日本国憲法21条(表現の自由):たたき台はワイマール憲法!?

 

日本国憲法の制定過程や、各条文の成立経緯を検証した「知られざる日本国憲法のなりたち」を連載でお届けしています。第3章の「国民の権利及び義務」(人権規定)の中から、今回は、民主主義の根幹とされる21条の「表現の自由」をとりあげます。

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第21条 (表現の自由)

  1. 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
  2. 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 

  • 21条の解釈

「表現の自由」は、心の中で考えていることや感じたことを、言論や出版などを通して自由に外部に表わすことができる権利で、民主主義の政治過程にとって不可欠な人権です。

 

第1項で、まず「集会の自由」と「結社の自由」、「言論の自由」と「出版の自由」を例示して認め、さらに、たとえ明言していなくても「その他一切の」表現の自由を保障しています。「その他一切」の中には、メディアの報道の自由や、国民の「知る権利」などが多くの表現行為が含まれています。

 

また、第2項の前段では、検閲(公権力が書籍・新聞・放送などの表現内容を強制的に調べること)を表現の自由の最も重大な脅威とみなし、絶対的に禁止しています。加えて、同項の後段では、私生活・プライバシー保護の一環としても重要な通信の秘密も保障しています。

 

このように、日本国憲法第21条では、表現の自由を徹底して保障していることがわかります。この背景には、戦前の日本において、表現の自由の侵害による著しい人権侵害があったからだとされていますが、以下のように帝国憲法(明治憲法)においても表現の自由は保障されていました。

 

 

  • 明治憲法の「表現の自由」

 

<帝国憲法第29条>

日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於(おい)テ 言論著作印行(いんこう)集会及結社ノ自由ヲ有ス

日本臣民は法律の範囲内において、言論・著作・印行・集会及び結社の自由を有する。

 

<帝国憲法 第26条>

日本臣民ハ 法律ニ定メタル場合ヲ除ク外(ほか) 信書(しんしょ)ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ

日本臣民は法律で定められた場合を除いて、通信の秘密を侵されることはない

 

印行:印刷して発行すること

信書:特定の個人にあてた通信文を記載した文書、手紙のこと。

 

しかし、「法律の範囲内に於(おい)て」という留保があり、法律によりさえすれば、通信の秘密を含む表現の自由は制限されていたと言われています。例えば、治安警察法(1900)や治安維持法などの治安立法によって、国体(天皇主権の国家体制)の変革や共産主義思想の波及を目的とした言論や集会活動などが厳しく弾圧されていたとされています。とりわけ問題になったのが、政府を批判する言論の抑圧に使われてきた検閲でした。戦前、出版法、新聞紙法、映画法などに基づいて、内務省が書籍、新聞、映画などの表現物の検閲を行われていたと指摘されています。

 

こうした背景から、GHQは、表現の自由について、詳細な規定を盛り込んだと言われていますが、GHQ自身も円滑な占領政策遂行のために、徹底した検閲を実施していたこともまた事実です。では、21条制定プロセスをみてみましょう。

 

 

  • 松本案とGHQ案

 

まず、GHQによる帝国憲法の改正要請(実際は指示)を受けて、当時の幣原内閣の憲法問題調査委員会(松本委員会)が出した政府案では、以下のような改正試案が出されていました(下線は筆者)。

 

<帝国憲法29条改正案>

日本臣民は言論、著作、印行、集会及結社の自由を有す、公安を保持するため必要なる制限は法律の定むる所に依る

 

<帝国憲法26条改正案>

日本臣民は其の信書の秘密を侵さるることなし、公安を保持するため必要なる制限は法律の定むる所に依る

 

松本案では、明治憲法の「法律の範囲内において(法律に定めたる場合を除くほか)」の部分を、「公安を保持するため必要なる制限する(公安を保持するためであれば必要に応じて制限する)」に変更されました。

 

