2020年04月08日

皇室:神武天皇祭と神武天皇その人

今月3日、皇居で、初代天皇とされる神武天皇をしのぶ宮中祭祀「神武天皇祭」が行われました。今回は、神武天皇祭と神武天皇その人についてまとめました。

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  • 神武天皇祭とは?

 

神武天皇祭は、神武天皇のご命日とされる4月3日に毎年、皇居の皇霊殿で執り行われます(「神武天皇祭皇霊殿の儀」)。陛下は装束姿で臨まれ、皇后 皇太子・同妃、各宮家の皇族も参列されます。また、神武天皇が葬られた奈良県橿原市の畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)においても祭典が挙行されます。その日の夜には、特に御神楽を奏して神霊をなごめる「皇霊殿御神楽(みかぐら)の儀」も催されます。

 

神武天皇祭は、1871年(明治4年)に「四時祭典定則(しじさいてんていそく)」で規則化され、その後、1908年(明治41年)に「皇室祭祀令」で法制化、祝祭日となりました。戦後、皇室祭祀令は、1947年(昭和22年)に廃止されましたが、現在も宮中祭祀として存続しています。

 

神武天皇祭は、宮中祭祀の中でも「大祭」に位置づけられる重要な儀式の一つです(大祭の場合、天皇自らが祭典を行い拝礼され、小祭の場合は拝礼のみ)。また、2016年には、大正5年以来、100年ぶり、神武天皇式年祭(二千五百年式年祭)が挙行されました。この時、現在の上皇上皇后陛下は、大正天皇、貞明皇后が、神武天皇陵を参拝された前例にならい、奈良県橿原市まで赴き、拝礼されました。

 

式年祭(しきねんさい)とは決められた期間ごとに行われる祭祀のことをいい、天皇祭の場合、歴代天皇の崩御から3年、5年、10年、20年、30年、40年、50年、100年、それ以降は100年ごとに営まれます。

 

 

  • 伝説上の神武天皇?

 

神武(じんむ)天皇(生没年未詳)は、日本の初代天皇であり、天孫で神話の人代の中で最初の人物として知られています。神武天皇は、ご幼名を狭野命(さののみこと)、初代天皇にご即位するまでは、神倭伊波礼毘古命(神日本磐余彦天皇)(カムヤマトイハレビコノミコト)と呼ばれていました。このお名前は、神武天皇の和名(古き名)です。

 

神名の冒頭の「神」(カム)は美称(ほめていう呼び方、呼び名)で、「大和(倭)(ヤマト)の伊波礼(磐余)(イワレ)という場所(=現在の奈良県橿原)を治めていた男子(彦)(ヒコ)」という意味になるそうです。命(ミコト)は神や人の呼び名の下につけた敬称です。

 

神武天皇の神名には、異称がとても多く、別名に若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)、あるいは狭野尊(ささののみこと)、さらには始馭天下之天皇(ハツクニシロシメシシ)などがあります。加えて、死後に贈る諱(いみな)は彦火火出見(ヒコホホデミ)と申されました。

 

神武天皇は、鵜草葺不合尊(ウガヤフキアヘズノミコト)の第四皇子で、母は玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。祖父は、山幸彦の名でも知られる火遠理命(ホオリノミコト)(天津日高日子穂穂手見命)です。火遠理命の異称の彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)は、神武天皇の諱(彦火火出見)と同じであることから、神武天皇が、天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の血統であることを表しているとされています。

 

日本書紀によると、神武天皇(神倭伊波礼毘古命)は、太子となって、筑紫日向から東遷して、大和を平定、畿内の橿原の地に王朝を築いたとされています(これを神話では「神武の東征」と呼ぶ)。その戦いについては、本HP「記紀(神武の東征)」を参照下さい。

 

ただし、この物語が、すべて神武天皇の英雄一人の事跡であるというよりもむしろ、古代の王権交代をめぐる氏族の間に抗争があり、そうした史実が神武東征のエピソードに反映されているとの見方もでています。いずれにしても、神武天皇は、紀元前660年に橿原宮で即位し、初代天皇となり、在位は76年。紀元前584年に127歳で崩御したとされています(古事記は137歳)。

 

しかし、神武天皇が即位した西暦紀元前660年については、その信憑性に疑問符がつけられています。というのも、年代は、奈良時代の日本書記の編纂者が、中国の史書に倣って入れただけで、年数は正確ではないとの見方があります。実際、この時代は、考古学上から言うと縄文時代ですが、記紀の記述内容は弥生時代以降のものとなっていると指摘されています。

 

こうした背景から、神武天皇は、古事記や日本書紀においては初代天皇という位置づけでありながらも、神話伝承と歴史的事実をつなぐ伝説上の人物と考えら、実在しなかったと見る歴史家が多数います(もっとも神武天皇実在説もある)。また、神武天皇は、10代の崇神天皇と同一人物であるとする説も有力視されています。というのも、前述した神武天皇の始馭天下之天皇(ハツクニシロシメシシスメラミコト)という異称は、崇神天皇と同じだからです。なお、始馭天下之天皇の意味は「はじめて天をお治めになった天皇」だそうです。

 

それでも、史実として証明されている継体天皇(26代、507~531)・欽明天皇(29代、539~71)の時代以降、天皇家の勢力が高まったことから、説話自体が整えられていきました。最終的に、神武天皇が即位した2月11日は、明治6年に紀元節と定められました。しかし、紀元節は戦後に廃止されたましたが、昭和42年に「建国記念の日」として祝日となって現在に至っています。

 

また、神武天皇(神倭伊波礼毘古命)は「建国の神」の神格をもって主に、橿原神宮(奈良県橿原市)、宮崎神宮(宮崎県宮崎市)などで祭神として祀られています。ですから、橿原神宮では、神武天皇の命日に、宮中と同じように、神武天皇祭が行われています。

 

 

<参考>

天皇陛下 マスク姿で皇居へ(2020年4月3日、FNNprime)

100年ぶり、大正天皇にならわれ 神武天皇式年祭(2016.4.4、産経)

雑学ネタ・神武天皇祭

Wikipediaなど