毎年1月半ばに、宮中行事である「歌会始の儀」が行われます。歌会始について、まとめてみると伝統的・文化的に奥の深いものがあります。
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歌会始とは?
和歌(短歌)は,日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれているなか、600年以上の長い歴史をもつ宮中の歌会始は,国民参加の文化行事となって現在に至っています。「歌会」(うたかい)とは、人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を発表する会をいいますが、天皇が年の始めに正月行事としてお催しになる歌会を「歌会始(うたかいはじめ)」といいます。
「歌会始」は、長い歴史のある宮中の行事で、そこには独特の言葉の使い方があります。一般の人たちが歌を応募することを「詠進」(えいしん)といいます。詠進した歌を選考する人を「選者」(せんじゃ)といいます。そして詠進して選ばれることを「選に預かる」といい、その歌を「選歌」(せんか)といいます。
「歌会始」には一般の方、選者のほかに、「召人」(めしうど)といって天皇陛下から特別に要請されて歌を詠進する方もあります。召人は広く各分野で活躍し貢献している人々を選び,今年は国文学者の久保田淳氏が選ばれました。詠まれた和歌は「歌」(うた)といいますが、皇族殿下、妃殿下のは「お歌」(おうた)、皇后陛下のは「御歌」(みうた)、天皇陛下のは「御製」(ぎょせい)と申し上げます。これらの歌を詠み上げることを「披講」(ひこう)といいます。
この儀式の進行は,読師(どくじ=司会役),講師(こうじ=全句を節をつけずに読む役),発声(はっせい=第1句から節をつけて歌う役),講頌(こうしょう=第2句以下を発声に合わせて歌う役)の諸役が行います。
歌会始の儀
「歌会始」は、宮中の松の間のある長和殿で行われ、天皇皇后両陛下の御前で歌が披講されます。進行は司会役の読師(どくじ)が行います。最初に節をつけずにすべての句を講師(こうじ)が読み、つぎに第1句から節をつけて発声(はっせい)が歌うと、第2句以下を発声にあわせて講頌(こうしょう)が続き歌います。
披講の順番は、一般の応募作(今年は1万5324首)から詠進された選歌(入選者)、つぎに選者の歌、天皇陛下に招かれた召人(めしうど)の歌、皇族方のお歌(三笠宮家の寛仁親王妃信子さま、秋篠宮妃紀子さま、秋篠宮さま)、皇后陛下の御歌と続き、最後に天皇陛下の御製となります。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され,文部科学大臣,日本芸術院会員,選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。
歌会始の歴史
歌会は、「万葉集」にもあることから、奈良時代には既に行われていたと推察されています。歌会の中で、天皇がお催しになる歌会を「歌御会」(うたごかい)といい、宮中では年中行事としての歌会などのほかに,毎月の月次歌会(つきなみのうたかい)も催されるようにもなりました。
これらの中で天皇が年の始めの歌会(正月行事)としてお催しになる歌御会を「歌御会始」(うたごかいはじめ)といいました。歌御会始の起源は,必ずしも明らかではありませんが、遅くとも,鎌倉時代中期まで遡ることができるものと言われています。歌御会始は,江戸時代を通じほぼ毎年催され,明治維新後も,明治2年(1869年)1月に明治天皇により即位後最初の会が開かれています。
明治の近代化の過程で、明治3年には、一般の人に苗字を名乗ることが許されるようになると、明治7年(1874年)に、これまで皇族・貴顕・側近など宮中の方々のみに限定されていた参加資格が、一般国民にも拡大しました。明治12年(1879年)には一般の詠進歌(応募された和歌)のうち特に優れたものを選歌とし,歌御会始で披講(披露)されることとなりました。これが、今日の国民参加の歌会始の始まりといえます。大正15年(1926年)には,皇室儀制令が制定され,古くから歌御会始といわれていたものが,以後は「歌会始」といわれることになりましたが、大正天皇崩御のため、実際に歌会始と呼ばれたのは昭和3年(1928年)の歌会始からです。
第二次世界大戦後は、広く一般の詠進(応募)を求めるため,お題は平易なものとされ、預選者(選ばれた人)は式場への参入が認められただけでなく,天皇皇后両陛下の拝謁や選者との懇談の機会が設けられるようになりました。さらに、テレビの中継放送が導入されて,さらに多数の人々が歌会始に親しむことができるようになりました。こうして歌会始への国民参加は,ますます促進されるばかりか、最近では、海外からも作品が寄せられています。
2020年1月19日(最終更新2022年3月17日)
<参考>
歌会始(宮内庁HP)
宮中の「歌会」から国民参加の「歌会」へ(Tenki.com)
Wikipediaなど