「令和の米騒動」の只中にあって、コメや農業に対するニュースで持ち切りとなっています。同時にコメの流通や価格に対する国民の関心も高まっています。今後、日本の農業はどうあるべきか?農政の歴史を振り返りながら、日本の農業について考えましょう。
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<衰退する日本の農業>
◆ 農業人口
農家の人口減少は止まらず、2023年の*基幹的農業従事者は、約116万人と、2000年の約240万人と比べると約52%(半数以上)減少しました。政府が統計を取り始めた1960年の約1175万人からは約10分の1近く減っています。
116万人のうち65歳以上が82万人と、全農家のうち70%が高齢者で、平均年齢も68.7歳と農村における高齢化は深刻な状況です。なお、2000年の場合、65歳以上は約123万人で全体の約5割、平均年齢は62.2歳であった)。
また、日本の農家を専業農家と兼業農家の2種類に分類した場合、*専業農家の割合は約33%、*兼業農家は約67%となっています(2019年)。
より詳細に見れば、専業農家は減少傾向にあり、2015年から2020年で約8万戸減少しています. 兼業農家はさらに、第1種兼業(農業所得を主とする兼業)と第2種兼業(他の仕事の所得が多い兼業)に分けられ、第2種兼業が圧倒的に多くなっています.
また、最近の新しい区分として、販売農家と自給的農家による分類がありますが、2020年において、総農家戸数約175万戸のうち、*販売農家は約103万戸(59%)、*自給的農家は約72万戸(41%)となっています。
*基幹的農業従事者
ふだん仕事として主に自営農業に従事している者をいう。
*専業農家
世帯全員が農業に携わっている農家のこと。
*兼業農家
世帯員の中に兼業従事者が1人以上いる農家のこと。
*販売農家と自給的農家
耕地面積が30アール以上、または年間販売額が50万円以上の農家を販売農家、それ以下の農家を自給的農家という
総じて、日本の農業は、土地生産性(土地単位あたりの収穫量)の最大化を目指し一定の成果を収めてきました。しかし、日本は、零細農家(1ha以下の農家)が70%を占め、農家一戸あたりの経営面積(北海道は除く)は1.3ヘクタール(ha)にとどまり、アメリカの約180 ha、イギリスの約60 haと比べるとはるかに及びません。日本の農業は、労働生産性(農家一戸あたりの収穫量)では欧米の農業に比べて、とても勝ち目はありません。
また、日本と同様に零細農業を営むアジアと比較しても、アジアの農業は安価な労働力を強みとしており、単純な価格競争でも極めて劣勢です。このように、日本の農業は外国との比較劣位が鮮明となっています。
◆ 食料自給率
日本の食料自給率(カロリーベース=供給熱量ベース)は、60年には79%、65年には73%と、70%を越えていたが、それ以降、ほぼ一貫して下がり続けており、85年には60%、89年に50%を割り、近年は、2020年37%、2023年38%と40%を下回る水準となっています。
品目別では、米97%、野菜79%、魚介類52%、牛肉35%(9%)、豚肉49%(6%)、鶏肉64%(8%)、鶏卵96%(12%)、牛乳・乳製品59%(25)%、果物38%、小麦16%、大豆6%、油脂類13%、砂糖類34%、とうもろこし0%
なお、括弧の数値は、飼料自給率を考慮した自給率で、たとえば、鶏肉の自給率64%は国内で生産されていますが、国産の飼料を食べて純粋に国内で生産された鶏肉は「8%」ということを意味します。
一方、諸外国の食料自給率は、以下のように日本よりはるかに高くなっています。
豪200%、アメリカ132%、仏125%、独86%、英65%
日本の自給率が低い主な要因は、総じて「日本人の食生活が変わってきた」ことなどがあげられますが、食料自給率の低下は、食生活の洋風化のためだけではなく、たとえば、米にこだわり過ぎた結果、小麦農家の育成を怠るなど農政の失敗も一因となっています。
では、こうした現状に至った日本の農業は、戦中から現在まで、どのように運営されてきたのでしょうか?日本の農政を振り返ります。
<戦時農政:食糧管理制度>
食糧管理制度
太平洋戦争ただ中の1942年、政府は食糧管理法を施行し、食糧管理制度(食管制度)を創設しました。これは、政府がコメを農家からすべて買い上げて、国民に公平に配給する制度でした。米は、政府の完全な市場統制のもとに置かれたのです。
