2020年05月10日

伝承:「桃太郎」は実在していた?

金太郎や牛若丸とともに、端午の節句に飾られる五月人形のひとつとして、桃太郎があります。今回は桃太郎についてまとめました。「桃太郎は皇族の皇子だった」と言われたらビックリではないでしょうか?

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  • 桃太郎のおとぎ話

 

桃太郎の話しは、室町時代以前にその原型があったと考えられていますが、江戸時代から語り継がれて有名になったと言われています。そのお話しは大方次のようなものです。

 

川で洗濯をしていたお婆さんが、流れてきた桃を拾って、家に帰って割ってみると、男の子が出てきました。桃太郎と名づけられた子が健やかに成長すると、きび団子を持って鬼退治に出発します。鬼が住む「鬼ヶ島」に向かう途中、桃太郎は、犬、猿、雉(きじ)を仲間にして、村の人々を苦しめている鬼を退治します。そして、鬼たちの持っていた財宝を手に入れると、育ててくれたお爺さんやお婆さんをはじめ、村の人々に分け与えて幸せに暮らしました。

 

 

  • 「端午の節供」と桃太郎

 

男の子を持つ親が桃太郎を「端午の節句」で飾るのは、この桃太郎のように、健やかなに成長し、鬼に立ち向かう勇気や力強さを持ち、犬、猿、雉を従えた人望や賢さを兼ね備えた理想の男の子に育って欲しいという期待が込められているからです。また、桃太郎が鬼を退治したということから、わが子にも災厄から身を守る運の強さやがあって欲しいという願望も込められていると解されています。このように、端午の節句の桃太郎は、邪気を払い、子どもの健やかな成長を祈る庶民信仰の対象となっていったのでした。

 

 

  • 「桃の節句」と桃太郎

 

一方、桃太郎は、「端午の節供」だけでなく、「桃の節供(3月3日)」の時にも登場します。桃が昔から悪い邪気を払う神聖なものとして用いられ、その邪気の象徴は鬼とされており、邪気を祓う力のある桃には、鬼を退治する力もあると考えられてきました。また、桃は、不老長寿を与える植物とされるなど長生きの象徴であると同時に、生命を宿す女性も意味するとされるなど女性の象徴でもありました。さらに、旧暦の3月3日は桃の花期にあたるため、桃を用いて行事を行うようになった(「桃の節句」と呼ばれる所以)と言われています。こうした背景からも、桃から生まれた桃太郎が、邪気を象徴する鬼を退治をする民話が誕生し、桃の節供の3月3日にも、桃太郎が取り上げられています。

 

 

  • いろいろな桃太郎

 

ところが、このように昔から親しまれてきた桃太郎のおとぎ話にも、諸説あります。まず、桃太郎伝説の舞台は、岡山県(吉備)と見られています。これは、犬やキジや猿をお供にするきっかけとなったきび団子が「吉備団子」ということからきていますが、愛知県や香川県が舞台という説もあるのです。

 

また、鬼退治をするといった同様の話しは、北海道から沖縄まで、幾つも存在しています。逆に、桃太郎の昔話に中には、怠け者の桃太郎や、腕白な桃太郎もいたり、桃太郎のお供をするのは、犬、猿、雉ではなく、名前に「太郎」の付いた仲間達と旅をするといったように、童話の設定が異なるものもあります。

 

さらに、桃太郎伝説の原型では、「桃太郎は桃から生まれてなかった」のかもしれません。前述したように、桃は古来、不老長寿を与える植物とされていたことを反映していたからかどうか確かではありませんが、明治時代初期までの桃太郎のお話は、「桃を食べたおばあさんとおじいさんが若返って、桃太郎が生まれた」というものであったと言われています。今に伝えられている「桃から生まれた桃太郎は…」の童話は、明治20年に国定教科書に採用される際に、「子供向け」に変更されてからの話しなのだそうです。では、「大人向け」の桃太郎の逸話はあるのでしょうか?

 

 

  • 実在の桃太郎!?

