節折の儀・大祓の儀:陛下と国民のためのお祓い

 

<節折(よおり)の儀>

 

「節折の儀」は、半年に一度、天皇陛下のために行われる、竹を使ったお祓いの行事で、6月末と12月末、皇居・宮殿の「竹の間」で行われます。その起源は9世紀後半から10世紀の頃とされています。

 

「節折(よおり)の儀」は、かつて「御贖(みあがもの)の儀」として行われていました(貞観末年(867)頃に「御贖(みあがもの)の儀」が行われたとされる)。御贖物(みあがもの)とは、天皇や中宮の身柄(みがら)に代わって、罪や汚れを背負わせて除去し祓ういます。儀式では、御服(ごふく)・御麻(みぬさ)、御竹・御壺を、御贖物(みあがもの)を用いて行われます。

 

この儀式での天皇の所作や道具は、明らかではありませんが、平安時代に源高明によって撰述された朝廷儀式などのしきたりを記した書である「西宮記(さいきゅうき)」などによれば、次のように推測されています。

 

  • 御服(ごふく)に、気息(きそく)を着す

御小直衣に金巾子の御冠を被って出御された陛下に、侍従から御服の呂の蓋(ふた)が開けて差し出され、それに陛下が口気を三度吹き入れられます。

 

  • 御麻(みぬさ)で体をなでる

侍従から御麻を受け取られ、陛下は、その御麻で体を三度撫でられます。

 

  • 竹で体をはかる

掌典職の賞典から御竹9本を受け取った侍従が、初めの長い一本で、陛下の背丈を測り、竹に筆で墨の印をつけ、それを下げ渡された掌典補が墨印のところで折ります。同様に次の二本で、陛下の胸から指先まで、次の二本で左右の膝から足元までを測って、それぞれに竹に墨印をつけます。それらを下げ渡された掌典補がそれぞれ印の所で竹を折り、櫃に納めます。

 

なお、「節折(よおり)の儀」の名前の由来は、御身の長さに御竹の節を折るところからきています。ちなみに、「節(よ)」は竹の節と節の間のことです。

 

  • 壺に口気を放つ

侍従から受け取った御壺に陛下が口気を三度吹き入れられます。

(「天皇のまつりごと」(所功著)、「國學院大學伝統文化リサーチセンター資料」を参照)。

 

この一連の儀式が、二度繰り返して行われます。最初の儀式を「荒世(あらよ)の儀」といって荒御魂の御身(荒世)を祓い清め、二回目を「和世(にこ)の儀」と呼び、魂の御身(和世)を祓い清めると解されています(神道では、神には荒魂と和魂の両面の性質があると考える)。

 

このように、「節折の儀」は、天皇といえども、日々の生活の中で、無意識のうちに積んでしまわれるケガレ(穢れ)を祓い清めるものです。

 

 

<大祓(おおはらい)の儀>

 

天皇のための「節折の儀」に続き、同じ日に、皇族方や国民のためのお祓いの儀式である「大祓(おおはらい)の儀」が皇居内の宮中三殿に付属する神嘉殿(しんかでん)前庭で行われます。皇族方も代表参列されます。

 

「大祓の儀」に参列する成年皇族はかつて、慣例として、成年男性の「親王」に限られていましたが、皇族方の減少などを背景に、2014(平成26)年6月、成年女性も含む「皇族」に広げられるという、慣例が改める発表が宮内庁からありました。同年12月の大祓の儀には、秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが女性皇族としては66年ぶりにご参列されました。これまで、昭和23年に、体調不良となった高松宮に代わって高松宮妃が参列したり、戦前は親王以外の男性皇族が参列したりした例もあったそうです。

 

もともと、大祓(おおはらえ、おおはらい)は、日本の神道儀式の祓の一つで、毎年6月と12月の晦日(みそか)に行われ、6月30日に行われる大祓は夏越大祓、または水無月大祓とも呼ばれます。

 

大祓は、記紀の中の伊邪那岐命(イザナギノミコト)の禊祓(みそぎはらい)が起源とされ、国の儀式として受け継がれました。平安時代の延喜式には四時祭(しじさい)(四季にわたって定期的に行わる祭儀)になった記されています。現在でも、多くの神社で同じ日に「大祓」の祭りが行われています。

 

 

<参照>

6、12月の「大祓の儀」ご参列 女性皇族にも拡大

(2012年6月10日産経新聞)

知っておきたい豆知識 | 年中行事と神社 | 神道青年全国協議会

國學院大學伝統文化リサーチセンター資料

「天皇のまつりごと」所功著

Wikipediaなど

 

2020年7月9日(最終更新日2022年3月22日)