この政府による全量管理方式である食管制度は、戦後になっても継続され(95年まで継続)、政府が一元的に農家から米を、統一された価格で買い入れ、指定の卸売業者に販売、卸売業者から米店というルートで流通していました(48年以降は地元の農協が介在した)。
その際、政府は農家の保護のため、農家からコメ全量を固定価格(生産者価格)で高く買い上げ、国民に安く販売(消費者価格)しました。この生産者米価と消費者米価の差額は、いわゆる*逆ザヤと呼ばれ、税金で負担されました。
*逆ザヤ
商売をする場合、通常、安く買って高い価格で売って利益を得る。このことを「利ザヤをとる」というが、農業では政府が高く買って安く売るので、損失を出すことから逆ザヤと言われた。
<戦後~1960年代:過剰米 >
戦後の農業に影響を与えた法制は、農地改革と農地法と言えるでしょう。
◆ 農地改革
1945年、GHQ(連合国総司令部)は農地改革を実施しました。これによって、地主の土地が小作人に分配され、自作農が大量に生まれましたが、規模の小さい農家(零細農家)だったので、農家の所得は低く、工場で働くほうが、所得が高くなるという状況が一部で生じました。このため、農業を捨てる農家や、兼業農家が増加し、*三ちゃん農業という言葉も生まれた。
*三ちゃん農業
兼業農家の場合、一家の主人が工場で働き、農業は高齢者と女性で行うという農家が増えた。この状況をじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんで農業を行うということで三ちゃん農業と呼ぶ。
農協の誕生
1948年、政府は、保守化した農村を組織する農業協同組合(JA農協)を戦前からの農業諸団体と統合させる形で誕生させました。農協は戦後政治を規定する最大の圧力団体であり、自民党の強力な支持基盤となっていきます。
◆ 農地法と農業基本法
そこで政府は、農業を捨てた農家による農地の転売を防ぐために、1952年に農地法を制定し、農地の所有や転用、貸借を制限しました。この農地法の制定が、零細な自作農の固定化につながり、規模拡大による効率的な農業経営への道が閉ざされることになってしまったと批判されています。
さらに、日本経済が高度成長期に入ると、農業と工業の所得格差が一層広がったことを受け、政府は1961年、農業の大規模効率化や機械化による生産性の向上と農家の所得向上を目指して、農業基本法を制定しました。
農業基本法では、農家の所得向上のために、農家の規模を拡大してコストを下げ(「規模の経済」)、かつ零細農業構造の改善が謳われました。しかし、組合員を丸抱えしたいJA農協が反対したことから(零細農家が減ることは、農協にとっては組合員の減少を意味する)、自民党政府は、食糧管理法の下で政府買入れ価格を大幅に引き上げるという農家優遇価格政策を採ることで対応しました(「規模の経済」の試みの失敗)。
実際、当時、農協など農業団体による米価引き上げ要求が毎年のように行われ(60年代「米価闘争」と呼ばれた)、農民票が欲しい自民党は、これに応えて、米価をどんどん引き上げていった。
このため、米価の引上げはコストの高い零細な農家の米作継続を可能とし、また、地方に工場が積極的に誘致された結果、農村に居ながら工場に勤務できるようになり、農家の兼業化が一層進みました。
それどころか、農家の兼業に伴う収入(サラリーマン収入)と農業所得を合わせた農家所得は、65年以降、勤労者世帯を上回るようになりました。
この結果、農業基本法による農家の所得向上という政府の目標も、規模の拡大によってではなく、兼業によって実現していくことになり、農村に零細な兼業農家が大量に滞留し、主業農家の規模拡大は実現しませんでした。
それでも、食管法によるコメの農家優遇価格政策によって、農家は生活の安定が保証されたことから、意欲的にコメの生産に取り組みました。結果として、「日本中が田んぼだらけ」と言われるほどに、コメ作りへの傾斜がますます進み、1960年代半ばには過剰米が増加していきました。
また、コメ消費の減少も過剰米の増加に拍車をかけました。日本国民の食の洋風化などにともなって、日本人の米の消費量は、1962年をピークに減少し続けています(2010年頃にピーク時の約半分にまで消費量が減った)。
通常であれば、過剰供給によって、価格が低下するところですが、食管法による価格政策で、政府が農家から高値で買い続けたため、逆ザヤの幅が広がり、政府の財政負担だけが重くなっていきました。
