お彼岸:「春(秋)分の日」の仏教行事?

 

「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句がありますね。これは春分(秋分)の日が「季節の変わり目」である彼岸に当たり、春分の日を境に厳しい冬の寒さ、また秋分の日を境に夏の暑さに別れを告げることを言っています。では、春分(秋分)の日をお彼岸というのでしょうか?その由来も含めて、今回はお彼岸について解説します。

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  • 彼岸とは?

 

「春分の日」と「秋分の日」は、学校で学んだ通り、太陽が真東から登り真西に沈み、昼夜の長さ(時間)が同じになります。「お彼岸」とは、その春分の日(秋分の日)を中日とした前後3日間をあわせた7日間のことをいいます。春分・秋分の日だけがお彼岸でないのですね。春分の日(秋分の日)は、彼岸の中間に位置するので、「彼岸の中日(ちゅうにち)」と呼ばれ、春分(秋分)の3日前の日を「彼岸の入り」、3日後を「彼岸の明け」と言います。

 

また、春分(秋分)の日は、暦の上で毎年同じ日とは限らず、それがいつかによって、彼岸の期間が決まります。2022年の場合、春分の日は3月21日(彼岸の中日)で、彼岸の期間(春彼岸)は3月18日~3月24日となります(18日が彼岸入り、24日が彼岸明け)。秋分の日は9月23日、秋彼岸の期間は9月20日~9月26日です。なお、「彼岸」とだけ言った場合は、通常、春の彼岸を指し、秋の彼岸は「秋彼岸」と言います。

 

「お彼岸」には、家族そろってお墓参りに行き、お墓の掃除やお供え、焼香を行うなど、祖先を供養するのが風習となっています。では、なぜお彼岸にお墓参りをするのでしょうか?お彼岸は、一般的に仏教の行事とみなされているので、お彼岸に墓参りをする理由も仏教に関連していることが想定できます。ただ、インドやミャンマー、タイ、中国などの他の仏教国には、お彼岸の法要はなく、お彼岸は、日本特有の仏教行事と解されます。

 

 

  • お彼岸に墓参り

 

仏教では、「お彼岸」の行事を「彼岸会(ひがんえ)」といい、春分(秋分)の日の前後三日間の都合一週間を彼岸(ひがん)として、仏教の各宗派とも法要(ほうよう)などが営まれています。この仏教の「彼岸会」が現在の「彼岸」の由来とされています。この時期、在家信者さんは、お寺に詣でたり、お墓参りをしたりして、ご先祖の成仏を祈ります。

 

また、仏教では、比喩的に大きな川をはさんで、向こう側の岸(向こう岸)を指す「彼岸(ひがん)」と、こちら側の岸を意味する「此岸(しがん)」の2つの世界があると考えます。「此岸(しがん)」は、私たちが今いる現世で、迷いのある状態、煩悩に満ちた、生老病死の四苦、108の煩悩のある世界です。これに対して、「彼岸(ひがん)」は、悟りをひらいた者が到達する「ほとけ」の世界であり、「此岸」から解脱した「涅槃(ねはん)」の状態だと解されています。

 

もともと「彼岸」というのは、ある季節や期間を表す言葉ではありませんでした。彼岸は、古代インドのサンスクリット語(梵語ぼんご)の「パーラミター」(波羅蜜多) (はらみった)を漢訳した「到彼岸(とうひがん)」を略した言葉(仏教用語)でした。「彼岸に到達する(=到彼岸)」、つまり、彼岸(=到彼岸)とは、人間の苦しみ、恨み、悲しみ、喜びなどが混在している迷いの世界、煩悩の世界(「此岸(しがん)」)から、迷いのない悟りと安らぎの世界(「彼岸(ひがん)」)に到達することを意味していました。

 

この「彼岸」のサトリ(悟り)が、後々の世で意味が変形し、彼岸をあの世(死後)の「極楽浄土」を指すようになり、さらにそれが、亡くなった先祖たちの霊が住む世界を「彼岸」と考えるようになったと考えられています。これが「彼岸に墓参りするようになった背景と言えるでしょう。この彼岸に墓参りをすると言った風習は、江戸時代の頃から始まったと指摘されています。

