近現代思想

ルネサンス

 

マキャヴェリは、人間の本性は打算的利己的なものであるとする現実認識の上に立って政治を考察し、君主は国家の護持・発展のためには、あえて非道徳的手段もとることができなければならないと説いた。これは政治を宗教や道徳から分離してとらえるものであり、近代政治学の基礎となっている。

倫理の規範から政治を解放したことから、近代政治学の父と呼ばれる。主著は「君主論」

 

 

宗教改革

 

ルターは、友人の死をきっかけに神と人間のあり方について考え、人間が自由な君主であるとともに隣人の奉仕する僕であることを強調し、教会や聖職者に従事せず信仰によって一人ひとりが神の前に立つとする万人司祭主義を唱えた。また、職業は各人に神から授けられた使命(召命)であるから、人間は職業に励んで隣人愛の実践に努めるべきことを説いた(職業召命観を唱えた)。

「95条の論題」により、免罪符(贖宥状)販売を批判したルターによって宗教改革が本格化した。

万人司祭主義を唱え、聖書のドイツ語訳を完成させ、エラスムスと論争して人文主義者たちとの違いを明らかにした。

 

カルヴァンは、神の意志が世界の唯一の原理であり、すべてのものはこれによって導かれるとした。人間の世俗における職業生活が神の栄光を実現するための場所であるから、そこで禁欲的に精進し、成功を収めることが、自分は神に選ばれているとの確信、救いの確信を生み出す予定説を唱えた。

フランス王室の弾圧を逃れてスイスに亡命した。

予定説:救いには人間の意志が介入できない。

カルバンの禁欲的な職業召命観はマックス・ウェーバーによって資本主義の精神と結びつけられた。

 

 

合理論と経験論

 

イギリスの経験論の祖といわれるF.ベーコンは、実験と観察によって得た個々の経験的事実を土台として、それらに共通する性質や法則を見いだす帰納法により、自然の法則を知り、自然を支配できると考えた。これは「知は力である」という言葉によく表されている。

 

これに対して、大陸合理論の祖といわれるデカルトは、本当に確実なものを求めるために一切のものを疑い、「疑う自分がある」ということだけは疑うことができないとして、「われ思う、ゆえにわれあり」ということを第一原理とした。そして、確実な原理を出発点として、理性の論証を積み重ねることによってすべての知識を導き出す演繹法を唱えた。

 

デカルトは、著書「方法序説」を通じて、「確実に知られた事柄から必然的に帰結する全事柄を理解する思惟の運動」である演繹法を用いて、「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」という原理を導いた。また、人間の精神と身体はまったく本性を異にする2つの実体だとする物心二元論の立場をとった。

 

デカルト

感覚的なものに確実なものはないとして、確固たる実在を突き止めるためには、懐疑主義と合理主義を徹底するしかないと唱えた。現代思想の第一原理は、疑っても疑いようのない自我の存在であり、自我による認識と実在の一部を証明することが課題であるとした。

 

 

デカルトは、万人に備わっている理性を「良識」といい表し、これを正しく用いることを唱えて、大陸合理論の祖と呼ばれている。

 

ベーコンは、経験を知識の源泉とみなして、科学的方法を理論づけ、経験論の祖と呼ばれる。ベーコンは、偏見(イドラ)を取り除き、観察による経験的事実から一般的法則を求めようとした。この方法を帰納法という。

 

「われ思う、ゆえにわれあり」とは、大陸合理論の祖、デカルトである。

 

ベーコンは、「知は力なり」と主張した。イギリス経験論の祖。

 

 

ライプニッツは、無限個数あるモナド(単子)の集合したものが実体であるとし、モナドは非空間的な延長のない精神的なものがあり、独立した実体が相互に調和しているのは神の働きによるとした。

 

 

モラリスト

パスカルは、人間を偉大と悲惨の中間者とし、神を見失った人間は悲惨だが、それを知っていることにおいて人間は偉大であると考えた。主著に「パンセ」がある。

 

パスカルは、哲学者であるととも科学者でもあり、宇宙における人間の位置を見据え、人間を無限と虚無との中間者であるとした。

 

