立皇嗣の礼(立太子の礼)

 

  • 立皇嗣の礼とは?

 

天皇皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻は、2020年11月8日、皇居・宮殿で、「立皇嗣の礼」と関連する皇室の行事などに臨まれました。「立皇嗣の礼(りっこうしのれい)」は、秋篠宮さまが「皇嗣」となられたことを広く内外に伝える儀式」で、主に「立皇嗣宣明(せんめい)の儀」と「朝見の儀」の二つの国事行為で構成されています。関連する皇室の行事としては、「壺切御剣(つぼきりぎょけん)の親授」、「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」、「伊勢神宮、神武天皇陵、昭和天皇陵などへのご参拝」が行われます(広義には、この5つを「立皇嗣の礼」の儀式ととらえることもできる)。

 

そもそも、皇嗣(こうし)とは、天皇の世継ぎ、皇位継承順位第1位の皇族を指す呼称で、現在では、皇嗣の中で、在位中の天皇の皇男子である者には皇太子(こうたいし)の称号が付されます。秋篠宮さまは皇太子ではなく、「皇嗣」でおられるため、今回は「立皇嗣の礼」で皇嗣であることを宣言する行事となるのです(皇太子であれば、「立太子の礼」となる)。

 

天皇の弟が皇位継承予定者として宣言される今回の「立皇嗣の礼」は憲政史上初めて儀式となりました。実際は、大正天皇が崩御された際、昭和8年に、今の上皇さまがお生まれになるまでの約7年間、昭和天皇の弟でいらっしゃった秩父宮さまが「皇嗣」となられたことはありますが、この時、「立皇嗣の礼」は行われていませんでした。

 

ですから、今回の歴史的な「立皇嗣の礼」は、1991(平成3)年2月23日、当時皇太子でいらした天皇陛下31歳の誕生日に行われた「立太子の礼(りったいしのれい)(今上天皇が皇太子であることを宣言する行事)」を踏襲して行われました。

 

 

  • 立皇嗣宣明の儀

 

天皇陛下は、8日朝、皇居の宮中三殿で皇室の祖先や神々に「立皇嗣の礼」を行うことを伝える儀式に臨まれました。その後、午前11時過ぎから、「立皇嗣の礼」の中心儀式である「立皇嗣宣明(りっこうしせんめい)の儀」が、皇居・宮殿「松の間」にて、憲法に定められた国事行為として挙行されました。

 

はじめに、天皇陛下が、「皇室典範の定めるところにより、文仁親王が皇嗣であることを、広く内外に宣明します」とおことばを述べられると、秋篠宮さまが紀子さまとともに天皇陛下の前に進み、「皇嗣としての責務に深く思いを致し、務めを果たしてまいりたく存じます」と決意表明にあたるおことばがありました。陛下は、天皇にだけ許される装束である「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を、また秋篠宮さまは、皇嗣を示す「黄丹袍(おうにのほう)」という太陽が昇る色の装束をまとわれ、皇后さまと紀子さまは十二単姿でした。

 

このあと、菅総理大臣が「ここに改めて皇室の一層の御繁栄をお祈り申し上げます」と祝辞である「寿詞(よごと)」を述べた後、両陛下、秋篠宮ご夫妻が退出され、儀式は約15分で終了しました。儀式には、天皇皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻のほか、常陸宮ご夫妻、秋篠宮ご夫妻の長女眞子さま、次女佳子さまをはじめとした9人の成年の皇族方が参列され、内閣総理大臣など三権の長や外国の大使の代表など招待者46人も式に臨みました。

 

 

  • 壺切御剣の親授

 

「立皇嗣宣明の儀」の後、陛下が秋篠宮さまに「皇太子の守り刀」と伝わる「壺切御剣(つぼきりのぎょけん)」を授けられる皇室行事、「壺切御剣の親授」が、皇居・宮殿「鳳凰(ほうおう)の間」において、非公開で行われました。

 

