2020年02月01日

神社:福男選びの西宮神社はどんな神社?

毎年、新春恒例の「福男(一番福)選び」で有名な兵庫県の西宮神社について調べてみました。令和2年の「開門神事福男選び」については、ニュース記事を紹介した「一番福は高校教師 令和初の福男決まる」を参照下さい。

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  • 福の神「えびす様」

西宮神社は、福の神として崇敬され、全国に約3500社ある「えびす様(蛭子神)」をお祀りする神社の総本社です。

 

その本殿は、3つの屋根が連なる三連春日造(さんれんかすがづくり)という珍しい構造で、別名「西宮造り」とも呼ばれています。江戸時代の1663年、4代将軍徳川家綱により寄進され国宝にも指定されていました。また、室町時代建立の全長247メートルに及ぶ大練塀と、通称赤門と云われる豊臣秀頼の奉献による桃山建築の表大門は国の重要文化財に指定されていました。昭和20年に戦火にあい消失しましたが、昭和36年に、桧皮葺から銅板葺に変わったほかは、ほぼ元通りに復興されました。

 

本殿には、えびす様以外にも、天照大御神、大国主大神、須佐之男大神の神さまも祀られています。大国主大神は、明治になって配祀されたので、もともとは、日本書紀では御兄弟の神として描かれている天照大御神、蛭児(えびす)大神、須佐之男大神の三神が崇敬の対象でした。

 

御祭神

第一殿(東):えびす大神(蛭児大神)、

第二殿(中):天照大御神、大国主大神

第三殿(西):須佐之男大神

 

もっとも、冒頭でも紹介したように、西宮神社と言えば、えびす様(蛭子神)が代名詞です。えびす様を祀る神社では、十日えびすと呼ばれる市場が立つところが多いことからもわかるように、えびす様は商売の神様としても全国的に篤い信仰を集める神さまです。そのえびす様も、ヒルコ(蛭子)神と事代主神(ことしろぬしのかみ)との2つの系統があるとされています。西宮神社で祀られているえびす様は、前者の蛭子(蛭児)神の方です。

 

 

  • えびす様、御鎮座伝説

えびす様は、もともと、地元の漁師さんがお祭りする漁業の神さまとして信仰されていました。そこから、西宮の人たちにとっては、商売繁盛の神、さらには地域の守り神というような素朴な信仰の対象であった言われています。現在、西宮神社の門松は逆さに飾られているのもその名残りとされています。えびす祭りの前夜、えびす神は、神馬に乗って氏子地域を巡行されると信じられていました。ところが、当時の竹に松を盛った大きな門松では通りが狭くなるので、巡行されるえびす様の邪魔にならないように、逆さにつけかえたとの言い伝えがあるそうです。

 

西宮神社の創建の年代は、定かではありませんが、平安時代に遡るとされています。元々は、廣田神社の一角という位置づけでしたが、「えびす信仰」が盛んになるにつれ後に独立して「西宮神社」になりました。

 

そのご由緒の逸話は次のようなものです。昔々、西宮・鳴尾の漁師が、沖で漁をしていたところ、網に大きな手ごたえを感じ、引き上げてみると、御神像であることがわかりました。そこで、その猟師は、布にくるみ、家に持ち帰り、毎日お供え物をして、お祀りしました。しばらくたったある夜、眠りについた猟師の夢の中に、お祀りしている御神像が現れ、「吾は蛭児(ひるこ)の神である。日頃丁寧に祀ってもらって有り難いが、ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい」との御神託があったのでした。

 

記紀(天地開闢の神話)によると、蛭児(蛭子)命(ひるこのみこと)は、神代の昔、伊邪那岐(イザナギ)伊邪那美(イザナミ)二柱から生まれましたが、国生みの試行錯誤を重ねる段階だったので、三歳になるまで足が立たなかった不具の子でした。そこで、夫婦神は仕方なくヒルコを、葦船に入れて茅渟(ちぬ)の海へ流してしまわれたという伝説があります。「蛭子」の「蛭」の字は、蛭(ひる)のように足腰が立たない発育不全の子どもだったことを表していると言われています。

 

さて、鳴尾の漁師は恐れ謹み、漁師仲間と相談し、蛭児大神を輿にお乗せし、御神託の通り西の方にある良き宮地を求めた結果、最終的に西宮の地にたどり着き、蛭児の神はお鎮まりになったのです。このように、えびす様のご神像が現在の神戸の和田岬の沖から、かつて茅渟の海((ちぬのうみ)と云われた大阪湾を漂流しながら、西宮の地に辿(たど)り着いたのが、西宮神社の創始だと伝えられています(正確には、古社・廣田神社の浜南宮の内に鎮座された)。

 

それ以降、海より甦った蛭児の神が、えびす大神(蛭児大神)として、とりわけ海に生業を持つ人々の間で絶大な信仰を、全国的に集めていったのです。実際、海に流されたえびす様が、別の土地にたどり着いたという伝説は、日本各地に残っていてえびす信仰の広がりがわまります。

 

  • 蛭子神=えびす(恵比寿)

 

では、「蛭児(ひるこ)の神」がどうして、福の神、商売繁盛の神である「えびすの神」になっていったのでしょうか?蛭子神は、海から現れたとの伝承から、当初は漁業や航海の神として信仰されていきました。同様に、「えびす」の神さまも古くから漁業の神であったという共通点があります。

 