パスカルは、著書「パンセ」を通じて、人間は自然の中では無限大と虚無の深淵の間を漂う無力で惨めな存在で(無限大と無限小の中間で)、不安を感じながら、人間と世界に意味を与えてくれる隠れた神を探していると考え、「考える葦」として人間を定義づけた。

 

パスカルは、「パンセ」を著し、人間がたやすく押しつぶされる1本の弱い葦にすぎないことを自覚しつつ思考するところに人間の尊厳があると説いた。

 

パスカルは、偉大さと悲惨さをあわせもつ人間の存在を真摯に見つめ、「人間は自然のうちで最も弱い1本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である」とし、人間は弱い存在であるが、考えるということ、弱い存在を自覚していることは偉大であるとした。彼は、存在の根源的な不安定さを見つめ神の愛を信じることに人間本来のあり方があると説いた。

「考える葦」の記述は「パンセ」の中にある。

パスカルがジャンセニストの一員であったことは有名で、晩年にはキリスト教弁証論に集中していた。

 

 

モンテーニュとパスカルはともにフランスの思想家であり、人間の本性に基づいて人間の生き方(モラル)を思索した人として「モラリスト」と呼ばれた。フランス啓蒙思想以前の思想家。

 

モンテーニュは、「エセー」を著し、自己の認識に対する批判精神を説き(「私は何を知るか」)、偏見・傲慢・宗教的不寛容を戒め、真理に対する謙虚さの必要性を説いた。

 

モンテーニュは、著書「エセー(随想録)」を通じて、人間は自分自身の立場や考え方に執着するあまり、偏見にとらわれたり独断に陥ったりすることがあり、これらを避けるためには自分自身の考え方や態度を謙虚に問い直すことが必要であることを、「私は何をしるか(ク・セ・ジュ)?」という言葉で表現した。

 

 

 

社会契約説

ホッブスは、自然状態は平等な各人が自己保存の本能に従って、自然権を際限なく追及する闘争状態であり、この状態では自然権がかえって脅かされるため、人は理性に基づく自然法に従って社会契約を結び、自然権を絶対的な主権者たる国家に全面的に移譲する必要があるとした。

 

Tホッブスは、国家が平和や秩序の維持のために各人の契約によりつくられたものである以上、人民は自然権を放棄して国家に従うべきであると説いた。

清教徒革命の後、フランスに亡命していた国王が復権し、ピューリタンを抑圧して王政による絶対主義を強化した。

 

ホッブスは、人間は自己保存に最適な行動を選択する自由である自然権をもった存在であるとし、こうした人間によって争いや混乱が起こるような「万人の万人による闘争」の自然状態を防ぐために、人間は自然権を放棄し、第三者である国家に譲り渡す必要があると考えた。

 

「人は人に対して狼である」として、ホッブスは無政府状態の危険性を説いた。

 

 

ロックは、自然状態は自然法の働く自由・平等で平和な状態だが、紛争調停する公的機関がないため戦争状態に移行する危険をはらんでおり、社会契約による政治社会の形成が必要であるとした。この契約では自然権を保障するための権力は国家の代表者である政府に移譲されるが、自然権自体は移譲されず、また、政府は人民の信託を受けたものに過ぎず、その不適切な権力行使に対して人民は抵抗できるとした。

 

Jロックは国家が人民の有している生命・自由・財産などの自然権を守らないときは、人民は国家に対して抵抗する権利を持つと説いた。

イギリス議会は専制政治を強いた国王を亡命させ、権利の章典を制定し、議会主権に基づく立憲王政の基礎を打ち立てた。

 

 

ロックは、実体の認識については経験論的見解をとり、人間の心は本来は白紙の状態にあるが、「感覚」によって外界の物質的事物の観念を得、「内省」によって内部におけるわれわれ自身の心の作用の観念を得ることができるとした。

 

 

ルソーは、自然状態は自由で平等な理想状態だが、社会状態への移行に伴って生じる不平等を除去し、各人が平等な条件のもとで市民的自由を享受するため、自らの権利を人民の意志としての一般意志に基づく共和国に全面的に移譲する必要があるとした。

 

ルソーは、著書「社会契約論」を通じて、一般意志を実現するために人間は自己の権利を契約により政治体へ譲渡するとしている。

 

