2020年04月10日

皇室:「祈年祭」もかつての国家祭祀!

前回の投稿で紹介した神武天皇祭と同様に、戦前、国家祭祀であった行事が、戦後、GHQの方針で廃止され、現在は宮中祭祀として継続している皇室行事に祈年祭があります。今回は祈年祭についてまとめてみました。

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  • 祈年祭とは?

 

祈年祭(きねんさい)」は、毎年2月17日に、宮中の賢所で、五穀豊穣と国の繁栄、国民の幸福などを祈る祭祀で、天皇が御親拝にされます。もともと、立春の日である旧暦の2月4日に行われていましたが、明治維新の折、旧暦から新暦へ改暦されたことを受け、2月17日に固定されました。祈年祭は、「としごいのまつり」とも呼ばれます。「とし」とは稲の美称で、「こい」は祈りや願いを意味し、稲(米)を始めとする五穀の豊作を祈る祭りであることが確認できます。

 

 

  • 祈年祭の由緒

 

祈年祭の起源は、春に「田の神」に対して、年穀の豊穣(ほうじょう)を祈る農耕儀礼でした。豊作をあらかじめ祈るので、前祈りを意味する予祝(よしょく)祭という位置づけです。「田の神」は、稲の生育を守護する古来からある民間伝承の神です。稲作の豊凶を見守り、稲作の豊穣をもたらすと信じられています。

 

そうした民間の祭りが、天武天皇の時代(675年)、神祇官で行われる国家祭祀にまで発展し、国家規模で行われるようになりました。これは、古来からの農耕儀礼と、国をあげて穀物の実りを祈る中国の「大祀祈穀(たいしきこく)」という儀式の要素が取り入れられたからです。日本の社会は、弥生時代以降、稲作中心の農耕社会を基盤として成立しており、豊作を祈ることは国家の安泰、国民の繁栄を祈ることに他なりませんでした。ちなみに、稲などの収穫を神々に感謝する祭りが秋に行われている新嘗祭(にいなめさい)です。こうして、奈良時代には、祈年祭は、五穀豊穣に加えて、国家安泰と民の平穏を祈るという儀式に変わり、宮中だけでなく、日本のすべての神社で行われるようになったと言われています。

 

さらに、平安時代になると、天照大御神に天皇が豊作を祈願するという祭祀形態にまで、進化していきましたが、室町時代に入り、応仁(おうにん)の乱から戦国時代になると祈年祭は行われなくなりました。それでも、明治になって、重要な国家祭祀として復活、神祇官とともに、宮中や伊勢神宮、諸国の神社で祈年祭が再興され、官祭として執り行われるようになりました。しかし、第二次世界大戦後、GHQの占領政策によって、祈年祭は、国家祭祀ではなく、天皇家が行う宮中祭祀となりました。宮中祭祀は国事行為ではなく皇室の私的行為という位置づけです。

 

皇居では、今年も2月17日、天皇陛下が「祈年祭の儀」に臨まれ、宮中三殿で拝礼され、新たな年の豊作ご祈願されました(皇后さまは儀式が終わるまで、お住まいの赤坂御所で慎み深く過ごされた)。各地の神社においては、祈年祭、またはそれに類する同様の神事が行われています。皇祖を祀る伊勢神宮でも同様です。

 

 

  • 伊勢神宮の祈年祭

神宮では、「大御饌の儀(おおみけのぎ)」と「奉幣の儀(ほうへいのぎ)」が、外宮・内宮の両宮で執り行われます。

 

大御饌の儀(おおみけのぎ)は、天照大御神をはじめとする神々にお食事(神饌(しんせん))をお供えし、五穀の豊作と平和を祈願します。内宮での儀式では、正宮(しょうぐう)石段下にある御贄調舎(みにえちょうしゃ)で、神職が実際に調理したアワビなどが神饌として奉じられます。

 

大御饌の儀に続いて行われる奉幣の儀(ほうへいのぎ)では、皇室から勅使(ちょくし)が参向し、「幣帛(へいはく)」と呼ばれる陛下より送られた五色の絹などが奉納されます。(幣帛とは神に奉納するお供えもの)。勅使の参向の際、勅使の後を、平安の装束をまとった、陛下の妹の黒田清子・神宮祭主が続き、大宮司、神職らが内宮の参道を参進されるそうです。

 

祈年祭は両正宮に引き続き、約1週間にわたり、別宮・摂社・末社125社でも式典が行われます。なお、伊勢神宮での祈年祭の後、神宮祭主の黒田清子さんは、今年は赤坂御所を訪れ、陛下に祭祀を無事に済ませたことを報告されました。

 

<参照>

豊かな一年の実りを祈る「祈年祭」!…(Tenki.jp)

祈年祭 (日本大百科全書)

2020年の祈年祭はいつ?…(日本文化研究ブログ)

(皇室ウイークリー)陛下、新たな年の豊作ご祈願

伊勢神宮で一年の五穀豊穣祈る「祈年祭」(伊勢志摩新聞、2019年2月18日)

Wikipediaなど