天皇のご命日:宮中祭祀としてのご供養

歴代天皇の命日に行われている宮中祭祀についてまとめました。

 

歴代の天皇のご命日に、御霊を慰める儀式が、宮中祭祀として行われるのは、初代の神武天皇と、「先帝」、「先帝以前三代の天皇」に限られています。

 

「先帝」とは、「先代の天子、さきのみかど」の意ですが、現在、平成の天皇が「上皇」として御健在ですので、「先帝」は昭和天皇をさします。「先帝」は崩御後の呼び方なので、今の上皇陛下は「先帝」ではなく「前帝」と呼ばれます。ですから、「先帝以前三代」の天皇とは、現在、昭和天皇よりも前の大正天皇、明治天皇、孝明天皇が該当します。それぞれの祭祀の名称とご命日に当たる実施日は以下の通りです。

 

神武天皇祭:4月3日

昭和天皇祭:1月7日

大正天皇例祭:12月25日

明治天皇例祭:7月30日

孝明天皇例祭:4月30日

 

例祭(れいさい)とは、毎年きまった月日に行われる祭りの意

 

祭典は、ご命日の日、皇居内にある歴代天皇の霊を祭る宮中三殿の皇霊殿(こうれいでん)において、皇霊殿の儀が行われます。陛下は装束姿で臨まれ、皇后 皇太子・同妃、各宮家の皇族も参列されます。また、天皇が葬られた陵(みささぎ)においても、「山稜(さんりょう)の儀」と呼ばれる祭典が挙行されます。さらに、その日の夜には、御神楽を奏して神霊をなごめる「御神楽(みかぐら)の儀」が皇霊殿において催されます。

 

皇居内の宮中三殿で行われる(宮中)祭祀は、大祭と小祭に分かれます。大祭は、天皇が自ら祭典を斎行し、拝礼した上で、御告文(おつげぶみ)を奏上されます。皇族方や三権の長など官僚らも参列します。これに対して、小祭は、皇室の祭祀をつかさどる掌典長が祭典を執り行い、天皇が拝礼(親拝)されます。

 

神武天皇祭、昭和天皇祭は、大祭として祭典が営まれ、「先帝以前三代」の天皇の大正天皇例祭、明治天皇例祭、孝明天皇例祭は、小祭として行われます。ただし、他の小祭と異なり、天皇陛下と皇太子殿下の御拝礼だけでなく、皇后陛下や皇太子妃殿下、宮家の成年皇族方も参列して、皇霊殿前の幄舎(あくしゃ)から祭典を見守られます。

 

また、「先帝以前三代」の天皇祭は、神武天皇祭と昭和天皇祭と同様に、崩御相当日に式年ごとの式年祭が大祭として行われています。式年祭(しきねんさい)とは決められた期間ごとに行われる祭祀のことをいい、天皇祭の場合、崩御の年から3年、5年、10年、20年、30年、40年、50年、100年、それ以降は100年ごとに営まれます。式年祭は、宮中祭祀の中でも「大祭」に位置付けられる重要な儀式で、皇居・皇霊殿と、それぞれの陵(天皇の墓)で行われます。なお、皇太后(先代の天皇の皇后)についても、例祭と式年祭があります。

 

 

  • 昭和天皇祭

 

昭和天皇祭は、昭和天皇のご命日である1月7日に執り行われる祭祀(大祭)で、天皇陛下が「皇霊殿の儀(昭和天皇祭皇霊殿の儀)」に臨まれます。また、東京都八王子市の武蔵野陵(むさしののみささぎ)においても山稜の儀があり、その日の夜には皇霊殿で御神楽(みかぐら)(昭和天皇祭御神楽の儀)も行われます。

 

昭和天皇祭は現在、先帝祭(先代の天皇が崩御された日を祭る宮中祭祀)として行われています。先帝祭は、天武天皇が崩御された際、国忌(こっき)といって、政務を休み、仏事を行い、歌舞を慎んだことを起源としています。以後、皇祖、先帝、母后などの命日にも適用され、明治維新の後、先帝祭は、神武天皇祭とともに国家の祭日とされました(戦後は廃止)。

 

また、昭和天皇祭は、式年祭も挙行されています。昭和天皇の逝去から30年の節目の年に当たった2019年1月7日は、「昭和天皇三十年式年祭の儀」が行われました。この時は、今の上皇陛下ご自身、昭和天皇が埋葬された武蔵陵(むさしののみささぎ)(東京都八王子市)までお出ましになり、「山陵の儀」を斎行されました(両陛下は昭和天皇の三年、五年、十年、二十年の式年祭はいずれも武蔵野陵での儀式に臨まれた)。その日は、秋篠宮ご夫妻ら皇族方のほか、総理ら三権の長ら約80人が参列しました。

 

一方、これに先立ち、「皇霊殿」では「皇霊殿の儀」が行われ、皇太子ご夫妻(今の天皇皇后両陛下)が天皇陛下の名代として拝礼されました。秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さまも参列されました。

 