◆ 自主流通米制度の導入
一方、食糧管理制度の下で、米と言えば、政府が買い上げる政府米をさし、政府という独占的な買い手、売り手の下で独占価格が成立するなど、米は国の直接管理下にありました。
それ以外の不正規に流通する米は、ヤミ米(自由米)と言われ、終戦直後の食糧難時代には特に厳しく取り締まりを受けた。
その後、自由米(ヤミ米)は、「おいしい米」を作ろうとする農家が、産地直売所等を通じて、直接消費者に販売したり、逆に業者が農家に直接買い付けに来たりする形で「流通」していました。
しかし、政府は、1969年、自主流通米制度を導入し、政府米以外に、また自由米(ヤミ米)とも異なる、政府を通さないで特定のルートで流通する自主流通米を認めるようになりました。これは、逆ザヤによる財政負担の緩和を図るとともに、生産者米価を抑制させる意図があったとされています。
自主流通米が正式に認められた結果、食管制度の下で、コメは、制度下された政府米と自主流通米、それに、規定に反したヤミ米(自由米)が流通することになったのです。
自主流通米は、国の定めた流通制度の枠内で自由に売買できました。生産者は、指定集荷業者(ほとんど農協)に委託して、米の指定卸業者などに直接売り、米屋さんやスーパーに並ぶという仕組みでした。価格は、政府は直接関与せず、集荷業者の団体との間で年々決められた。具体的には、「自主流通米価格形成センター」での入札取引によって決まっていました。その年の米の出来ぐあいや質によって決定されました。なお、自主流通米とは、政府米に対していうことばで、この当時はまだ、ヤミ米(自由米)の存在は認められていませんでした。
<70年代:総合農政と減反政策>
その後、政府は、農業基本法に基づく農政を立て直すべく、1970年に、「総合農政の基本方針」を決定し、コメの需給調整(減反政策)、生産者米価の据え置き、専業農家の育成などを実施する政策転換をはかりました。
総合農政の最大の柱は、コメの減反政策(生産調整)で、1971年から本格的に導入されました。生産過剰となったコメの生産を抑制するための政策で、米作農家に作付面積の削減を要求し、補助金が出される代わりに特定の作物栽培が奨励されました。
具体的には、国が都道府県ごとのコメの生産量を決めた上で、農協によって、農家ごとに生産量が割り当てられました。大量の過剰米在庫を抱えている政府にとっても、減反によって、買い入れ量を制限する狙いがありました。
米農家には、コメから他の作物への転作を支援するための補助金も支払われたことから(最大10アールあたり約1万5千円の補助金)、食料自給率が高まることも期待されました。
しかし、多くの農家は、小麦や大豆の生産機械や技術を持たないため転作することができず、ただ、補助金に安住し、転作も進まず、当然、食料自給率も高まりませんでした。農家の中には、補助金をもらうため、種まきをするだけで収穫しないという「捨て作り」と呼ばれる手法で対応していたところもあったといいます。
結果として、減反政策における補助金は、農家の経営を安定させるために付与されるものでしかなくなりました。また、減反政策による生産調整などの影響で、休耕田や耕作放棄の問題が顕在化し始めました。
<80年代以降:農産物の自由化>
◆ GATTウルグアイラウンド
1960年代後半以降、日本の製品輸出による、対米貿易黒字の問題が深刻になる中、アメリアから、国内農業を保護する日本の農政に対する批判に加えて、日本に対して農産物自由化の要求が高まり、日米貿易摩擦に発展しました。
両国は、1988年に、日米農産物交渉に合意、日本はこれまで設けていた輸入数量制限を撤廃し、91年から牛肉・オレンジなどの輸入が自由化されました。
さらに1993年、GATTのウルグアイラウンド(多国間貿易交渉)では、コメを含む農産物の「例外なき関税化(=自由化)」が決定されました。農産物の関税化とは、通常の貿易品と同様に関税をかけて輸入を認めることです。
日本は、コメの関税化を95年から6年間猶予される代わりに、最低輸入義務量(ミニマムアクセス)が課せられ、一定のコメを輸入するという特例措置がとられました。これを「コメの部分開放」といいます。
1999年、特例措置を2年間残して、日本はコメの関税化を実施しました。これによって、「コメは一粒たりとも受け入れない」というコメの輸入禁止政策は、いわゆる「外圧」によって変更され、コメは原則自由化(市場開放)されました。
◆ ミニマムアクセス米
