2020年09月02日

仏教:戒名の歴史

先日の投稿(「戒名」ってどんなもの?)で、戒名についてその仕組みを説明しましたが、今回は、戒名を使用するようになった歴史をみてみたいと思います。

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  • 戒名をつける制度は日本だけ!?

 

仏教が始まったインドでは、戒名というものはなく、戒名は中国に仏教が伝わってはじめて登場したと言われています。日本の仏教は、中国の仏教が朝鮮の百済経由で伝えられたため、初めから戒名が取り入れられました。

 

日本に伝わった戒名をつける制度は、元来、生前、出家剃髪した者に与えられたものでした。戒名とは、仏弟子になったことを表す名前です。つまり、お釈迦さまの教えを守って生活することを、仏さまの前で約束したときに授けてもらっていました。

 

ただし、現在のように、死後に「戒名」をつけるという制度は、日本独特のものだと言われています。日本では死後に戒名をもらって葬儀を行うことが一般的になっていますが、これは日本だけの習慣です。

 

古来より日本では、「亡くなってからでも出家した方が、故人は極楽浄土に行きやすくなる」、との考えがあったと言われています。そのため、人が亡くなると、戒名を授け、迷いなく極楽浄土へ旅立てるよう祈るという風習が定着していったそうですが、その経緯を簡単にまとめてみました。

 

 

  • 日本における戒名の使用

 

日本へ仏教の公的な伝来は、538(宣化3)年、百済の聖明王が釈迦仏像と経典を朝廷に献上したときとされます。しかし、仏教そのものは伝わったとしても、「戒律」(仏教徒として守るべき規律)は、正式に伝えられていませんでした。

 

出家して僧侶になるためには、戒律を学び戒律を守ることを誓う「受戒」という儀式を受けなければなりませんが、戒律を正式に授けること(「授戒」)ができる僧侶もおらず、日本に戒律を授かった者はいませんでした。このため、日本の僧侶は中国から正式に認められていないという状態でした。

 

そこで、聖武天皇の時代に、中国から鑑真(688~763)が招かれたのでした。鑑真は、5回も船が難破し、最終的には失明しながら来日を果たし、日本にも戒律が伝えられました。754年、東大寺の戒壇堂にて、聖武天皇が鑑真和尚から正式に受戒され、日本で初めて出家した天皇となられました。またこのとき同時に、「勝満」の戒名も受けられています。(もっとも、聖武天皇は、高僧、行基から戒律を受けたとする説もあります。)

 

鎌倉時代には、執権、北条時頼(1227~1263)が、臨済宗の渡来僧、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)に師事し、1256年3月、執権職を辞して出家し、覚了房道崇という戒名を受けています。ただ、戒名も葬儀のときに仏弟子となった意味で贈られる風習ができたのは室町時代になってからだとされています。

 

戦国時代になると、いつ自分の命が果てるかも知れない武将たちは、生前から俗名(本名)を捨て戒名を名乗ることが行われてきました。例えば、武田信玄は、俗名は武田晴信ですが、後に出家して「信玄(徳栄軒信玄)」、上杉謙信も上杉輝虎から、出家して「謙信(不識庵謙信)」と、それぞれ戒名を使用しました。

 

ただし、現在のように、一般家庭においても、戒名を用いるようになったのは、江戸時代に入ってからと言われています。徳川幕府は、キリシタン禁制を徹底させるために、人々は必ずどこかの寺院に属さねばならないという「檀家制度」を実施しました。

 

これによって、すべての日本人は、仏教を信仰し、必ず菩提寺(ぼだいじ)(=先祖代々の墓があり、仏事などでお世話になる寺院)を持ち、その檀家となることが義務付けられました。

 

その寺の壇家であることの証明として、戒名が付けられるようになりました。結果として、それまでの高級武士や、貴族だけでなく、庶民の葬儀も僧侶が執りおこなうのが当たり前となりました。こうして、生前、戒名を受けていない人も、死後、出家の有無にかかわらず、戒名を必ず授かるのが一般的となっていったとされています。