日本をとりまく諸問題

 

日本の外交と安全保障をさまざまな角度から解説しています。日本は四方を海に囲まれ、有史以来、外敵の侵入を防いできましたが、隣国に当たるロシア、中国、北朝鮮は、権威主義的な独裁的な国家であり、しかも、核保有国です。また同じ隣国の韓国とも常に良好な関係を保っているわけではありません。当然、これらの国々とは、様々な問題を抱えています。今回は、日本をとりまく諸問題についてまとめました。

 

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<日本の領海と排他的経済水域>

 

日本の領土は、北海道・本州・四国・九州の4つの大きな島と、その周辺の小さな島々から成り立っています。最北端は択捉島(北海道)、最南端は沖ノ鳥島(東京都)、最東端は南鳥島(東京都)、最西端は与那国島(沖縄県)です。

 

日本の領土面積は約38万km²で、世界第60位と「小さな島国」なのですが、200海里の排他的経済水域(EEZ)で含めて日本という国を見ると、海洋大国であることがわかります。領土面積ではなく、水域面積でみると、領海(含:内水)とEEZを合わせて約447万km²となり、世界で10位以内に入るのです。

 

なお、地理上の日本の国土は、東経120度から150度の間、北緯20度から45度の間に位置しています。

 

日本の排他的経済水域(EEZ)内にある水産資源や鉱産資源は、日本の管轄権に入るので、沖ノ鳥島や南鳥島を含めた日本の島々(EEZの基点となる離島は全国に99ある)は、わが国の国益や戦略的な観点から極めて重要であることがわかります。

 

◆ 沖の鳥島

 

沖ノ鳥島(東京都)は、東京から約1700キロ離れた日本の最南端の島で、周囲11km(東西に約4.5㎞、南北に約1.7㎞)のサンゴ礁からなり、東小島、北小島の2つの小島(ともに直径約50メートル)が海面上に出ています。面積は合わせて10㎡にも満たず、周囲は直径約50mの護岸コンクリートで防護されています。

 

しかし、島を基点に半径200海里の排他的経済水域(EEZ)は、日本の領土(38万㎢)を上回る42万㎢のEEZになります。沖ノ鳥島近海はマグロ、カツオなどの豊富な漁場でもあり、海底には希少金属(レアメタル)の鉱床が眠っているとみられています。

 

これに対して、中国は沖ノ鳥島を「島ではなく岩だ」と2004年から主張し、日本のEEZを認めない立場をとり、中国の海洋調査船による調査活動を無断で繰り広げています。

 

国連海洋法条約では、潮位が高い時も水没しない陸地を「島」と認めており、「岩」ならEEZを設定できません(領海は認められる)。

 

日本は「岩」の定義が同条約上に存在しないことを根拠に、沖ノ鳥島のEEZを主張し、対応策として、波の浸食などによって2つの小島が水没しないよう、小島の周囲にコンクリートの保護壁を設置しています(人工島にしているのではない)。

 

行政上の沖ノ鳥島

沖ノ鳥島は、1931年に、東京府小笠原支庁に編入されて以来、日本が領有し、現在、東京都小笠原村に属しています(それ以前の1922年と1925年には日本海軍によって測量が行われ、当初はどの国にも領有されていないことを確認していた)。

 

2010年には、沖ノ鳥島などの保全に関する法律(沖ノ鳥島保全法)が施行され、国が直轄で港湾整備などを行うことになりました。

 

◆ 南鳥島

 

日本列島の最東端に位置する離島で、東京から南東に約1,950km離れた地点に位置しています。面積1.5平方キロ、一周6キロ、海抜8メートルの平らな島で、行政区分上は東京都小笠原村に属します。

 

太平洋プレート上に位置し、周辺の海底には世界有数のレアアース(希土類)の埋蔵量が確認されており、資源としての重要性が高まっています。現在、気象観測所、海上自衛隊の施設(南鳥島航空派遣隊)、国土交通省関東地方整備局が設置され、計20数名の職員が勤務していますが、定住者はいません。

 

日本は、1898年7月に、南鳥島の領有を公式に宣言し、内務省令で南鳥島と命名され、東京府小笠原村に所属することが告示されました(南鳥島は、日本が太平洋における領土を確保した象徴的な場所となった)。

