「日本の農業 その現実と未来」をテーマに、「農政」、「食料安保」、「食の安全」に区分しながら、日本の農業をさまざまな観点から解説しています(シリーズの他の投稿記事については、末尾の「関連投稿」欄を参照下さい)。今回は、「農政」に関して、コメの価格形成についてまとめました。
現在のコメ価格はどのように決まっているのでしょうか?「令和の米騒動」において、コメの価格が下がらない背景の1つとして、コメの価格が決まる仕組みが複雑なことが一因とされています。コメの流通制度の変遷もふまえながら、そのメカニズムを説明します。
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1995年に食糧法が制定され、コメの流通が自由化されたことによって、米のとれる量やおいしさによって自由に値段が決められ、また、米を買う消費者の立場もより反映された値段となることが期待されました。つまり、競争によってコメの「市場価格」が決まるはずでしたが、コメには特殊な価格決定メカニズムがあることから、現実的にはそうなっていません。コメの相場がわかりにくい背景にJA農協の存在があると指摘されています。
<コメの特殊な価格決定メカニズム>
コメが農家から消費者に届くまでに、次のような流通プロセスを経ます。
生産者(農家)⇒集荷業者 ⇒ 卸売業者 ⇒ 小売業者 ⇒ 消費者
日本のコメ流通の仕組みは複雑で、まず、生産者(農家)は、一般的にJAなど「集荷業者(集荷団体)」と呼ばれる仲介業者にコメを渡し、その業者が米問屋など卸売業者に割り当てます。
その後、集荷業者からコメを仕入れた卸売業者は、精米・ブレンド・包装などを経て、スーパーマーケット、米穀店など小売業者(小売店)やレストランに販売し、消費者である家計に届きます。
この流通のプロセスの中で、小売価格、相対価格(卸売価格に該当)、概算金という3つの代表的なコメ価格があります。
◆ 小売価格
小売価格は、スーパーマーケットなど小売業者が消費者に提示する価格、すなわち、消費者が店頭で支払う価格で、精米5kg、10kgの価格、1俵(60kg)の価格などで示されます。
これは、ほかの農産物や製品と変わりませんが、次に説明する相対価格と概算金が、コメの特殊な価格決定メカニズムの原因となっています。
◆ 相対価格(相対取引価格)
相対 (そうたい) 価格は、JAなど集荷業者が、年間を通じて適時、卸売業者に提示(販売)するコメ価格で、集荷業者が出荷する際、集荷業者と卸売業者とのあいだで直接交渉によって決められます。卸売業者からすれば集荷業者から仕入れている価格のことです。
この売り手と買い手が直接交渉して価格を決定する取引を、相対(あいたい)取引と言いますが、コメの場合、卸売市場のような公的な市場は存在していないので、相対取引が主流となっています。ゆえに、相対取引で決まる価格を、相対価格(相対取引価格)といい、通常のモノの取引のように卸売価格とは呼びません。
一般にニュースで報じられる「米価」は、卸売段階の取引価格(相対取引価格)を指す場合が多く、これが市場における米の基準価格となります。
かつては、一時、この相対価格は、1990年から2009年ごろまでは、コメ価格センター(正式名称「全国米穀取引・価格形成センター」)が、その価格を代表しようとした時期もありました。
センターは、全農(JA農協)など自主流通米を取り扱う法人が上場し、登録卸売業者が応札、落札することで価格を決める公設市場でした。しかし、徐々に取扱量が減少し、コメ価格センターは、コメ価格形成の主導権を握れずに、2011年にコメ価格センターそのものが廃止となってしまいました(取引所については後述)。
このため、「相対価格(相対取引価格)」は、農水省が、JAグループ(全農、道県経済連、県単一農協)や、ほかの出荷業者・団体などに対して報告を求め、これを農水省が取りまとめて、取引月の翌月に発表されるようになりました。
ただし、公表されるのはリアルタイムではなく、半月以上の遅れがあるなど、後にならないと価格が分からないという問題があります。また、相対取引は直接交渉なので、市場でオープンに取引されているわけではなく、相対価格がコメの適正価格か否かはわかりません。
