2020年10月18日

古代史:マヤ文明とは?

先日、TVのクイズ番組で、ペルーのマチュピチュ遺跡を特集しているのをみて、今回から、かつて、中南米たくさん存在していた古代文明について、まとめてみようと思うようになりました。まずはマヤ文明からです。マヤ文明というと、10年ぐらい前に、「2012年12月21日に人類は滅亡する」の予言で有名になって、聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか。

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<マヤ文明の成り立ち>

 

マヤ文明とは、紀元前1000年頃から16世紀にかけて、現在のメキシコ南東部のユカタン半島から、ベリーズ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスにまたがる中米地域に成立したメソアメリカ文明(中米における先スペイン時代の古代文明圏)を代表する都市文明です。

 

マヤ文明の栄えた時期は、先古典期(前1800~後250年)、古典期(250~900年)、後古典期(900~16世紀前半)に区分されていますが、その最盛期は、これまで、古典期の紀元後250年から900年くらいまでの時期とされてきました(例えば、8世紀頃には、人口は中世ヨーロッパの人口に匹敵する約2500万人、領域はドイツの2倍ほどの地域であったと想定)。

 

しかし、近年の発掘調査によって、先古典期の後期(紀元前400年以降)に、すでに大規模な都市が存在していたことが明らかになっています。例えば、マヤ文明最大のピラミッドとされる、マヤ低地南部にあるエルミラドール遺跡の「ダンタピラミッド」もこの時期に建設されていました。

 

ただ、いすれにしても、マヤ文明は、巨大な統一王国による統治ではなく、1都市につき6万人から10万人もの人々が、この一帯でいくつもの王国が林立した都市群を形成し、多様な文化を有していたとみられています。

 

古代文明と言えば、ナイル川やチグリス・ユーフラテス川のように、大河流域で栄えたことをイメージされるかもしれませんが、マヤ文明はそれほどの大河が存在せず、川が近くにない場所にも大規模な都市がたくさん構築されていました。

 

では、文明を維持されるために必要な水はどうしていたかというと、例えば、マヤ低地(現在のグアテマラとメキシコにまたがる地域)南部に位置するティカルという所では、意図的に地形を削り傾斜を作ることで、高い所で雨水を貯水し、生活水として活用するだけでなく、使用した生活用水がさらに、低い所にある農地に流れ込むような用水路を築くなど、地形を修正しながら、生活環境を整えていたと考えられています。

 

また、大河流域で形成された他の文明と違って、ジャングル、サバンナやステップ地帯など、さまざまな自然環境の中でも発展することができたという特徴も備えていました。特に、ユカタン半島の密林地帯はコパル樹脂香やヒスイなど、希少品の独占的な産地でした。そのことが、マヤ文明において、王権の権力を誇示する建造物を可能にするなど、他地域に見られない特色ある文明を発達させることができたと考えられています。

 

さらに、マヤ文明では、鉄器は使用されなかったという特徴があります。非常に洗練された石器を巧みに利用して、彫刻やピラミッドなど建造物を作り上げながら、都市まで築くことができる高度な技術を持っていました。

 

そうした環境下、独自の宗教儀礼や世界観を持ったマヤ族は、高度な科学都市文明を形成し、神殿・ピラミッドを建築、20進法による記数法、複雑な象形文字(絵文字)、精密なマヤ暦を持ち、優れた天文学(天体観測)を行いながら、繁栄を極めていました。

 

なお、同時期に発展していた、マヤ文明と並ぶメソアメリカ文明の一つであるアステカ文明とも、当時から互いに交流があり、神話や宗教的な観念、世界観に多くの共通した部分がみられます。

 

 

<マヤ文明の栄華>

 

  • マヤ文字

 

マヤ族は、メソアメリカ(中米)で、初めて文字を使用したことで知られています。紀元前700年から400年頃のマヤ文明の遺跡から発見され、マヤ人は歴史に関する碑文などを石碑や祭壇、階段などに刻んだり、文書を土器などにも刻んだりしていました。

 

マヤの文字は非常に複雑な組み合わせで構成されており、総数は4~5万字といわれ、(単語を見るだけで意味を理解できる)表音文字と(単語を見ればその発音が分かる)表意文字からなっていました。スペインの侵攻により、マヤ文字は使用を禁じられたため、一時は「謎の文字」となってしまったが、現在では約80%の文字が解読されたといわれています。

 

 

  • マヤの天文学

 

マヤ文明では、高度な天文学が発達してました。当時、望遠鏡もない時代に、マヤ人は、時間の計測、地上の事象を把握するために、肉眼で天空を観測していたと言われ、太陽、月、金星などの動きからその周期を読み取り、日食や月食などの天文現象の研究までされていたとされています。その果、太陽と金星の周期をほぼ正確に算出し、そこから精密さの暦も作り出しました。マヤ人は地球が太陽を一周するのは365.2420日と計算しましたが、これは、現在、世界基準となっているグレゴリオ暦の365.0425日よりも実際の1年に近い数値だそうです。