(吉備津彦命の伝説/温羅伝説)

 

桃太郎は、紀元前3世紀頃に活躍した吉備津彦命(キビツヒコノミコト)がモデルであるとする説があります。吉備津彦命は、「古事記」や「日本書紀」などの歴史書に登場する神さまで、第7代天皇である孝霊天皇(コウレイテンノウ)と妃の倭国香媛(ヤマトノクニカヒメ)の間にできた子です。正確に言えば、「吉備津彦命(キビツヒコノミコト)」は別名で、本来の名前は「五十狭芹彦命(イサセリヒコノミコト)」です。

 

孝霊天皇の跡継ぎではなく、将軍という地位だった五十狭芹彦命(後の吉備津彦命)は、第10代、崇神天皇(スジンテンノウ)の御世に、吉備国(きびのくに)(今の岡山県)へ派遣され、その地を支配し人々を苦しめていたとされる温羅(おんら/おんうら)の討伐を命じられ、吉備の地を平定したという伝説があります。五十狭芹彦命(イサセリヒコノミコト)は、温羅を討ち取り吉備国を平定したため、後に「吉備津彦」を名乗ったと言われています。

 

吉備津彦命伝説(温羅伝説)によれば、温羅(おんら)は、元々、朝鮮半島の百済(くだら)の王子でしたが、空を飛んで日本に渡ってきた後、吉備の国を支配し、圧制を敷いたとされています。その容貌はといえば、まさに鬼のごとく、「目には狼のような獰猛さを宿し、髪は赤く燃え盛り、身長は4メートルを超えた」と形容され、好き放題に暴れ回っていたと伝えられています。この温羅という「鬼」が拠点とした城を、人々は恐怖の意味を込めて「鬼の城(きのじょう)」と呼んでいたそうです。

 

恐れおののいた人々が都へ出向いて助けを求めたことを受けて、武勇の名将である五十狭芹彦命(イサセリヒコノミコト)が派遣されることになったのです。都より大軍を率いて吉備の中山に本陣を構えた五十狭芹彦命は、一本ずつ矢を放ちますが、温羅が投げた岩にぶつかり、一進一退となります。そこで、命(みこと)が、2本の矢を同時に射ると、1本の矢が温羅の左目を射抜きました。致命的な傷を負った温羅は、とっさに雉(きじ)に姿を変え山中に逃げますが、五十狭芹彦命は鷹になって追いかけ、さらに、鯉に姿を変えて川に逃げた温羅を、鵜(う)の姿になって追いかけ、飲み込んで捕えました。最後は、温羅の首を切り落とし、無事に討伐に成功したのです。

 

このように、昔の人々は、鬼のような温羅を討った五十狭芹彦(後の吉備津彦命)を讃え、桃太郎伝説として後世に語り継いでいったとみられています。もっとも、温羅は、大方、討伐されるべき「悪者」として描かれていますが、吉備国に製鉄技術をもたらした渡来人であるという説もあり、その正体は正確にはわかっていません。

 

吉備津彦命(キビツヒコノミコト)も、実在した人物なのかもはっきりしていません。岡山県には、吉備津彦命が実在したと思わせる場所がいくつか残っているそうですが、命が281歳まで生きたと言われていることから、伝説上の人物だという見方が多いようです。

 

 

  • 犬・猿・雉の正体

 

一方、桃太郎のお供についた犬・猿・雉(きじ)は、一体何に由来しているのでしょうか?これについても諸説ありますが、吉備津彦命に仕えた三人の家来のことだったという「家来説」が有力です。その三人とはそれぞれ犬・猿・鳥という名前がついた以下の三人です。

 

・犬飼部犬飼健命(いぬかいべのいぬかいたけるのみこと)
・猿飼部楽々森彦命(さるかいべのささきもりひこのみこと)
・鳥飼部留玉臣(とりかいべのとめたまおみ)

 

犬の犬飼健命(いぬかいたけるのみことは、猟犬を飼育、朝廷に仕えた一族で、子孫は現在の犬飼(犬養)家。猿の楽々森彦命(ささきもりひこのみこと)は、吉備津彦命の軍師的存在で、子孫は現在の高塚家、藤井家。鳥の留玉臣(とめたまおみ)は、百里を飛ぶ能力を持つ術師だったとされ、子孫は現在の鳥飼家、鳥越家とそれぞれ言われています。

 

 

<参照>

端午の節句に「桃太郎人形」を飾るのはなぜ?

なぜ桃の節句というのか? 桃太郎との関係

古代史の旅桃太郎と神武東征伝説(古代史の旅)

桃太郎さん(吉備津彦神社HP)

桃太郎のモチーフとなった温羅伝説とは?(神社CH)

桃太郎と神武東征伝説