しかし、日本は現在も、ミニマムアクセス米、約77万トンを無関税で輸入しています。これは、WTOの規定では、いったん関税化してしまえば、あとは自動的に、関税率を引き下げていき、最終的に、米の輸入が完全に自由化されることになりますが、コメの関税の引き下げを行わないと、ミニマムアクセス米はなくすことができないというルールが適用されているからです。
日本は、ミニマムアクセスを超えて、コメが入ってこないように、その部分については、一定の高率関税をかけて、事実上、輸入できないようにしているのです。
現在も、ミニマムアクセス以外で、民間企業がコメを輸入する場合は、1キロあたり341円の関税が課されます。重要な点は、日本の場合、関税が「割合(%)」ではなく「決まった金額(一定額)」で設定されていることです。
アメリカのトランプ政権が、日本にコメに700%の関税が課されていると批判しましたが、比較対象となる国際価格が約49円/キロと極めて低かった特定の時期のことで、現在では220~280%程度とみられています。
日本のコメの関税率は、「従量税(固定)/実態の価格(1キロ)」で計算されており、たとえば、関税率700%の場合は、「700%=341円/49円」と算出され、コメの国際価格が上がれば、関税率が低下するという奇妙な仕組みになっています。
輸入米の行方
なお、輸入米は、80%以上が飼料用に販売されています。それ以外は、みそ、せんべいなどの加工用や、一部は飲食店向けの業務用として販売され、一般家庭用に食用として出回ることはありません。結果として、年10万トン前後のコメが在庫として積み上がっている現状です。
<90年代から現在まで:試行錯誤の農政>
◆ 新食糧法の制定と食管制度の廃止
1994年12月、「作る自由・売る自由」を盛り込んだ(新)食糧法が国会で制定され(95年11月施行)、同時に、食糧管理制度(食糧管理法)が廃止されました。
食糧管理制度の行き詰まりが問題になっていたことをふまえ、コメや麦といった国内の主要な作物について流通や価格の安定をはかることが目的で、新食糧法では、コメの生産・販売を原則、市場原理に委ね、コメの価格決定への市場メカニズムの導入などが目指されました。
コメ流通の自由化
また、コメ流通の中心を自主流通米とし、ヤミ米(自由米)も公認しました。これは、自由米(ヤミ米)が、自主流通米として認められたことに等しく、「こしひかり」や「あきたこまち」などの有名ブランド米も、米屋さんやスーパーで販売できるようになったのです。
加えて、政府は、同法によって、計画流通制度を発足させ、形式的には、自主流通米を廃止し、政府米(=備蓄米など)と併せて計画流通米と称しました。また、新たに公認されたヤミ米(自由米)は計画外流通米と呼ばれました。
なお、食糧法での、政府米は、政府が備蓄を義務づけられた政府備蓄米のことで、政府による米の買入は、備蓄用米に限られました。
備蓄米制度は1993年の大凶作を受けて導入され、食糧法に基づく基本指針では、100万トン程度を目安に保管することが求められています。また、備蓄米は買い換えの際に、古米として市場に放出され、これが流通する政府米となります。
さらに、2004年の食糧法の改正で、計画流通制度は廃止され、計画流通米(自主流通米と政府米)と計画外流通米との差がなくなり、コメ流通の自由化が実現しました。この結果、農家やJA(農協)に限らず、誰でもどこにでも自由に米を売れるようになりました(コメの販売の参入の自由化)。
このように、食糧法がめざす「作る自由・売る自由」のうち、「売る自由」は大幅に認められましたが、「作る自由」は十分ではありませんでした。それは、政府が従来通り、減反政策を継続していたからです。政府は、コメの生産と出荷の指針を定めて、翌年の政府買付量や作付面積・減反の必要な面積などの発表を続けました。
複雑なコメ価格の形成
食糧法の制定においても、コメの取り引きが完全な自由市場となったわけでないことは、米の価格形成をみても明らかです。
食管法によって、政府が米価審議会に諮問し、その答申に基づいて米価を決めるという仕組みは廃止されましたが、オープンな「市場」がなかったたしため、市場コメの価格決定への市場メカニズムの導入は進んでいません。
おもな計画流通米は、1990年創設の「自主流通米価格形成センター」から、2004年に名称変更した「全国米穀取引・価格形成センター(コメ価格センター)」で、産地や銘柄や売買の量などによって「目安の価格」が決められていました.