 

アダム・スミスは個人の自由な経済活動を主張するとともに、国富の源泉を国民の生産労働全体に求め、分業と商品交換の理論を確立した。

ヨーロッパの列強が国内の産業を保護育成するために原料の生産地、製品の市場として植民地を求め、激しく争った。

 

 

功利主義

ベンサムは、善悪の基準を行為の功利性におき、純計して最も多くの人々に最も大きな幸福をもたらす行為が最善の行為であると考え、「最大多数の最大幸福」の実現こそ、道徳と立法の原理であると説いた。また、快楽を七つの基準を用いて量的に計算するという単純化によって、利益と公益とを調和させようとした。

 

ベンサムは、幸福を求めることは、苦痛を避けて快楽を求めることであり、この事実に基づいて正しい行為を行うための原理を功利の原理と名づけた。そして、最大多数の最大幸福がこの功利の原理の内容であるとした。また、法律や行為がこの原理にかなっているかを調べるために、快楽と苦痛の価値は量的に計算できるとして快楽計算を提唱した。

 

ベンサムは、人間は誰でも快楽を求め、苦痛を避けようとするものであり、その快楽も量的に計算でき、幸福とはこの計算による快楽の総計であると主張した。

 

 

JSミルは、功利主義の原理を支持しながらも、快楽に質的な差異を認め、より高次な精神的快楽を肉体的快楽よりも優先させるべきだとした。

産業革命における経済的発展の中で、資本家が利潤の追求を急いだために、労働者は非衛生的な生活環境のもとで、低賃金と重労働を強いられた。

 

民主主義の基盤である個の確立を重視したのは、功利主義を批判的に継承したミルである。

 

ドイツ観念論

 

カントは、人間が自分の理性の立てた道徳法則に自ら従うことを自律と呼び、またこのような自律を持つ、道徳の主体としての人間を人格と呼び、すべての人間は人格として等しく尊厳を持つと考えた。

そして、各人がお互いの人格を目的として尊重し合う人類究極の理想の社会を「目的の王国」と呼び、その実現のために永久平和の必要を説いた。このようなカントの考えは、後の国際連盟や国際連合の精神に引き継がれた。

 

カントは「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当し得るように行為せよ」と述べている。つまり、自分だけの基準ではなく、普遍的にすべての人々の基準にも合致するように行動するべきだということである。

 

人間は幸福を求める存在であり、他人に幸福を生じさせる行為を善、それを阻害する行為を悪とする立場をカントはとっている。

 

カントは、初め自然科学を研究し、庶民の無知を軽蔑していたが、ルソーの書「エミール」を通じて、人間を尊敬することを学んだ。人格的存在として相互に尊重できる人間の平等に関心を持った。

 

カントは、理想の道徳法則の根本を、「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」と定言命法で述べた。

 

カントは、「実践理性批判」を著し、理性によって自律的に生きる人間を人格と呼び、すべての人間は人格として等しく尊厳を持つと説いた。

 

カントは、人間が自分の立てた道徳法則に自ら従うことを「自律」と呼び、この自律の能力をもつ主体としての人間を「人格」と呼んだ。

 

カントは、各人が互いの人格を目的として尊重し合うことによって結びつく社会を「目的の王国」と呼び、人類の理想的社会と考えた。

 

カントは、イギリス経験論と大陸合理論を統合する批判哲学を樹立した。従来、認識の対象は、主観とは独立に存在していると考えられていたが、認識主観の先天的な形式が対象を構成すると説いたカントは、認識の主導権を客観から主観へと転回し、その意義を自ら天文学上のコペルニクスの業績にたとえた。また、カントは、道徳の内容以前にその形式を問題にし、その根本原理を「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」という定言命法に求めた。

 

「自由とは自律である」とカントは述べ、理性に従うことが真の自由であるとした。

 

カントは、すべての人間が、理性の力に基づいて、互いに他の人間を自分と同等な人格として尊重し合うことを道徳の本質と考え、人間の社会関係はすべてこの道徳によって基礎づけられているとした。また、相互に相手の人格を認め尊敬し合う社会を目的の王国と呼び、その王国に到達するためには永久平和を実現することが必要であるとした。