 

領有の2年前の1896年に、探検家・実業家の水谷新六が、南鳥島に移住し、アホウドリの羽毛採取事業を開始したことで、国際法上の「占領の事実」があると認められました。

1898年以降は、政府が水谷に貸し付けるという形式がとられました。

 

◆ 与那国島

日本最西端の与那国島(沖縄県)には、現在、陸上自衛隊「沿岸監視部隊」が配備され、駐屯地も置かれています。活発化する中国の海洋活動をにらみ、南西諸島の防衛体制を強化するのが狙いで、付近を航行する艦船や航空機の情報を、航空自衛隊の移動式警戒管制レーダーなどで収集して監視する役割を担っています。

 

◆ 択捉島

日本の最北端の択捉島は、北方4島の一つで、第二次世界大戦終了時に、ソ連に不法占拠され、現在に至っています(後に詳説)。

 

 

<日本の領土問題等>

 

日本は,ロシアとの間の北方領土(国後島、択捉島、歯舞群島、色丹島)、韓国との間の竹島に関して、領土問題を抱えています。

 

◆ 北方領土

 

現在の北方領土には、かつて外国人が定住したことも、外国の支配下にあったこともなく、18世紀末からは江戸幕府の直轄地として、日本が統治していました。

 

1855年の日露和親条約(日露通好条約)において、日露国境を択捉島と得撫(ウルップ)島との間に画定し、樺太は両国民の雑居地とすることとしました。

 

その後、日露国境の再編をした1875年の樺太千島交換条約では、樺太の権利を譲り渡し、得撫島以北の千島列島全てが日本領となりました。なお、千島列島は、得撫 (ウルップ) 島から占守 (シュムシュ) 島に至る18の島々をいいます。

 

さらに、日露戦争に勝利した日本は、1905年のポーツマス条約で、樺太の南半分を領有しました。

 

しかし、1945年2月、米英ソは、ソ連が日本に参戦することと引き換えに、ソ連樺太の南半分の返還と、千島列島の引き渡しを約束するヤルタ協定を結びました。ソ連は、同年8月9日、日本に参戦し、日本がポツダム宣言を受諾すると、北方四島を含む千島列島と樺太南半分を軍事占領しました。

 

1951年9月のサンフランシスコ平和条約で、日本は確かに「千島列島の権利、権限及び請求権を放棄」しましたが、この千島列島に北方四島は含まれていません。従って、当時、ソ連によって不当に占拠された北方四島は、日本の固有の領土であるとするのが日本政府の立場です。

 

◆ 竹島

 

島根県隠岐島西方に位置する竹島は、歴史的にも国際法上も、日本固有の領土ですが、韓国が一方的に竹島を取り込み不法占拠しています(韓国では、竹島を独島と呼んでいる)。

 

日本が戦前、植民地としていた韓国について、1951年のサンフランシスコ平和条約では、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島(きょぶんとう)及び欝陵島(うつりょうとう)を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定されました。

 

この時、竹島は、日本が放棄すべき地域に含まれていませんでした。そこで、サンフランシスコ平和条約が成立する直前の1951年7月、韓国側は、米英共同草案に対し、「日本が放棄すべき地域に竹島を加えて欲しい」と要請し、「竹島が韓国領」であることを認めさせようとしました。

 

しかし、アメリカは、ラスク国務次官補発の書簡(いわゆるラスク書簡)で、「竹島は、朝鮮の一部として取り扱われたことはなく」、また、「かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない」などの回答をし、韓国の要請を明確に拒否しました。このように、竹島は国際法的にも日本の領土であることは明らかなのです。

 

ところが、1952年1月、平和条約が発効する直前に、韓国大統領の李承晩は、「李承晩ライン」を宣言する強硬手段を発動し、韓国の領海と主張した線内に竹島を取り込み、竹島を含む海域の漁業権を主張しました。

 

日本は、サンフランシスコ平和条約の発効後、竹島近海での漁業を再開させましたが、韓国側は李承晩ラインを侵犯したとして日本漁船を拿捕する事案が頻発し、海上保安庁の巡視船を銃撃する事件も起きました。

