2020年07月22日

日本国憲法:まじめな解説 幸福追求権(13条)

 

新型コロナウイルスの問題で、最近、PCR検査で陽性となった人と連絡がとれなくなっているという事態が起きているそうです。感染法上、コロナの陽性者は隔離されなければなりません。ですからそれが今回のように連絡が途絶えてできない場合、都道府県知事が、強制的にその陽性者の「身柄を確保」することもできるのですが、知事の中には「個人の人権」を考慮して、その行政執行を命じることを躊躇している人もいるそうです。そこで、改めて議論されるのが、「個人の人権」と「公共の福祉」による制約との関係です。

 

そこで、今回は、「公共の福祉」についての規定が明文化されている日本国憲法第13条を解説してみたいと思います。

 

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第13条 (個人の尊重・幸福追求権)

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

<意訳と解説>

国民はすべて個人として尊重される。そのためには、各個人が生命を保持し、自由を追求、さらに幸福を求める権利が保障される必要がある。したがって、この各個人の生命、自由、幸福を追求する権利は、公共の福祉に反しない限り、国会をはじめとする政治の場において、最大限に尊重されなければならない。

 

第1文の「個人として尊重」は、国家権力から個人の尊厳を守るという憲法の究極的目的を示しています。個人に最も重い価値を置く考え方を「個人主義」といいます。憲法は、個人主義の思想に立脚しており、13条は個人主義の表れと解されています。個人主義は、自分さえよければいいという利己主義的な考え方ではなく、個人に最も高い価値があると考え、各人が個人として尊重されることを前提に国家が存在するとみなします。

 

そこで、「個人として尊重される」ためには、生命、自由が保障され、また、各人が自己の決定に基づいて幸福を追求する権利が保障される必要があります。このことを第2文で、「生命、自由、個人の幸福追求権については、最大の尊重を必要とする」と規定しています。

 

 

<新しい人権>

 

また、「幸福追求に対する国民の権利(=幸福追求権)」は、それ自体が特定の行為を保障する人権ではなく、「新しい人権」を保障する根拠となる包括的人権(包括的基本権)と解されています。「新しい人権」とは、日本国憲法施行後、「知る権利」や「プライバシー権」のように、憲法に書かれていなくても、時代の変化・社会の変革に伴い、新たに人権として保障する必要があると考えられるようになった権利のことをいいます。

 

では、具体的に「新しい人権」にはどういう権利があるのかと言えば、服装の自由や趣味の自由など、あらゆる利益が「人権」として保障されるわけではなく、個人の人格的生存の不可欠な権利だけが「人権」として保障されます。

 

この幸福追求権から導き出される新しい人権として、学説では、これまでプライバシー権、肖像権、人格権、環境権(日照権、静穏権、眺望権、入浜権)、嫌煙権、自己決定権などが主張されてきました。

 

このうち、裁判の判例で明確に認められたものは、現在のところ「人格権」、「プライバシー権」、「肖像権」のみとなっています。なお、知る権利は、表現の自由の中で認められていますが、広義には新しい人権に含む場合もあります。

 

 

  • 人格権

人格権とは、身体・名誉・信用・肖像・氏名など、個人の人格に関わる利益について保護を求める権利の総称のことをいうと定義づけられています。

 

このうち「名誉」は、個人の人格価値の基本部分を占めており、人格権の重要な構成要素で、「人格権としての名誉権」と表現される場合もあります。判例では、「名誉を違法に侵害された者は、人格権としての名誉権に基づき、侵害行為の差し止めを求めることができる(北方ジャーナル事件)」とあります。

 

 

  • プライバシー権

 

私事をみだりに公開されない権利

 

プライバシー権とは、個人の人格にかかわる事項や私生活上の事実を、国や他人にみだりに公開されない権利で、「そっとしてもらう権利」、「放っておいてもらう権利」、「かまわないでいてもらえる権利」です。特に、私人間における私生活上の事実の公開は、不法行為にあたります。

 

私生活を公開されないことによってはじめて、私たちは、人格を熟成し、自己実現(幸福追求)を可能にすることができるとみなされています。

 