しかし、同センターは、国内唯一の公的なコメの現物市場として、米取引に市場原理を導入し、適正な価格形成を促すことが期待されましたが、センターでの取引量が激減したために2011年3月、「米穀 (コメ )価格センター」は解散となりました。
その後、2023年10月にコメの現物市場である「みらい米市場」が、2024年8月には、大阪の「堂島取引所」で、価格変動リスクをヘッジ(回避)するコメ先物取引が始まりました。ただし、どちらも取扱い量はまだ少なく、コメの価格形成をリードするには至っていません。
現状、コメの価格は、「取扱業者間(農協などの集荷業者と卸売業者)」などとの間で、直接交渉して決まる「相対取引」が主流です。そこで決まる相対取引価格は、「概算金(コメを出荷した農家に対して、各農協(JA)が支払う前金)や、保管・運送・検査費用などの流通経費などからの影響を与えているとされ、価格形成過程は、複雑で不透明なものとなっています。
◆ 食料・農業・農村基本法
食管制度の廃止を受けて、これまでの農政の基本方針も、1961年の農業基本法に代わり、1999年7月に新たな基本法として、「食料・農業・農村基本法」が制定されました。
「農政の憲法」とも言われる同法にもとづいて、農業の持続的な発展、食料自給率の引き上げ、自然環境の保全などが目指されています。同時に、貿易自由化に対応できるよう、日本の農業の国際競争力を高めるためには、規模拡大等の構造改革が必要であるとの認識が確認されました。
食料・農業・農村基本法に基づき、中長期的な農政の指針として、食料・農業・農村基本計画が立てられ、おおむね5年ごとに見直されています。
2024年5月には、1999年の制定以来、初めて本格的な見直しが行われ、改正食料・農業・農村基本法が成立しました。ロシアによるウクライナ侵攻などで食のサプライチェーン(供給網)が揺らぐ中、食料安全保障の確保を基本理念の柱として位置づけられました。また、環境と調和のとれた食料システムの確立、農業の持続的な発展、農村振興を推進する内容も盛り込まれています。
◆ 減反政策の廃止
政府は、2013年11月、約50年続けてきた減反政策を5年後の2018年に廃止することを決定し、実施されました。これまで,政府が決めていた義務的な「減反」の割り当てをやめて,生産地ごとに売れる量の目標を決め、実状にあわせて作れるようにしたのです。減反政策によって、水田面積の4割が減反されたと試算されています。
減反政策の廃止により、以後、コメ農家は自主的な経営判断でコメを作れるようになりましたが、農家の中には、高水準の米価を維持しようと増産に慎重なところも多くあります。
農水省、自治体、農協などの団体も、急に多くの米農家が生産量を増やすと、再びコメ余りの状態を招くことを恐れて、減反政策をやめた後も、米価を安定させるため、米の生産量(特に主食用米の全国の生産量)の目安を農家に提示して、急激な増産を回避するように調整しています。
政府(農水省)は、減反に協力した農家への補助金も廃止しましたが、主食用米の生産が増えないように、コメから転作する農家や、主食用以外の加工用・飼料用の米に生産転換をする農家に補助金を継続しており、主食用米の生産量を絞る仕組みを残しています。
しかし、こうした措置が、実質的に減反政策は継続されているという批判の元になっています。
たとえ形式的であっても、減反廃止の背景には、減反政策によって少ない作付面積でも収入を得られるように、高く販売できるブランド米を栽培する農家が増えたため、業務用の米(ホテル、飲食店、施設、学校などの法人向けに販売される低価格の米)が不足するようになったことがあげられます。
また、当時、TPP(環太平洋経済連携協定)の締結により、米が自由化される場合、それまでの間に、競争力のある米を作れる農家を育てておく必要に迫られたことも要因です。
