私たちが学校で教えられてきた「明治憲法(悪)・日本国憲法(善)」の固定観念に疑いの目を向ける「明治憲法への冤罪をほどく!」を連載でお届けしています。今回は、第2章「臣民権利義務」の「表現の自由(29条)」について考えます。一般的には、戦前は治安維持法などの治安立法で、言論弾圧によって、表現の自由は著しく制限されていたとみなされています。実際はどうだったのでしょうか。「請願権(30条)」とともにお届けします。
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第29条(表現の自由)
日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於(おい)テ 言論著作印行(いんこう)集会及結社ノ自由ヲ有ス
日本臣民は法律の範囲内において、言論・著作・印行・集会及び結社の自由を有する。
<既存の解釈>
明治憲法においても、言論、著作、刊行(印刷して発行すること)、集会、結社といった現行憲法でいう表現の自由が保障されていた。ただし、ここでも「法律ノ範囲内ニ於(おい)テ」という留保があり、法律によりさせすれば、表現の自由を制限することができた。実際、治安警察法(1900年)や治安維持法(1925年)などの治安立法によって、国体(天皇主権の国家体制)の変革や共産主義思想の波及を目的とした言論や集会活動などが厳しく弾圧されたことは既に述べた通りである。
また、言論や出版に関しては、「出版法」(1893年)、「新聞紙法」(1909年)という法律が定められ、当局の判断で、書籍や新聞は販売頒布(はんぷ)禁止処分(発禁)にされることが相次いだ。これに対して、出版社や新聞社は、公平に裁判で争うこともできなかった。
このように、「表現の自由」が、「法律ノ範囲内ニ於(おい)テ」という法律の留保によって、悪用され、明治憲法第29条は機能しなかったと言える。一方、日本国憲法では、「その他一切の表現の自由」との文言も加え、「集会,結社及び言論,出版」以外の表現の自由も保障されており、明治憲法よりもさらに徹底している。
日本国憲法 第21条
- 集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。
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では、こうした批判に対し、帝国憲法28条を定めた伊藤博文と井上毅の真意はどこにあったのでしょうか?
<善意の解釈>
帝国憲法において、表現の自由が保障された背景には、言論、著作、図書の刊行、集会、結社の自由を認めて、人々の意見交換を活発させることは、社会の進化のために有益であるという考え方があります。
ただし、「法律ノ範囲内ニ於(おい)テ」と法律の留保を置いて、表現行為も、罪悪を行ったり、治安を妨害したり、また、他人の栄誉や権利を侵害するような行動である場合には、公共秩序の維持のために、法律による処罰もあることを規定しています。この法律の留保に関して、帝国憲法起草者、伊藤博文は「こうした制限は必ず、議会の法律によって定めなければならず、政府の行政命令の範囲外でなければならない」と、政府による恣意的な必要以上の「表現の自由」への干渉を戒めています。
しかしながら、伊藤の願いも空しく、本条の運用には失敗し、批判されるような事態を引き起こしてしまっていたことは歴史の事実です。
なお、現行憲法の21条2項に定める通信秘密(「表現の自由」の一部を構成)は、帝国憲法では26条に規定されています。
帝国憲法第26条(信書の秘密)
日本臣民ハ 法律ニ定メタル場合ヲ除ク外(ほか) 信書(しんしょ)ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ
日本臣民は法律で定められた場合を除いて、通信の秘密を侵されることはない
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第30条(請願権)
日本臣民ハ 相当ノ敬礼(けいれい)ヲ守リ 別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ 請願(せいがん)ヲ為スコトヲ得(う)
日本臣民は、相応の敬意と礼節を守り、別途定めた規定に従って、請願を行うことができる。
<既存の解釈>
明治憲法における請願権についての規定は、日本国憲法と違って、どのような内容のことを請願できるのかといった請願の対象や範囲の規定がない。さらに、請願を行うために、「相当の敬礼(けいれい)を守り 別に定むる所の規程に従ひ」という条件がつけられ、請願のための規程によっては誰もが請願できないようにすることも可能であった。
現行憲法では、「何人」にも請願権が保障され、その範囲も「損害の救済,公務員の罷免,法律,命令又は規則の制定,廃止又は改正その他の事項」と具体的に示している。
日本国憲法 第16条
何人も,損害の救済,公務員の罷免,法律,命令又は規則の制定,廃止又は改正その他の事項に関し,平穏に請願する権利を有し,何人も,かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
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では、こうした批判に対し、帝国憲法30条を書いた伊藤博文と井上毅の意図は次のようなものでした。
<善意の解釈>
請願権は、近代国家の憲法において確立された伝統的な人権です。特に、議会がなく、裁判や訴訟の制度が整備されなかった時代において、臣民の声を聞き入れるために請願を認めたことは、政治を適切に行うためにも必要な権利と考えられていました。
明治維新の後、議会や裁判の制度が機能し始めてもなお、臣民への請願権が存在していました。これは、当時、民衆の苦しみや訴えを漏れなくくみ取ることができるようにするという天皇の配慮であり、天皇が民の声を聞きたいとされる意思が働いた結果だと解されています。実際、本条は、請願を行なうに当たっては「相当ノ敬礼(敬意と礼節)」を要求していることから、天皇への上奏を想定していることが伺えます。
また、「別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ」については、請願権の行使に当たっては、憲法上の権利を濫用して、天皇を批判したり、他人の私的な事を摘発したり、誹謗中傷を増長するようなことは戒めなければならないとして、法律や命令、規則により具体的な規定が設けられました。
請願はもちろん、天皇に対してなされるだけでなく、議院(法律)や官庁(行政)対しても行うことができ、法律上は、その内容が各個人の利益に係るか、公益に係るかも問われませんでした。
<参照>
帝国憲法の他の条文などについては以下のサイトから参照下さい。
日本国憲法の条文ついては、以下のサイトから参照下さい。
<参考>
明治憲法の思想(八木秀次、PHP新書)
帝国憲法の真実(倉山満、扶桑社新書)
憲法義解(伊藤博文、岩波文庫)
憲法(伊藤真、弘文社)
Wikipediaなど
(2022年11月1日)