神武天皇:建国神話の父

 

神武(じんむ)天皇(生没年未詳)は、日本の初代天皇であり、天孫で神話の人代の中で最初の人物として知られています。神武天皇は、ご幼名を狭野命(さののみこと)、初代天皇にご即位するまでは、神倭伊波礼毘古命(神日本磐余彦天皇)(カムヤマトイハレビコノミコト)と呼ばれていました。このお名前は、神武天皇の和名(古き名)です。

 

神名の冒頭の「神」(カム)は美称(ほめていう呼び方、呼び名)で、「大和(倭)(ヤマト)の伊波礼(磐余)(イワレ)という場所(=現在の奈良県橿原)を治めていた男子(彦)(ヒコ)」という意味になるそうです。命(ミコト)は神や人の呼び名の下につけた敬称です。

 

神武天皇の神名には、異称がとても多く、別名に若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)、あるいは狭野尊(ささののみこと)、さらには始馭天下之天皇(ハツクニシロシメシシ)などがあります。加えて、死後に贈る諱(いみな)は彦火火出見(ヒコホホデミ)と申されました。

 

神武天皇は、鵜草葺不合尊(ウガヤフキアヘズノミコト)の第四皇子で、母は玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。祖父は、山幸彦の名でも知られる火遠理命(ホオリノミコト)(天津日高日子穂穂手見命)です。火遠理命の異称の彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)は、神武天皇の諱(彦火火出見)と同じであることから、神武天皇が、天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の血統であることを表しているとされています。

 

日本書紀によると、神武天皇(神倭伊波礼毘古命)は、太子となって、筑紫日向から東遷して、大和を平定、畿内の橿原の地に王朝を築いたとされています(これを神話では「神武の東征」と呼ぶ)。その戦いについては、本HP「記紀(神武の東征)」を参照下さい。

 

ただし、この物語が、すべて神武天皇の英雄一人の事跡であるというよりもむしろ、古代の王権交代をめぐる氏族の間に抗争があり、そうした史実が神武東征のエピソードに反映されているとの見方もでています。いずれにしても、神武天皇は、紀元前660年に橿原宮で即位し、初代天皇となり、在位は76年。紀元前584年に127歳で崩御したとされています(古事記は137歳)。

 

しかし、神武天皇が即位した西暦紀元前660年については、その信憑性に疑問符がつけられています。というのも、年代は、奈良時代の日本書記の編纂者が、中国の史書に倣って入れただけで、年数は正確ではないとの見方があります。実際、この時代は、考古学上から言うと縄文時代ですが、記紀の記述内容は弥生時代以降のものとなっていると指摘されています。

 

こうした背景から、神武天皇は、古事記や日本書紀においては初代天皇という位置づけでありながらも、神話伝承と歴史的事実をつなぐ伝説上の人物と考えら、実在しなかったと見る歴史家が多数います(もっとも神武天皇実在説もある)。また、神武天皇は、10代の崇神天皇と同一人物であるとする説も有力視されています。というのも、前述した神武天皇の始馭天下之天皇(ハツクニシロシメシシスメラミコト)という異称は、崇神天皇と同じだからです。なお、始馭天下之天皇の意味は「はじめて天をお治めになった天皇」だそうです。