2020年04月26日

五輪:「古代オリンピック」はゼウスの祭典

2020年7月開催予定の東京オリンピック・パラリンピックは、史上初めて延期となりました。1年後の開催も危ぶまれていますが、東京大会の実現を期して、今回は、オリンピックについてまとめてみました。

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  • 古代オリンピックのはじまり

 

19世紀末に始まった「近代オリンピック」に対して、ギリシャを発祥とするオリンピックは「古代オリンピック」と呼ばれます(戦前の日本では「オリムピック」と表記された)。

 

古代オリンピックは、ギリシャの首都アテネの北西、ペロポネソス半島にあるエーリス(エリス)地方に位置する、ゼウスの神殿のあったオリンピアで開かれていました。「オリンピック」は、オリンピア(オリンポス)の名前を冠して命名されたもので、古代ギリシャ社会の重要な祭典でした。その起源は諸説がありますが、例えば次のような逸話がよく知られています。

 

  1. ギリシャ神話の最高神ゼウスが父神であるクロノスを倒した。
  2. ゼウスの子で、ギリシャの国民的英雄ヘラクレスが、エーリス王アウゲイアスと戦い、勝利した記念としてオリンピアの地で競技会を行った。
  3. ホメロスの叙事詩「イリアス」の英雄アキレスが、BC1250年頃、トロヤ戦争で没した友人の死を弔うため墓前競技(英霊を弔う目的で墓前にて行われる競技)を行った。

 

いずれにしても、オリンピアでは、紀元前1000年頃からゼウス神に捧げる小さな祭典を行っていたとされていますが、記録上明らかなのは、紀元前776年に、オリンピアを治めていたエーリスの王、イフィトスが領内の疫病に困って、デルフォイのアポロン神の神託を行ったことをきっかけに競技会が開かれました。その神託の内容は、「(当時、頻発していた都市国家(ポリス)間の争いをやめて)オリンピアのゼウス神殿の祭典を復活せよ」というものでした。神託は守らなければ、神罰が下されると見なされたことから、各ポリスはこれに従い、オリンピア祭が開かれたのでした。

 

これが第1回古代オリンピックで、それ以降4年に1度、農閑期の8月下旬に行われるようになりました。古代ギリシャにおいて、小麦の収穫が終わった夏になると、食糧を求めて隣のポリスの収穫を奪い合うといったように、ポリス(都市国家)同士の戦争が続いていました。そうした夏の農閑期の争いが絶えない時代であったにもかかわらず、オリンピックの開催期間は、聖なる休戦期間とされ、一切の戦争は禁止されました。休戦は平和の為と言うよりは、選手や観客など大会参加者の安全を確保するためのものだったと言われています。

 

また、開催時期に関して、暦学的には、月の満ち欠けを使用した太陰暦に基づき、「夏至のあとの2回目(または3回目)の満月の日がオリンピア祭典の3日目になるように計算されていた」そうです。なぜ、3日目なのかというと、オリンピア最大の見せ場が、祭典が始まって3日目にあるからです。その日は、ゼウス神へ100頭の雄牛(牡牛)が捧げられ、神官や審判団、各国からの祭礼使節、100頭の牡牛とその曳き役、選手、コーチら関係者が神域を一周した後、ゼウスの大祭壇に奉納された牡牛(おうし)の喉がかき切られ解体されたそうです。こうした点で、古代オリンピックは、当初、神(々)に捧げられる神事であったことがわかります。競技会そのものも神々への奉納であったわけです。

 

 

  • オリンピアの遺跡

 

現在残されているオリンピアの遺跡は、祭壇や神殿などがある神域、クロノスの山に沿って広がる競技場(スタディオン)や闘技場(パレストラ)、神域とクラデオス川の間に選手たちの練習場だった体育施設(ギムナシオン)と宿泊施設(レオニデオン)、さらに評議会場(ブレウテリオン)などの区域に分かれています。神域には、真ん中にゼウス神殿があり、その周りに勝利の女神ニケ像や、ゼウスの妻であるヘラ神殿、神々へ捧げる生贄のための祭壇と宝物庫などがありました。

 

また、古代オリンピックでも、聖火は灯されていました。ギリシャ神話では、プロメテウスという神が、ゼウスから天界の火を盗んで人間に与えたので、人間は火を使うようになったという話しがあります。そのため火は神聖なものと考えられ、古代オリンピックの期間中、ゼウス神殿やヘラ神殿など開催地のオリンピアの神殿には火が灯され続けました。近代オリンピックで、聖火の採火式が行われるのはヘラ神殿です。ただし、現在のように聖火を点灯する式典は古代オリンピックでは行われていませんでした。開会式もありませんでした。

 

 

  • オリンピックは男子のみ

 

古代ギリシャは完全な男性中心の世界でしたので、オリンピアの祭典に選手として参加できるのはギリシャ人の自由民の男子だけでした(自由自由民とは両親ともがギリシア人のこと)。もっとも、ローマ時代になるとギリシア人は自らをローマ市民と名乗るようになるため、両親のどちらかがギリシア人またはギリシャ語を理解できる者であれば参加できるようになりました。ただし、奴隷や外国人、女性の参加は認められていませんでした。オリンピアの祭典を一目見ようとギリシャ全土から観覧者が集まってきましたが、基本的には男性のみであったという現実がありました。