 

 

  • 彼岸の墓参りと春分(秋分)の日

 

では、なぜ彼岸の墓参りが、春分(秋分)の日前後に行われるようになったのでしょうか?彼岸(会)の中日に当たる春分・秋分の日は、太陽は真東から昇り、真西に沈みます。

 

仏教では、「彼岸」は西にあり、「此岸」は東にあるとされ、春分の日と秋分の日は「彼岸と此岸が通じやすくなって先祖供養に良い、先祖に思いが届きやすい」と言われています。また、阿弥陀仏の極楽浄土は「西」にあるとされています(西方極楽浄土という言い方もありますね)。そのため、真西に太陽が沈む春分(秋分)の日は、夕日が極楽浄土への道しるべとなると考えられているそうです。

 

また、春分・秋分の日は、昼と夜が同じ時間になる特別な日でもあります。昼夜を二分すると言う点で、仏教でいうとらわれを離れた不偏中正(ふへんちゅうせい)の正しい決断や行動が行うことを意味する「中道(ちゅうどう)」の精神をあらわしていると考えられました。彼岸の時期には、中道の精神を発揮して、特に悟りの内容を実践することが期待されました。例えば、大乗仏教では、彼岸会の期間中に「六波羅蜜行」という仏教の修業が行われました。仏様の世界へ至る実践徳目として、他のために励む、決まりを守り、我慢強く耐え忍ぶなど、六つの実行を説いています。

 

ですから、仏教的な意味で彼岸は、此岸から彼岸へ渡ったご先祖の供養やお墓参りをすることに加えて、自分自身を見つめ直す機会にする日ということになります。

 

 

  • 彼岸のはじまり

 

お彼岸は、一説には聖徳太子の頃に始まったとされていますが、起源については定かではありません。ただ、記録として残っている彼岸会としては、桓武天皇の時代の806年(大同元年)、早良親王(さわらしんのう)の霊を鎮めるために行った彼岸会が日本初との見方が一般的です。早良親王というのは、桓武天皇の弟にあたる人で、長岡京遷都を提唱していた藤原種継を暗殺した疑いをかけられ、幽閉、配流され、憤死してしまいました。

 

その後、安殿親王(後の平城天皇)が発病し、天皇妃や母が病死します。また、巷(ちまた)では、天然痘の流行や、洪水、日照りなどの天災も相次ぎ、人々は早良親王の祟りではないかと恐れました。そこで、天皇は親王の御霊をなぐさめるために御霊神社に祀り、彼岸会をとり行ったというわけです。この時、早良親王を崇道天皇と追称することを決め、七日間の間、昼夜を問わずにお経(七日金剛般若経)を転読することを諸国の僧に命じたとされています。

 

彼岸(会)の法要は、この時から始まっております。仏教の観点からいえば、彼岸は、平安時代に鎮魂の法要から始まって、江戸時代にかけて、ご先祖様を供養する風習に変わりました。彼岸に墓参りをするようになったのも江戸時代からで、それが習慣化し、年中行事となっていきました。

 

そうすると、春分(秋分)の日の彼岸に先祖供養する(墓参りに行く)という風習は、もともとは仏教的な要素ではなく、仏教伝来以前に日本にあった風習ではなかったのかと推察されます。もともと、仏教は個人の悟りを大事にする宗教で、先祖供養という発想はあまりありません。

 

 

  • 日本の古来からの風習

 

実際、日本では、特に農耕との関係で、春分・秋分の日は季節を分ける重要な日として考えられていました。春分はちょうど種苗(種まき)の時期、秋分は収穫を控えた時期にあたります。農村部を中心に、春分の頃に豊作を祈り、秋分の頃に収穫に感謝して供え物をする五穀豊穣と収穫感謝の祭りが行われてきました。神社でも祈年祭や新嘗祭などの祭祀が行われています。