卸売業者は相対価格をベースに自らのマージンを加えてスーパーや小売店に販売します。相対価格が下がらなければ小売価格も下がらないので、JA農協が価格を操作しているとの批判も絶えません。
実際、市場の40~50%を占有するJA農協は、市場への流通量を減少させることで、相対価格を高く維持できます。過去には、在庫を調整することでコメの値段を操作していたと言われています。
◆ 概算金
概算金は、コメ価格形成に重要かつ独特な価格体系で、JA農協がその年の秋の収穫後に、農家に一時金として支払われる仮払金(仮渡金)をいいます。
その年の生産見通しや販売見込み(販売契約営業状況)などをもとに、概算金(仮払金)の水準を県単位で全農本部・経済連が決定し、個々のJAに提示します。これを受け、各JAが農家に対して、JA独自の概算金を、集荷時に農家に支払います。金額は約500のJAごと・品種ごとに異なります。
その後、JA全農が実際の販売が完了した時期(半年から1年半後までの間)に、実際の価格(最終価格)を踏まえて代金が調整されます。たとえば、最終価格が上がると農家に追加払いがあります(下がるとその分を農家から徴収することもある)。 最終的な精算は販売完了後1~2年程度後に、県単位で実施されます。
なぜ、概算金のような制度が存在するのかといえば、JAは組織上、「協同組合」だからです。
株式会社と異なり、「協同組合」というその組織は、公平性を重視し、「平等主義」を原則とする組織です。コメは多くの産地で1年1作であり、年間を通じて販売するため、販売価格が異なります。そのため、農家のあいだでばらつきが出るのは好ましくないとして、すべてを販売したあとに精算して分配する仕組みになっているのです。
◆ JA農協とコメ価格
コメの価格についてまとめると、概算金は、農家がコメをJA農協(集荷業者)に引き渡した時に仮渡金(一時金)という形で、受け取る価格です。
相対価格(相対取引価格)は、コメがJAなど集荷業者から卸売業者に渡されるときに話し合いで決まる価格で、農家に支払われた概算金に、保管・運送・検査コストなどの流通経費や手数料などを上乗せしたものとなります。逆の見方をすれば、この相対価格からJA農協の手数料などを差し引いた価格が生産者価格(農家の価格)となります。
その後、コメが卸売業者から小売業者にわたり、店頭で消費者の販売される価格が小売価格で、これは、卸売価格に流通コスト(保管費、運賃、検査費用など)と小売店の利益が加算されて決まります。
この一連の流通過程で、取引量の40%以上をカバーするJAグループは、コメの価格決定に大きな影響力を持ち、コメ価格決定の支配権を握っていると見られても不思議ではありません。
たとえば、「(会員である農家を守ろうと)JA農協が農家に提示する概算金を引き上げ」れば、その結果、「流通段階の相対取引価格が上昇」し、「最終的な小売価格も上がった」という値上がりの図式が想定されます。
逆に、現状の一般的な小売価格が先にあって、「これぐらいの量が集荷される」と予想し、その量を販売するのに「これぐらいの価格ならさばける」として、流通段階での相対価格が先に決まり、その価格を前提に概算金が提示されるという価格形成プロセスも考えられています。
もちろん、農協がつねにコメの価格を操作しているわけではないので、平時における価格決定であれば、このパターンも考えられます。
<コメ価格形成の歴史>
◆ 食糧管理法の時代
コメは日本人にとって欠かせない主食で、戦時中から不足していたため、政府は1942年に食糧管理法(食管法)を制定し、食糧管理制度(食管制度)を創設、政府がコメを買い上げて、国民に平等にコメを供給する配給制度を実施していました。
この食管制度は、戦後になっても継続され、実に1995年まで存在していました。その間(1948年以降)、JA農協が農家から集荷した米を、政府が一元的に統制された価格で買い入れ、指定の卸売業者に販売、卸売業者から米店というルートで流通していました(このとき農家からJA農協への集荷率は95%と、JAがほぼ独占)。
コメの買取価格自体は、政府が米価審議会に諮問し、その答申に基づいて決めるという仕組みで、コメの生産費を考慮しながら、農家への所得補償という観点から政府が決定していたのです。
