日本国憲法の制定過程や、各条文の成立経緯を検証した「知られざる日本国憲法のなりたち」を連載でお届けしています。第3章の「国民の権利及び義務」の中から、今回は31条の「適正手続の保障」についてです。
憲法の性質別の分類では、憲法31条は、他の人権規定とは性質の異なる自由権の中の「人身の自由」に属します。人身の自由とは、精神の自由(19~21条など)や経済の自由(22、29条)の人権を保障するための規定で、国民の権利・自由を手続きの観点から保護しようとしています。しかも、憲法31条は、人権そのものではなく、逮捕や刑罰などの手続きが適正であることを保障したもので、31条以下の具体的な「人身の自由」に関する権利が規定される前の原則などを包括的に記しています。
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第31条(適正手続の保障)
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
刑事事件の捜査から始まり、犯人逮捕・起訴、そして裁判と続く一連の刑事手続きにおいて、「法律によって定めなければ、死刑(生命を奪う)や懲役(刑務所に監禁し自由を奪う)などの刑罰を科せられない」と規定し、人身の自由の基本原則である適正手続きを保障しています。
<31条の解釈>
刑事手続きが、法律ではなく、内閣の政令や検察官・警察官の命令によって決めてはいけないわけです。これを許せば、いわゆる公権力(行政側)有利の手続きになっては公正な裁判ができなくなってしまう恐れがあるからです。
また、たとえ手続きが法律で定められていたとしても、その法律で定められた手続きそのものも適正であることが求められています。例えば、逮捕するにあたって、被疑者にあらかじめその不利益の内容を告知し、弁解と防禦の機会を与えなければなりません。いわゆる「告知と聴聞」を与えることなく逮捕すれば、それは不当逮捕となってしまいます。
さらに、刑罰の内容(中身)そのものも法定される必要があります。何が犯罪で、また罪を犯すとどのような刑罰が科されるかを、あらかじめ法律で定められていなければなりません。これを罪刑法定主義の原則といって近代刑事システムの基本原則とされています。
加えて、法律で定められた刑罰そのものも適正であることが求められています。例えば、窃盗を犯したものをすべて死刑にする、政府を批判すれば重罰に処されるなど法律が不当であれば、被告人の人権を守っているとはいえません。「悪法も法なり」ではだめなのです。
刑事司法手続きは、起訴された人が有罪か無罪かを確定させるための手続きですが、憲法は、このように、31条で刑事手続きにおける公権力の不当な行使を抑制しようとしています。
<31条はアメリカ製?>
「適正手続きの保障」という考え方は英米法の伝統的な理念で、日本国憲法第31条も、合衆国憲法の「適正手続き条項(デュー・プロセス)」に由来しています。
アメリカ合衆国憲法(修正第5条)
…何人も、法の適正な過程によらずに、生命、自由または財産を奪われることはない…
さらにいえば、「適正手続きの保障」という考え方は、古くは1215年制定のイギリスのマグナ・カルタ(大憲章)に遡ると言われています。マグナ・カルタは、国王ジョンが貴族たちの要求に応じて、恣意的(勝手な)逮捕・拘禁や、課税を行わないことを認めた文書です。
イギリスでは以後、刑罰などを課す場合にはその手続きを法律で定めるという人権の手続的保障を重視する伝統が、「コモン・ロー(慣習法)」として定着、発展していきました。その背景には、当時のイギリスの魔女裁判などで重大な人権侵害が行われていたことへの反省があると言えるでしょう。
また、フランスやオランダなどヨーロッパの大陸側の国(大陸法の国)でも、法律に信頼を置いた罪刑法定主義の考えが発展していきます。
フランス人権宣言(1789年)(第7条の一部)
何人も、法律により規定された場合でかつその命ずる形式によるのでなければ、訴追され、逮捕され、または拘禁され得ない。
このように、日本国憲法31条は、この英米法と大陸法の両方を採用して制定されたとされたと言えますが、日本国憲法の制定にアメリカ(GHQ)が直接関わったこと、かつ31条の文言から判断して、31条は、アメリカ合衆国憲法のデュー・プロセスを根拠としていると言えるでしょう。
<帝国憲法下の「適正手続きの保障」>
もっとも、帝国憲法においても、生命や自由などの文言はありませんでしたが、法定手続きの保障は定められていました。
帝国憲法第23条(身体の自由)
日本臣民ハ法律ニ依(よ)ルニ非(あら)スシテ 逮捕監禁(かんきん)審問(しんもん)処罰ヲ受クルコトナシ
日本臣民は法律によることなく、逮捕、監禁、審問、処罰を受けることはない
しかし、法律で定められた手続きそのものも適正であったかというと、拷問による自白が強要された事例があるなど、法定された手続きの適正は満たされていませんでした。また、罪刑法定主義は採用されていたとはいえ、法律で定められた刑罰そのものも適正であったとはいえませんでした。かつての治安維持法のように「悪法も法なり」の法律もいくつもあったとされています。
治安維持法
当初は社会主義の革命運動の取り締まりを目的としていたが、やがて自由主義者や民主主義者、宗教者まで弾圧の対象となり、逮捕者数は10万人、虐殺、拷問、虐待が多発し獄死者も1500人を超えたとも言われている。
<31条制定の経緯>
戦後、GHQから帝国憲法の改正(日本国憲法の制定)を「示唆」された日本政府は、憲法問題調査委員会(松本委員会)を立ち上げ草案を作った際、帝国憲法23条の「身体の自由」の規定は現状維持としました。しかし、これを不服としたGHQは、次の総司令部案を提示しました。
- GHQ案
何人も国会の定むる手続によるにあらざれば、その生命もしくは自由を奪はれ、または刑罰を科せらるることながるべし。また何人も裁判所に上訴を提起する権利を奪はることなかるべし。
マッカーサー草案を受けた政府案(3月2日案)では、「何人も」を「すべて国民は」に受益者の対象を国民に限定したうえで、GHQ案の内容を二つの条文に分けました
- 3月2日案
すべて国民は、法律の定むる裁判官の裁判を受くるの権利を奪はるることなし。
すべて国民は、法律によるにあらずして、その生命もしくは身体の自由を奪われ、または処罰せらるることなし。残虐なる刑罰は、これを課することを得ず。
- 31条の成立
その後、議会に提出される帝国憲法改正案作成の段階で、GHQは、総司令部案を分割することには同意しましたが、「すべて国民は」はGHQ案通り「何人も」に戻され、そのまま議会を通過して成立しました。
3月2日案(前者)の「裁判を受ける権利」については、日本国憲法第32条となり、日本政府が3月2日案に付記した「残虐なる刑罰は、これを課することを得ず」の部分は、同36条の一部を構成しています。
なお、冒頭でも述べたように、本来憲法は31条で刑事手続きの法定と適正の原則を包括的に定め、以下の条文で具体的に、33条から35条で被疑者の権利、37条から39条で被告人の権利などがそれぞれ保障されています。
<参照>
その他の条文の成り立ちについては以下のサイトから参照下さい。
<参考>
憲法(伊藤真 弘文堂)
日本国憲法の誕生(国立国会図書館HP)
憲法を知りたい(毎日新聞)
世界憲法集(岩波文庫)
Wikipediaなど
(2022年9月10日)