五月人形と言えば、桃太郎や牛若丸と並んで思い浮かぶのが、赤い腹懸けをして、まさかり(鉞)を担いだ姿でお馴染みの金太郎です。金太郎は、力強く、気持ちの優しい子どもの代名詞になって日本人に親しまれています。では、金太郎は伝承上の子どもなのでしょうか、それえとも実在のモデルがあるのでしょうか?今回、金太郎伝説についてまとめてみました。
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- 金太郎伝説
多くの人が聞いたことがあると思われる金太郎の話しと言えば、次のような逸話ではないでしょうか?
心優しい力持ち
むかしむかし、足柄山(現在の静岡県駿東郡)というところに、ひとりの男の子が母親と2人で暮らしていました。その子の名は金太郎。山に住む熊や鹿や馬や牛とともに、相撲をとったり綱引きをして遊んだり、元気に成長していきました。
ある日のこと、熊に乗っていた金太郎が、谷で立ち往生している動物たちところに出くわしました。なんでも、橋がないから向こう側に渡れず困っているとのことです。そこで、金太郎は、近くにあった大木を体当たりで倒すと、その木を谷にかけて橋にしたことで、動物たちが向こう側に渡れるようにしてやりました。
源頼光との出会い
その後も、すくすくと成長して若者となった金太郎は、足柄峠で、たまたま通りかかった、とある武士と出会うこととなります。その侍の名は源頼光(みなもとのよりみつ)といいました。各地を回って武士となる人を探していたそうです。頼光は、金太郎の姿を見て、その胆力を見抜き、自分の従者にしたいと申し出ます。金太郎は、母親や動物たちと別れるのは辛いと思ったものの、母親からの後押しもあって、源頼光の家来になりました。この時、「坂田金時」という名を与えられた金太郎は、ついには源頼光「四天王」の一人と呼ばれるようになるまで、順調に出世していき、京の都で大仕事を成し遂げます。
酒呑童子退治
当時の京では、神隠しの騒ぎが起きていました。陰陽師である安倍晴明に占わせたところ、神隠しは「酒呑童子(しゅてんどうじ)」という鬼の仕業であることがわかりました。「酒吞童子」は、丹波国(今の京都府北部)の大江山に居て、悪党を束ね、都に度々現れては悪さをしていました。源頼光は、一条天皇の「酒呑童子征伐」の勅命を受け、坂田金時を含む「頼光四天王」を引き連れて、酒呑童子の退治に向かいます。
その道中、一行は、とある老人に出会いました。老人は「山伏に化けて行きなさい」という助言をくれ、「神変奇特酒」という眠り薬入りの特殊な酒を与えてくれました。実はこの老人たち、頼光が熱心に参詣していた石清水八幡宮や熊野神社の神さまでした。
山伏に身をやつした頼光たちは、酒呑童子に接触し、宴を開きました。その席で授けられた酒を与え、酔いつぶれた鬼をひとり残さず退治することに成功したのでした。そして、神隠しにあったとされているさらわれた者たちを連れ戻すことができました。
- 金太郎のモデル
この金太郎の話の元となっているのが、平安時代に実在した武士で、金太郎の童話の中にも出てきた坂田金時(さかたのきんとき)と言われています。
金時神社(静岡県駿東郡小山町)の社伝などによると、京の都に、箱根の足柄山の彫物師十兵衛の娘で、「八重桐(やえぎり)」という女性が暮らしていました。そこで、宮中に仕えている「坂田蔵人」という人物と結ばれ、出産のために故郷へ帰ることとなり、金時(金太郎)を産みます。しかし、坂田蔵人がこの世を去ってしまったため、出産後は京へ戻らずにそのまま故郷である足柄山で金時(金太郎)を育てることになったそうです。
一説によれば、金時(金太郎)が生まれたのが、956年5月、幼名が「金太郎」、後に源頼光と出会うのが974年4月とされています。酒呑童子を倒し、坂田金時は武士として源頼光に仕え続けた坂田金時は、九州の賊を征伐するため筑紫国(今の福岡県)へ向かう途中、美作(今の岡山県)で病に伏し、1012年1月11日、死去したと言われています。享年55歳とされています。
- 金太郎は雷神の子!?
このように、坂田金時は、成長してから源頼光の家来となり、四天王のひとりとして大江山に住む酒呑童子(実際は「山賊」と見られる)を退治したことで有名になりました。その坂田金時の幼名が「金太郎」であったということから、金太郎伝説が生まれたと思われます。
一方、金太郎伝説の中には、金太郎の母親は足柄山に暮らしていた山姥(やまんば)で、父親は山に棲む雷神(赤龍)だったという逸話があります。これによれば、金太郎が、赤い顔に赤い腹掛けをして、鉞(まさかり)を担いでいる理由は、雷神の色は赤で、雷神は火の神であり、まさかりを持っているからだと言われています。
さらに、金太郎は、赤い竜の父である雷神から赤い肌と強い力を、また山の神に仕える女性である山姥からは、心の優しさを受け継いだとされているのです。実際、平安末期の「今昔物語」には、金太郎の母が、「この子は、わたしが山で眠っていたところ、夢の中で赤い竜と通じ、身ごもった子なのです」と語った説話が残されています。
ただし、現代に通じる心優しい力持ちの金太郎の印象が確立したのは、「酒吞童子」退治の話しが流布し、江戸時代の近松門左衛門作の歌舞伎や浄瑠璃の題材として演じられるようになってからのことだとされています。これは、坂田金時が生きていた時代の600年ほど後になります。
<参考>
<参照>
「金太郎」は実在した?昔話のあらすじや伝説、退治された酒呑 …
昔話「金太郎」のモデルとなった源頼光の四天王、坂田金時とは?
Wikipediaなど