また、漁業の神に対する信仰の対象は、主にクジラでした。これは、クジラが出現すると豊漁をもたらすという伝承に基づいているそうです。さらに、漂着してきたクジラを「寄り神」と呼びました。これも、クジラの到来により思わぬ副収入を得たり、飢饉から救われたりしたという逸話が日本各地に残されています。こうしたえびす様の漁業神としての性格だけでなく、漂着神(寄り神)としての側面も、蛭子神と一致しているのです。ですから、「えびす様」の「えびす」の漢字表記は、一般的な「恵比寿」、「夷」、「戎」に加えて、「蛭子(蛭児)」とも書きます。

 

 

  • 西宮神社の発展

歴史的には、平安時代後期の文献にすでに「えびす」の名が記されています。鎌倉時代(1250年代)には、(正月10日に行われる)「十日えびす」の祭礼(後述)や、戎(えびす)の名のつく「市」なども開かれていたようです。

 

室町時代になると、日本に七福神信仰が広まります。七福神のおひと方が、「えびす(恵比寿)」で、福の神の代表的な存在でした。この七福神信仰と相まって、蛭子神は、「えびす」と一体となって、商売繁盛にご利益のある神さまとなっていくのです。こうした背景下、西宮神社では、人形操りや謡曲、狂言などの芸能も盛んになり、西宮神社は、全国のえびす信仰の中心に位置していきます。

 

戦国時代には、後奈良天皇から、また桃山時代には豊臣秀頼、江戸時代には4代将軍徳川家綱により御寄進を受け、社殿の御造営もなされ規模も大きくなっていきます。さらに、将軍家綱は、西宮神社が、えびす神の総本社としての地位を確立することにつながるある特権を与えます。今でもそうですが、当時から、自分の家の神棚でお祀りして家をお守り戴くために、神社でお神札(ふだ)を購入しますね。そのお札に関しては、家綱は、「西宮神社の頒布するものが、えびす神の正式なお札である」と宣言し、お礼(神礼)の版権を与えたのです。

 

江戸時代になると、上方の商業経済の発達に伴って、福の神えびす様が商売繁盛の神さま「えべっさん」(=えびす様の俗称)として、庶民にも広く信仰されるようになっていきました。これに合わせるように、年の始めに、「えびす様」に商売繁盛、家内安全、五穀豊穣などを祈願する、西宮神社の祭礼、十日えびすも盛大に行われるようになりました。西宮では西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様の本拠地として、隆盛を極めるようになります。西宮神社の記録によると、十日えびすに授与するお札の数量が、元禄(1700年代)のころから天明(1780年代)にかけて十数倍に激増したそうです。明治に入り、鉄道が開通すると参拝者数も飛躍的に増加したことは言うまでもありません。

 

 

  • 十日えびす(戎)

西宮神社の十日戎の祭典は、かつて御狩神事(みかがりしんじ)とか忌籠祭(いごもりさい)と呼ばれた行事が発展して誕生したと言われています。その神事は、狩猟をして神意を伺う農耕儀礼のお祭りだそうです。古い資料には、西宮神社の巫女が男装をして狩の舞踏をしていたとか、鎌倉時代には実際に狩猟をして、その多寡によって豊穣を占っていたという記録はあるようですが、具体的な内容は定かではありません。

 

ただし、神社周辺では室町時代から江戸時代にかけて、神職だけでなく町の人々も、1月9日の夕刻に門を閉じ、家に籠もって清らかに過ごす「忌籠(居籠)」(いごもり)をする習慣があったと言われています。これは、えびす様(えべっさん)が市中を廻られるためなのだそうで、神意を窺っている間、謹慎斎戒していたと解することもできますね。いずれにしても、十日えびすの原点はその年の五穀豊穣・繁栄を願う祭りであったことは間違いなさそうです。そうして、人々は、忌籠り明けの翌朝、身を清めて神社に詣でたといいます。この時、神門が開かれ、真っ先にお参りしようとして人々が競うように参道を急いだことが、今の開門神事の由来となったそうです。

 

明治に入り暦が変わりましたが、十日えびすは旧暦の1月10日行われていました。しかし、新暦の1月10日の参拝も多く、明治41年からは新暦の1月10日に神事を行うようになりました。昭和15年から、西宮神社では、開門神事で何事も一番参りをされた参拝者を称えようと、先着上位3名を福男として認定するようになったそうです。昭和20年の空襲により社殿が全焼、翌年の十日えびすから福男選びは中止になりましたが、戦後、復活継承されました。

 

現在では1月9日、10日、11日の「十日えびす」には、全国から3日間で百万人に及ぶ参拝者で賑わうなか、10日早暁の大祭終了後の「開門神事・走り参り」は、福男選びとして、西宮神社・十日戎の代名詞になっています。

 

西宮神社の十日戎大祭は、10日の早朝4時に執行されます。そのため、1月9日の夜12時になると、どれほど参拝者があっても、神社の全ての門を閉じ、神職たちは大祭に向けて身を清め、心を鎮める「居籠(いごもり)」を行います。そうして、午前4時の十日えびす大祭が終わると、午前6時の一番大太鼓を合図に、表大門(赤門)が開き、待ち構えた参拝者が一斉に参道に駆け出す本殿への走り参りを行います。到着順に一番福から三番までが福男として認証されます。

 

なお、西宮神社では、1月の十日戎(えびす)以外でも、9月22日の例祭と翌日の渡御祭、和田岬までの海上渡御、産宮参りも、秋の西宮まつりとして賑わいをみせています。

 

 

<参照>

えびす宮総本社(西宮神社 公式サイト)

西宮神社の由緒・歴史(西宮観光協会)

西宮えびす【御由緒】 (DECCA JAPAN)

兵庫県・西宮神社とえびす様を紹介!(神様のひとりごと)

正月の風物詩「福男選び」 (Lifull homes press)

Wikipediaなど