 

さらに、そこから、作物を育くむ太陽(自然)と、自分たちを守る祖先神や土着神への信仰が育っていました。例えば、山の神様を春分以前に山から里に迎え、秋分以降に里から山へ送る儀式が行われていたのです。自然神や祖先神に対する信仰から、祖先を敬い大切にする伝統が育まれ、春分(秋分)(彼岸の頃)に先祖の霊を敬い墓参りをする日本独自の風習が根付いていました。これは、皇室の先祖の祭儀に由来します。

 

古くは記紀などの古典に、皇祖の御霊(みたま)を祀った例が示されています。平安時代の中期以降、宮中では、歴代天皇の御霊を祀る行事が行われてきました。当初、仏教の影響もあり仏式で行われていましたが、明治以降、神仏分離によって神式による祭典となり、春分(秋分)の日を「春季(秋季)皇霊祭(こうれいさい)」と定められました。宮中において祖先をまつる日となった事がきっかけで、一般市民の間でもそのように定着し、「春分(秋分)の日」には、家々で祖先の御霊をお祭りするのが風習となっていったと見られています。

 

また、太古の日本と仏教の死生観が一致したという側面もあるかもしれません。日本人は古くから死者は、遠く海の彼方にある「根の国」に往くと考えられていました(神話では地底深くとも表現されている)。仏教にも、私たちは死後、西方十万億土の彼方にあるとされる、阿弥陀仏のおられる極楽浄土に行けるという浄土信仰があり、日本でも流行しました。これが、日本人の間ではいつの間にか死者の国は西方にあると考えられるようになりました。この日本古来の考え方と仏教の極楽浄土の教えが結び付き、死者(=ご先祖様)を偲ぶ日としてお彼岸の行事が発生してきたとみられています。

 

このように、太古の人は、春分(秋分)の日を、「農作の春と秋を祝い、自然(自然神と祖霊神)に感謝する日」と見なしてきました。それが、仏教が伝来すると、春分・秋分の日がそれぞれ彼岸の中日にあたることもあり、浄土思想など仏教の教えや習俗が古来の風習と習合した結果、春(秋)分は「春(秋)の彼岸」として祖先を供養し、お墓参りをするといった風習が定着してきたと考えられます。

 

まとめると、お彼岸は、仏教の行事と思われがちですが、日本独自の伝統的な習俗が、仏教の教えと結びついて発展したもので、もともとは日本の伝統的な祖先を敬い大切にする信仰に由来しています。ですから、彼岸は、他の仏教の国にはない、日本的な仏教行事というよりは、古来からあった日本の習俗と仏教文化が融合して現在の姿になった神仏習合の所産という方がより適切なのかもしれません。

 

 

<補足>

「お彼岸」と「お盆」

 

 お墓参りをする機会といえば、お彼岸以外には、お盆を連想できるでしょう。お彼岸は、「ご先祖様へこちらから歩み寄る」のに対して、お盆は、「ご先祖様を家へお招きする」というご先祖様に対する接し方が異なるという違いはありますが、どちらもお墓参りをする点では似た行事です。このお盆も、一見すると仏教行事のように思われがちですが、こちらも、日本人の祖先崇拝と仏教の盂蘭盆会が融合したものです。「お盆」については、「お盆:祖霊を迎える夏の風物詩」を参照下さい。

 

投稿記事「皇霊祭・神殿祭:春(秋)分の日の宮中祭祀」も併せてお読み下さい。

 

 

<参考>

お彼岸の由来-日本オリジナルの行事?-(大野湊神社)

秋のお彼岸、お彼岸の由来と歴史を解説! 早良親王の祟り? 波羅蜜って?

お彼岸の話し(こよみのページ)

暦と天文の雑学

2020年のお彼岸はいつ?由来や意味、お供えについて知ろう|(四季の美)

春分・秋分(彼岸)は特別な日。ぼた餅とおはぎの素敵な関係。

 

2020年3月28日(最終更新日2022年5月23日)