9.11から21年 アメリカのテロとの戦いは今
アメリカの同時多発テロから今年2022年で21周年になる。テロの脅威を忘れなないためにも、あの事件を風化させてはなりません。
ハフポスト紙が、「アメリカ同時多発テロはなぜ起きたのか。“史上最悪”のテロ事件を写真で振り返る【9.11から21年】」と題した記事を出してくれました。同時多発テロの発生の背景から、実際の惨事から、その後のアメリカのテロとの戦いについてまとめた記事で、今私たちが知るべき内容がすべて書かれていたので、まずはそのまま引用します。
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2977人の命が奪われたアメリカ同時多発テロから21年。史上最悪のテロ事件はなぜ起こったのか。
(2022年09月11日、ハフポスト日本版編集部)
民間機4機が国際テロ組織にハイジャックされ、日本人24人を含む2977人が犠牲になった、アメリカ同時多発テロ(9.11事件)から11日で21年を迎える。航空機が世界貿易センタービルに激突する瞬間や、ビルが白煙を巻き上げながら崩れ落ちていく映像がリアルタイムで放送され、その惨劇は世界を震撼させた。多数の民間人の命を奪う「対テロ戦争」の発端にもなった“史上最悪”のテロ事件は、なぜ起こったのか。事件現場はその後、どう変わったのか。写真と資料で振り返る。
2977人が犠牲に
2001年9月11日午前8時46分、乗客乗員計92人を乗せたボストン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空11便が、ニューヨークの世界貿易センタービル北棟に衝突した。その17分後、乗客乗員計65人を乗せたユナイテッド航空175便が、世界貿易センタービルの南棟に突入。午前9時37分には、バージニア州の国防総省(通称ペンタゴン)に、アメリカン航空77便が激突した。午前10時3分、ペンシルベニア州・シャンクスビルの平野に最後の1機のユナイテッド航空93便が墜落した。2機が衝突した世界貿易センタービルは、11日午前10時〜10時半ごろにかけて相次いで崩れ落ちた。
一連のテロ事件の犠牲者数は2977人に上った。その中には、建物内で生存者の救助活動にあたっていた警察官や消防隊員も含まれている。現場で有害物質を吸い込んだり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したりと事件による健康被害に今も苦しむ人は多い。
ハイジャックした19人の実行犯たちは、国際テロ組織「アルカイダ」のメンバー。航空機4機に4〜5人ずつ乗り込み、全員死亡した。ペンシルベニア州の平原に墜落したユナイテッド航空93便は、乗客と乗員たちがハイジャック犯に抵抗したため、標的であるワシントンD.C.のホワイトハウス(アメリカ合衆国議会議事堂とする説もある)に到達しなかった。
国際テロ組織「アルカイダ」とは
9.11事件を引き起こしたアルカイダは、1989年に誕生した国際テロ集団。どんな組織なのか?ソ連軍は1979年、アフガニスタンに侵攻する。ソ連軍の駆逐を目的とした「ジハード」(聖戦)に参加するため、アラブ諸国の若いムスリム(イスラム教徒)を中心とする義勇兵たちが、アフガニスタンや隣国パキスタンに向かった。
1989年にソ連軍がアフガンから撤退すると、対ソ連で戦った抵抗勢力の間で内乱が発生した。こうした中、一部のアラブ人義勇兵たちによって次のジハードを戦うための組織アルカイダが結成された。アルカイダの幹部らにとって、戦場を失った義勇兵たちの処遇は喫緊の課題だった。
1990年の湾岸危機で、米軍がメッカとメディナというイスラム教の2大聖地があるサウジアラビアに駐留したことは「異教徒の軍隊がイスラムの聖地を占領している」とみなされ、攻撃の対象とされた。アルカイダの論理はエスカレートし、サウジアラビア駐留軍だけでなく、全てのアメリカ人を「標的」とするようになった。
アルカイダの最高指導者のオサマ・ビン・ラディンは、2011年5月2日、パキスタンでアメリカ軍特殊部隊に殺害された。
泥沼化した「対テロ戦争」
アフガニスタンを支配していたタリバン政権は、アメリカ同時多発テロを計画したアルカイダ指導部の引き渡しを拒んだ。そのため2001年10月、アメリカはイギリスなどとともにアフガニスタン攻撃を開始。タリバン政権を壊滅させた。以降、アメリカや同盟国による「対テロ戦争」が激化していく。
1990年代後半から、米共和党内部で活発に活動していた「ネオコン」と呼ばれる新保守主義者たちは、特に9.11事件以降、積極的にイラクのフセイン政権打倒を主張していた。ネオコンの特徴の一つは、自由主義や民主主義といったアメリカの価値観を、軍事力や経済力を行使したとしても他国に広める、という思想だ。アメリカは開戦理由として、イラクが化学兵器や核兵器などの大量破壊兵器の開発を進めて保有していることや、アルカイダとつながっていることを挙げた。イラクはいずれの疑惑も否定し続けた。
「大量破壊兵器」は見つからなかった
イギリスや日本など一部の国を除き、イラクへの軍事攻撃に対する慎重論が上がっていた。しかし、アメリカは2003年3月20日、イラクへの武力攻撃を開始(イラク戦争)。アメリカ、イギリス、オーストラリア、ポーランドの4カ国でつくる有志連合軍は、イラク各地で大規模な空爆を行った。
当時日本の首相だった小泉純一郎氏は、攻撃開始直後に談話を発表。「我が国の同盟国である米国をはじめとする国々によるこの度のイラクに対する武力行使を支持します」との立場を示した。
