギリスの宗教改革で、エリザベス1世の宗教改革を徹底していないものとして、イギリス国教会を批判した、国教会司祭らが分離派改革運動を興しました。教会は国家から独立し、教会自身の手のみによって改革されなければならないと説く分離派は、国教会側から弾圧され、1620年、アメリカに渡りました。会衆派教会は、信仰の自由を求めて、いわゆるピグリム・ファーザースが創設した教会です。
会衆派は、彼らがたどり着いたニューイングランドの支配的な教会となり、以後、アメリカの政治、社会の思想に大きな影響を与えています。特に、教育に関心を示し、ハーバード、エール、スミス、アマーストなど多くの大学を設立しました。なお、同志社大学を創設した新島襄はアマースト大学で学びました。
もともと会衆派は、イギリスではピューリタンでありカルヴァン派の流れを汲むので、聖書の絶対性を強調する原理主義的な要素が強いのですが、いかなる教会的・教理的信条にも拘束されない自由を尊重していると評されています。
組織的にも、会衆(信徒)一同の総意により教会運営を行なう民主的な会衆制をとっています。これは、宗教改革において重視された、神の前では誰もが平等という「万人祭司」の発想を、現実の教会運営にも適用したもので、長老制の代議員制度さえ「万人祭司」の教義に反すると批判するほど徹底しています。
したがって、会衆派は、リベラル(自由主義的)な傾向を持ち、奴隷制に反対するなど人道主義的な思想や運動を展開しています。
- ディサイプルス派
ディサイプルス派は、19世紀初期にアメリカの教会間に起こった教会合同運動の結果、誕生しました。彼らの主張は、個々の教会の自主性を重んじ、一般の信徒も牧師、伝道師と等しくキリストのディサイプル(使徒、弟子)であるということにあり、機構的には会衆派に属すると言えます。
ディサイプルスの運動は、アイルランド人で長老派教会の牧師トマス・キャンベルが1807年にアメリカのケンタッキー州に移住したことから始まりました。移住後、母国アイルランドの長老派教会が決定した会員規則の履行をアメリカの教会にも求められたことに、違和感を覚えたキャンベルは、本国教会とは距離を置き、独自の団体を組織しました。すると、同じ長老派教会のカルヴァン主義への疑問も訴える人々や、バプティスト派から分離する信徒グループと1832年に合同し、ディサイプルスが結成されました。
この合同により、「聖書復帰運動」が活発になり、ディサイプルス派は、当時、道徳的に荒廃したアメリカ中西部で勢力を拡大させました。特に、1849年に、アパラチア山脈を越えて西部開拓民の伝道にも力を尽くしました。
その後、チャーチ・オブ・クライスト派(礼拝に一切の楽器を使用しない無楽器派)やファンダメンタリスト(原理主義者)のクリスチャン・チャーチがディサイプルス派から分離しましたが、ディサイプルス派は現在、アメリカにおいて約130万人の信徒を抱え、バプテスト派やメソジスト派と共に大きな勢力を保っています(ただし、将来的な凋落を懸念する専門家の予測もでている)。なお、ガーフィールド、ジョンソン、レーガンの3人のアメリカ大統領は、ディサイプルス派の所属でした。
<福音派プロテスタント>
- バプティスト派(南部バプティスト派)
バプティスト派は、17世紀のイギリスを発祥とし、会衆派と同じ清教徒分離派の流れを汲みます。牧師のジョン・スミスの指導の下、バプティスト派の主張は、儀式的な幼児洗礼を否定し、信仰告白に基づいた成人の洗礼を重視する個人の自覚的信仰と、教会の独立でした。しかし、イギリス国教会からの弾圧が厳しかったことから、1620年、ピグリム・ファーザースの一団の中に、バプティスト派の信仰者も加わって、新大陸を目指しました。
バプティスト派は、急進的な改革推進者であったことから、当初、聖公会(英国国教会)などから、新天地においても弾圧を受けていましたが、1639年、神学者のロジャー・ウイリアムズらによって、アメリカの最初のバプティスト教会が設立されるなど徐々に浸透していきました。この時のバプティスト派の「信教の自由」と「宗教と国家の分離」の主張は、後の「アメリカ合衆国憲法」に大きな影響を与えたとされています。
