お盆というと、夏の仏教行事という印象がありますが、実は日本古来の祖霊信仰に根ざしたものでもあるということがわかってきました。今回は、「お盆」についてまとめました。
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■お盆(盆)とは
盆・お盆とは、祖先の霊を迎え、供養する行事です。お盆の期間には、年に一度、祖先の霊が子孫や家族の元に帰って来るとされています。盆の入りには「迎え火」を焚き祖先の霊をお迎えし、戻ってきた祖先の霊の供養をします。お盆の期間が過ぎる盆明けには「送り火」を焚いてお送ります。その間、お供えのきゅうりやなす、提灯など、お盆独特の習慣があります。これらの風習がお盆の風習として定着しています(迎え火、送り火については後に詳説)。
東京では7月13日から7月16日、その他の地方では8月13日から8月16日に行われ、8月のお盆のことを旧盆とか月遅れのお盆といいます(期日についても後述)。初盆(はつぼん)には四十九日、一周忌、三回忌などの法事法要とは別に、法要として供養の儀式が営まれますが、初盆以外のお盆には、家族親族だけで、祖先の霊と一緒に供養をするのが一般的です。
■お盆の由来
お盆は、仏教の行事だとされます。お盆は(盆)は、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい、略して「盆会」「盆」と言います。このお盆をさす古い言葉である「盂蘭盆(うらぼん)」は、もともと仏教の言葉で、仏教のお経にも「仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)」というのがあり、お盆の由来を説明しています。「仏説盂蘭盆経」(「盂蘭盆経」)は、ブッタの説かれたお経です。ではどんなことが説かれているのかというと、ブッタの十大弟子の一人、目連尊者のエピソードが書かれています。
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ブッタが祇園精舎におられた頃のことです。ある日、神通力第一といわれる目連尊者が、親孝行をしようと思い立ちました。ところがその神通力によって、目連尊者の亡きお母さんが、餓鬼道(食べ物を食べられず飢えに苦しむ地獄)に堕ちて骨と皮ばかりになって苦しんでいることが分かりました。
深く悲しんだ目連は、すぐに鉢にご飯を盛ってお母さんにあげようとします。お母さんが喜んでそれを食べようとすると、たちまちそのご飯はぼっと燃え上り、どうしても食べることができません。鉢を投げて泣きくずれるお母さんを尊者は悲しみ、ブッタのところに走っていき、「どうしたらお母さんを救えるでしょうか」と尋ねました。
その時、ブッタは「そなたの母親の罪は深い。そなた一人の力ではどうにもならない。この7月15日に、飯、百味(ひゃくみ)、五果(ごか)等の珍味を十方の大徳衆僧に供養しなさい」「布施の功徳は大きいから、亡き母は餓鬼道の苦難からまぬがれるであろう」と教えてくださいました。目蓮が、ブッタの仰せにしたがったところ、お母さんは、たちどころに餓鬼道から天上界に浮ぶことができたそうです。
盂蘭盆は、この目連尊者のエピソードから、お盆に多くのお寺では、餓鬼道や地獄に落ちて苦しんでいる霊を救うための施餓鬼会(せがきえ)と呼ばれる法要が営まれています。
(仏教ウェブ入門講座「お盆の期間とお供え・お盆の意味」から引用)
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一方、中国の仏教寺院では、「盂蘭盆会」という名前の儀式が古くから行われてきました。中国の「仏祖統紀」によれば、日本に仏教が伝えられた538年、中国の梁の武帝が盂蘭盆(うらぼん)の「斎(法事)」を設けたとあるので、この頃には中国では、お盆の行事が行われてたことがわかります。同様に、唐の時代や宋の時代にもお盆が行われていた記録が残されているそうです。
このように、「お盆」と仏教が関係深いことは間違いないようですが、「お盆=仏教の行事」と単純に括ることはできません。例えば、仏教には、「毎年、お盆にご先祖様が戻ってくる」という教えはありません。そもそも、仏教では、いったん成仏した魂がこの世に戻るということはないそうです。また、日本で、お盆に関連した行事として有名な「盆踊り」が、インドや中国で、お盆の時に踊られた形跡はないとの指摘もあります。
お盆は、仏教行事のひとつと位置付けられていますが、最初は仏教の「盂蘭盆経」を講説する斉(法事)だったのが、だんだん先祖供養のしきたりが入り込んでくるなど、日本の民俗的風習が溶け込むことで、育まれてきたと考えられます。では、次にその日本のお盆についてより詳細に解説してみます。
