ベネルクス3国

<地誌>

オランダ王国は、干拓地ポルダーでの酪農、砂丘地帯での園芸農業が盛んで、チューリップ栽培が有名である。

 

デンマークは、酪農製品で有名で、共同組合組織で活動している。

デンマークは国土の約70%が農地である。酪農が中心で、農業教育や農業協同組合が普及し、牛乳や肉類は共同組合の手で加工され、その多くは輸出されている。

 

 

<オランダ史>

 

毛織物工業が盛んで中継貿易で利益をあげていたネーデルランドは、15世紀半ばからハプスブルグ家の領有地で、北部にはルター派の新教徒が多かった。

 

スペイン領であったネーデルランドでは、本国の悪政や宗教的抑圧(フェリペ2世のカトリック政策)に対する反発などから、1568年に独立運動が展開された。

 

ハプスブルグ家の王朝であるスペインは、カトリックを強制して、自治権を奪おうとしたが、北部7州はユロレヒト同盟を結んで戦いを続け、1581年にネーデルランド連邦共和国の独立を宣言した。オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム、1533~84)が指導した。(名誉革命後、イギリス王に就いたウィリアム3世とは同一人物ではない)

 

16世紀のネーデルランドは、スペインの属領であったが、この地方の新教徒が宗主国であるスペインから迫害されたのを契機に、ホラント、ユトレヒトを中心とする北部7州はユトレヒト同盟を結んで結束を固め、スペインと対立関係にあったイギリスの支持の下に抗戦を続けた結果、独立を達成した。

 

オランダは、独立戦争中ネーデルランド南部の毛織物業者が多く移住してきたため発達した毛織物業を背景に、オランダ東インド会社を設立するなど盛んに海上貿易に進出した。これにより、ポルトガル勢力を排除しつつ東洋貿易を独占し、17世紀前半にはスペインに代わって世界商業の覇権を握り、首都アムステルダムは世界商業・金融の中心として栄えた。

 

オランダは、1602年に東インド会社を設立し、ジャワ島のバタビアを根拠地として香辛料貿易を行った(植民地経営を行った)。17世紀前半には日本との独占貿易を行い、また一時台湾を支配したが、次第に後退した。イギリスのインド進出により貿易不振となり、東インド会社は解散した。

 

オランダは、スペインに代わって海上権を握り、アムステルダムを中心に世界の商業・金融の中心として栄えたが、英蘭戦争で敗れ、急速に衰退していった。

英蘭戦争(1652~74):クロムウェルによる航海条例でオランダは貿易の利益を奪われ、その奪回をめざしてイギリスと行った戦争であった。