イラク戦争では空爆や、それに対抗して繰り返された自爆テロにより、イラクの多数の民間人が犠牲になった。2004年10月には、イラクの大量破壊兵器の捜索を担当していたアメリカの調査団による最終報告書が議会に提出された。イラクには大量破壊兵器は存在せず、開発計画もなかったと結論づけるものだった。その後、米兵によるイラク人への虐待や性暴力といった非人道的な行為も次々に暴かれた。
イラク戦争と、戦後のイラク国内の治安悪化で、アメリカに対する憎悪はますます膨らんだ。欧米など世界各地でテロ事件を計画・実行する過激派組織「IS」の誕生へとつながっていく。
タリバンの復権
タリバン政権は2001年の崩壊後、どうなったのか。その後もタリバン自体は壊滅せず、中央政府の手の届かない地域で力を蓄え、武装勢力として駐留米軍やアフガン政府軍と約20年にわたって戦った。2021年5月、アメリカ政府が米軍のアフガン撤退を本格化させると、タリバンは各地でアフガン政府軍を圧倒し支配地域の拡大を急速に進めた。8月15日に、タリバンは首都カブールを制圧した。
アルカイダは2011年のビンラディン殺害後もタリバンに忠誠を誓い、両者の深いつながりが指摘されている。一方、2020年にタリバンは米国と和平合意を結んだが、そのときの条件の一つは、タリバンがアルカイダとの関係を断絶することであった。
「グラウンド・ゼロ」はいま
世界貿易センタービル跡地は、「グラウンド・ゼロ」(爆心地)と呼ばれる。グラウンド・ゼロには、事件を伝える「9.11メモリアルミュージアム」が設置されたほか、犠牲者を悼む記念碑も整備された。超高層ビル「ワンワールドトレードセンター」なども建設され、2棟のタワーが崩壊した事件直後とは全く異なる表情を見せている。
毎年9月11日には、グラウンド・ゼロなど事件現場で追悼式典が行われている。9月11日夜〜翌朝まで、世界貿易センタービルの2棟に見立てた青い光のツインタワー「追悼の光」(Tribute in Light)が、ニューヨークの空を照らし出す。
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記事にもあるように、2001年9月11日、米同時多発テロ後、実行犯の主犯格のオサマ・ビンラディンらアルカイダの指導者らを匿っているとして、アフガニスタンに軍事介入し、タリバン政権を打倒しました(米アフガニスタン戦争)。しかし、壊滅したかにみえたタリバンでしたが、武装勢力として、駐留米軍やアフガン政府軍に抵抗を続けました。2021年、アメリカ政府が米軍のアフガニスタン撤退を本格化させるのに合わせるかのように、力を再び蓄えてタリバンは各地で支配地域の拡大を急速に進め、同年8月、タリバンは首都カブールを制圧し、再びアフガニスタンを支配しました。アメリカのアフガニスタンにおけるテロとの戦いは、結局、失敗に終わったとしか言えません。
では、同時多発テロ後、G.W.ブッシュ大統領が宣言したアフガンも含めた世界中の「テロとの戦い」はどうなったのでしょうか?
G.W.ブッシュ大統領は、「テロとの戦いは冷戦より長くなる」と長期戦を示唆しました。実際、アメリカは、アフガニスタンのタリバン政権を崩壊させた後は、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指し批判し、イラクに対しても戦争を仕掛け、イランとの対立は現在も続いています。また、ブッシュ大統領は、「民主主義を世界に広める」とも宣言し、オバマ政権の2010年から2012年にかけておきた「アラブの春」で一部実現したという見方もできます。
1990年台から2000年台初頭まで、まだ冷戦後の世界秩序が模索されていた中、同時多発テロが発生したわけですが、当時から注目されていた理論に、国際政治学者ハンチントンの「文明の衝突」がありました。
ハンチントンは、世界の文明圏を、西欧文明(欧米豪)、スラブ・東方正教会文明、中華文明、日本文明、ヒンズー文明、イスラム文明、ラテン・アメリカ文明、アフリカ文明の8つの文明圏に分類し、これからの世界は、イデオロギーの対立から文明の衝突が起きると予測しました(想像に難くないことですが、西欧文明がすべての戦いに勝利することが期待されているでしょう)。
論文の発表から8年後の2001年にアメリカ同時多発テロ事件がおき、その後、アフガニスタンやイラクとの戦争というように、冷戦後「テロとの戦いの時代」となったと、ブッシュ大統領が宣言したことから、「文明の衝突」はまさに冷戦後の世界を予見した研究として一躍注目されたのです。
さらに、一部の保守派は、「テロとの戦いはイスラム文明との戦い」と強引に解釈し、現代は西欧文明とイスラム文明の戦いに突入したとみなされるようになりました。仮にこの見解が正しいとして、西欧文明の旗手アメリカは、イスラム文明(ここではイスラム原理主義)との戦いに勝利したのかというと、決してそうではないでしょう。むしろ、アメリカはイスラム文明との戦いを拒否しているように思われます。
では、ハンチントンの「文明の衝突」は、これからの世界の先行きを占う予言書ではなかったのかというと、これは早急に結論付けできません。
「文明の衝突」によれば、イスラム(テロ)との戦いの後には、中華圏、スラブ圏、ヒンズー圏などとの戦いがあると読むこともできます。ハンチントンはすべての文明圏との対立は想定していないようですが、現状では、中華文明、ロシア文明(スラブ・東方正教会文明)との対決は、決して否定できないでしょう。
アメリカの外交戦略を歴史的にみれば、理論を現実化するという傾向があるように思えることから、今後もハンチントンの「文明の衝突」からは目を離せません。
<この記事のさらなる理解のために>
(2022年9月13日更新)