 

カント

認識は、空間と時間というわれわれの主観にア・プリオリに備わっている枠組み(カテゴリー)により成立していると主張した。客観的な実在そのものを認識することはできないことから、道徳などの実践的な問題に答えることが、理性の新たな任務であると説いた。

 

 

ヘーゲルは、理性や自由が実現されるべき社会を歴史的に運動するものとしてとられ、その運動法則を弁証法により説明した。この運動を起こす原動力を「精神」と呼び、その本質である自由を実現してゆく過程が歴史であると考えた。

 

ヘーゲルは、歴史を、絶対精神が人間の自由な意識を媒介として自己の本質である自由を実現していく過程であると考え、「世界史は自由の意識の進歩である」と説いた。また、自由や道徳の問題を、個人の内面に主観的なあり方にとどまらず、現実社会の客観的な法や制度にあらわれる、人倫の問題としてとらえた。

 

ヘーゲルは、世界を絶対者(絶対的精神)の自己展開の過程としてとらえ、その発展の理論として弁証法を提唱した。ヘーゲルは客観的な法と主観的な道徳とを統一したものとして人倫を説き、その人倫の弁証法的展開として家族と市民社会そして国家の3段階を論じ、理想的な国家を人倫の完成形態であるとした。

 

ヘーゲルは、意志の自由による道徳を批判し、法律の客観性と道徳の主観性が統一された体系である人倫の思想による国家を唱えた。すべてのものには矛盾と対立があるが、それらは止揚され発展するという「弁証法」の原理により、家族と市民社会を統一したものを国家とした。

 

ヘーゲルは、すべてを理性・精神の発展としてとらえる理性の哲学を確立し、世界は絶対精神の自己展開の場であり、自己と対立するものとの矛盾を内包しつつ運動・生成し、この自己矛盾を止揚していっそう高い段階に至って生成は安定するとした。

 

ヘーゲルは、「歴史は絶対精神が弁証法的に発展する過程である」と述べた。

 

 

フィフテは、理論と実践の溝の克服は神に期待するのではなく、われわれ自身の運命の自我の<活動>に求めるべきだと主張し、自我の能動性と絶対性を根本に捉え、主観的観念論を展開した。「ドイツ国民に告ぐ」は、フィフテがナポレオン占領下のベルリンで行った連続講演であり、ドイツ国民の新しい教育とドイツの再建を説いた。

 

 

マルクス主義

マルクスは、歴史は理想に向かって進歩・発展するとする考え方を、現実的な人間があまりに観念的に把握されている人間疎外の理論であるとして批判した。世界の変化やその法則を、労働を介した人間と自然の相互作用からとらえる唯物論的な「弁証法」こそ歴史の原理であるとした。

 

マルクスは、物質的、経済的、社会的な状況を「下部構造」とし、その社会の思考や理性、つまり、政治制度、法律、宗教、道徳などを「上部構造」と呼んで、上部構造は下部構造によって規定されているとした。

 

 

実存主義

主体としての人間を中心とする思想である。

 

キルケゴールは、それまでの哲学が人間や世界の本質を客観的・論理的にとらえようとしたのに対し内面的な主体的真理、すなわちかけがえのない1回限りの存在(実存)を求めた。

 

キルケゴールは、理性が人間の本質とみなされ、合理的なものこそが真理であるとする理性主義の思想に対し、理性ではくみ尽くすことができない人間像を模索した。人間は、不安や絶望という生の矛盾に直面するが、それを克服することで真の自己になれるという実存の「弁証法」を唱えた。

 

キルケゴールは、「人はいかにしてキリスト者になれるか」ということを生涯の課題として追求し、その探求の中で「実存」という考えを展開し、「あれかこれか」などを著した。

 

キルケゴールは、人間が実存をめざしていく過程として、美的実存・倫理的実存・宗教的実存の3つの段階があり、人間が単独者として神の前にたったとき、真の実存にめざめると主張した。

 

キルケゴールは、実存を美的実存・倫理的実存・宗教的実存の3つの段階に分けて順次深まるものとし、主な著作に「死に至る病」がある。

 