「壺切御剣」は、皇太子の印(しるし)として、歴代の皇太子に代々伝わるもので、「三種の神器」である天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)などと並んで、「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」(皇室経済法7条)とされています。皇嗣は皇太子と同等の扱いのため、今回、秋篠宮さまに授けられました。御剣は通常、宮内庁が管理し、今後は秋篠宮さまが賢所での祭祀で拝礼される際に側近が持参するそうです。

 

天皇が御剣を次の皇位継承者に下賜するこの慣例は、893年(寛平5年)、史上初めて関白となった藤原基経が、第59代天皇の宇多天皇に御剣を献上し、後の醍醐天皇が皇太子となる際に授けられたのが記録に残る最初の事例とされています。その後、儀式の時期は定まっていませんでしたが、平安後期から「立太子の礼」に合わせて授けられることが慣例化したとされています。この儀式は、皇室と姻戚関係を結んだ藤原氏が、皇太子の地位を安定させるために創設し定着させたという説もあるそうです。

 

大日本帝国憲法下、明治42年に制定された立儲令(りっちょれい)では、御剣を授ける儀式は、「立太子の礼」の中心儀式の一部に位置付けられ、皇居・賢所で行われていましたが、新憲法下では、「立太子の礼」に伴う祭祀などとともに関連行事とされました。また、歴史的にみれば、御剣は立太子の礼当日に渡されていない事例もあったそうですが、上皇さまは「立太子の礼宣制の儀」の後、勅使を介して下賜され、陛下も「立太子の礼」当日、上皇さまから授けられました。

 

 

  • 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀

 

その後、宮殿を出られた秋篠宮さまは、午前11時50分ごろ、陛下の立太子の礼の際にも使われた「3号」と呼ばれる儀装馬車に乗り、御剣とともに皇居内の宮中三殿にご移動、秋篠宮妃紀子さまとともに宮中三殿を、賢所、皇霊殿、神殿の順に回り、殿上で拝礼されました。なお、儀式には、ご夫妻の長女、眞子さまと次女、佳子さまをはじめとした皇族方も参列されています。

 

これまで秋篠宮ご夫妻は、令和元年5月1日に秋篠宮さまが皇嗣となられた後でも、年間の宮中祭祀では、殿に上がることなく殿前から拝礼をされてきましたが、この日は、秋篠宮ご夫妻が皇嗣同妃として、殿上で拝礼された初めての機会となりました(ご夫妻としてはご成婚の際以来のこと)。

 

宮中三殿などに入れるのは、正式な装束をまとった歴代天皇、皇后と皇位継承順位1位の皇太子と同妃、祭事を補佐する掌典などに限られています。これに対して、他の皇族方は、殿の下の庭上で拝礼されます(ただし、成年式、結婚の際は例外として認められる)。

 

 

  • 朝見の儀

 

夕方(午後4時半すぎ)には、立皇嗣の礼のもう一つの国事行為である「朝見の儀(ちょうけんのぎ)」が行われました。朝見とは、天皇皇后両陛下にお会いすることで、この儀式では、秋篠宮ご夫妻が、「立皇嗣の礼」を行っていただいたことに対して両陛下に感謝の気持ちを伝え、両陛下が祝いのおことばを述べられます。

 

秋篠宮さまは、紀子さまとともに天皇陛下の前に進み、「本日は、立皇嗣宣明の儀をあげていただき、誠に畏れ入りました。皇嗣としての務めを果たすべく、これからも、力を尽くしてまいりたく存じます」とお礼のことばを述べられると、天皇陛下が秋篠宮ご夫妻に「これまでに培ってきたものを十分にいかし、国民の期待に応え、皇嗣としての務めを立派に果たしていかれるよう願っています」とおことばを贈られました。このあと、天皇皇后両陛下が、秋篠宮さま、紀子さまの順に、それぞれさかずきを授けられるなどして儀式が終わりました。

 

これで、昨年4月の「退位礼正殿の儀」から始まった上皇さまから天皇陛下への皇位継承に伴う一連の国の儀式がすべて終わりました。もともと、政府は、立皇嗣の礼を4月19日に予定していたが、新型コロナの感染拡大を受けて延期していました。なお、祝宴「宮中饗宴の儀」は、同じ理由で中止とされました。