その後、アメリカで「大覚醒」と呼ばれる信仰の復興運動が起きた1730年代から、バプティスト派は発展の時期を迎え、すでにアメリカで一番大きなプロテスタント宗派と言われるまで成長しました。
しかし、1830年代、それまで神の前に人は平等で、奴隷制度を否定していた南部のバプティストは、独立戦争後に次第に保守化し、当時、南部社会・経済に必要不可欠であった奴隷制度を擁護し始めました。その一方で、北部のバプテストの多くは奴隷制度廃止運動に積極的に参加するようになり、同じバプティスト派内で意見の対立が深刻化してくると、1845年、南部のバプテストは、南部バプテスト連盟(SBC)(本部をテネシー州ナッシュビル)を結成しました。こうしして、バプティスト派は、南部バプティスト教会と北部バプティスト教会に分裂し、現在に至っています(北部のバプティストは、北部バプテスト同盟として存続しているが、信徒数160万人程度と少数派)。
二派に分裂したバプティスト派ですが、南部バプティスト派は、アメリカのプロテスタント系キリスト教の最大教派の地位を維持しています。南部出身の大統領として注目されたカーター元大統領も所属していました。黒人層にも浸透しており、南部に多い黒人教会の3分の2はバプティスト派とされています。黒人の公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師もバプティスト派でした。
キリスト教右派に分類されている南部バプティスト派は、他の教会や信徒団体と比較して、神学的・政治的に保守で、キリスト教原理主義(福音主義、根本主義)の代表的教会とされています。聖書無誤説(聖書原典の内容は、あらゆる面で完全に正しいとする立場)に立って、聖書の記述を文字通りに信じて、例えば、ダーウィンの進化論を否定する人々も多くいます。生き物は、全ては全能の神が作ったもので、今、地上にいる生き物は、ノアの方舟に乗って生き延びたものばかりであるから、ヒトがサルから進化したわけはないと考えるのです。
バプティスト派は、元来政治と決別していましたが、南部パブティストの場合、その保守性と信徒数から、政治的にも大きな勢力を保っています。
- ペンテコステ派
ペンテコステ派は、メソジスト派の中から生まれた福音主義的な宗派で、聖霊の賜物、特に、人がそれまで知らなかった言葉を聖霊によって話す「異言」を強調します。1901年、アメリカのカンザス州で行われたメソジスト派の祈祷会で、神父を含めた参加者が、聖霊による力、神より賜った力(=カリスマ)と言われる「聖霊のバプテスマ」を体験し異言で神をほめたたえたことがペンテコステ派の契機となったとされています。
1906年には、ロサンゼルスのアズーサ通りで集会を行ったところ、信徒のなかの一人がエクスタシー(恍惚)状態に陥り、異言を語る現象が起こりました。このことがロサンゼルスの新聞に掲載されると、人々に異言を伴うリバイバル(信仰復興)が起き、その集会は約三年にわたって続きました。その間、北アメリカの各地から、またヨーロッパなど海外から参加者が訪れ、全米だけでなく、世界中に広まり多くの新しいペンテコステ教会が形成されました。
ペンテコステの影響は、ただ一派にとどまらず、プロテスタント諸教派やローマ・カトリック内にさえ及んでいるため、ペンテコステ派と呼ぶよりは、むしろペンテコステ運動と呼んだほうがよいという意見もあります。
ペンテコステ派の発展の原動力は、そうした聖霊体験による非常な活力、自分の信仰を他の人々と分かち合う共同意識、全員が思いのままに参加できる自由形式の礼拝などがあげられます。その中でも、信者間で、神秘的な体験を分かち合うという意味で、数々の賛美歌やゴスペルを生み、現代音楽にも大きなインパクトを与えたと評されています。また、ペンテコステ派の成長においては、病気のいやしや、悪霊追放を行なうカリスマ的な伝道者も、重要な役割を果たしました。
福音派とメガチャーチ
バプティスト派やペンテコステ派を代表する福音派(エヴァンジェリカル)と呼ばれる人びとは、昨今、アメリカ政治を動かしているという指摘があります。「聖書は神の言葉」を合言葉にして、進化論も否定する人々もいる原理主義キリスト教徒とも呼ばれる福音派は全米で少なくとも25%、6000万人を超える大集団になっていると見られています。