 

また、古代オリンピックでは、選手とコーチは全裸であったそうです。当時のギリシア人は鍛え抜かれた肉体など人間の表面的な美を追求し、そこに価値を見出していたと言われています。こうした背景もあってか、競技はすべて個人戦で団体戦はありませんでした。これも個人の修錬と努力を神々に見せるものだったからだと解されています。

 

 

  • オリンピアの祭典

 

オリンピアの祭典で行われる競技の基本は徒競争で、第1回オリンピックの競技種目はスタディオン(競技場)を走る徒競争のみでした。その後、槍投げ・円盤投げ・幅跳び・レスリング加わり5種目競技となりました。古代オリンピックでは「5種目を制する者が真の優勝者だ」と言われたそうです。最終的には、ボクシングや戦車競走などが追加され18種類の競技が行われるようになりました。競技種目の増加を受け、開催期間も当初は1日だったものが、5日間の開催となったと記録に残されています。

 

選手たちは開催日の前の満月の日(約30日前)に、オリンピアの祭典の開催都市であるエリスの街へ到着し、ゼウス神に対して、参加の意思を宣言しなければなりませんでした。また、そこで、競技の審判からの最終チェックを受け、その力が一定の基準に達していないと判断された者は、参加資格を失ったそうです。

 

祭典の初日は、神の前で宣誓式が行われました。その日の朝、選手とコーチたちは神域に入り、並び立つ審判越しにゼウス像を見ながら、父の名の下に「ルールを守り不正をすることなく全力で戦う」ことを誓います。同時に、審判団も「公正なる判定を行い、オリンピアの祭典を汚さない」ことを誓ったされています。2日目は、戦車競技と、前述した5種目競技がありました。戦車競技の中でも4頭立馬車による「競馬」が人気だったそうです。

オリンピアの祭典が最も盛り上がるのが、3日目であったとされ、すでに説明したように、ゼウス神へ100頭の雄牛が生贄として捧げられる行事でした。この日の競技が終わると、夕方からは大宴会となり、祭壇に捧げられた肉を受け取ることができました。解体された牡牛の大腿部がゼウスのために焼かれ、残った部位を皆で食べたとされています。

 

4日目の種目は格闘技と武装競争でした。格闘技はレスリングとボクシングとパンクラティオン(総合格闘技)で、どちらも相手が降参するまで戦ったとされています。祭典最後の競技となる武装競争は、重曹歩兵の装いを装備してスタディオンを1往復走るものです。

 

これですべての競技は終了し、最終日は勝者を称える表彰式が行われました。ゼウス神殿には、象牙と黄金のテーブルの上に、勝者の数だけオリーブの冠が用意されていたと言います。勝者たちは聖域の中でも最も神聖なゼウス像の前で名前を読み上げられ、その冠を頭に載せられました。その瞬間は最も神に近付く瞬間と表現されています。表彰式を終えてゼウス神殿から出るとコーチや友人たちに担がれて音楽に合わせて行進をしたそうです。戦いの後に優勝者だけの豪華な祝宴があり、このオリンピアの聖域に自らの像を置くことを許されたと言われています。

 

 

  • オリンピアの祭典の落日

 

こうして続いていた古代オリンピックは、ヘレニズム時代をを経て、BC146年にギリシャがローマ帝国に征服された後も続きました。それはローマがギリシャ文化を積極的に導入していたからで、皇帝ネロをはじめ初期の歴代の皇帝によって、オリンピックも手厚い保護を受け、さらに発展をしていきました。

 

その後3世紀からのゲルマン人のペロポネソス半島侵入やキリスト教の隆盛により、ゼウス神の祭りであったオリンピックは次第にその勢いは衰えていきました。特に、キリスト教が公認され、392年のローマ皇帝が発令した異教徒祭祀の禁止令が出されたことが決定的となりました。西暦393年、293回を数えた古代オリンピックは廃止され、1200年に及ぶ歴史の幕を閉じてしまいました。オリンピアのゼウス神殿は、邪教のものとして破壊され、オリンピアの街は廃墟と化し、現在も、崩れ落ちた石のかたまりが点在するだけとなってしまっています。

 

 

  • 近代オリンピックの誕生

 

オリンピックは、19世紀末、フランスのクーベルタン男爵が、古代ギリシアのオリンピアの祭典をもとにして、世界的なスポーツ大会を開催する事を提唱したことをきっかけに復活しました。近代オリンピックは、1896年4月、第1回大会が、古代オリンピックの故郷ギリシャのアテネで開催されました。ただ、かつてのような神事の意味合いはなく、スポーツで世界を結びつける平和の祭典と位置づけられ、現在に至っています。

 

 

<参照>

古代ギリシャからリオデジャネイロまでオリンピックの聖火の歴史をたどる

意外と知らない「オリンピック聖火」の長い歴史

東京五輪の開幕に向け3月にギリシャで採火(2020/02/11、東洋経済)

オリンピックの原点がここに!(Tabiyori)

オリンピックの創始者ヘラクレス

古代オリンピック・戦前のオリンピック(共立女子大学)

オリンピア

聖なる祭典(世界史の目)

古代オリンピック競技大会

Wikipediaなど