 

さらに、韓国は、1954年6月に、武装した海洋警備隊を竹島に常駐させました。その後、李承晩ラインは、1965年の日韓基本条約によって廃止されましたが、韓国政府は、武装警備員の常駐を継続させ、加えて、灯台を設置したほか、宿舎や監視所などを置き、現在も、竹島を不法に占領し続けています。

 

◆ 尖閣諸島(参考)

 

国際法の観点から、尖閣諸島において、日本は中国と領有権の問題は存在していません。

 

日本は、1895年1月、尖閣諸島が無人島で清国(中国)の支配が及んでいないことを確認したうえで、国際法でいう「*先占の法理」手順に従った正当な手続きによって、尖閣諸島を自国領(沖縄県)に編入し、現在も有効に支配しています。

 

*先占の法理(無主地先占、先占の原則)

国際法においての領土取得のあり方の一つで、いずれの国にも属していない無主の土地(無主地)に対し、他の国家に先んじて支配を及ぼすことによって自国の領土とすること。

 

ゆえに、尖閣諸島は、わが国固有の領土であり、領土問題は存在しないとの立場を貫くことができます。いわば、正当に日本が統治している尖閣諸島に対して、中国が「勝手に」領有権を主張しているのです。

 

実際、中国は、尖閣諸島を実効支配したことはなく、この地域に石油などエネルギー資源が埋蔵されていることが判明した70年以降、正確には71年12月になって初めて、領有権を主張し出しました。

 

したがって、日本が、もし中国の呼びかけに応じて、尖閣諸島の領有について、話し合いをすれば、それは、尖閣の問題が領土問題であることを認めたことになるのです。ゆえに、日本は「領有権の問題は生じていない」と毅然とした態度で臨むことが、最も国益に叶う行動ということになるのです。

 

◆ 東シナ海ガス田問題

 

東シナ海ガス田は、沖縄と中国大陸の間にある東シナ海の大陸棚の海底にあるガス田のことで、1968年、石油や天然ガスの埋蔵が指摘され、資源開発に注目が集まるようになりました。問題は、東シナ海で、日中の排他的経済水域(EEZ)の境界がはっきりしていないことです。

 

国連海洋法条約は海岸線から200海里(約370キロメートル)をその国のEEZと定めていますが、日中間の東シナ海は最短距離が400海里未満で、日中が200海里を設定すると大きな重複水域が生まれてしまいます。

 

日本は両国の海岸線から真ん中をとった中間線を境界と主張しているのに対して、中国は、中間線より日本寄りで、中国大陸棚が途切れる沖縄トラフ(海溝)までの海域での権利を主張しています。

 

2003年から中国が、東シナ海の日本が主張する中間線ぎりぎりの中国寄りの地点に位置する春暁ガス田の開発に着手したことで、東シナ海のガス田開発問題が日中間で政治問題となりました。

 

 

<北朝鮮による日本人拉致問題>

 

北朝鮮とは、1990年9月に、自由民主党と社会党の一行が北朝鮮を訪問して、朝鮮労働党と、日朝三党共同宣言に調印、日朝国交正常化交渉を行うことが決定しました。交渉は、翌年の1月から開始されましたが、日朝交渉を主導した自民党の金丸元副総理が佐川急便、政治献金事件で92年に「失脚」したことなどが影響し、交渉は停滞しました。

 

その後、2002年9月に、小泉首相が電撃的な訪朝を果たし、日朝首脳会談が開催されました。両国は、日朝平壌宣言に署名し、国交正常化交渉を再開することで合意しました。

 

その一方、長年懸案となっていた日本人拉致問題について、北朝鮮はその事実を認め謝し、北朝鮮が生存と発表した5人が帰国しました。

 

これを機に、拉致問題が日朝関係最大のテーマとなり、日本側は拉致被害者全員の帰国を主張しています。しかし、2004年5月、2回目の日朝首脳会談(平壌)が行われ、拉致被害者の二家族の5人が帰国したものの、横田めぐみさんをはじめ多くの日本人が北朝鮮にいるとみられ、拉致問題の完全解決にはほど遠い状況です。