自主流通米制度
食糧管理制度の下で、コメと言えば、政府が買い上げる政府米をさし、米は国の直接管理下にありました。その後、政府は、1969年、自主流通米制度を創設(導入)しました。
政府米以外に、また、戦後の混乱期に流通していた自由米(ヤミ米)とも異なる、政府を通さないで特定のルートで流通する自主流通米を認めるようになりました。自主流通米制度は、言わば、政府を通さないコメの流通を統制制度の下で認めたものです。
自主流通米は、国の定めた流通制度の枠内で自由に売買できました。各地で作られた自主流通米(後の計画流通米)は、生産者から委託をうけた指定集荷業者(ほとんどJA農協)が県単位で集め,さらに全農という全国組織が管理して、自主流通米を扱う大手の業者(指定卸業者)などに直接売られ、米屋さんやスーパーに並ぶという仕組みでした。
価格は、政府は直接関与せず(価格決定権は政府の手を離れた)、集荷業者であるJA農協と卸売業者との間で、その年の米の出来ぐあいや質によって、年々決められました。
1990年以降、自主流通米は、「自主流通米価格形成センター」というところでの入札取引も開始され、価格形成の主導権を握ることもありました。(集荷業者(農協)と卸売業者間での値決めの際に、センターの米価が参考にされた)。
ヤミ米市場
なお、自主流通米とは、政府米に対していうことばで、この当時はまだ、ヤミ米(自由米)の存在は認められていませんでした。
ヤミ米(自由米)は、終戦直後の食糧難時代から、政府米とは別に不正規に流通を始めました。その後、「特別うまい!」というのが売り文句に「おいしい米」を作ろうとする農家が、産地直売所等を通じて、直接消費者に販売したり、逆に業者が農家に直接買い付けに来たりする形で、市場に供給されていました。新潟県魚沼産の「こしひかり」.富山平野の「こしひかり」,八郎潟の「あきたこまち」などの有名ブランド米は、こうして誕生したのです。
このように、自主流通米が認められた結果、食管制度の下で、コメは、制度下された(政府が買い上げる)政府米と、自主流通米、それに、規定に反したヤミ米(自由米)が流通することになりました。
食糧管理法とその食糧管理制度は、1995年食糧法の制定で廃止され、2004年の改正食糧法で、流通の自由化が形式的には実現していくことになります。
◆ 食糧法の時代(1995〜2004)
食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)は、1994年12月に公布、翌1995年11月に施行された法律で、食料安全保障の観点から、コメや麦といった国内の主要な作物について、流通や価格の安定をはかることを目的に制定されました。
計画流通米制度
食管法から食糧法へ変化したことで、食管統制の基礎であった生産者の政府への米の売渡(米供出)義務が廃止されました。これは、従来の食糧管理法で、政府がコメの生産量を管理していたのに対して、民間流通による調整を前提とする仕組みへ変更されたことを意味します。
この売渡義務の廃止によって、これまで、非合法だった自由米(やみ米)が公認され、名称も、計画外流通米となりました。
また、政府米と自主流通米は、計画流通米となり、しかも、その大部分は自主流通米であり、これに政府米とあわせて計画出荷されました。
この結果、政府米とは、食管法のときとは違い、政府が備蓄を義務づけられた政府備蓄米のことをいうようになりました。しかも、政府による米の買入は、備蓄用米に限られ、一定期間、倉庫に保管された後、買い換えられ、古米として市場に放出、「スーパー」や「お米屋さん」で売られます(これが流通する政府米となる)。
計画流通米の価格については、自主流通米の価格は、コメ価格センター(旧・自主流通米価格センター)(1990〜2011年)での需給によって変動するのに対して、政府米(備蓄米)の買入価格は、コメの生産費と自主流通米価格の動向を参照して決められますが、結局、政府米の価格も、自主流通米の影響を受けて、その時点の需給を反映したものになります。
このように、食糧法が定めた、農家が販売する米(流通する米)は、計画流通米である自主流通米および政府米(備蓄用米)と、計画外流通米(旧自由米)に分かれる計画流通米制度が導入されたのです。