キルケゴールは、デカルトの懐疑を超えるものとして、「絶望」を提唱し、絶望の人間に語りかけてくる人格神との対話によって主体的な真理が明らかになるという「質的弁証法」を主張した。

 

キルケゴールは神との1対1の対話を求めた。

 

 

ニーチェは、「神は死んだ」と宣言し、ヨーロッパ文化の退廃の原因が形式化したキリスト教道徳にあり、ヨーロッパ文化が滅亡した後で新しい文明をつくることになる人間は、それまでの道徳や価値観にとらわれない新しい人間である超人でなければならないとした。

 

ニーチェは、19世紀のヨーロッパはニヒリズムに陥っているとし、キリスト教に規定された生き方を根本的に否定して「神は死んだ」と宣言し、自分の運命を肯定し、運命を愛してたくましく生きることの意義を強調した。

 

ニーチェは、現代はデカダンス(退廃的)とニヒリズム(虚無主義)の時代であり、このような時代を生きて生き方として、超人と呼ばれる極限状態でも運命を切り開いて、新しい価値を見つけていくことを主張した。

 

ニーチェは、この世界は永劫回帰の世界であるとし、その中で能動的ニヒリズムに生きるべきことを説き、主な著作に「ツァラトゥストラはこう語った」がある。

 

ニーチェは、キリスト教的道徳の崩壊でニヒリズムが到来したと考え、「力への意志」でニヒリズムを積極的に転化することを主張した。

 

ニーチェ

系譜学的方法とパースペクティブ理論(遠近法)により、西洋文化形成の中心的な役割を果たしてきたキリスト教思想の解体を図ろうとした。神が不在の現代は、永劫回帰のみがあるニヒリズムの状態であるが、人間一人一人の強者への意志がこれを克服する原理になると説いた。

 

 

ヤスパースは、人間は通常の手段で処理することのできない困難な状況(限界状況)に直面するとき、超越者の言葉を聞き取ることで真実を生きることになるとした。

第二次世界大戦中に迫害を受け、大学を追放されたが戦後ドイツ国内の大学に復帰した。

 

ヤスパースは、自己の本来的なあり方に目覚めた人間どうしの実存的交わりの大切さと理性の重要性を強調し、主な著作に「理性と実存」がある。

 

ヤスパースは、代替可能な機械の部品のように個性を喪失した現代人が、実存にめざめるには、自らの力では乗り越えられない限界状況に直面することによってのみ、人間は実存に自覚できると主張した。

 

 

ハイデッガーは、主体性を失い平均化した「ひと」として生きている人間が本来的自己を取り戻すには、自らが「死への存在」であることを直視する必要があると説き、20世紀思想のさまざまな領域に影響を与えた。無神論的実存主義者。

 

ハイデッガーは人間は単なる人から、死を意識することで本当の人となり、自己に対する責任を取ることを自覚することを主張した。

 

ハイデッガーは、人間は死を避けることはできない存在であり、死を自覚することによって、現存在として自らの態度を決定できるとした。

 

ハイデッガーは、人間を「死」へ向かっている存在者であるとし、死と向かい合ってこそ本来的な存在である人間になれると主張した。

 

ハイデッガーは、人間存在を現存在と呼び、世界―内―存在としての現存在の在り方を現象学的方法により考察し、主な著作に「存在と時間」がある。

 

ニーチェと対決してきたハイデッガ―は、人間的現存在を「非力なもの」ととらえ、「非力」さの根底に潜む「無」を問い続けた。

 

 

サルトルは、無神論的実存主義の立場から、人間は自由であり、自由そのものである状況を、「(人間においては)実存が本質に先立つ」という言葉で表現し、「存在と無」などを著した。

誰に依存することなく自己決定による自己の自由と責任を主張した。

人間は、事物とは異なり、その都度自分で自分のありようを決断して選択することによって、自己をつくり上げていく自由の宿命を背負った存在であると考えた。

 

サルトルは、事物の存在を即自存在、人間の存在を対自存在と呼び、人間のあり方を「実存は本質に先立つ」と表現し、主な著作に「存在と無」がある。

人間(実存)は、後から自分で自分のあり方(本質)をつくっていく存在だ、というのが「実存は本質に先立つ」という意味である。

 