現代社会にあって、プライバシーの権利は、人格的利益として、人格権に包摂される権利とも解され、法的に保障されています(プライバシー権は法的保護/法律上の保護の対象)。これには、例えば、前科等を公開されない利益も含まれます。

 

京都市前科照会事件

京都市が、弁護士会からの照会を受け、前科者の情報を開示したことに対して、最高裁は損害賠償請求を認めたという判例があります(京都市前科照会事件)。

 

ある者が刑事事件において有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であって、その者が、みだりに当該前科等にかかわる事実を公表されないことは、法的保護に値する利益を有する(法律上の保護に値する利益を有する)」と判示されました。

 

このことは私人が公表した場合であっても変わらず、「私人の著作物によっても前科を公表されないことにつき法的保護に値する利益がある(ノンフィクション「逆転」事件)」ことを認めています。

 

 

江沢民早大講演会訴訟

 

また、中国の江沢民、当時前国家主席が来日し、早稲田大学で講演を行った際、学校側が、警察に参加者リストを渡したという「事件」がありました。この行為について、判例では、「講演会出席申込者の学籍番号、氏名、住所、電話番号は、秘匿されるべき必要性が高いものではないが、学生らの意思に基づかずにみだりに他者に開示することは許されず、大学が学生らに無断で警察に開示した行為は不法行為となる」としました。

 

なお、こうした判例から、プライバシー権が他の人権に対して優越性があるというわけではなく、(芸術の価値を含む)言論、表現等の自由の保障と、プライバシーの保障とは一般的にはいずれが優先するという性質のものでないという判例もあります(「宴のあと」事件)。

 

 

自己に関する情報を自分でコントロールする権利

 

一方、プライバシー権について、最近では、ITなど情報化技術がさらに発展してくると、むしろ公権力や大組織が、姓名、住所、電話、趣味、経済状態など個人に関する大量の情報を収集・保管するようになり、個人のプライバシーにとって脅威になるという認識が高まってきました。

 

私たちの個人情報が、ダイレクトメール利用などのために、収集・売買の対象にもなるなど、現代のようなデータバンク社会においては、「個人情報の不当な収集は、個人の人格的自律を脅かす恐れがある」という認識から、個人情報は、保護の対象となっています。

 

こうした背景から、プライバシー権は、伝統的な「私生活をみだりに公開されない権利」に加えて、現在では、「自己に関する情報を自分でコントロールする権利」も加わるようになりました。具体的には、プライバシーの保護を国や企業に対して、自己に関する情報の閲読を求め(開示請求)、それが誤りを含んでいる場合には、訂正や抹消を求めるという請求権(社会権)的側面を持つようになったのです。

 

プライバシー権:私生活をみだりに公開されない権利=自由権的側面

プライバシー権:自己に関する情報をコントロールする権利=請求権的側面

 

 

◆(発展)抽象的権利と具体的権利

 

もっとも、個人が国家機関の保有する情報について閲読、訂正や抹消を求めるためには、一般に、請求権を根拠づける法令が必要と解されています。これは、憲法学上の難しい考え方で、この請求権的な側面は、抽象的権利に過ぎないからだと説明されます。

 

抽象的権利とは、憲法でその権利が認められたとしても、その権利侵害に対して、権利の内容を具体化する立法が制定されていなければ裁判所に訴えることはできない権利と説明されます(これを難しい表現で、「裁判規範性がない」という)

 

抽象的権利に対して、具体的権利があり、こちらは権利侵害に対して、憲法より下位である法律で規定されていないくても、直接、裁判で訴えることができる権利です(「裁判規範性がある」という)。

 

プライバシー権に関していえば、伝統的な私生活をみだりに公開されない権利の方は、具体的権利とされているので、これが侵害された場合、裁判で直接争うことができ、勝訴した場合は、裁判所は、憲法13条違反を認めたことになります。

 

ですから、個人が国家機関の保有する情報について閲読、訂正や抹消を求めるというプライバシー権の請求権的側面については、現在、地方公共団体が、個人情報開示を条例化、国も個人情報保護法など個人情報に関する法制度を整備しているのです。