(詳説)政府備蓄米
政府備蓄米の制度は、1993年の大凶作を受けて導入されたもので、食糧法では、政府備蓄米を、「生産量の減少により供給が不足する事態に備え、必要な数量の米穀を在庫として保有する」ことと定め、災害や戦争がおきたときのために一定量を倉庫に保管されました。
食糧法に基づく基本指針では、政府が国内産を毎年20万トンほど買い入れ、10年に1度の不作や、不作が2年連続して発生しても対処できる水準として、100万トン程度を目安に最大5年間保管するよう求めています。
備蓄米は、各地の低温倉庫で管理され、一年後の買い換えの際に、古米として市場に放出され、古米として流通せず、期限を過ぎた場合は飼料用などとして売却されます。
なお、政府は2025年1月31日に基本指針を見直し、流通の円滑化を目的に1年以内に同じ品質で同じ量のコメを買い戻せば放出できるようにしました。
◆ 改正食糧法の時代(2004〜)
しかし、2004年4月、食糧法が改正され、計画流通制度そのものが廃止されました。
1995年の食糧法の下で始まった計画流通制度のもとでは、当初、計画流通米が流通の主体となると思われていましたが、実際には、制約の少ない計画外流通米のシェアが上昇し、計画流通制度は形骸化していったのです。
コメの流通と販売の自由化
この結果、計画流通米と計画外流通米という区別はなくなり、これにより、ようやくコメの流通は完全に自由化され、民間にゆだねられることとなりました(コメが普通の商品と同じように、自由に売り買いがなされるようになった)。これは、流通の自由化で、「売る自由(販売の自由)」が確保されたことを意味します。
従来は、「流通ルートの特定化」(生産者⇒出荷業者⇒卸売業者⇒小売業者)として、各段階の業者は、この流れに沿って取引するように規制されていましたが、改正法の下では取引は基本的に自由となりました。小売商が農協(集荷業者)や農家(生産者)と直接取引してもよいし、逆に、集荷業者などが直接小売商と取引してもよくなりました。
取引対象のコメも、計画流通米に加えて、農家が直接,消費者に売る(これまで販売のできなかった)計画外流通米も、JAや農家が、「スーパー」や「お米屋さん」などで、自由に販売先を決められるようになりました.
流通業者の自由化
また、食管法では、卸売業者や米問屋などの流通業者は指定制(許可制)で、精米・加工など米を扱う業者になるには,倉庫や取扱量などさまざまな制約があり、その参入は制限されていました。
しかし、食糧法では業者は登録制(届出制)になり、年間20トン以上のコメを扱うという一定の登録要件を満たしていれば、誰でも、届け出だけで、自由にコメの売買ができるようになりました(事実上、誰でも扱えるようになった)。なお、コメの移動は政府に報告しなければなりません。
「作る自由」は限定的
一方、食糧法によって、「売る自由」が形式的ながら完全自由化されたのに対し、「作る自由」は、生産調整(減反)の問題があるため、必ずしも十分ではありませんでした。
「(コメの)作る自由」と、コメの価格形成に直接の関与はありませんが、生産調整(コメの減反政策)は間接的な影響はあります。
日本では、1971年からコメの減反政策が実施され、現在、形式的に減反政策は廃止されたといはいえ、生産量目標の提示がなされています(実質的に、減反政策は存続)。
米価との関係で言えば、(当時)コメの生産能力が過剰であったので、生産調整なしには、米価下落は避けられないと考えられていました。もっとも、生産調整は、基本的に政府の仕事ではなく、農家が自主的に行うもので、それを政府が援助する事業と位置づけられていました。
食糧法では、政府が買い入れる米は、生産調整に協力した生産者からに限られます。しかも、過剰米はかつてのようにすべてが政府の手に集まるわけではなく、その量は備蓄量に制限されています。また、買入価格が食管法のときのように米価の下支え価格にはなりませんし、最低価格の保証もありません。さらに、自主流通米の過剰は、農協等により調整保管されます。
◆ 食糧法とコメ価格
コメの価格は、食糧管理制度下、少なくとも1980年代までは政府の管理下にありましたが、1995年の食糧法の時代、コメの価格はどのように形成されていたのでしょうか?
