憲法9条と日本の安全保障

 

日本の外交・安保を考える上で、日本国憲法9条の理解は不可欠です。憲法9条は、日本国憲法の三原則の一つである「平和主義」の表れですが、憲法9条の規定に対して、「自衛隊」の位置づけ、自衛隊の海外派兵、集団的自衛権の行使など、9条をめぐる憲法論議は事欠きません。

 

戦後の日本の外交・安保をめぐる議論は、この9条のもとで、自衛隊の活動をどう考えるかを中心に繰り広げられ、現代でも、とりわけ、集団的自衛権行使容認を含む安保法制については、憲法9条との整合性が問題となりました。今回は、憲法9条を軸に、日本の安全保障についてまとめました。

 

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<平和憲法と専守防衛>

 

◆ 憲法9条とは?

 

日本国憲法は平和憲法と言われますが、それは、日本国憲法の平和主義の原則のもとで書かれた憲法9条の存在にあると言えます。

 

日本国憲法第9条

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

憲法9条は、1項で、一切の戦争と武力行使を禁止した「戦争放棄」を定め、第2項では「戦力不保持」だけでなく、「交戦権の否認」までもが謳われています。

 

世界には、1791年のフランス憲法、1949年の西ドイツ基本法など、戦争放棄を規定した憲法はありましたが、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」まで踏み込んだ憲法は世界でも日本国憲法が初めてです。これが、日本国憲法は世界でも冠たる平和憲法と言われる所以です。

 

しかし、9条を文字通り解釈すれば、自衛権の発動としての武力行使も禁止され、もし他国が日本に攻め込むことがあっても、交戦権も否認しているので、応戦することさえできません。

 

◆ 9条の解釈変更(憲法解釈)

 

朝鮮戦争の勃発をきっかけに創設された警察予備隊などを前身として、1954年7月、陸・海・空の自衛隊が発足すると、憲法9条のもとで自衛隊の存在は正当化され、自衛権の行使を認める憲法解釈が行われました。

 

政府や議会などが、憲法改正の正式な手続きを経ることなく、憲法の条項に対する解釈を変更することによって、実質的に憲法の意味や内容を変えようとする行為を解釈改憲といい、歴代の政府は、必要があれば、憲法解釈を変える解釈改憲を行ってきました。

 

まず、政府は「日本が主権国として持つ固有の自衛権(個別的自衛権)まで否定するものではない」と解釈し、自衛のための必要最小限度の武力行使を認めました。

 

また、自衛隊は戦力と呼べる軍事力を持たない、日本を防衛するための必要最小限度の「実力」組織であると解釈しました。「実力」なら仮に自衛のために戦うことがあっても、それは、憲法が禁止した「武力行使」ではなく、自衛のための「実力行使」であるとしたのです。

 

このように、政府は、「自衛のための必要最小限の『実力』を超えるもの」を「戦力」とみなして、そうでない「自衛隊は憲法違反ではない」と解釈しました。やがて、個別的自衛権の行使、即ち専守防衛なら合憲という政府の憲法解釈は、以後、多数派となりました。

 

武力行使3要件

また、政府は、自衛のための実力行使(武力行使)の要件については、1972年に、自衛権発動の3要件として以下のように定めました。

 

  • 我が国に対する急迫不正の侵害が存在(武力攻撃が発生)すること。
  • これを排除するために他に適当な手段がないこと
  • 自衛のための必要最小限度の実力行使にとどめるべきこと

 

したがって、日本の自衛権の発動が許されるのは、日本に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとの憲法解釈が定着しました。

 

 

◆ 9条に対する司法の判断

 

この間、司法の場においても、砂川事件判決と長沼ナイキ基地訴訟などにおいて、憲法9条と、自衛権、自衛隊、駐留米軍などとの関連が問われました。

 

砂川事件

1957年の「砂川事件判決」は、憲法9条と自衛権、ならびに米軍の駐留とそれにともなう日米安保条約の合憲性の関係などに関する重要な判例です。

 

砂川事件とは、1957年7月、東京都砂川町(現立川市)などへの米軍立川基地の拡張に反対するデモ隊が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数メートル立ち入った事件で、裁判の過程で憲法9条と、日米安保条約やそれに基づく米軍の駐留の関係が問題となりました。

 

憲法9条と駐留米軍

憲法9条は、日本が「他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない」とし、米軍の日本への駐留は、憲法9条および前文の趣旨に反しない」と判示しました。

 

また、「戦力」とは「わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない」として、駐留米軍は「戦力」にあたらないとしました。

 

憲法9条と日米安保条約

日米安保条約の合憲性については、同条約のように高度な政治性をもつ条約については、「司法審査の範囲外である(司法裁判所の審査には原則としてなじまない性質のものである)」として、最高裁は、「一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」とする「統治行為論」を初めて明示的に採用しました。

 

憲法9条と自衛権

最高裁は、「9条は戦争を放棄し、戦力の保持を禁止しているが、これによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではない」と判示し、憲法9条が日本の自衛権を否定しているわけではないことを明確にしました.

