2020年10月10日

憲法:23条(学問の自由)はいかにしてできたか?

前回の投稿では、日本国憲法第23条(学問の自由)を解説しました(「まじめな解説 学問の自由23条」)。今回はこの23条がどのような過程を経て、成立したのかをみてみましょう。

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日本国憲法第23条(学問の自由)

学問の自由は、これを保障する。

 

「まじめな解説」の中でも指摘したように、現在、外国の憲法において、学問の自由を独立した条文として謳っている例はほとんどなく、「表現の自由」など別の規定の中に組む込まれています。

 

ですから、明治憲法にも、学問の自由は保障されていませんでした。そのためか、戦前、時の政権や軍部は、「滝川事件」や「天皇機関説事件」などにみられるように、一部の学説を「危険思想」「不敬」として、その学者が大学から追われたり、その著作が発禁となるなどの弾圧がなされました。

(「滝川事件」と「天皇機関説事件」については、前回投稿を参照下さい)

 

そうした過去の反省から、現行憲法では、独立の条文で「学問の自由」を謳うことにつながったと広く認識されています。ただし、戦後、日本政府による最初の憲法原案(松本案)から日本国憲法が成立までの過程においては、多少の変遷が見られました。

 

まず、マッカーサーの示唆によって始められた帝国(明治)憲法改正作業は、当時の幣原内閣の時に設置された松本烝治法学博士を委員長とする憲法問題調査委員会(「松本委員会」)によって進められ、最初の原案が作られました。しかし、いわゆる松本案には、学問の自由についての規定はありませんでした。

 

もっとも、松本案自体が不十分として、マッカーサーのGHQ(連合国軍総司令部)はこれを拒否し、マッカーサーは自らのスタッフに帝国憲法改正案を作成させ、わずか10日程度で完成させたのがマッカーサー原案と呼ばれる改正案でしたね。そのGHQ案では、以下のように、学問の自由だけでなく職業選択の自由も同時に規定されていました。

 

GHQ

学究上の自由および職業の選択は、これを保障する

 

GHQ民生局スタッフは、一国の憲法原案をわずか10日間で書き上げるには、それなりのたたき台となるものがあるはずです。大概は自国の憲法をまず参考にするところですが、外国の憲法でも学問の自由を独立の条文で規定されていないと前述したように、アメリカ合衆国憲法にも「学問の自由」は明文化されていません。では、彼らは何を参考にしたかというと、世界でもっとも民主的な憲法と言われたドイツのワイマール憲法と、日本の民間団体、「憲法研究会」が作成した「憲法草案要綱」と言われています。実際、両者には学問の自由を定めた条文がありました。

 

ワイマール憲法 第142

芸術、学問、およびその教授は、自由である。国は、これらのものに保護を与え、かつ、その育成に参与する。

 

憲法研究会の憲法草案要綱

国民の言論学術宗教の自由を妨げる如何なる法令をも発布するを得ず

 

現行の「学問の自由」でその解釈の中で通説となっている学は問研究の内容を教授する自由が、ワイマール憲法では、その「教授の自由」が明文化されていたことは注目されます。

 

さて、GHQ案を受けて日本政府が出した案(「3月2日案」)では、職業選択の自由と切り離して、学問の自由を国民」に与えるとしました。

 

3月2日案

すべての国民は、研学の自由を侵さるることなし

 

これに対して、GHQは、学問(研学)の自由を「国民」に限定したことに異議を唱えました。結果として、現行23条と同じ文言の帝国憲法改正案が、最終的な政府案として帝国議会に提出され、そのまま成立しました。

 

帝国憲法改正案

学問の自由は、これを保障する。

 

 

<参考投稿>

憲法:13条(幸福追求権)はいかにしてできたか?

憲法;21条(表現の自由)はいかにしてできたか?

 

日本国憲法の制定過程については、次の投稿も参照下さい

憲法:日本国憲法は9日で書かれた!?