前述したように、食糧法以降、コメの価格とは、当初、流通する米が主として自主流通米(計画流通米)であったため、米価は自主流通米の価格で、さらに、「集荷業者が卸業者に販売する価格」である「相対取引価格」をさしました。
自主流通米の値決めは、自主流通協議会方式と呼ばれる、主要ブロック(札幌 東京 名古屋 大阪 福岡)ごとに、指定法人(全農、全集連)と卸売業者との当事者間の交渉によって行われていました。
*自主流通協議会
1969年の自主流通米制度の発足をうけ、当時の食糧庁の通達に基づき設置された団体で、指定法人(全農、全集連)および卸売業者団体(全糧連、 全米商連)で構成された。
しかし、価格形成の透明性・公平性に欠け、需給動向や品質評価が十分反映されていない等の問題点が指摘されてきました。
具体的には、国産米には、青果や花卉(かき)のように自由に取引できる市場がなければ、国内にはコメの相場を大きく映し出すような指標もありません。
農家や業界関係者は、概算金は分かっても、集荷業者と卸売業者間の相対取引における米価(自主流通協議会方式による値決め)を把握することや、JAが卸売や小売にいくらで売っているかも分かっていなかったのです。こうした問題は、米価が乱高下するたび問題視されてきました。
自主流通米価格形成センター
そこで、コメ取引に市場原理を導入するため、1990年8月に、自主流通米価格形成機構が設置、入札による取引が実施され、価格に関する情報収集・提供なども行うようになりました。
さらに、GATT(関税と貿易に関する一般協定)におけるウルグアイ・ラウンド農業合意を踏まえ、新たな国際環境に対応したコメ管理システムの構築の必要性などから、自主流通米価格形成機構は、1995年11月に、「自主流通米価格形成センター」に名称変更されました(農林水産大臣から食糧法に基づいて指定)。
この「自主流通米価格形成センター(自主流通米価格形成機構」が形成された1990年以降、実質的なコメの価格決定権は、センターでの入札取引、つまり市場経済的に決められるようになるなど、当時、「自主流通米価格形成センター」での価格が米価を代表(主導)しました。
公設市場となった自主流通米価格形成センターにおける入札制度では、全農、全集連など自主流通米を取り扱う法人(自主流通法人)が上場したコメ(玉)に、登録卸売業者が応札、落札することで価格が決まりました。また、自主米流通量の3分の1を下限に*上場義務もありました。取引場は東京・大阪に2か所あり、入札回数は、東京、大阪あわせて12回でした。
*上場(じょうじょう):取引所(場)で売買すること
自主流通米価格形成センターに上場されるコメ(自主流通米)の3分の1以上の上場義務があったということは、ほか(残りの3分の2)のコメは、集荷業者と卸売業者との相対で取引(売買)されていたことを意味します。
それでも、その場合の相対取引価格は、センターで形成された落札価格(加重平均落札価格)が「指標価格」となっていました。
もっとも、価格形成には一定の変動幅が設けられており、完全に自由というわけではありませんでしたが、コメの価格形成は、政府の手を離れ、民間同士の取引が基本となったのです。
逆にいえば、政府による流通規制は輸出入と緊急時に限定され、コメ取引に政府が関与しているのは、政府米(備蓄米)の買い入れとミニマム・アクセス米の取引のみとなりました。
コメ価格形成センター
自主流通米価格形成センターは、食糧法が改正された2004年4月に、全国米穀取引・価格形成センター(略称:米穀(コメ)価格形成センター)に改称されました。
自主流通米価格形成センターは、自主流通米(計画流通米)の価格形成を支援することを主目的とした組織でしたが、全国米穀取引・価格形成センターは、米穀の取引価格に市場原理をより反映させることを目指し、産地や銘柄や売買の量などによって価格が決められるようになるなど、本格的な取引所の役割を担うことが期待されました。
また、改正法では以下のような規定も盛り込まれ、米穀(コメ)価格形成センターの発展が見込まれました。
・入札以外の方法による取引の実施を認める (取引方法の拡充)
・取引参加者の参加要件を大幅に緩和する
・全国一個の規定を廃止し、複数のセンター設立を認める
・先物禁止規定を削除する
しかし、同時に、3分の1を下限に求められた「上場義務」は廃止され、また、センター以外で取引される米価の基準値とされていた指標価格による制約も解除された結果、センターでの取扱量が激減してしまいました。
東京・大阪に2か所あった取引場(所)も、東京1か所に集約され、立会そのものが廃止されるに至り、2011年3月末をもって、「米穀価格形成センター」は解散となってしまいました。