 

プライバシー権

私生活をみだりに公開されない権利⇒具体的権利=裁判規範性がある

自己に関する情報をコントロールする権利⇒抽象的権利=裁判規範性がない

 

 

  • 肖像権

肖像権は、自己情報をみだりに公開されない権利で、プライバシー権に含まれます。

 

京都府学連事件において、「国民の私生活上の自由の一つとして、その承認なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有する。これを肖像権と称するかどうかは別として…」と、みだりに容貌を撮影されない自由を認め、これを侵害することは、憲法13条の趣旨に反すると断じました。

 

裁判では肖像権という言葉を明確には使わずに、「自己情報をみだりに公開されない権利」を、第13条を根拠として(新しい)人権と認めました。以後、肖像権は、13条の幸福追求権の具体的権利として保障されています。

 

このように、13条を根拠に「人権」が認められると、(具体的権利であれば)通常の人権と同様に、権利の内容を具体化する立法が制定されていなくても、裁判でその侵害を主張することができます(裁判規範性がある)

 

 

<「公共の福祉」の制約>

 

こうした新しい人権(幸福追求権)も、憲法13条の規定にあるように「公共の福祉に反しない限り」保障されます(公共の福祉の制約を受ける)。

 

「公共の福祉」とは「人権相互の矛盾・衝突を調整する原理」とされ、「公共の福祉に反する」とは、他の人の人権と衝突し、他の人の権利や利益が侵害されるような場合をいいます。

 

人権が国家権力との関係で保障されるとしても、人権が無制限に保障されるということではありません。人間が生きていくためには、社会とのつながりを無視することができません。社会には自分以外にも多くの人がいるので、その人たちの人権との調整が必要な場面がでてきます。

 

幸福追求権にも、権利の性質や、他者との関係などによる限界・制限があります。例えば、肖像権も、無制限に保護されるわけではなく、公共の福祉のため必要がある場合には、相当の制限を受けることになります。例えば、以下の判示のように、犯罪捜査のために必要なら、厳格な要件の下で、個人の容貌などの写真撮影が認められます。

 

「警察官が現に犯罪が行われていると認められる場合で、証拠保全の必要性および緊急性も認められるときに、相当な方法で本人の同意または裁判所の令状なしに個人の容貌等を撮影することは憲法に反しない。」

 

 

<包括的基本権>

 

このような、個人主義の精神と、国民の生命・自由・幸福追求権の保障を定めた13条は、個別的な人権の基礎をなす、基本的人権保障の総則的規定すなわち包括的基本権と位置づけられています。ですから、これらの人権が公共の福祉に反するときに受ける一定の制約(13条にいう「公共の福祉」)も、幸福追求権も含めたすべての人権が甘受すべき内在的制約原理と解されています。

 

日本国憲法の中には、基本的人権保障の総則的規定が、13条以外にも、12条(自由・権利の保持)や31条(法定手続きの保障)にあります。

 

 

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<補足①>

新しい人権の中で、具体的権利として裁判所が認めていない権利の中で議論されてきたものを列挙してみたいと思います。

 

環境権

1960年代以降、大気汚染や騒音など環境問題が深刻化する中で、環境権が主張され出しました。環境権は、「健康で良好な環境のもとで生活する権利」として、学説上は、新しい人権として通説となっています。人が人格を維持し幸福を追求するには、環境に対する権利も不可欠だからです。

 

しかし、判例では、環境権の内容が明確でないことなどから、環境権そのものについて(環境権という名の権利)は、13条に基づく「新しい人権」とは認められていません(「具体的権利性が認められなかった」という言い方をする)。

 

 

指紋押捺を強制されない自由(権利)

 

権利の性質上、外国人に保障されますが、外国人登録法が定める在留外国人についての指紋押捺制度は、憲法13条には反しないという判例があります。これは、指紋押捺制度が、外国人の人物特定につき最も確実な制度として制定されたもので、方法としても一般的に許容される限度を超えない相当なものであると解されているからです。このケースは、公共の福祉のために必要がある場合に、甘受しなければならない制約の一例といえます。

 

