日本国憲法の制定過程や、各条文の成立経緯を検証した「知られざる日本国憲法のなりたち」を連載でお届けしています。今回は、第3章の「国民の権利及び義務」(人権)の中の15条(参政権)をとりあげます。
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第15条 (参政権)
- 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
- すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
- 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
- すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
参政権は、国民が政治に参加する権利で、民主主義制度の根幹でもある重要な権利です。日本国憲法では、その参政権に関して、第1項で、国民による公務員の選定・罷免権を規定し、第2項では、公務員に中立性を求めています。なお、一般的に公務員といえば、役所などで働く行政事務に携わる公務員をいいますが、ここでは(総理を含む)国務大臣、国会議員、裁判官など広義の公務員を指します。
続く、第3項と第4項では、公務員(ここでは議員)の選挙に際して、普通選挙の原則と、秘密選挙(誰に投票したかを秘密にする制度)をそれぞれ保障しています。普通選挙とは、財力(財産または納税額)や人種、身分、性別、政治的宗教的信条などを、選挙権を与える条件(要件)としない制度です。これとは逆に、こうしたことを選挙権の要件にする選挙を制限選挙と言います。
<帝国憲法と参政権>
日本では、25歳以上のすべての男子に対して納税額にかかわらず選挙権を付与した公職選挙法の改正が行われた1925年が、普通選挙が実現した年とされています。時あたかも大正デモクラシーの時代でした。このことは逆に、最初に議会が開かれた1890年から1925年までの間、国民(臣民)は、制限選挙という形でしか参政権が与えられていなかったことになります。
帝国憲法が制定された1889年当時、民主主義が定着しておらず、伊藤博文ら憲法制定者にとって、国民の政治参加は想定していなかったといえます。こういう背景もあって、帝国憲法に参政権に関する規定はありませんでした(平等権の中に公務就任権に関する含まれていた)。
そのせいか、政府の憲法問題調査委員会(松本委員会)による改憲案でも、公務就任権以外、参政権に関する規定を定めていませんでした。
<GHQと日本政府の攻防>
一方、GHQ(総司令部)にとって、婦人を含む日本国民に広く参政権を与えることは、日本の民主化政策の柱の一つと捉えていました。これはSWNCC(国務・陸軍・海軍三省調整委員会)の「日本の統治体制の改革」(SWNCC228)に基づくもので、アメリカ本国は、最高司令官マッカーサーに対して、以下のような指示を出していました。
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憲法に次のような新しい諸条項を加えれば、それらが一体となって、国民に責任を負う真の代議政治の発達が保障されるであろう。このような諸条項とは、次のようなものである。
(1)選挙権を広い範囲で認め、政府は選挙民に対し責任を負うものとすること。
(2)政府の行政府の権威は、選挙民に由来するものとし、行政府は、選挙民または国民を完全に代表する立法府に対し責任を負うものとすること。
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これを受けて、GHQ(総司令部)は、日本国憲法の草案に参政権に関する詳細な規定を設けました。
- GHQ案
- 人民はその政府および皇位の終局的決定者なり。彼らはその公務員を選定、および罷免する不可譲の権利を有す。
- 一切の公務員は、全社会の奴僕にして、いかなる団体の奴僕にもあらず。
- あらゆる選挙において投票の秘密は不可侵に保たるべし。選挙人はその選択に関し公的にも私的にも責を問はるることなかるべし。
これに対する政府の3月2日案では、「人民はその政府および皇位の終局的決定者なり」の部分を削除して、第2項と併せて一つの条文としました。。
- 3月2日案
- 官吏その他の公務員は、国家社会の公僕にして、その選任および解任の機能の根源は、全国民に存す。
- すべての選挙において投票の秘密は不可侵にして、選挙人はそのためしたる被選挙人の選択に関し責を問はるることなし。
ただし、帝国議会に提出され帝国憲法改正案では、GHQは、「人民はその政府および皇位の終局的決定者なり」の削除は認めましたが、全体を2項にすることは拒否しました。
- 帝国憲法改正案
- 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
- すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
- すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
なお、日本国憲法第15条3項の普通選挙の規定については、帝国憲法改正案が、最終的に貴族院で審議された際に、GHQ(総司令部)側の要請を受けて挿入され、現行の4項からなる参政権規定になっています。
<15条の出所>
ところで、合衆国憲法にもかの民間の憲法研究会にも日本国憲法15条につながるような参政権に関する規定はありません。では、GHQ(総司令部)が、参政権についての規定を定めるに当たり、何を根拠にしたのかというと、ドイツのワイマール憲法の中に、その多くを見い出すことができます。
ワイマール憲法第125条(⇒15条4項への反映)
選挙の自由および選挙の秘密は、保障される。詳細は選挙法でこれを定める。
ワイマール憲法第130条(⇒15条2項への反映)
公務員は全体の奉仕者であって、一党派の奉仕者ではない。(後略)
また、日本国憲法15条の議会審議の際に、GHQの要請で付けくわえられた平等な普通選挙に関する規定は、当時の日本国憲法に影響を与えたとされる各国の憲法典をあげるとすると、驚くべきことにスターリン憲法があげられます。
スターリン憲法 第135条(⇒15条3項への反映)
代議員の選挙は、普通選挙である。満18歳に達したすべてのソ同盟の市民は…(後略)
ここで興味深い次の条文を読んでみて下さい。
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- すべての人は、直接に又は自由に選出された代表者を通じて、自国の政治に参与する権利を有する。
- すべて人は、自国においてひとしく公務につく権利を有する。
- 人民の意思は、統治の権力の基礎とならなければならない。この意思は、定期のかつ真正な選挙によつて表明されなければならない。この選挙は、平等の普通選挙によるものでなければならず、また、秘密投票又はこれと同等の自由が保障される投票手続によつて行われなければならない。
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日本国憲法第15条の内容とほぼ同じです。これは何の条文かというと、日本国憲法制定の1年後に生まれた世界人権宣言の中の参政権(21条)についての規定です。世界人権宣言は、世界の人権規定の基本となるもので、その制定には、人権を世界的な規範にしようとしたアメリカの意向が大きく反映されていました。
世界人権宣言は、日本国憲法制定後にできた(1年後)ので、現行憲法の草案作りの際に世界人権宣言の規定が参考にされたのではなく、逆に、日本国憲法の参政権の内容をたたき台として、世界人権宣言の参政権に関する条文が制定されたと考えることができます。
当時、日本国憲法15条の制定にあたって、GHQは、世界人権宣言を視野に入れながら起草したと思われます。ここにも、日本国憲法が世界に先駆けた普遍的な憲法であることが示唆されると言えるかもしれません。
<参照>
その他の条文の成り立ちについては以下のサイトから参照下さい。
<参考>
日本国憲法の誕生(国立国会図書館HP)
憲法(毎日新聞)
日本国憲法:制定過程をたどる (毎日新聞 2015年05月06日)
憲法(伊藤真 弘文社)
世界憲法集(岩波文庫)
アメリカ合衆国憲法(アメリカンセンターHP)
ドイツ憲法集(第7版)(信山社)
Wikipediaなど
(2022年8月6日)