■日本のお盆
日本で最初のお盆の行事は、聖徳太子の時代に当たる616年の4月8日と7月15日に斎(法事)が営まれたとされています。(なお、4月8日はブッタの誕生を祝う花祭り、7月15日がお盆)。また、657年には、「盂蘭盆会を設く」、659年には、京都の色々な寺で「盂蘭盆経」の講釈があったと記録に残されているそうです。
こうして、お盆は、平安時代になると公家にも恒例行事として広まり、鎌倉時代には、滅亡した平家をお盆に弔うようになりました。さらに、庶民にも普及し、室町時代では、軒先に盆灯籠を立て、江戸時代には「迎え火」と「送り火」も行われるようになったそうです。
■お盆の時期
お盆の時期は、旧暦の7月15日頃を中心とした期間とされています。旧暦の7月15日頃というのは、現在の新暦では8月15日前後、全国的には8月13日から8月16日の4日間です。ただ、地域によっては(例えば東京や横浜の一部等)、新暦となった今でも7月13日から16日までをお盆の期間とするところもあります。いずれにしても、一般的にお盆の期間は、13、14、15、16日の4日間で、お盆の初日の13日を「お盆の入り(盆入り、迎え盆)」と呼び、お盆の最終日の16日を、「お盆の明け(盆明け、送り盆)と言います。
■お盆のしきたり
お盆の期間中、お墓参り、盆提灯や精霊棚の飾り付け、迎え火・送り火など様々な習慣やしきたりがあります。
迎え火
迎え火は、火を焚いて祖先の霊を迎えるもので、(お)盆の入りの8月13日(または7月13日)の夕方に焚かれます。祖先の霊が、迷わずにこの火を目印にして帰って来られるように、明るく照らすという意味で、火を焚いてお迎えします。
もともとは、迎え火の火はお墓で灯していました。13日にお墓参りをし、お墓の前で迎え火の火を灯して提灯に入れて家まで持って帰ってきます。その火を仏壇の蝋燭(ろうそく)に移していました。現代ではお墓が遠いため提灯に入れて迎え火を連れて来ることが難しい場合も多くなっています。そうした場合には、13日の夕方に、門口や玄関前などの危なくない場所で迎え火を焚きます。
送り火
送り火は、8月16日(または7月16日)のお盆明けの日に、祖先の霊を送るための儀式で、再び火を焚いて「送り火」として送り出します。あの世から家に戻ってきた先祖の霊が、またあの世へ帰って行くときに、迷わないようにという願いを込めたものです。京都の五山送り火や長崎の精霊流しも送り火の一つです。
*京都五山の送り火:文字どおり、先祖の霊をお送りする行事のひとつで、大文字の送り火(大文字焼き)と呼ばれることもある。
*長崎の精霊流し:お盆の供え物をのせた精霊舟に火を灯して海や川に流す行事です。精霊船は初盆の家のみが作ります。
盆提灯
盆提灯とは、お盆のみに用いる飾りで、故人の供養に使われるもので、お盆の期間中、その家に霊が滞在しているしるしとされます。また、迎え火・送り火を行うことがむずかしい場合は、盆提灯を飾って迎え火、送り火とされます。つまり、盆提灯も先祖の霊が戻ってくるときの目印としての役割もあるのです。
盆提灯には、上からつるす「御所提灯(ごしょちょうちん)」と、下に置く「大内行灯(おおうちあんどん)」などがあります。大内行灯には、火袋の中に和紙などが貼ってあり、走馬燈のように回転するものもあります。「走馬燈のように」という言い回しがありますね。その意味はあたかも回り灯篭に映る影のように、様々な記憶やイメージが脳裏に現れては過ぎ去っていくさまを示す表現のことを言いますが、お盆に関連する言葉として、現代でも定着しています。
精霊棚・盆棚
精霊棚(しょうりょうだな)とは、盆棚ともいい、故人や先祖の霊を迎えるために、お盆のみに用いられる祭壇のようなものです。お盆の間は位牌を仏壇から取り出し、仏壇の扉は閉めて、その前に飾り付けをします。精霊棚の上に、位牌を中心に、香炉、花立、燭台が置かれ、お花、ナスやキュウリ、季節の野菜や果物、精進料理を供えた仏膳などを供えます。お盆のお供え物のことを「盆供(ぼんく)」と言います。お供えの中で、最も有名なのは茄子(ナス)と胡瓜(キュウリ)です。
ナスの牛・キュウリの馬
キュウリを馬に、ナスを牛に見立てて、つまようじや割り箸で四つ足をつけ、キュウリとナスを供えます。これは、先祖の霊があの世から戻ってくるときは、馬に乗って早く戻ってきて欲しい、逆に、あの世へ帰るときは、牛に乗ってゆっくり帰って欲しいという願いを込めたものです。
お盆が終わると、お供え物は、かつて小さな船に乗せて川や海へ流したりしていましたが、最近は、送り火で燃やしたり、お寺に納めるています。
<参考>
「仏教ウェブ入門講座」
「法事・法要・四十九日がよくわかる」
「仏事まめ百科」
「超便利、冠婚葬祭マナー」など
2019年9月20日(最終更新日2022年5月28日)