帝国憲法60~61条:特別裁判所の設置は悪いこと?

 

私たちが学校で教えられてきた「明治憲法(悪)・日本国憲法(善)」の固定観念に疑いの目を向ける「明治憲法への冤罪をほどく!」を連載でお届けしています。今回は第5章「司法の中の特別裁判所について考えます。

 

帝国憲法では、60条と61条に「特別裁判所」に関する規定がありますが、両条は密接に関連するので同時に解説していきます。具体的に条文を読んでいく前に、特別裁判所を理解するための基礎知識を確認しましょう。

 

◆ 司法制度について

通常、裁判は、事件の種類により①刑事裁判、②民事裁判、③行政裁判に分けられます。

 

  • 刑事裁判刑事事件を扱う裁判で、刑事事件とは、国家が殺人、窃盗などの罪を犯した者に対して、刑法の適用によってその犯罪が問われる事件です。
  • 民事裁判:民事事件を扱う裁判で金銭貸借、相続、離婚、契約など私人(個人や企業)間の権利義務をめぐり争います。
  • 行政裁判:行政事件が扱われ、行政事件は、例えば、税金の滞納に対して行われた財産没収や罰金などの課税処分など、国や地方公共団体が私人に対して行った処分(処理や処罰のこと)などの行政行為に対して、私人がそれを不服として提訴することで始まる訴訟事件です。

 

さて、特別裁判所とは、特別の人間または特別の事件を扱う裁判所であり、かつ最高裁判所を頂点とする通常裁判所の系列から独立した裁判所を言います。

 

帝国憲法下において、刑事事件と民事事件を扱う通常裁判所としての司法裁判所以外に、行政事件を扱う行政裁判所、陸海軍人を対象とした軍法会議、皇族間の民事訴訟等を管轄する皇室裁判所がありました。

 

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帝国憲法 第60条(特別裁判所)

特別裁判所ノ管轄ニ属スヘキモノハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム

特別裁判所の管轄(権限の及ぶ範囲)に属すべきものは、別に法律で定める。

 

帝国憲法 第61条(行政裁判所)

行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ 別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ 司法裁判所ニ於(おい)テ受理スルノ限ニ在ラス

行政官庁の違法処分により権利を侵害されたという訴訟で、別に法律をもって定めた行政裁判所の裁判に属するべきものは、司法裁判所において受理するものではない。

 

61条の現代語訳をさらに意訳すれば、「行政裁判所で審理される行政事件は、司法裁判所で裁判されない」、つまり、「行政事件の裁判は、司法裁判所ではなく行政裁判所(行政事件を担当する裁判所)で行われる」と述べています。

 

なお、本条の冒頭にいう「行政官庁の違法処分に由(よ)り権利を傷害せられたりとするの訴訟」とは、行政訴訟のことで、役所が行う行政処分(行政機関が禁止や取消しまたは許可といった命令を行うこと)に対して不服である場合に行われるものです。

 

<既存の解釈>

日本国憲法では、平等な裁判を確保するため、また法解釈の統一性を確保するため(司法裁判所と行政裁判所で法解釈が異ならないようにすること)といった理由などから、帝国憲法で認められていた特別裁判所の設置が禁止され、刑事事件から民事事件、行政事件すべてを管轄する司法裁判所のみ存在している(軍法会議と皇室裁判所は廃止)。

 

日本国憲法 第76

②特別裁判所は,これを設置することができない。行政機関は,終審として裁判を行うことができない。

 

これに対して、明治憲法下では、司法権は刑事・民事の裁判にのみ及び、行政事件の裁判には及ばないため、行政事件を扱う行政裁判所が存在した。そのため、政府など行政機関による人権侵害に対しては、行政裁判所に訴えなければならなかった。

 

しかし、行政裁判所は東京に一つだけしかなく、その裁判は一審だけで上訴はできず、しかも裁判官は行政官が務めていた。旧憲法下の裁判制度は、人々の人権を真に守るような制度ではなかったと言える。

 

そこで、日本国憲法では、「司法権」に刑事・民事事件だけでなく行政事件の裁判も含まれ、司法裁判所がすべての事件を管轄し、平等な裁判や、法解釈の統一性が確保されていた。

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では、帝国憲法の起草者、伊藤博文と井上毅らが、特別裁判所を認めた真意は何だったのでしょうか?