しかし、日本を民主化することが至上命令であるGHQからすれば、この程度の改正は不十分であるとして、次のようなGHQ(総司令部)案を出しました。

 

<GHQ案>

  • 集会、言論および定期刊行物ならびにその他一切の表現形式の自由を保障する。検閲はこれを禁じ、通信手段の秘密はこれを侵すべからず
  • 結社、運動および住居選定の自由は一般の福祉と抵触せざる範囲内に於て何人にも之を保障する

 

 

  • 日本政府の「3月2日案」と最終案

 

これに対して、日本側が起草した「3月2日案」では、「極端な風俗壊乱」を防ぐためという理由から「公共の安寧秩序」という文言を付記して、「法律の留保」を復活させました。

 

<3月2日案(政府案)>

  • すべての国民は安寧秩序を妨げざる限りにおいて、言論、著作、出版、集会及結社の自由を有す。検閲は法律の特に定むる場合のほかこれを行うことをえず。
  • すべての国民は信書その他の通信の秘密を侵さるることなし。公共の安寧秩序を保持するため必要なる処分は法律の定むる所による

 

しかし、その後、GHQ側との協議(審議)で、追加された「(公共の)安寧秩序」の規定は、政府による「濫用のおそれあり」として、GHQ(総司令部)から拒否されました。こうして、最終的にできた帝国憲法改正案では、文言、文章の調整がなされた上で、「法律の留保」の部分はすべて削除され、現行の21条とほぼ同じものになったのでした。結局、最初のGHQ案に戻された形です。

 

 

  • GHQ案のたたき台は?

 

ところで、表現の自由についての規定に関して、アメリカの合衆国憲法では、信教の自由と請願権とともにまとめて規定されていますが、日本国憲法21条で定めた「結社の自由」や、「検閲禁止」、「通信の秘密」についての規定はありません。

 

合衆国憲法修正第1条

連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない

 

そうすると、GHQは、何を根拠に、GHQ案をあの短期間の間に起草したのかを考えると、以下のように、当時、世界で最も民主的な憲法と評価されていたドイツのワイマール憲法がたたき台になったことが想定されます(下線は筆者)。

 

ワイマール憲法117条(通信の秘密)

信書の秘密ならびに郵便、電信・電話の秘密は不可侵である。例外はドイツの法律によってのみ、許される。

 

ワイマール憲法118条(表現の自由一般と検閲の禁止)

  • 各ドイツ人は、一般法律の制限内において、言語、文書、印刷、画面、図画または、その他の方法で、その意見を自由に表明する権利を有する。(後略)
  • 検閲は行なわない。ただし、映画については、法律によって別段の規定を設けることができる。(後略)

 

ワイマール憲法123条(集会の自由)

  • すべてのドイツ人は、届出または特別の許可なしに、平穏に、かつ武器を携帯しないで、集会する権利を有する。
  • 屋外の集会は、ドイツの法律によって届出の義務あるものとなし、かつ、公共の安全に対して直接の危険があるときは、これを禁止することができる。

 

ワイマール憲法124条(結社の自由)

すべてのドイツ人は、刑法に反しない目的のために、社団または組合を結成する権利を有する。(後略)

 

こうしてみると、現行の日本国憲法第21条(≒GHQ案)は、GHQのスタッフがドイツのワイマール憲法の表現の自由に関する規定の内容を整理してまとめたものということができるかもしれません。ただし、法律の留保は、ワイマール憲法にも多く採用されていたことは注目に値します。

 

 

<参照>

その他の条文の成り立ちについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法の成り立ち

 

        

<参考>

日本国憲法の誕生(国立国会図書館HP)
憲法(毎日新聞)

日本国憲法:制定過程をたどる (毎日新聞 2015年05月06日)

憲法(伊藤真 弘文社)

世界憲法集(岩波文庫)

アメリカ合衆国憲法(アメリカンセンターHP)

ドイツ憲法集(第7版)(信山社)

Wikipediaなど

 

(2022年8月2日)