◆ TPPの農業交渉
2013年の7月にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の参加国となった日本は、TPPが農産物を含めて、すべての物品の関税ゼロを謳っているにも拘わらず、「聖域なき関税撤廃は前提ではない」との認識に立ち、重要5品目(米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物(粗糖類)の関税維持をめざしました。
その結果、アメリカも含めたTPP交渉においても、アメリカを含まないTPP11(CPTPP)においても、農産物「重要5品目」について、関税の削減・撤廃の例外を確保しています。
TPPにおける重要5品目
米、麦、乳製品:関税の削減・撤廃は行わず、WTO枠を現状維持。
牛肉:38.5%の関税を段階的に引き下げ、9%にする。
豚肉:482円/kgの関税を段階的に引き下げ、50円にする。
甘味資源作物:一部糖を除き現行制度を維持する。
◆ 農産物の輸出振興
その一方で、農林水産省は、2017年に「総合的なTPP等関連政策大綱」を発表し、「19年の農林水産物・食品の輸出額1兆円」の目標を掲げました(実際の輸出額は9,121億円で1兆円目標には至らなかった)。
さらに、2020年3月に出された第5次食料・農業・農村基本計画では、農林水産物・食品の輸出額を30年までに5兆円とすることが謳われた。
2025年4月の食料・農業・農村基本計画でも、この輸出額目標は5兆円を据え置いた上で、コメの輸出目標について2030年までに35万トンとする目標を掲げました(24年実績(4.6万トン)の8倍近くに引き上げる)。
こうした農産物の輸出振興により、農業従事者の保護に努めながらも、農業の体質強化を図ることが目指されました。具体的には、国産農作物の輸出を拡大することで、国内のコメなどの生産量を増やし、農家の生産基盤の強化や生産性の向上につなげようとしています。
◆ 日本の農業の課題
また、同計画では「食料安全保障」が強調され、不安定な世界情勢の中で食料を確保していくことが謳われ、食料自給率についても、現状の38%から45%を目指すとしています。
加えて、政府は2022年12月、「食料安全保障強化政策大綱」を決定しました。ロシアによるウクライナ侵攻や円安などの影響で価格が高騰している大豆、麦の生産拡大や、肥料の国産化など、食料安全保障の強化施策に重点配分しました。
特に、原料の大半を海外から輸入する化学肥料については、肥料の国産化をめざすとして、肥料を経済安全保障推進法に基づく「*特定重要物資」に指定しました。年間需要量の3カ月分の肥料原料を民間備蓄する体制を整備するとしています。
*特定重要物資(11)
抗菌性物質製剤、肥料、永久磁石、工作機械・産業用ロボット、航空機の部品、半導体、蓄電池、クラウドプログラム、天然ガス、重要鉱物及び船舶の部品の11物資を、特定重要物資として政令で指定した(22年12月)。
一方、食糧安全保障面からも国内消費に即した生産とコメを中心に国産農産物の消費促進も課題となっています。地産地消を進め、フードマイレージの削減に取り組むとともに、有機農業を広めるといった積極的な政策が必要とされます。これは食の安全という観点からも重要な視点となっています。
地産地消
地域で生産したものを地域で消費すること。
フードマイレージ
「輸入相手国別食料輸入量重量 × 輸出国から輸入国までの輸送距離」のこと。
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<参照>
本稿は、拙著「なぜ?』がわかる政治・経済(旧版)」で取り上げた内容を、加筆・修正して、まとめたものです。
(投稿日:2025.5.24)