 

<善意の解釈>

帝国憲法起草者の伊藤博文は、帝国憲法の解説書である「憲法義解」の中で、司法裁判所とは別に行政裁判所を設置した二つの理由を次のように説明しています。

 

まず、権力分立の観点から、司法権が独立を必要とするように、行政権もまた司法権に対して均しくその独立が必要とされます。つまり、行政のことは行政で処理することが期待され、憲法や法律で委任された行政官の決定(処分)(行政権の処置)を、司法裁判所が取り消すことはできません。仮にそうすることができるなら、行政官は裁判官に従属することになってしまいます。

 

もしこの行政官が行政訴訟における裁定の権を有しない時は、行政の効力は麻痺してしまい、社会の便益と人々の生活の便宜を図るという憲法上の責任をつくすことができなくなってしまいます。

 

司法裁判の外に行政裁判の設置を要する理由の2つめは、行政裁判は、行政に関する知識の乏しい司法官による裁判になじまないからです。公益を保持することを目的とした行政の処分(決定)は、時として、公益を優先して、私益を制限する場合があります。そうした行政処分の機微については、司法官の通常慣熟しないところであり、これをその判決に任せるのは、国民の権利を守ることができないというリスクがあることを免れません。ですから、行政の訴訟は、必ず行政の事務に精通した行政官が行わなければならないとみなされていたのです。

 

ただし、行政裁判所の構成は、必ず、国民の代表である議会が決定する法律をもってこれを定める必要があります。実際、帝国憲法60条でも「特別裁判所の管轄に属すべきものは別に法律をもってこれを定む」(特別裁判所における規定は、全て法律を以てなされなければならないと規定しています。

 

伊藤博文は、この条文が、政府の「命令」等で特別裁判を設けることはできないということを意味し、行政の権限で司法権を侵し、臣民(国民)の為の司法の府を奪うことはできないことを意味すると、「憲法義解の中で述べています。こうして考えると、60条は人々の人権を守るために、法律で以て、恣意的な裁判が行われないようにすることを規定した条文といえます。

 

◆ 欧州では当然の特別裁判所

「明治憲法(悪)・日本国憲法(善)」という考え方が浸透していると、帝国憲法で特別裁判所が認められ、日本国憲法ではその設置が禁止されているという事実から、特別裁判所を設けること自体が悪いことかのように思われがちですが、まったくの誤解です。

 

特別裁判所制度は、英国以外の欧州全域において、現在でも独仏伊はじめ欧州で広く採用されています。例えば、ドイツでは民事刑事の一般事件を管轄する「通常裁判所」のほかに、「憲法裁判所」、「労働裁判所」「行政裁判所」、「社会裁判所」、「財政裁判所」が存在します。その背景には、専門的判断をすべて一つの裁判所(日本では司法裁判所)に判断させるのは無理があるという見解があるからです。

 

つまり、前述したように、欧州で特別裁判所が認められているのは、一人の裁判官が、行政や財政などの専門的なあらゆる分野について詳細な知識と見識を持つことは不可能だと考えられているからです。

 

また、特別裁判所が存在する帝国憲法下の裁判制度は、人々の人権を真に守るような制度ではなかったという批判がありましたが、特別裁判所制度をいまでも採用している欧州各国で、そのために基本的人権の問題が生じているという話しは聞こえてきません。

 

日本国憲法で特別裁判所が禁止されたのは、単に戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が、日本において司法権を米国式の司法裁判所に集約させる制度に改めさせたというだけに過ぎません。

 

◆ 行政裁判所は特別裁判所でない!?

なお、明治憲法下、行政事件の裁判は、本来的に行政権の作用として位置づけられていたため、行政裁判所は、すでに司法裁判所と並列して存在するとの前提があり、厳密には特別裁判所とはみなされていませんでした。ですから、明治憲法において、60条(特別裁判所)と61条(行政裁判所)と前の60条(特別裁判所)が並置されていたのです。もっとも、広義には、通常の司法裁判所の以外の系列を特別裁判所という定義に従えば、行政裁判所も特別裁判所であるといえます。

 

 

<参照>

帝国憲法の他の条文などについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 明治憲法への冤罪をほどく!

日本国憲法の条文ついては、以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法のなりたち

 

 

<参考>

明治憲法の思想(八木秀次、PHP新書)

帝国憲法の真実(倉山満、扶桑社新書)

憲法義解(伊藤博文、岩波文庫)

憲法(伊藤真、弘文社)

Wikipediaなど

 

(2022年11月8日)