もともと、福音主義派は、アメリカの支配階級と言われるWASP(ホワイト、アングロ・サクソン、プロテスタント)を代表する勢力とされてきましたが、近年、大学生や卒業したばかりの若年層を多く抱え、居住区域では、郊外の中の「新興住宅街」「ニュータウン」で、所得の高い信者が急増しています。
福音派の隆盛の原動力となっているのがメガチャーチです。メガチャーチ(超巨大教会)とは、礼拝出席者が2000人以上のプロテスタント系の教会で、福音派、とりわけ、その運営手法において、ペンテコステ派の影響を多大に受けている教会とされています。
その数は、1960年には15か所程度でしたが、2000年以降は600に膨れ上がり、現在アメリカ全土で、1300ものメガチャーチが存在しているとされています。アメリカ最大級のメガチャーチは、テキサス州のレイクウッド教会(メンバー4万7千人)で、ほかにも南カリフォルニア州のサドルバック教会(2万2千人)などがよく知られています。
メガチャーチでは、参加者1万人を超える礼拝の模様は、ケーブルテレビ、衛星放送、インターネットなどを活用して、全米中に実況されています。カリスマ的なテレビ伝道師やスター牧師が登場し、陶酔的演説を行い、信徒たちは心を打たれ、プロが歌うゴスペルに聞き惚れるというように、メガチャーチの礼拝はまるで人気歌手のポップスコンサートのようだと指摘されています。メガチャーチは「ディズニー・チャーチ」と揶揄されているほどです。
メガチャーチの先駆けになったのがブッシュ親子を熱烈に支持してきた宗教原理主義者と名高いビリー・グラハム牧師や、メガチャーチの生みの親と言われ、また宗教界のオカルトと異名をとるロバート・シューラー師らの活動で、ほかにパット・ロバートソン、ジョン・ヘギーといったテレビ伝道師がプロテスタント界のリーダー的存在となっています。
このメガチャーチは巨大な政治勢力となり、戦争容認、増税や社会福祉の充実に反対、銃規制反対、進化論教育の禁止、妊娠中絶手術の反対、同性愛の拒否など、現実の政策の多くに鮮明な共和党色を出し、右派共和党最大の支持基盤となっています。
- 黒人教会
黒人教会は、アメリカで、会員がアフリカ系アメリカ人(黒人)信者によって占められるプロテスタント系キリスト教教会の俗称で、公式には使われません。かつての奴隷制や人種隔離政策の影響によるもので、バプティスト派やペンテコステ派など様々なプロテスタントの宗派内に存在しています。ゴスペル音楽や礼拝の進行、牧師の語り口調等にアメリカの他の教会とは異なるスタイルがあるようです。オバマ元大統領も所属しており、アメリカのキリスト教全体の約7%と比率は低いのですが、一定の影響力を保持しています。
- クエーカー(フレンド派)
クエーカーは、会衆派やバプティストとともに清教徒分離派の一派で、17世紀イギリスのピューリタンであったジョージ・フォックスを初代指導者とする覚醒運動(安住している信徒の宗教的情熱を呼起し,新しい信徒を獲得しようとする運動)から始まりました。彼らが「クェーカー」とも呼ばれるのは、全身全霊を込め、神の威光に体をふるわせながら祈ったことに由来します。礼拝にも特徴があり、聖職者不在の中、誰かが語り始めるまで沈黙を保つという沈黙集会(静粛集会)という形態でも行われます。
「友愛」を重んじ、質素な生活を尊ぶクェーカーは、アメリカでも、アメリカ・インディアン先住民を含む多くの信者を獲得しました。また、聖書の証言から奴隷制が悪として、最初の奴隷解放運動を興したことでも知られています。
多くのクエーカーは、自分たちの教義をプロテスタントでもカトリックでもないと考えているそうですが、保守(福音派)かリベラル(主流派)かと言われれば、リベラル的な宗派と言えるでしょう。なお、日本では、明治・大正期の教育家・新渡戸稲造が、フレンド派(クエーカー)でした。
<カトリック教会>
