世界史(中世)

中世の西ヨーロッパ

 

中世は典型的な封建社会であり、この時代の主従関係は、主君が家臣に封土を授け、所領に対して保護を与え、家臣は主君に忠誠を誓って騎士としての軍役奉仕を行う双務的契約関係であった。封建諸侯の勢力が強く国王の権力はかなり制約されていた。

 

中世の封建社会における主従関係は、主君が家臣に領土を授け、所領の対して保護を与え、家臣は主君に忠誠を誓って騎士としての軍役奉仕を行う双務的契約関係であった。このような封土を媒介とした主従関係の頂点に達していたのは国王ではなく、ローマ=カトリック教会のローマ教皇であり、国王は王権を拡大できなかった。

 

 

8世紀以後、ローマ教皇(ヨハネス12世)は、フランク王国に接近し、王国分列後、10世紀に東フランク(ドイツ)王国のオットー1世にローマ帝国の帝冠を与えた。これが神聖ローマ帝国の起源である。

 

 

十字軍

 

セルジューク朝の小アジア進出に悩んだビザンツ皇帝は、ローマ教皇に救いを求め、教皇はクレルモン公会議で聖地回復の聖戦を起こすことを提唱し、十字軍が始まった。

 

第一回十字軍は、フランスの諸候、騎士を中心に編成され、エルサレムを占領して、キリスト教国であるエルサレム王国を建国した。

 

十字軍は主に教皇に忠実なフランスの諸侯の軍事力が中心で、イタリアの諸都市の市民が参加を強制されるということはなかった。

 

第三回十字軍は、エジプト(アイユーブ朝)のサラディンがエルサレムを占領したことを契機として起こされたが、結果的にはサラディンとイングランド王が講和した。

第四回十字軍は、商権拡大をめざすベネチア商人の要求の下に、聖地に向かわず、その商敵であったコンスタンチノープルを占領し、ラテン帝国を建国した(1204年)。

 

十字軍に参加した国王は、聖地回復ができなかったためその権威を失墜させたが、十字軍の輸送により発達したイタリアの海港都市は、十字軍以降のアラビア商人との東方貿易によって繁栄した。

 

北イタリア諸都市は、十字軍の遠征以前から?は、東方貿易の中継基地として繁栄し、度重なる十字軍の遠征によって、その経路に当たっていた、ミラノ、ジェノバ、ベネチアなどの諸都市は、十字軍の影響で商業上めざましく発展した。

 

十字軍の結果、指揮官としての国王の権威は増大する一方、諸侯や騎士は長期の遠征による経済的疲弊や戦死などで次第に衰退していった。

 

 

 

封建社会における土地領有の単位を荘園(封建諸侯の私領)といい、国王だけでなく多くの封建諸侯が荘園を保有していた。(国王といえども諸侯の中の最有力者としての立場でしかなかった。)

 

中世の封建社会における土地の領有の単位は荘園であり、荘園の内部は、領主直営地と農民の小作地である共同利用地とに区別されていた。

領主や地主は仕切りのない開放耕作地制度のもとで、土地を囲い込んで生産性をあげようとしていた。

 

ヨーロッパの封建社会において、三圃制(さんぼせい)の普及や水車などの技術進歩により農業生産力が飛躍的に向上した。

 

三圃式農業は、農地を冬穀(秋蒔きの小麦・ライ麦など)・夏穀(春蒔きの大麦・燕麦・豆など)・休耕地(放牧地)に区分しローテーションを組んで耕作する農法。三圃制:耕作地を春耕地・秋耕地・休閑地の3つに分けて、地力の回復を図る制度。

 

中世の西ヨーロッパでは、農業や手工業の生産が増大し、商業活動が活発になると、その活動拠点として各地に都市が発生した。一部の都市は領主の支配から脱し、種々の特権を獲得して自治権を確立した。これらの都市は経済的利害や自治を守るために都市同盟を結んだが、特にリューベックを盟主とするハンザ同盟は、北海・バルト海商業圏を支配して繁栄を誇った。

北イタリアでは、ミラノを中心としたロンバルディア同盟が成立した。

十字軍の遠征の影響もあり、東方貿易や内部の都市同士の交易活動も著しく発達した。

 

13~14世紀にジェノヴァ(ジェノバ)、ヴェネツィア(ベネチア)、フィレンツェなどの都市共和国が繁栄するようになったのは、十字軍の遠征に伴い、海陸の交通が発達して東方貿易が盛んになったことが遠因となっている。

イタリアの諸都市は、十字軍の輸送で発展し、東方から香辛料を輸入する東方貿易が盛んになった。

 

 

東西交流

13世紀にヨーロッパと東アジアの交流が盛んになった理由の一つとして、モンゴル帝国が成立し、「絹の道」や「草原の道」を中心に交通路が整備されたことが挙げられる。そして、ベネチアの商人マルコ=ポーロは東方への旅を体験をもとに、「世界の記述」を著し、西欧人の東洋への関心を高めた。

この頃、イスラム圏では、マムルーク朝が有力で、地中海・インド洋貿易によって利益を独占し、その首都カイロは世界文明と経済の中心となった。13世紀末小アジアに興ったオスマン朝は、1453年にビザンツ帝国を滅ぼして勢力を伸ばし、スレイマン1世のとき領土が最大となった。

15世紀の西欧では、羅針盤の改良や地理的な知識の普及と並んで造船技術が発達した。その結果、遠洋航海が可能となり、イスラム商人の手に握られていた東方貿易を直接行い、とりわけ香辛料を得るために、アジアへの海路を求めて、いわゆる大航海時代が始まった。