国内唯一の公的なコメの現物市場であった「米穀(コメ)価格形成センター」が廃止となった最大の原因は、流通販売の形態の多様化に加えて、競争による米価の下落を恐れた農協(全農)が、同センターへの上場を減少させ、意図的に価格を操作しやすい相対取引に移行しようとしたからだと指摘されています。コメの価格を操作したいJA農協の意思が働いたというのです。
*現物市場と現物取引
その時々の市場の時価で売買し、実際の商品を受け渡しする(手持ちの米を販売する)通常の取引を現物取引といい、現物取引が行われる場が現物市場である。
先物取引
一方、米穀価格形成センターは閉鎖されましたが、市場によるコメの価格形成を実現するために、先物取引の利用が目ざれ、商品取引所から先物取引の申請が度々行われました。
先物取引とは、将来の決められた日(受渡日)に、ある商品をあらかじめ定めた価格で売買することを現時点で約束する取引のことです。
たとえば、3か月先に価格が上がる(下がる)と予想されれば、先物市場において、現在の価格水準で、3か月後に買う(売る)注文をします。もし、相場が予想通りに推移すれば、この注文を実行し利益をえることで損失を回避することができます。予想が外れた場合は、先物の注文を「キャンセル」して、通常の現物市場でそのまま売買すればいいのです。
先物取引は、このように価格変動リスクをヘッジ(回避)する手段として利用され、農家にとって経営を安定させる機能を果たします。
実は、この先物取引を世界に先駆けて創設したのが日本で、江戸時代の1730年、大阪堂島のコメ市場において、最初の先物取引が始まりました。先物取引は、現代でも取り扱われている複雑で高度な金融商品です。同時の大阪商人の優秀さがうかがえます。
しかし、堂島での取引は、その後、戦時下の1939年、統制経済に移行すると否定され、堂島の先物市場は閉鎖されました。
戦後、先物取引が復活することはありませんでしたが、民主党に政権が移った2011年8月、農林水産省の認可を受けた関西商品取引所で、「新潟県産コシヒカリ」といった特定産地の銘柄を対象とし、コメ先物が試験的に上場されました。72年ぶりの先物市場の復活でした。
その後、東京穀物商品取引所でも試験上場され、二つの取引所でのコメの先物価格を、米価の指標とする試みがなされました。
実際、世界の先物取引の価格は、大豆やトウモロコシなど農作物だけでなく、原油などのエネルギーや、金・プランチナなど貴金属まで、現物市場の先行指標となって、現物価格を主導し、公正な価格が形成されています。
しかし、先物市場への参加者や取引量が広がらず、経営難に陥った東京穀物商品取引所は、2013年2月に解散し、コメの先物市場は、同じ年、関西商品取引所から名称変更した大阪堂島商品取引所に統合されました。
その後、堂島商品取引所は、コメ先物の本格的な取引きをめざし、何度も本上場への移行を申請しましたが見送られ、2021年7月、農林水産省は、取引の低迷や、「コメの先物は投機的なマネーゲーム」との批判を受けて、最終的に認可せず、取引は2023年11月にいったん廃止されてしまいました
当初、農林水産省は内々、先物の本格的な取り引きへの移行を認める方向で動き出したとされていますが、JA農協が反対し、その立場を代弁する農水族の自民党国会議員への調整や説得がうまくできず、頓挫しました。
JAは、農水省が試験上場の申請認可を検討しているときから、反対の全国運動を展開するなど、コメの先物取引を否定していたのです。
その理由は、現物取引である米の価格を操作できなくなるからです。これまでもJA農協は、たとえば、豊作で米価が下がりそうになると、在庫操作によって、コメの値段を支えるなどして米価を操作してきました。それが、先物市場で公正な価格が形成されると、価格操作が困難になってしまいます。
また、先物価格が上がると農家は利益を受けますが、JAにとっては現物価格で手数料収入が決定されるため、何らの利益も受けません。
そもそも、コメ先物の試験上場は認可されましたが、コメ流通量の4割を握るJAが先物市場への参加をボイコットするので取引が活発になることはありませんでした。このときは、コメの先物取引の本上場は、JA農協に潰されたと言えます。
コメ指数先物の開始
しかし、堂島取引所は、そこからの仕切り直した、2024年2月、コメ指数先物の本上場を申請すると、今回は、自民党の了承を受け、6月に農林水産省(政府)は認可し、8月から、コメの先物取引が始まりました。
ただし、取引対象は、かつてのコメ先物の「新潟県産コシヒカリ」といった個別の銘柄ではなく、「堂島コメ平均(正式名称:米穀指数)」という北海道から九州まで100を超える銘柄(日本全国の主食用コメ)の平均価格を指数化した商品です。