アメリカはプロテスタントの国ですが、国民の約25%がカトリック教徒であることも注目されます。信者の数は着実に増え、7000万人を超え、宗派別では最大です。この要因は、ラテンアメリカからの移民の増加にあり、アメリカでは、カトリック教徒の約60%がヒスパニック系アメリカ人とされています。
また、歴史的には、アメリカのカトリック教会は、ローマ教皇から一定の自主独立性を得て、教会運営をすることができるようになったことが、カトリックのアメリカ化の要因とされています。教会には信者の自治方式が採用されているほか、ラテン語の祈祷は廃止されて、聖書も英語が正本となっています。
アメリカのカトリック教徒は、生活信条も柔軟で、政治的にはリベラルな民主党を支持する人々が多くいます。なお、ケネディ大統領は、アイルランド系カトリック信者で、カトリック教徒として初めて大統領になりました。
<新宗教>
キリスト教系の新宗教として分類される教団としては、モルモン教やエホバの証人がよく知られています。伝統的な立場にあるカトリック・プロテスタント・正教会は、多くの新宗教を、「カルト的」として、キリスト教の正式な宗派とは見なさず、「異端」としています。
- モルモン教
モルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会)は、1827年、当時18歳のヴァージニア州の少年ジョセフ・スミス・ジュニアが、旧約、新約に続く、アメリカを舞台にした第3の聖書「モルモン書」を近所の丘で掘り出したことから始まります(教団設立は1830年)。モルモン教という呼称はこの教典のひとつであるモルモン書に由来します。
モルモン教では、8歳まで洗礼を行わず、また全身を水に浸す全浸礼を行います。この点はバプティスト派などに類似していますが、キリスト教と明確に違う点は、「三位一体を否定し、キリストは滅びておらず神に人を救うようとりなしている」と考えていること、また、「死後に悟りの期間が定められ、最後の審判までに回心すれば神の国に入れる」と教えている点などがあげられます。
キリスト教徒から見れば、素性の怪しい聖典を敬う異端の宗派として捉えられています。そこで、初期のモルモン信者は迫害を避け、西部が全く開拓されていない時代であったにも拘わらず、1844年に、荒野のユタの地に集団移住しました。そのユタ州は、1890年にモルモン教が一夫多妻制を廃止するまで、合衆国に編入を認められませんでした。
ユタ州では、今でも60~70%の州民がモルモン教徒で、2012年の共和党の大統領候補になったロムニー元マサチューセッツ州知事はモルモン教徒でした。アメリカの宗派別平均所得では、トップとの試算もあります。
- エホバの証人
アメリカで始まった「エホバの証人」は、1870年代にチャールズ・テイズ・ラッセルによって設立されました。「エホバの証人」という名称には、宇宙の至高の支配者であり、すべてのものの創造神であるエホバについての真理を語る人、という意味が込められているそうです。信者数はアメリカで約120万とされ、全世界で活動しています。機関紙「ものみの塔」でも知られています。
カトリックや正教会、プロテスタントなどの主流派キリスト教会が信じる「三位一体説」や「イエス・キリストの神格化」などの基本信条を否定する立場をとっており、神は唯一神エホバ(ヤフア)であり、キリストは神の子で、天使長ミカエルと同一であるとしています。
また、現代の世界は、悪魔サタンの支配下にあり、やがて終わりの日に、キリスト率いる神の軍団との大戦争(ハルマゲドン)により人類に対するサタンの支配を終わらせ、神の王国(世界政府)が確立すると伝えています。
エホバの証人の信者は、輸血を拒否すること、格闘技に参加しないこと、兵役や葬儀の一部儀礼を拒んだりすることで知られ、世間から異端視される傾向にあります。輸血拒否については、旧約聖書のノアが方舟で洪水を生き延びた場面で神さまに「生き物を食べるのはよいが、血(=魂)が残っている肉を食べてはならない」と言われたことが根拠だそうです。
<参考投稿>
プロテスタント教会:ルター発の聖書回帰運動
<参照>
アメリカ人とキリスト教 ② プロテスタントとカトリック …
各種Wikiedia情報より
(2020年11月2日、最終更新日2022年6月22日)