 

長沼ナイキ基地訴訟

長沼ナイキ訴訟は、1973年に自衛隊基地の建設をめぐり、自衛隊の憲法上の地位や、自衛隊の合憲性が争われた裁判です。

 

札幌地方裁判所は、「自衛隊は,その編成,装備,能力等に照らして憲法第9条で保持を禁じられた戦力に該当して違憲である」判断を示しましたが、二審の札幌高等裁判所は、1976年8月、「司法審査の範囲外である」として、「統治行為論」により、憲法判断を示さないまま原告の訴えを退けました(最高裁も同様の判断)。

 

自衛隊と憲法9条の関係について、裁判所は、その後も統治行為論を採用して判断を示さず、自衛隊と憲法9条の関係について明確な判断を避けています。

 

 

<自衛隊の海外派兵>

 

「専守防衛」の方針のもと、国内での任務を続けてきた自衛隊は、1990年代以降、国際貢献に活動の幅を広げていきました。

 

1992年に施行されたPKO協力法(国際平和協力法)の制定過程では、武力行使につながるおそれはないのかなど、憲法9条との関わりが大きな論点になりましたが、自衛隊の国連PKO(平和維持活動)への参加は認められています。

 

政府は、仮に武器を使ったとしても、隊員の命を守るためなど必要最小限度であれば、9条が禁じる武力の行使には当たらないと説明し、日本独自の「PKO参加5原則」も策定されました。

 

PKO参加5原則

  • 紛争当事者間で停戦合意が存在すること
  • 受け入れ国や紛争当事者による受け入れ同意が存在すること
  • 特定の紛争当事者に偏らず、中立的立場を厳守すること
  • これらの要件が満たされなくなった場合、撤収できること、
  • 武器の使用は要員などの防護のための必要最小限に限ること。

 

国連は、PKOを展開する際の基本原則として3原則を定めていますが、これは日本のPKO参加5原則の②紛争当事者の同意(同意原則)、③中立性(公平性・不偏性の原則)、➄武力行使の制限(自衛以外の武力不行使原則)に該当します

 

日本独自の規定が①と④で、自衛隊が戦闘に巻き込まれず、武力行使につながることのないことを想定していることが伺えます。その後、自衛隊は、PKO以外にも、イラクの復興支援やアフリカ・ソマリア沖での海賊対策などで海外へ派遣されましたが、憲法との整合性が常に議論の対象となりました。

 

 

<集団的自衛権の行使容認>

 

集団的自衛権とは、国際法上、自国が攻撃を受けていなくても、自国と密接な関係にある外国が攻撃された場合に、その外国を支援するために武力を行使する権利のことです。

 

歴代内閣は、これまで、「集団的自衛権は、国際法上保有している(国連憲章で権利を認められてはいる)が、憲法9条の「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」という観点から、集団的自衛権の行使は許されない(憲法9条に違反する)」と解釈していました。

 

◆ 政府解釈の変更

しかし、当時の安倍内閣は、「我が国を取り巻く安全保障環境が激変した」として、2014年7月、長年維持されてきた政府の憲法解釈の変更を閣議決定し、集団的自衛権の行使を容認しました。

 

閣議決定文では、日本と密接な関係にある国が攻撃された場合、以下の3条件を満たせば、集団的自衛権は「憲法上許容されると考えるべきである」とされました。

  • 日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由と幸福の追求権が根底から覆される明白な危険がある。
  • 日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない。
  • 必要最小限の実力行使にとどまる。

(自衛権の発動3要件の①を変えた、②、③は変わらず)

 

◆ 安保法制

政府はその後、3条件に照らしながら自衛隊を動かすための法整備を進め、2015年9月に安全保障関連法を成立させました。

 

安保関連法、いわゆる安保法制は、新設の「国際平和支援法」と、自衛隊法改正案など10の法律の改正案を一つにまとめた「平和安全法制整備法」からなります。

 

その平和安全法制整備法の中の、改正事態対処法(武力攻撃事態法)によって、日本が直接、武力攻撃を受けていなくても、日本と密接な関係にある他国が武力攻撃されて、日本の存立が脅かされる明白な危険がある事態(存立危機事態)が発生し、「他に適当な手段がない場合」に限り、「必要最小限の実力行使にとどまる範囲」で、限定的に*集団的自衛権を行使できるようになりました。

 

また、安保法制では、集団的自衛権の行使容認にとどまらず、住民保護における武器使用の容認、他国の戦闘行為に対する後方支援、弾薬の提供など武器等防護(武器の禁輸見直し)、PKO(平和維持活動)での駆け付け警護を可能にするといった規定なども盛り込まれました。

 

新設の国際平和支援法は、自衛隊が特別法の設置を待つことなく「いつでも」派遣されることができるようになった恒久法です。

 

このように、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定や、その後の安保法制は、戦後日本の安全保障政策の大きな転換点となりました。

 

しかし、憲法9条との関係では、憲法学者や内閣法制局の元長官のなかには、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定やその後の安保法制を、立憲主義や恒久平和主義に反する憲法違反であるとする向きも多く、安保法制の国会審議中に反対運動が活発に行われ、国論を二分しました。