ギリシャ共和国
(通称ギリシャ)(和名:希臘)
<概観>
ギリシャ(ギリシア)共和国は、バルカン半島の南東端に位置し、南を東地中海、西をアドリア海、東をエーゲ海に面している国で、アルバニア・北マケドニア・ブルガリア・トルコの4つの国と国境を接しています。
エーゲ海は、地中海につながるギリシアと小アジアにはさまれた海域で、多島海ともいわれるほど島が多いことで有名です。その中で、最南部の大きなクレタ島、中央部に位置するデロス島、小アジアに近いレスボス島やロードス島、ミロのヴィーナスが発見されたミロ島などがよく知られています。
ギリシャといえば、ヨーロッパの思想・文化に大きな影響を与えたギリシャ哲学やギリシャ神話、文学・演劇などの分野でよく出てきます。また、オリンピック発祥の地としても知られ、ギリシャの人々は、「ヨーロッパの創始者」を自負していると言われています。
しかし、現在のギリシャは、オリーブと観光業、造船業が盛んだとはいえ、先端産業など他の産業の発展が乏しいうえに、2000年代初頭の財政危機(ギリシャに端を発する欧州財政危機問題)で、経済的には「EUのお荷物」として扱われてしまいました。
王制から共和制へ
近代ギリシャは、もともと、オスマン帝国(オスマン・トルコ)から1830年に独立した国です。建国当初は共和制でしたが、君主制に移行しました(1832年から断続的)が、1974年に王制が廃止され、現在は共和制国家として存続しています。
1832年 ギリシャ王国成立
1924年 ギリシャ共和国
1935年 王制復活
1946年 内戦(〜49)
1967年 軍事クーデター (73年に一時共和制を宣言)
1974年 軍事政権崩壊後、王政廃止、共和制へ
君主制(王政)とは一人の君主(国王)が国を統治する国家形態であるのに対して、共和制とは国家の意思が君主ではなく、複数の人々の合議によって決定される政治体制です(現代では元首に大統領が置かれる)。
君主制廃止後、ギリシャ王家の人々はギリシャ国外で生活していますが、現在もギリシャ王家としての称号を保持しています。
<ギリシャの内政>
人口:約1,046万人(2023年)、国土は日本の約3分の1
首都:アテネ(人口約300万人)
宗教・言語
宗教はギリシア正教が大半を占めている。言語は現代ギリシア語(古代のギリシア語とは異なる)。
元首
カテリナ・サケラロプル大統領(2020年3月就任 任期5年)
首相
キリアコス・ミツォタキス(新民主主義党ND)(2023年6月〜)
議会
一院制(300議席、任期4年)
現在のギリシャでは大統領は基本的には儀礼上の国家元首であり、ギリシャ議会から選ばれた首相が行政府の長として実際の行政を担当する議院内閣制です。
政党
新民主主義党(ND)と急進左翼進歩連合(シリザ)
1975年の「ギリシャ共和国」の誕生後、ギリシャの内政は、大ギリシア主義を継承したカラマンリスの「新民主主義党(ND)」と、「ギリシア人のためのギリシア」を標榜した「全ギリシア社会主義運動(PASOK)」の二大政党が、選挙で政権を取り合いながらの運営となりました。その後、PASOKは後に「急進左翼進歩連合」(シリザ/SYRIZA)に継承され、現在は、新民主主義党(ND)と急進左翼進歩連合(シリザ)の二大政党制となっています。
<ギリシャの外交>
ギリシャは、1952年2月にNATOに加盟、1974年にキプロス紛争のおり一時脱退しましたが、EC加盟への動きに合わせて、6年後の1980年に再加盟しました。1981年にEC(欧州共同体)に加盟、93年にECがEU(欧州連合)になった際、その原加盟国12ヵ国のひとつとなり、さらに2001年には欧州共通通貨ユーロを導入しました。
近隣諸国との関係で、トルコとの関係は、共産圏と対峙している間は良好でしたが、1980年代末、東欧社会主義圏崩壊さらにソ連崩壊の後は、領土問題が再燃し、キプロス問題、隣国トルコとの間のエーゲ海領海問題などで緊張しています。また、ユーゴスラヴィアの解体に伴うマケドニアの独立に対しては、マケドニアの国名を称することにギリシアは強く反発し、国際問題化しました。
キプロス問題
キプロス(「キプロス共和国」)は、地中海の東の果てに浮かぶ島国で、その地理的条件のため、ときにはヨーロッパ圏となり、またときにはイスラム圏となる歴史を経てきました。
1829年のギリシャ独立を受けて、トルコ支配下でイスラム教徒と共存していたキプロスのキリスト教徒たちの間に「母なるギリシャにキプロスも統合されるべき」というナショナリズム(民族主義)が生まれました。
このナショナリズムは、1879年~1959年のイギリス支配の時代にさらに高まり、1955年には、イギリス植民地支配に対する反乱、ひいてはトルコ系住民への攻撃という形で、武力闘争が勃発しました。1960年にギリシャ系大統領とトルコ系副大統領を置くキプロス共和国として独立することで一応の決着をみました。しかし、その後もギリシャ系とトルコ系住民の間の対立は続き、1974年には島の総面積の37パーセントにあたる北部地域が「キプロス・トルコ共和国」として建国を宣言しました。
現在、キプロス島には、ギリシャ系住民等(全人口の約80%)は南部に、トルコ系住民(同約12%)は北部にという住み分けがなされ、南北キプロスの境界地帯には、トルコ軍と国連キプロス国家警備隊が監視にあたるという緊張状態が続いています。
マケドニア国名問題