 

喫煙の自由

 

喫煙の自由も、13条の基本的人権の一つとして含まれるとされていますが、一般論として喫煙の自由を認めたものにすぎず、喫煙の自由を新しい人権の一つとして正面から認めたものではありません。

 

喫煙の自由に関しては、在監者(未決拘留中の者)に対する喫煙を禁止した監獄法施行規則96条の妥当性が争われましたが、在監者の喫煙を禁止することは、火災の危険や逃走の危険を防ぐための必要かつ合理的な制限であるとして、禁止の措置は合憲とされました。

 

 

心の静穏を乱されない利益(とらわれの聞き手事件)

 

「とらわれの聞き手の事件」とは、「地下鉄の車内放送がうるさく、聞きたくなくても聞かなければならないことは、車内に拘束されている乗客(とらわれの聞き手)の人格権を侵害するものである」として、放送の差し止めと損害賠償が請求されたという事件です。

 

判例は、個人は他者から自己の欲しない刺激によって、心の静穏を乱されない権利を有しており、この権利は、憲法13条の幸福追求権に含まれると解されるが、憲法上の権利として承認されているわけではなく、地下鉄の車内における商業宣伝放送程度では、違法ということはできないとして、請求を退けました。

 

 

自己決定権

 

幸福追求権の一環として、個人は一定の個人的事柄について、公権力から干渉されることなく、自ら決定し、かつ行動できるという権利を有していると解されています。これは、個人の尊重には、自己決定権が保障されていなければならないという考え方に基づいています。

 

ただし、自己決定は、周りに反対されて、自分の決めた通りに行動できなかったということで問題になるのではなく、あくまで、国など権力的な地位にある機関が、本人の自己決定を、例えば、強制的に実行させなかったり、承諾しなかったりというような場合に発生します。以下に、自己決定権に関する2つの判例を紹介します。

 

 

自家製酒をつくる自由(酒をつくる権利) 

 

被告人が無免許で、自己消費用の清酒等を自家製造した容疑で起訴された事件がありました(「どぶろく事件」)。この時、酒類販売における免許制を定めた酒税法に対して、自己消費目的の酒類製造にまで適用されるのは憲法13条に反するのではないかが争われました。判例では、酒類販売における免許制は、たとえ自己消費目的であったとしても、酒税の徴収確保のため、合理的な制限として、合憲とされました。

 

 

エホバの証人輸血拒否事件

 

エホバの証人の信者が、輸血拒否の意思を示していたにもかかわらず、医師が無断で輸血を行ったため、損害賠償請求を提起しました。

輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を拒否する明確な意思がある場合、このような意思決定をする権利は人格権の一内容として尊重されなければならないとされました。また、患者の意思を知っていたにもかかわらず、手術の際に、輸血以外に救命手段がなかったとはいえ、輸血をするという方針を医師が説明しなかったことは、患者の意思決定の権利を奪うものであり、人格権の侵害にあたると、判示されました。

 

このほかにも、自己決定権の問題として、身近な例では、高校の校則による髪形やバイク通学の禁止・制限の問題がありました(いずれも、これらを定めた校則は合憲)。また最近では、自己決定権に関して、①厳死や安楽死、臓器移植などの自己の生命・身体の処分にかかわる問題、②妊娠・出産など家族の再生産(リプロダクティブ・ライツ)にかかわる問題、➂医学界におけるインフォームド・コンセント(説明と同意)の問題など、本人にどこまで自己決定権が認められるかについて、活発に議論されています。

 

 

<補足②>

13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の「生命に対する国民の権利」から、国家には、日本国憲法に直接書かれていない自衛権があるとの解釈もあります。

 

「国民の生命」を守るためには、政府は他国の攻撃から、自国民を守らないといけないというのですね。ですから、「9条で戦争のための戦力保持は禁止されているが、政府は13条で国民を守らないといけない、だから、そのための最低限の実力(=自衛隊)は必要」との解釈が成り立つわけです。

 

<参考投稿>

日本国憲法;まじめな解説 表現の自由(21条)

 

<参照>

憲法 伊藤真(弘文堂)など