サルトルは、人間は自らが造ったところのものになる、人間は自分の生き方をみずから選ぶことができると主張した。

 

サルトルは、「人間は自由の刑に処せられている」とし、社会に巻き込まれて自分で生き方を選ぶことによって、自分が何であるを選ぶことができると主張した。人間が特定の歴史的・社会的状況のもとに投げ出されている。

 

サルトルは、著書「実存主義とは何か」を通じて、人間が一定の具体的な状況の中で、今ここに存在するという在り方を「実存が本質に先立つ」という言葉で表現した。そして、人間が自分の行為を自由に選択していくことが、社会に責任をもって積極的にかかわることである「アンガージュマン」につながると考えた。

 

 

 

現代思想

 

レヴィ・ストロース

フランスの哲学者、人類学者。人間の思考を統率する「構造」を明るみに出そうとし、文化はカテゴリーの体系であるという前提に立って、言語・親族・神話などさまざまな文化的システムの分析を行った。その結果、これまで西欧文化が最上のものであると思われていたのが、構造においては、西欧も未開も変わることがないことを明らかにした。

 

レヴィ・ストロースは、南米アマゾンの原住民社会を調査し(ポロロ族の民族学的調査)、未開社会には文化と自然を調和させる仕組みや、独特の考え方があることを発見した。また、表面的には異質に見える文明人の思考にも野生の思考と共通する普遍的な構造が存在しているとし、構造主義の創始者とされている。

 

ミード

アメリカの文化人類学者。社会とその成員たる個人との関係に強い関心を抱き、心理学的な視点から「文化とパーソナリティ」の関連について研究を行った。特にニューギニアの調査に基づいて男女のパーソナリティの形成において文化的要因が強く影響することを実証し、今日のフェミニズム研究の極めて大きな示唆を与えた。

 

M.ミードは、ポリネシア、メラネシアおよびインドネシアで人類学の調査を行った。

 

構造主義は、文化や自然のあり方は人間の主観的な意志にもかかわらず、それ独自の客観的な構造を持っているとする考え方で、レヴィ・ストロースによって提唱された。

 

構造主義は、ヨーロッパ思想の人間中心主義や理性中心主義的な考え方を批判し、異質なものを排除しない多様な生き方を築こうとする考え方で、フランスのフーコー(1926~1984)らによって提唱された。

 

構造主義は、人間を取り巻く環境を分析の中心に捉える。

 

構造主義は、もともとソシュールの言語学などに起源を持つ思想であるが、この考え方は、西欧文化を頂点とする歴史の発展段階説を否定し、人間主体の独自の意義を認める西欧哲学の伝統を拒否する視座を提出し、戦後の思想界に大きな影響を与えた。

 

フーコー

フランスの哲学者。狂気・病気・刑罰・性など、西洋文化の深層を分析することによって、西洋近代社会の成立過程における知の構造や権力関係について、批判的に探究した。主著に「狂気の歴史」「監獄の誕生」。

 

シュペングラー

ドイツの歴史家・文化哲学者。歴史上の文化を、幼年期・青年期・壮年期・老年期という順をたどって発展し衰退する一つの有機体としてとらえ、西欧文化はいまや没落の段階にさしかかっている、と述べた。

 

シュペングラーは、その著書「西洋の没落」で、歴史が直線的に進歩・発展するという図式を否定し、歴史は、多数の文化の生誕・成長・成熟・死滅の過程であるとした。その際、彼は、有機的・精神的な「文化」の無期的・物質的な「文明」への不可避的な没落の過程と指摘し、西洋文化がすでに文明への没落の過程にあることを主張した。

 

 

 

 

 

トインビーは、その著書「歴史の研究」において、歴史とは国家の進歩というより、むしろ文明や社会の進歩であるという仮説に立って、歴史に登場した21の文明について、その発生、成長、崩壊を比較分析し、文明は、外部要因の刺激である「挑戦」に対し、これに「応戦」すべく適応を試み、内部の構造的要因を発展させながら、自らの形成・維持を行うという考え方を提示した。

 

 

