日本のキリスト教

日本とキリスト教

 

織田信長はキリスト教に対し、仏教勢力抑圧のためと貿易政策上などから、その布教を保護し、そのために南蛮寺(キリスト教会)が建てられ、セミナリオ(修学所)の設立を許可した。

 

16世紀後半、九州のキリシタン大名大友宗麟・有馬晴信・大村純忠らは、伊藤マンションら4名の少年使節をローマ教皇グレゴリウス13世のもとに派遣した。1613年、支倉常長は、仙台藩主伊達正宗によって、遣欧使節として、メキシコ・スペイン・ローマ教皇のもとに派遣された。

 

15世紀半ば、フランシスコ=ザビエルが鹿児島に来航し、キリスト教を伝え、天皇や将軍に布教許可を求めたが得られず、後に山口の大内氏の保護を受け、ここに日本最初の教会を建てた。

 

豊臣秀吉は、キリスト教に対して初めは好意的であったが、九州出兵の際、キリシタン大名が教会に所領を寄付していることなどを知って、バテレン追放令を出した。ただ、貿易については、朱印状を与えて南方での貿易を奨励した。

 

徳川家康は貿易を奨励していたことから、キリスト教の布教を黙認していたが、1612年に直轄領に禁教令を出し、翌年にこれを全国に及ぼした。さらに、1637年の島原の乱(~38)を契機に、キリスト教禁止と鎖国政策を一層強化した。