 

 

  • マヤ暦

 

マヤ人だけでなく、メソアメリカの人々にとっては、暦はたんに時間を区切る道具ではなく、彼らの神話にもあるように、暦法と結びついて、宇宙の歴史や未来を予言するものでもありました。マヤ族は、太陽、月、金星などと結びついた太陽暦、太陰暦、金星暦を組み合わせた複雑な暦法を駆使して暦を作りました。こうした暦は、必ず循環し、この循環の中で、神話的・歴史的な事件が必ず繰り返されると考えられました。

 

マヤ暦には、「365日暦」と「260日暦」など、20進法を駆使した、いくつかの種類がありました。(マヤ族は、両手足の指を使って数を数えていたので、20で一桁繰り上がる(一桁目は20で完了する)20進法を生み出していた)。

 

365日(ハアブ)暦」は、日常的な生活のため、特に農耕における種蒔きや収穫の時期を知るために用いられた1年365日の暦でした。20進法を使っていたマヤ族は、一ヵ月を20日(0~19日)と定め、1年は18カ月として、360日(=1月20×18カ月)を1トゥンと呼びました。そこに名前のない5日間をプラスすることで、より正確な1年365日という暦を作りあげたそうです。

 

マヤ族は、儀式や儀式などのために別の暦も使用していました。これが「260日(ツォルキン)暦」と呼ばれる暦で、20の神の名と13の数字の組み合わせによって、1日ごとに異なる神の名がつけられました。そうすると、各月は20日で成り立ち、同じ組み合わせが登場するのに260日(=20×13)かかることになります。

 

例えば、20の神のうち、イミシュ(赤い龍/存在の神)、イク(白い風/呼吸)、アクバル(青い夜/直観)という神がいますが、それぞれ数字と組み合わされ、1・イミシュ、2・イク、3・アクバル……2・イミシュ、3・イク、4・アクバル……と呼ばれたそうです。なお、13というのは、マヤ族の神話で、天上界(天空)は13層からなるという信仰から来ていました(後述)。

 

この「365日暦」と「260日暦」を、歯車のようにかみ合わせて回転させるように組み合わせると、約52年で一巡することから、「循環暦」(「52年周期暦」)という長い年数の暦も生まれました。マヤ文明には、その上にさらに、5125年で一巡すると考える「長期暦」が存在しています。

 

 

2012年世界終末論の真実

 

10年ほど前に、「2012年12月21日に人類は滅亡する」と映画にもなって話題になったマヤ暦でしたが、いわゆる「世界終末論」の根拠はこの「長期暦」にありました。そのマヤ長期暦とは循環暦で、187万2000日で元に戻るという文字通り長い期間の暦で、この数字をマヤ暦の1年(365.2420日)で割ると約5125年の長さとなります。

 

マヤ神話における世界の始まりは紀元前3114年であるとされています。グアテマラにある古代マヤ文明のキグリア遺跡の石碑には、マヤ長期暦の始まりを表す絵文字に「4アハウ8クムク」とあり、これが紀元前3114年であると考えられています。

 

マヤ文明の世界が始まった日を起点にすると、西暦20121221が、5125年目に当たる節目となるために「2012年世界終末論」が流行しました。マヤ長期暦の暦元の日である紀元前3114は、マヤ文明が誕生するはるか前の日であり、それが、2012年12月21日で初めて一巡する日を迎えるとあって、世界から注目されたのです。

 

結局、何も起こることなく現在に至っていますが、元々、マヤ暦は世界が終わることなど予言していませんでした。マヤの預言書とされる「チラム・バラムの書」には、「2012年、4アハウの時、ククルカン(ケツアルコルトル)という神が帰還する」とあり、決して世界が終焉するとは述べられていません。

 

「2012年12月21日を世界の終わり説」は、マヤ暦を一巡する循環暦ではなく、現代の暦に対する考え方と同じように、直線暦ととらえたから、騒がれたと解されています。つまり、2012年12月21日を直線状の終わりの日を指すと「誤解」したのかもしれません。

 

もっとも、メソアメリカの神話には、大洪水によって古い世界が壊滅し、その後現在の世界が始まったとするものが多くあります。実際、大洪水が起こった年を「4アハウ・8クムク」となっているそうで、マヤ神話における世界が始まる前にも「長期暦」が一巡し、古い世界が一度、壊滅したとも推察されています。ですから、2012年12月21日までに、現代の世界にも大天変地異が起きてもおかしくはありませんでした。

