2020年06月21日

皇室:仁徳天皇「民のかまど」とシラス政治

(本投稿は、2019年7月10日にアップした「仁徳天皇『民のかまど』の故事」を加筆したものです。)

 

2019年7月に世界文化遺産に登録された「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の中の代表格と言えば、世界最大の前方後円墳として知られる「仁徳天皇陵古墳」です。第16代の仁徳天皇(257~399年?)は、徳政・仁政を行ったことで知られています。そのことを示すエピソードが、「民のかまどの逸話」です。

 

 

  • 民のかまどの逸話

 

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仁徳天皇の四年、天皇が、高台(たかどの)に登り四方の国を見て言いました。
「国の中に釜戸の煙が出ていない。民が貧しくて家に飯を炊く者がいないのではないか?五穀が実らないで、国中のものは困窮している。都がこの有様だ、地方はもっとひどいであろう」と仰せられ、「これから三年の間、すべての人民の課役(えつき)(課税と使役)を免除し、民の苦しみを和らげる」と詔(みことのり)されました。

 

この日より、天皇は粗い絹糸の衣服を召され、傷んでも新調されず、食事も質素にされ、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理されず、風や雨がその隙間に入って衣服を濡らしました。星の光が破れた屋根の隙間から漏れて、床を照らしていました(という有様にも堪え忍び給いました)。

 

季節が巡り、天皇が再び、高台の上に居て、国の中を見ると、国中に釜戸の煙がたくさんと登るようになりました。この様子をご覧になった天皇は、かたわらの皇后に申されました。

「朕(ワレ)は、既に豊かになった。憂いは無い」

 

皇后は答えて言いました。
「どうして豊かになったと言えるのですか?」

天皇は答えました。
「(かまどの)煙が国に満ちている。民は豊かになっている。」

 

皇后はまた言いました。
「宮垣(みかき)は崩れ、殿屋(おおとの)は破れているのに、何を豊かだというのですか」

 

「よく聞けよ。天下を治める君主(天皇)が立つのは民のためだ。政(まつりごと)は、民を本としなければならない。だから古(いにしえ)の聖(ひじりの)王(きみ)は一人でも飢え凍えるときは、自らを省みて責めたものだ。いま、その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ。」天皇は、このように申されました。

 

六年の歳月がすぎた仁徳天皇の10年、「民は豊かになった」と判断された天皇は、ようやく課役(税と使役)を科され、宮室(おおみや)の修理を行われました。3年の間、全ての課役を免除された仁徳天皇に感謝した民は、その気持ちを示しました。その時の民の様子を「日本書紀」は次のように記しています。

 

「民、うながされずして、老いた人を助け、幼い子を抱え、材木を運び簣(こ)(盛り土を運ぶための篭)を背負い、日夜をいとわず力を尽くして競い作る。いまだ幾ばくを経ずして宮室ことごとく成りぬ。」

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こうして、仁徳天皇の治世は人々に讃えられ、聖(ひじりの)帝(みかど)の世と言われたと現代にも伝えられています。みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野の陵(みささぎ)に葬(そう)されました。

 

「民のかまどの逸話」は、理想的な君主としての代表である仁徳天皇がなされた「民を思いやる徳の政治」という日本の理想的な政治スタイルの事例として語り継がれていくべきものです。

 

 

  • 「シラス」と「ウシハク」

 

この「民を思いやる徳の政治」は、「古事記」の中でも、統治の形として「シラス」という言葉でも示されています。出雲神話で、天照大神の使者、建御雷神(タケミカヅチ)が、天照大神のみ言葉として、大国主神に国譲りを迫る場面です(詳細については、記紀「国譲り」を参照)。

 

汝のウシハケる、この葦原の中つ国は、わが御子のシラス国なるぞ

汝が領有するこの国(葦原の中つ国)は、わが御子が治める国である

 

「ウシハケる」は「ウシハク」、「領(ウシハ)ク」で、「領有する、支配する」という意味です。これは、西洋型の統治手法であり、戦いに勝った者が私有(所有)することを意味しています。

 

これに対して、「シラス」とは「治(シラ)ス」、または、「知(シラ)ス」と書き、神や民の心を知りながら、国を「治める」ということを意味しています。古事記の原文でも「知國(国)」となっています。国を治める天皇と民が一つになった「君民一致」の政治の理想が、古事記では、「シラス」という言葉で示されているのです。「治(シラ)す」政治の具体的な事例として、仁徳天皇の「民のかまどの逸話」があると位置づけることができます。

 

 

  • 帝国憲法第1条にも…

 

なお、近代に入って、「治(シラ)す」の政治を統治理念に掲げようとした人物がいました。それは、大日本帝国憲法(明治憲法)の起草者の一人である井上毅です。

 

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

(大日本帝国は、万世一系の天皇が統治する)

 

これは、帝国憲法第1条ですが、井上毅の草案は次のようになっていました。

 

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治ス所ナリ

(大日本帝国は、万世一系の天皇が治す(治める)ものである)

 

井上毅は、近代日本を世界に示すためにも、古来から継承されてきた日本の統治形態を「治(しら)す」という言葉を使って表そうとしたのですね。日本の古き良き「シラス」政治を語っていくためにも、仁徳天皇の「民のかまどの逸話」を多くの人々に知ってもらいたいものです。

 

大日本帝国憲法第1条については、次の機会に解説してみたいと思います。

また、仁徳天皇については、投稿「仁徳天皇陵は、仁徳天皇のお墓でない!?」も参照下さい。

 

 

<参照>

古事記 – 日本神話・神社まとめ

日本書紀 – 日本神話・神社まとめ

Wikipediaなど