ギリシアは、「マケドニア」はアレクサンドロス大王の時代からギリシアのものであるとして、旧ユーゴスラビアのマケドニアがその国名を使用することに反発、そのEU加盟にも強く反対していました。
その後も、両国の対立は続いていましたが、NATOの働きかけもあって、2018年6月、マケドニアが「北マケドニア共和国」と改称することに合意しました。ただし、両国マケドニア側には「北」を付けることに対して、ギリシア側にはマケドニアの名が残ることに対して、それぞれ不満を募らせています。
<ギリシアと欧州の財政危機>
慢性的な財政赤字が2009年に発覚、ギリシア財政危機が起こり、今も財政再建の苦悩が続いています。二大政党下、社会主義色の強いPASOK(パパンドレウ首相)も次第にEUの中での経済活動を重視するようになり、両政権とも政策に違いはなくなってきました。
両党とも党勢を維持するため、国民受けの良いばらまき政策をとりました。縁故主義に基づいて、支持者を国有企業の社員や国家公務員として優先的にかつ大量に採用したのです。その結果、国民の4分の1が公務員という異常事態に陥ってしまいました。
とりわけ、パソックは、支持基盤である労働組合の要望をどんどん吸い上げて、賃上げ、有給休暇の増大、退職の年齢を早めていったので、ギリシャの労働者にとっては、55歳で定年を迎え、あとは悠々自適に暮らす天国のような待遇を実現させたのです。
しかし、これは、公務員の人件費や年金の支払いなどの支出増大となり、巨額の財政赤字として累積していきました。しかも、その財政状態の悪化は、国民に隠蔽され続けました。
ギリシャは、アテネ五輪(2005年)を前にユーロ導入を急ぎました。ギリシャの通貨ドラクマは国際的信用が低いため、ユーロのほうが有利だからです。しかし、ユーロ導入には、「財政赤字がGDPの3%以内」という基準があります。それゆえ、ギリシャ政府は、国ぐるみの粉飾決算によって基準を満たそうとしたのです。2001年、ギリシャはユーロ導入を果たし、表面的な経済安定の中で、2004年にはオリンピックをアテネで開催しました。
2004年以降は、ND(新民主主義党)が政権与党でしたが、2009年10月の総選挙により、ヨルゴス・パパンドレウ党首を首相とするPASOK政権が発足すると、財政の実態を暴露し、財政赤字を大幅に上方修正しました。
このギリシアの歴代政権による国家財政数値の粉飾は、ギリシア国債の債務不履行の不安(信用不安)を呼び起こしました。新政権は公務員の人件費の大幅抑制、公共事業の凍結、年金の削減などの緊縮財政を打ち出しましたが、国民に負担を強いることになり、ストライキが続発しました。
「ギリシア財政危機」はEU加盟国内の財政不安を抱えているスペインやポルトガルに飛び火することが懸念され、2010年から2011年にかけて、ユーロそのものの信用失墜と暴落を引き起こすユーロ危機が発生、2008年のリーマン=ショックに続いて世界経済が混乱しました。
この危機は、EU全体の経済が麻痺することが考えられたため、EUは巨額の支援をギリシアに与えるとともに介入を強め、強引に危機を乗り切ろうとしました。
2011年5月、ユーロ圏各国と国際通貨基金(IMF)はギリシアに対し最大1100億ユーロ、2012年3月には第2次支援として最大1300億ユーロの支援を決定しまし、債務不履行になるといった最悪の事態は避けられました。ただし、その条件として徹底した財政緊縮を要求したために、ギリシア内部では、EUの過剰な介入に反発する声が強まりました。
財政危機後のギリシャ
2015年1月、「反緊縮」を掲げた「急進左翼進歩連合」(シリザ)が総選挙で勝利し、チプラス政権が誕生しました。チプラスはEUへの反発を前面に打ち出すことで大衆の支持をえました。しかし、EU側は「ユーロ圏離脱」をつきつけて緊縮財政の要求を取り下げなかったため、チプラス政権は結局、緊縮財政に政策転換を強いられ、国民の支持を失うこととなりました。
なお、2019年7月のギリシアの総選挙で、チプラス首相のシリザが敗退、中道右派の新民主主義党(ND)が第1党となり、新首相にNDのミツォタキスが就任しました。
<日本とギリシャとの関係>
日本とギリシャは、1899年に修好通商航海条約が締結され、明治天皇と2代目国王ゲオルギオス1世の時代に国交が開かれて以来、伝統的な友好関係を築いています。
1999年の修好100周年の機会には常陸宮両殿下がギリシャを訪問し、2019年には修好120周年を記念して様々な記念行事が行われました。2024年5月には、外交関係樹立125周年および「日本・ギリシャ文化観光年」のおり、秋篠宮家の次女・佳子内親王殿下が、ギリシャを公式訪問されました。
なお、「日本・ギリシャ文化観光年」は、ミツォタキス首相と岸田首相は2023年1月の会談で決定したもので、2024年を「日本・ギリシャ文化観光年」と規定されました。
<関連記事>
ギリシャ王室:かつてギリシャにも王がいた!
ギリシャ史 (古代):エーゲ文明からローマ支配まで
ギリシャ史 (近現代):独立戦争から王政崩壊まで
古代オリンピック:ゼウスの神域・オリンピアの祭典
<参照>
ギリシャ問題、実は「宗教」に起因していた!「地政学」で経済ニュースがよくわかる (2015/12/26 、東洋経済online)
ギリシャ共和国(外務省)
ギリシャ基礎データ(外務省)
ギリシャとは?(コトバンク)
ギリシャ(世界史の窓)
ギリシャ(Wikipedia)
各種報道記事
(投稿日:2024年10月11日)