 

また、前出の「チラム・バラムの書」には、93600日(約256年)を周期として、争乱・騒擾・破滅の期間が訪れると書かれ、過去におけるスペイン人による征服もこの期間にもたらされたものとされています。

 

 

  • マヤ文明のピラミッド

 

中米グアテマラ北部(マヤ低地)の深い密林の下に、古代マヤ文明の何万もの建造物が眠っているいるとみられ、特に、これまで発掘されたティカル遺跡やエルミラドール遺跡、サンバルトロ遺跡などにあるピラミッドは有名です。ちなみに、前述したエルミラドール遺跡の「ダンタピラミッド」は元々、マヤ文明の建造物の中で最も高い70mを超える巨大なピラミッドだったとも言われています。

 

ピラミッドは山をかたどったもので、人工的な山を象徴したものだと考えられ、マヤ文明では、山と建造物が重なるように建設して、ピラミッドを山と同一視しています。山は、天高く近づける神聖な場所とみなされ、高いピラミッドを作るのは、信仰の対象である太陽にできるだけ近づくためとされています。ピラミッドに使われる石は、人の手だけで切り出され、運ばれて積み上げられていったのですが、どのような高度技術が駆使されたのかは、エジプトのピラミッド同様不明です。

 

また、マヤ文明では、人工の神聖な山であるピラミッドを都市につくり、信仰と公共の祭祀の場としました。ピラミッドのある公共広場の近くには王や支配層が住み、その周辺に農民らが住むことで都市が形成されていったと推察されています。

 

マヤ文明のピラミッドには一番上に部屋がついており、神殿として使われたと考えられています。また、エジプトのピラミッドのように、マヤ文明のピラミッドからも王墓が発見されており、マヤ族は、ピラミッドを神殿として利用しつつも、一部にはそこに王墓も造営されたと考えられています。

 

余談ですが、マヤで見付かった石像の中には、天皇家の「菊の御紋」と全く同じ文様が刻まれているものが見つかっています。

 

マヤ文明のピラミッドの中で有名なものの一つが、「ククルカンのピラミッド」(チチェンイツ・イツァーのエル・カスティージョ)です。「羽毛のあるヘビ」と形容されるククルカンとは、メキシコ中央高原で古くから信仰されていたケツアルコアトルのマヤ語名で、風とハリケーンの神とも言われるそうです。

 

このピラミッドでは、春分・秋分の日の夕方の時間帯のみ、太陽の光がピラミッドに当たると、ククルカン(羽毛のあるヘビ)の形をした影が、ピラミッドの階段上に浮かび上がるのです。それがちょうど神殿から降りてくるように映ることから、「ククルカンの降臨」と呼ばれています。これは、当時のマヤ族が太陽高度と年間の運行を熟知していたことを物語たっています。

 

また、四面体のピラミッドの4面にそれぞれ91段の階段があり、91段×4面で計364。それに頂上の神殿の1段を合わせると一年と同じ365になり、これは365日暦を表現しているとされています。また、階段をはさんで左右の面には、各26コのくぼみがあり、両方合わせて52コのくぼみを、正面から見ることができます。これは、52年周期(=260日暦×365日暦)を表したものと解されています。マヤ文明の建築物にも、マヤ族の暦を生んだ知恵が活かれています。

 

このように、マヤ文明の文字や暦、ピラミッドには、古代マヤ人の独特な世界観(宇宙観)が表現されていることが推察されます。

 

 

<マヤ族の世界観(宇宙観)>

 

古代マヤ人は、世界が天界(天)・地上界(地)・地下界(地底)に分類されると信じていました。天上界は13層に分かれ、太陽、月、金星などの神々が住むところとされ、地上界(大地)は、海の浮かぶワニの背中やカメの甲らのような存在と考えられていました。

 

大地の中心には「セイバの木」という生命の木が立ち(ゆえに「生命樹」とも呼ばれる)、その枝は天上界へ、その根は地下界に繋がって世界を支えていると考えていました。また、雨と雷を司る四人のチャーク(チャック)神が東西南北に、4本の命の木として立っているとも信じられていました。

 

「あの世」として捉えられた地下界は、9層に分かれ、一番下に死の神が住まわっているとされました。ティカルやチチェンイツァなどの神殿からは王墓が発見されていますが、そのピラミッドは9層からなっています。9層のピラミッドは王墓であることが示唆されます。マヤ族にとって、「9」という数字は、「地下=死」を示すものだったと言われています。

 

逆に、生と死は表裏一体であることから、地底は生命の起源と考えられていました。そこで、地下界が乱れると、干ばつや飢饉や疫病をもたらすと畏れられ、地底の神々に対して供物を捧げていたという経緯があります。

 