 

 

  • 伊勢神宮、神武天皇陵、昭和天皇陵などへのご参拝

 

立皇嗣の礼の後に行われる皇室の関連行事として、伊勢神宮、神武天皇陵、昭和天皇陵への秋篠宮ご夫妻のご参拝も予定されています。これは、秋篠宮ご夫妻が、無事に「立皇嗣の礼」を終え、皇嗣となったことを、皇祖とされる天照大神、初代天皇とされる神武天皇、そして昭和天皇など先の天皇に報告をされるものです。しかし、宮内庁は新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、年内は実施困難との見通しを示しています。

 

なお、「立皇嗣の礼」に伴い、伊勢神宮には、「立皇嗣の礼」を行うことが記された「御祭文」を天皇陛下から授かった勅使が既に遣わさていました。神宮の内宮と外宮を参拝した勅使は、神さまに奉告し、天皇陛下からの供え物である「奉幣」を捧げました。

 

 

(補足)「立太子(立皇嗣)の礼」の経緯と意義

 

皇太子を定める「立太子の礼」は、かつては天皇の後継指名の場として、平安時代後期ごろには確立したとされています。しかし、南北朝時代の終わりから戦国時代にかけて、戦乱が相次いだため、約300年間行われなくなってしまいました。江戸時代に入ると、朝廷の儀式再興に尽力した霊元天皇が、後の東山天皇を皇太子に立てる際に儀式を挙行し、以降も儀式や祭祀の復興が続きました。

 

明治維新の後、1889年(明治22年)に、皇室典範が制定され、皇位継承に関する規定ができたことで皇位継承順位は明確になり、儀式の性質も、皇位継承者のお披露目の場となりました。また、儀式の細部も明治42年の立儲令(りっちょれい)で定めらました。戦後、立儲令は廃止されましたが、「立太子の礼」(今回の「立皇嗣の礼」)は、前代の儀式を参考に、政教分離など時代の要請に合わせて修正を加えながら連綿と続いています。

 

ちなみに、次の天皇の存在を国内外に示す儀式である立皇嗣の礼は、天皇の「男系男子」維持に重要な意味を持つとの見方もあります。というのは、一度、次の天皇をお披露目した後に、女系女性天皇を容認し、「(天皇家の長女である)愛子さまを天皇にします」とするのは、国際的に理解されずらくなると見られているからです。

 

その一方で、「立皇嗣の礼」が終わったことで、天皇の退位に関する皇室典範の特例法が平成29(2017)年6月に国会で成立した際に決議された付帯決議に基づき、女性宮家の創設など議論が、政府や国会などで始まることを期待する向きもあります。

 

 

<参照>

立皇嗣の礼行われる 皇位継承に伴う一連の国の儀式すべて終了

(2020年11月8日 NHKニュース)

天皇陛下、秋篠宮さまに守り刀「壺切御剣」を授ける 馬車で宮中三殿に

(2020/11/8、毎日新聞)

皇太子の印「壺切御剣」陛下から秋篠宮さまに授ける

(2020年11月8日、日刊スポーツ、共同)

立皇嗣の礼 天皇の「男系男子」維持に重要な意味を持つ

(2020/11/8、Newsポストセブン)

立皇嗣の礼 黒田清子祭主ら伊勢神宮で奉告祭

(2020/11/9、三重テレビ放送)

史上初の儀式「立皇嗣の礼」とは 29年前の「立太子の礼」を振り返る

(2020年11月6日、FNNプライムオンライン)

【立皇嗣の礼】装束にマスク姿…コロナ対策凝らし厳粛に 宣明の儀

(2020.11.8、産経)

【立皇嗣の礼】守り刀「壺切御剣」親授も 陛下から秋篠宮さまへ

(2020.11.8、産経)

【立皇嗣の礼】廃太子や戦乱によるイレギュラーな即位も 日本史彩る「立太子」めぐるドラマ

(2020.11.8 産経新聞)

【立皇嗣の礼】今後は殿上でご拝礼、関連行事は来年以降に

(2020.11.9、産経新聞)