ポスト構造主義は、構造主義を批判的に継承し、構造主義が乗り越えようとした実体論的思考、つまり西洋の思考を一貫して支配してきた形而上学的思考の本質を暴き、それを徹底的に解体し、新たな思考体系を作り出そうとした試みである。

 

J.デリダは、真理とは、ロゴスが純粋に現前したものであるするロゴス中心主義を批判した。自然と文化、知性と感性等といった従来のニ項対立的な考え方は、主体を強調した音声言語を重視したことによると批判し、「エクリチュール」の再定義によりこの脱構築を試みた。

 

 

 

フロイト(1856~1939、オーストリア)は、人間の心の奥底にある意識されない心のはたらきがあり、それがその人の行動に大きな影響を与えていることに着目した。心の奥底の無意識の世界を引き出す方法として用いたのが、夢の解釈と自由連想法であり、精神分析学の創始者とされている。

 

フロイトは、精神分析の手法を用いて、人の意識の底に隠された心の仕組みを見いだすことができるとする考え方である。

フロイトは、人間の知性よりも、無意識下に潜む性的衝動や、抑圧された願望などが、人間の精神や人格に及ぼす影響を重視した。

フロイトは、人間の最も基本的な衝動力を性的エネルギーであるリピドーに求めたことから、その学説は汎性欲説と呼ばれている。

 

 

ユング

スイスの精神分析学者。夢や神話、おとぎ話に現れるモチーフ・人物・象徴などが、時代や地域の違いにもかかわらず強い類似を示すことに注目し、個人の無意識の下部に、民族や人類に共通である「集合的無意識」があると考えた。それらに共通に登場するアニマ、マニムス、老賢者、太母などの要素を「元型(archetype)」と名づけた。

 

ユングは、個人的無意識の奥底に個人を超えた普遍的無意識の領域があると考え、それを集合的無意識と呼んだ。また、神話や宗教、未開社会の伝承などを手掛かりにし、人間の無意識の根底には人類に共通した形態をもって存在している世界があると考えた。

 

ユングは、神話や宗教、未開社会の伝承、錬金術などの研究を通して、集合的無意識を分析した。彼はフロイトの「夢判断」に啓発されて指導を受けたが、リピド―理論などで意見が対立し、1911年に袂を分かった。

 

 

 

スペンサーらは、社会現象にも生物進化論を応用できるとした。

 

 

プラグマティズム

 

プラグマティズムは、ある観念や思想の真偽や正否は、それらが実際の行動において、有用な結果をもたらすかどうかによって決まるとする考え方で、創始者のパース(1839~1914)らによって提唱された。

 

アメリカで生み出されたプラグマティズムの提唱者はパースである。

 

ジェームスは、その著書「プラグマティズム」によってプラグマティズムを広く世界に普及させた。彼は、ある観念が真理だということは、その観念によって行動した場合に生まれる結果が、生活のなかで実際に役立ったことだと考え、真理とは実生活における有用性であると主張した。

 

デューイは、知性を、行動によって環境との関係を調整しながら生きる人間の、環境への適応を可能にする道具ととらえる道具主義を説き、プラグマティズムを大成したとされる。また、高度に組織された産業社会では自由放任は無力であるとして、社会化された集合的個人主義として、民主主義を確立しようとした。

 

パース、ジェームスの影響を受け、プラグマティズムを総合したといわれるのがデューイである。

 

デューイは、観念や思想が行為の為の道具であるととらえ、事象を解明するためにそれらの概念を仮定したり操作することができると考えた。概念道具主義。

 

ジェームスらのプラグマティズムは、真理の基準を「有用性」に置いて、純粋経験を重視した。

 

 

フランクフルト学派は、ナチスによるユダヤ人迫害で亡命を余儀なくなされたユダヤ系の学者らが中心となって、本来、野蛮に対抗するはずだった文明がかえって新たな野蛮状態をもたらしていることを指摘し、理性の再検討を提起したドイツを代表する思想である。

 

「啓蒙の弁証法」:アドルノ、ホルクハイマー

西欧文明の運命を、その根本に遡って批判する洞察力を示した。

 

フロムやアドルノらは、ファシズムに支持を与えた人びとの心理と性格について大規模な調査・分析を行い、その調査結果を「権威主義的パーソナリティ」と呼んだ。