これまで、先物取引に反対してきたJAにとっては、取引が指数商品のみで、個別の銘柄を対象としないので、個別の銘柄の価格形成に大きな悪影響はないと判断したものと解されています。
現状、コメの先物市場は、指数取引がようやく認められた段階ですが、これが公正なコメの価格形成への第一歩となることが期待されます。
みらい米市場
堂島のコメの先物取引の認可に先立つ2023年11月、コメの現物市場「みらい米市場」が開設されていました。2011年3月に米穀(コメ)価格センターが閉鎖されてから、11年半ぶりの現物市場の復活です。ただし、「みらい米市場」は、コメの売り手と買い手がオンラインで取引する現物市場です。
農林水産省の後押しを受け、公益財団法人「流通経済研究所」を中心にコメ卸大手など16社が出資して開設され、生産コストではなく、需要と供給に応じてオープンな形で価格を決めることを目標にしています。
<公正な価格形成をめざして>
このように、現在、コメ取引は、新たな現物市場(みらい米市場)と先物市場(堂島コメ市場)で行われ、公正な価格形成の構築が目指されていますが、どちらも取引の量はまだ少なく、コメの価格形成をリードするには至っていないのが現状です。
その最大の原因として、いまなお実質的に政府が強く関与する生産調整が根本的な原因だとみなされいます。生産調整(コメの減反政策)によってコメは基本的にすでに需給調整した状態で流通しており、両取引所は市場として機能していないと指摘されています。
このため、現在のコメの価格は、商品取引所での指標を念頭におくとは言いつつも、JAなどの集荷業者と卸売業者「相対取引」で決まる値段が米価の主流です。まさにJA農協の思惑通りでしょう。
食糧管理制度があった時代、政府はJAからコメを買い入れ、卸売業者に売っていました。JAは農家に仮払金(概算金)を支払って、コメを集荷し、これを、年間を通じて卸売業者に販売しました。その間、コメの在庫を増減させて市場への供給量を調整し、この価格を操作していたのです(JA農協の既得権を守り抜いた)。
もっとも、米価の形成においては、現在のJA農協の意向は働いていないという主張もあります。たしかに、食糧管理法時代、国内で生産されたコメのほとんど(95%近く)を、JA全農(全国農業協同組合連合会)が集荷し、卸売業者に販売されていましたが、食糧法の施行以降、40%に急減しています。
しかし、それでも、今もなおJAグループが市場流通の40%以上占めている(農協にコメが4割も集まっている)との見方が有力です。何より、JA農協には、農水省と自民党の政治家を動かす、絶大な政治力を保持しています。
次回、JAの政治力を象徴的に表す、農政のトライアングルについてみていきます。
(関連投稿)
『日本の農業、その現実と未来』シリーズ
農政
食料安保
食の安全
(参照)
新しくなった食糧法(平成25年11月27日改訂版)
(玉川学園HP)
コメの価格が決まる仕組み 実は複雑?特殊なメカニズムに迫る
(2025年4月25日、NHKニュース)
『令和のコメ騒動』(2)コメ価格の一般的な決まり方:食料自給率と安全保障(第11回)
(2025.311、三菱総合研究所)
コメ価格のカギ握るJAは “強すぎる” ?備蓄米の9割以上を落札した巨大組織は自民党と深いつながり
(2025.4.26 MBSニュース)
JA全中はなぜ“農協の司令塔”の地位から転落したのか?「独裁」で組織が腐敗した内幕を元常務が大暴露!
(2025.5.20 DIAMOND online)
JAは本当に「農家の味方」なのか?…報道機関に圧力をかけ、不都合な真実を揉み消そうとする「JA組合長」の「ヤバすぎる実態」
(2025.03.29、現代ビジネス)
ほとんどのJAは「赤字」…経営難に陥り不正行為が蔓延している巨大組織「JA」の「厳しい現実」
(2025.03.29、ライブドアニュース)
JAがコメ高騰の主因か 農水省と自民農林族の「トライアングル」元凶 山下一仁氏に聞く(2025/5/22、産経)
農協60年ぶり改革 JA全中、指導権廃止を受諾
(2015年2月9日、日経)
<農協改革> JA全中は何が「特別な組織」なのか? 早稲田塾講師・坂東太郎のよくわかる時事用語
(2015/2/4 PAGE)
米価70%高騰の裏で、JA関連団体から1.4億円…“農林族のドン”森山幹事長に聞いた、「JAの意向」《元農水官僚が名指し批判》
(2025.3.26 文春オンライン)
「コメ農家の時給10円説」はウソである…日本人に高いコメを買わせ続ける農水省・JA農協の”裏の顔”利権を守るためにこの国の農業をダメにした
(PRESIDENT Online、2025.4.26)
「市場として機能してない」コメ現物市場「みらい米市場」開設1年 際立つ取引低調ぶり
(2024/10/17、産経)
(投稿日:2025.8.26)