昭和天皇の式年祭は今後、死去後50年までは10年ごと、その後は100年ごとに行われます。

 

 

  • 香淳皇后例祭

 

香淳皇后例祭は、昭和天皇の后(きさき)でいらっしゃた香淳皇后(こうじゅん)を偲び逝去(せいきょ)された6月16日に行われている宮中行事です。2020年は逝去から20年にあたり、「香淳皇后二十年式年祭の儀」が皇居と、武蔵陵墓地にある武蔵野東陵で行われました。

 

皇居の宮中三殿では、「皇霊殿の儀」が執り行われ、装束姿の天皇皇后両陛下が拝礼され、陛下は御告文(祭文)を読み上げられました。また、秋篠宮ご夫妻ら皇族方も参列されました。香淳皇后の武蔵野東陵では、「山陵に奉幣の儀」が執り行われ、天皇陛下の使者が玉串をささげた後、上皇ご夫妻の側近が代拝されました。続いて秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さまがそれぞれ拝礼されました。

 

 

  • 大正天皇例祭

 

大正天皇の祭祀は、毎年崩御日に相当する12月25日に、大正天皇例祭が小祭として斎行されており、式年の崩御日に相当する日に「大正天皇式年祭」が大祭として斎行されています。

 

宮中三殿の皇霊殿で「皇霊殿の儀」が執り行われ、大正天皇が埋葬されている多摩陵(たまのみささぎ)では「山陵の儀」が斎行されます。式年に当たる時は、天皇による山陵への行幸御親祭があり、皇霊殿では代わりに、宮内省の掌典長が拝礼されます。

 

大正15年(1926年)12月25日の大正天皇崩御に伴い、新たに「大正天皇祭」が制定され、昭和年間では、大正天皇祭が先帝祭となりました(大祭として斎行)。平成元年(1989年)1月7日に、昭和天皇が逝去されてから、この日は祭日ではなくなり、先帝祭は昭和天皇祭に変更されています。

 

 

  • 明治天皇例祭

 

明治天皇の祭祀は、毎年崩御日に相当する7月30日に、明治天皇例祭が小祭として斎行され、式年の崩御日に相当する日に「明治天皇式年祭」が大祭として斎行されています。皇居での「皇霊殿の儀」に続き、伏見桃山の陵所においても掌典職による祭祀「山陵の儀」が挙行され、その日の夜には皇霊殿で御神楽(みかぐら)明治天皇例祭御神楽の儀)も行われます。

 

明治天皇例祭は、大正天皇時代、「先帝祭・明治天皇祭(大祭)」として斎行され、大正天皇の逝去を受け、現在の「明治天皇例祭」となりました。

 

 

  • 孝明天皇例祭

 

孝明天皇例祭は、毎年崩御日に相当する1月30日に行われる小祭で、式年の崩御日には「孝明天皇式年祭」が大祭として同様の祭祀が斎行されています。

 

この日は、天皇陛下が宮中の皇霊殿で「孝明天皇例祭皇霊殿の儀」に臨まれ、孝明天皇の陵所(天皇の墓)である京都の後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)でも「孝明天皇例祭皇山稜の儀」が行われます。夜には御神楽(孝明天皇例祭御神楽の儀)が奏されます。

 

孝明天皇例祭は、孝明天皇が1968年1月30日に崩御されたため、この日が祭日になり、「孝明天皇祭」として、明治天皇時代の「先帝祭」となりました。1912年(明治45年)7月30日、明治天皇が逝去されたのに伴い、この日は祭日ではなくなり、新たに「明治天皇祭」が制定され、孝明天皇祭は孝明天皇例祭となりました。

 

 

  • 神武天皇祭

 

神武天皇祭は、神武天皇のご命日とされる4月3日に執り行われる大祭で、皇居の皇霊殿で「神武天皇祭皇霊殿の儀」が斎行され、天皇陛下は装束姿で臨まれ、皇后 皇太子・同妃、各宮家の皇族も参列されます。

 

また、神武天皇が葬られた奈良県橿原市の畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)においても「山稜の儀」が挙行されます。その日の夜には、特に御神楽を奏して神霊をなごめる「皇霊殿御神楽(みかぐら)の儀」も催されます。

 

2016年4月3日には、大正5年以来、100年ぶりに、神武天皇式年祭(二千五百年式年祭)が挙行されました。この時、現在の上皇上皇后陛下は、大正天皇、貞明皇后が、神武天皇陵を参拝された前例にならい、奈良県橿原市まで赴き、拝礼されました。

 

神武天皇祭は、1871年(明治4年)に「四時祭典定則(しじさいてんていそく)」で規則化され、戦後、皇室祭祀令は、1947年(昭和22年)に廃止されましたが、現在も宮中祭祀として存続しています。なお、神武天皇が即位した2月11日は、明治6年に紀元節と定められましたが、戦後に廃止された後、昭和42年に「建国記念の日」として祝日となって現在に至っています。

 

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(2022年3月14日、最終更新日2022年7月19日)