帝国憲法27条 (所有権の不可侵):日本国憲法29条と変わらず

 

私たちが学校で教えられてきた「明治憲法(悪)・日本国憲法(善)」の固定観念に疑いの目を向ける「明治憲法への冤罪をほどく!」を連載でお届けしています。今回は、第2章「臣民権利義務」の「所有権の不可侵(27条)」について考えます。所有権(≒財産権)の保障は、資本主義経済の大前提条件として、当時の世界では「不可侵」の権利とされていました。現行憲法の「財産権の保障」との違いに着目しながら27条について考えます。

 

ここでは、26条の「信書の秘密」とともに紹介します。まずは条文の順番に沿って、26条からみてみましょう。なお、帝国憲法では、26条から29条までは自由権(精神の自由・経済の自由)について定めています。

 

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帝国憲法第26条(信書の秘密)

日本臣民ハ 法律ニ定メタル場合ヲ除ク外(ほか) 信書(しんしょ)ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ

日本臣民は法律で定められた場合を除いて、通信の秘密を侵されることはない

 

<既存の解釈>

表現の自由の一つである信書(特定の個人にあてた通信文を記載した文書、手紙のこと)の秘密が保障されているが、「法律ニ定メタル場合ヲ除ク外(ほか)」と法律の留保があり、法律で定めれば、信書の秘密を制限することができる。これに対して、日本国憲法では、表現の自由の規定の中で、文言上は、留保をつけることなく信書(現行憲法では「通信」)の秘密を保障している。

 

日本国憲法第21

②検閲は,これをしてはならない。通信の秘密は,これを侵してはならない。

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では、これに対する帝国憲法26条を定めた伊藤博文と井上毅の真意はどこにあったのでしょうか?

 

<善意の解釈>

帝国憲法によって、近代文明の恩恵の一つである信書の秘密が保障されるようになりました。「法律ニ定メタル場合」とは、刑事上の捜索や戦時、事変、その他、法律に定めたる場合を指し、それ以外は、行政府が、個人の信書を開封したり破棄したりするような信書の秘密を侵すことを許さないことを定めています。

 

本条の場合も、法律が国民の人権(ここでは信書の不可侵)を政府から守ってくれます。日本国憲法でも、信書(現行憲法では「通信」)の秘密を保障していますが「法律の留保」がありません (法律で規定されなければ、憲法の内容を生かせないの意)。

 

 

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帝国憲法第27条(所有権の不可侵)

  • 日本臣民(しんみん)ハ其(そ)ノ所有権ヲ侵サルヽコトナシ

日本臣民は、所有権を侵されることはない

  • 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依(よ)ル

公益のために必要な処分は、法律の定めにしたがって行われる

 

<既存の解釈>

所有権(≒財産権)の保障は、資本主義経済の大前提条件である。明治憲法でも本条1項で、所有権の不可侵を保障しているが、当時は、所有権は国家の下に存立するものなので、所有権は国家権力に服属し、無制限の権利ではないとみなされていた。そこで、2項で、公共利益のために必要なときは、たとえ各人の意向に反するものであっても、法律の定めに従って私有財産を収用することができると定めている。

 

もちろん、日本国憲法でも、所有権(財産権)を保障しつつ、公共の福祉による制約も言及している。しかし、明治憲法との違いは、現行憲法は私有財産が公共のために用いられる場合の補償の規定も設けていることである。

 

日本国憲法第29条 

①財産権は,これを侵してはならない。

②財産権の内容は,公共の福祉に適合するやうに,法律でこれを定める。

③私有財産は,正当な補償の下に,これを公共のために用ひることができる。

 

では、この批判に対し、帝国憲法27条を定めた伊藤博文と井上毅の真意は次のように推し量ることができるでしょう。

 

<善意の解釈>

帝国憲法が制定される百年前の1789年にフランス人権宣言が出され、その17条で、「所有権は、神聖かつ不可侵の権利である」と示されました。それ以降、財産権は個人の不可侵の人権とされてきました。帝国憲法においても本条で、経済の自由の一つとして所有権(≒財産権)の不可侵が保障されました。

 

ただし、私法上の権利である所有権は、国家公権の下に存立するものなので(「君主は国土に最高所有権を有する」という国際法の父、グロチウスの主張を採用)、所有権は国家権力に服属し、無制限の権利ではありません。もちろん、所有権が制約される場合があったとしても、議会が制定する法律の規定に基づいています。

 

日本国憲法でも29条の1項と2項で、本条とほぼ同じ内容が規定されています。3項の、私有財産が公共のために用いられる場合の補償についての規定そのものは帝国憲法にはありませんが、帝国憲法起草者の伊藤博文は、その解説書「憲法義解」に中で、「公益収用処分の要件は、私有財産に対して相当の補償をすることにある」と述べ、さらに、その補償についても、「必ず議会が法律を制定することを必要とし、行政機関が恣意的な命令でこれを決定することはできない」と主張しています。

 

内外から評価された簡潔な帝国憲法の条文は、含蓄の深い内容で、「補償」は当然であるという認識で明文化されなかったとみることが可能です。当然認識されているとみなされる内容を法律や命令に譲り、憲法に書かれていないという条文は、帝国憲法23条(身体の自由)にもありましたね。

 

 

<参照>

帝国憲法の他の条文などについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 明治憲法への冤罪をほどく!

日本国憲法の条文ついては、以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法のなりたち

 

 

<参考>

明治憲法の思想(八木秀次、PHP新書)

帝国憲法の真実(倉山満、扶桑社新書)

憲法義解(伊藤博文、岩波文庫)

憲法(伊藤真、弘文社)

Wikipediaなど

 

(2022年11月1日)