山には洞窟が多く見られます。洞窟は、豊穣や創造の象徴として、雨や嵐の神々が超自然的な生き物といっしょに住んで、地上の人間の生活に影響を与えている空間と考えられていました。ですから、マヤ人にとって洞窟は、毎日の生活とは違った神聖な場所であり、重要な儀礼の場所であるだけでなく、地下界(「あの世」)に行くことのできる唯一の手段だとみなされました。マヤ文明において、洞窟(セノーテ)は、まさに、大地(地上界)と地下界を結ぶ路で、地下界の王国であるシバルバ(「恐怖の場所」の意)への入口であったのです。そこで、洞窟の中にいる神々と交信したとも考えられています。いくつかの洞窟では、人骨が発見されており、神々への「いけにえ」として捧げられたとみられていることも、洞窟の重要性を物語っています。

 

こうした理由から、マヤの人々は、ピラミッドの頂上にある神殿の入口を、山の洞窟に見立てて建設することで、神殿内部で洞窟と同様の儀式を行っていたと推察されます。このように、ピラミッドは、王を葬り、神々と交信するための建造物として作られたということがわかります。

 

 

<マヤ文明の崩壊>

 

このように、栄華を極めたマヤ文明でしたが、10世紀、メキシコ高原から進出してきたトルテカの勢力や、14世紀頃にあったチチメカ人の民族移動、さらには、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を「発見」後、16世紀のスペイン人侵略で破壊され、17世紀末に滅亡しました。

 

しかし、マヤ文明は、スペインの侵略を招く真因となった滅亡の原因、ある時を境に文明は急速に衰退した原因については、未だ謎に包まれているという神秘な文明です。人口が壊滅的に減ったとみられ、あれだけ繁栄を誇った町々が、今や見る影もなく廃墟となって、深いジャングルに覆われてしまっていることも、神秘性を深めています。

 

研究者たちは、滅亡のさまざまな原因をあげているが、どれも決定的なものはありません。例えば、気候変動による干ばつ、焼畑農業などの環境破壊によって食糧生産が滞り、滅亡したという見方があります。または、干ばつで食糧が不足し、危機的な水不足たため王国間の戦争が激化したせいで衰退したという意見もあります。

 

また、外敵の侵入や火山の噴火や自然災害によって滅亡したという説もあれば、疫病や内戦によって壊滅したという説もあります。内戦については、これまでの定説以上に、はるかに破壊的な戦闘行為が繰り広げられていたとの見解も最近では出されています。

 

もっとも、「マヤ文明は突然崩壊し、ジャングルに埋もれた」と言われるように、滅亡は唐突であったのではなく、長い時間をかけて、都市が次々に放棄されていったとされています。さらに、それは、マヤ低地南部において都市が放棄されただけで、マヤ低地北部ではむしろ繁栄を続けていたとの見方もあります。

 

いずれにしても、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を「発見」後、マヤ文明の栄えた地域は、16世紀初頭にメソアメリカ一帯に乗り込んできたスペイン人による侵略を受け、マヤ文明は急速に衰退したことは間違いありません。当初、根強く反抗を続けたマヤ族でしたが、17世紀になってカトリック信仰などのスペイン文化を受け入れ、結局、コロンブスの時代から200年近くたった、1697年に最後の王国がスペインに併合され、マヤ文明は滅亡しました。

 

スペイン人は、絵文書や彫刻などの文化遺産のほとんどを破壊しました。マヤ族は、スペイン人による殺戮と新しくもたらされた疫病などで、ほとんどが死亡した言われていますが、マヤの末裔となる人々は今も、800万人以上いて、計30のマヤ諸語を話しながら、マヤ文明の文化的遺産を継承していると言われています。

 

 

<参照>

マヤ文明と終末論の真実(ナショナル・ジオグラフィック)

513 講演―マヤ文明のピラミッド(マヤ文明研究者 Yuの語り)

マヤ文明の高度な技術(草の実堂)

マヤ・アステカ神話の終末(世界の終わりの話、草野巧)

 

古代マヤ人が封印した秘密トンネル、「地下世界への入り口」か

(2018.02.05 CNN)

メキシコでマヤ文明の宮殿発見 約1000年前まで使用

(2019年12月28日、時事ドットコム)

古代マヤ文明の要塞を発見

(ナショナル ジオグラフィック ニュース 2019年3月6日)

古代マヤ文明の滅亡は戦争が原因ではなかった?

(カラパイア、2019年8月16日)

マヤ文明の建造物6万個、空からのレーザー調査で発見 グアテマラ

(2018年2月2日、AFP)

密林に浮かび上がるマヤ文明の遺跡 レーザー技術で発見

(2018.08.18 CNN)

世界史の窓

Wikipediaなど