2020年06月10日

キリスト教:「バチカン市国」ってどんな国?

前回のニュース投稿で、青森の「キリスト祭」中止については触れましたが、そのお祭りが伝承とはいえ、余りに奇抜すぎたので、ここは、現在のキリスト教の本家について学び直してみたいと考え、バチカン(ヴァチカン)についてまとめてみました。

 

なお、ローマ教皇かローマ法王か、またはローマ教皇庁か法王庁なのか意見が分かれるところですが、日本政府は最近、ローマ教皇、ローマ教皇庁と表記を統一すると発表しています。

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バチカン(ヴァチカン)市国

 

  • バチカンの概要

 

全世界で12億人(世界人口の17.5%)の信徒を擁するカトリックの総本山であるバチカン市国は、世界最小の主権国家です。

 

ローマ市内の一角に位置し、国土面積はわずか0.44平方キロメートルしかありません。皇居が1.15㎢なのでいかに狭いかがわかります(さらに、東京ディズニーランドより狭い)。その限られた場所に、サン・ピエトロ大聖堂を中心に、バチカン宮殿(教皇の住まい)、バチカン市国政庁(議場など)、庭園等があり、人口は約800人(その大半が聖職者か衛兵)しかいません。なお、イタリア領土内に治外法権を持つ施設があるなど、市国外にいくつかの直轄地を持つと言われています。

 

国家元首は、ローマ教皇(法王)で、形式的には立法、行政、司法の全てを掌握しています。ローマ教皇は、ローマ・カトリック教会の最高指導者であると同時に、巨大官僚組織のトップとしての権力も保持しているのです。

 

バチカン市国で官庁にあたるのがローマ教皇庁(法王庁)で、カトリック教会行政の最高機関です。バチカンと言えば、このローマ教皇庁を指します。筆頭の国務省のほか、9省と11評議会からなり、裁判所もあります。省のトップは長官で、全員、法王に次ぐ地位である枢機卿が務めています。なお、ローマ教皇庁は、カトリック全体の統治機構でもあります。

 

また、立法府として、1939年にピウス12世によって創設されたバチカン市国委員会があります。議会といっても、定数7人(任期5年)、議長も議員も枢機卿が務めます。

 

このように、教会組織としては、教皇(法王)⇒枢機卿⇒大司教⇒司教…という高位聖職者の階級があますが、約180人いる枢機卿が、行政や立法組織を実質的に動かしています。さらに、この枢機卿は教皇庁にいる「官僚枢機卿」以外にも、世界の教会の大司教区を代表する「教会枢機卿」もいます。

 

ローマ教皇は、世界のカトリック教徒のトップとしての権威で、世界に多大な影響力を保持していますが、教皇の力の源泉は、世界中にある教会の存在だとされています。すべての教会は必ずどこかの教区に属し、教皇が任命する司教がその長を務めます。司教を補佐する司祭と助祭は教会でミサを行い、一般信者と接します。カトリック教会の世界で、教皇をトップに末端の信者まで厳然としたピラミッド型の組織体系が出来上がっているのです。そのローマ教皇はバチカンの国家元首でもあるため、訪問国の首脳と会って直接対話することができます。ローマ教皇は、世界中の教会を通じて、強力な情報網(コネクション)を構築し、カトリック信者12億人を代表するメッセージを世界に発信しています。

 

ですから、バチカン市国は、170以上の国と外交関係を結び、アメリカやロシアなどとも対等な外交関係を維持しています。国際連合には、中立を国是としている理由などから加盟していませんが、教皇庁が教皇聖座(Holy See)としてオブザーバー参加しています。

 

 

  • バチカンの歴史的経緯

 

バチカンの起源は、ローマ帝国時代(1世紀の中頃)、皇帝ネロの迫害で殉教した聖ペテロの墓所に、4世紀(349年)中頃、サン=ピエトロ大聖堂が建てられたことだとされています。その後、1626年に現在のサン・ピエトロ大聖堂が完成すると、ローマ教皇の座所としてカトリック教会の総本山となりました。

 

また、ローマ教皇は、現在、カトリック信者への絶大な権威を有する精神的指導者として位置づけられていますが、19世紀半ばまでイタリア中部に広大な教皇領を保有する大土地所有者(=領主)でした(教皇領そのものは、756年、カロリング朝ピピンが,ラヴェンナ等の都市をローマ法王に寄進したことが始まり)。

 

しかし、1861年のイタリア王国の成立によって展開された国民国家の建設運動のなか、1870年にバチカン以外の教皇領が、イタリア王国によって接収されてしまいました(1870年のローマ併合によってイタリア統一が完成された)。この結果、ローマ教皇は、イタリアに19世紀に土地を奪われた結果、国民、産業、資源、軍隊などをすべて失いました。時の教皇ピウス9世は、これに抗議し、自らを「バチカンの囚人」と称して宮殿に立てこもり、ローマ教皇庁はイタリア政府との関係を断絶しました。

 

この難題を解決したのがファシスト党のムッソリーニでした。時の法王ピウス11世は、1929年、ムソリーニ政権とラテラノ条約を結び、バチカンの「主権国家」としての地位と、バチカンにおける法王の支配権が認められることと引き換えに、教皇領の権利放棄とイタリアに対する免税特権を保証しました。

 

こうして、60年近く緊張関係にあった伊政府と法王庁が和解し、世界最小の独立国家、バチカン市国が誕生したのです。

 

 

  • バチカン銀行とマネーロンダリング?

 

バチカンでは近年、マフィアとのつながりやそれに絡むマネーロンダリング(資金洗浄)疑惑が表面化しています。そもそも、バチカン銀行という存在に驚かれるかもしれませんが、世界最小とはいえ主権国家ですから、当然、金融機関を持っています。

 

バチカン銀行は通称で、正式には、ローマ法王庁(バチカン)の財政管理組織「宗教事業協会」のことで、1942年に設立されました。教会を通じて、世界中から寄せられた資金を、管理・運用するのが主な業務で、資産の大半は債券で運用していると言われています。少し古い情報ですが、かつて(2012年)、預かり総資産が63億ユーロ(約8200億円)、顧客数は各地のカトリック系団体や個人の合計で1万8900とされていました(バチカンのHPより)。

 

前述したラテラノ条約の際、ムッソリーニのイタリアは、バチカン市国以外の領地を放棄する代償として7億5000万リラ、現在の時価に換算して約1000億円を支払うことに合意しました。この補償金が、バチカン銀行の資本金となったと言われています。そして、当時の教皇ピオ11世は財産管理局が、バチカン銀行の前身となりました。

 

そんなバチカン銀行ですが、おカネの流れは不透明で、イタリアのマフィアなどの資金洗浄に使われているとの指摘が多く、同行を介したマネーロンダリング(資金洗浄)疑惑が絶えませんでした。例えば、82年にはバチカン関連組織に融資していたイタリアの大手銀行が破産、そこの頭取がロンドンで変死を遂げるという事件がありました。また、バチカンの高位聖職者らがスイスから不正に資金をイタリアに持ち込んだ容疑で警察に逮捕されるといった事件なども後を絶ちませんでした。

 

ただし、歴代の教皇は、カトリック教会にとって、バチカン銀行は、重要な組織であるとして、存続を表明し、情報開示による運営の透明性向上や、組織改革に取り組んでいます。ただ、その実効性については、まだ不透明な状況です。

 

参考投稿:ローマ教皇ってどんな人?

 

<参照>

バチカン、世界史の窓

バチカン(BBC)

バチカン銀行、HPで信頼回復へ(2013年8月6日、日経

Wikipediaなど