2020年01月05日

皇室:新年最初の宮中行事「四方拝」

令和初の新春を迎え、天皇皇后両陛下は、元旦に、皇族や三権の長らから新年のお祝いを受ける「新年祝賀の儀」や、2日には、秋篠宮ご夫妻をはじめ成年皇族方とともに「一般参賀」へのお出ましなど、新年の行事をこなれました。ただ、元旦の「祝賀の儀」に先立ち、陛下は、夜明け前に、「四方拝(しほうはい)」と「歳旦祭(さいたんさい)」という宮中祭祀に臨まれていたことはあまり報じられませんでした。数ある祭祀の中でも最重要の儀式の一つとも言われる「四方拝」を中心に知られざる祭祀について紹介します。

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四方拝(しほうはい)

<概要>

四方拝とは、宮中で行われる一年最初の儀式で、1月1日(元日)の早朝、天皇が皇祖神の天照大神をまつる伊勢神宮や、歴代天皇が眠る山陵、さらに四方の神々に向かって遥拝(ようはい)(遠く離れた所からおがむこと)され、その年の五穀豊穣と国の安寧、国民の幸せを祈願される儀式です。

 

天皇陛下は、四方拝に先立つ大晦日の夜、御湯(みゆ)で身を清める「潔斎(けっさい)」という儀式を受けられます。その後、元旦の寅の一刻(午前四時頃)、「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」と呼ばれる天皇のみが着ることが出来る特別な装束に着替えられ、早朝5時半、天皇陛下は宮中の神嘉殿(しんかでん)の前庭にお出ましになられます。

 

祭祀は、正確には皇居の宮中三殿の西側に付属する神嘉殿の南側の前庭に設けられた仮屋の中の畳の上で行なわれます。最初に皇室の祖先神が祀られている伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)・皇大神宮(内宮)の両宮に向かって、次に東南西北の順番で四方の神々に拝礼され、国家国民の安寧と五穀豊穣を神々に祈られます。

 

なお、「四方の神々」とは、以下の神社(神宮)の方向を指します。

氷川神社(埼玉)
上賀茂神社・下鴨神社(京都)
石清水八幡宮(京都)
熱田神宮(愛知)
鹿島神宮(茨城)
香取神宮(千葉)

 

さらに、先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵にも拝されるとされています。

 

四方拝は、数ある宮中祭祀の中でも最も重要な祭祀の一つとされ、天皇陛下自らしか行うことはできません。また、巫女の介添えもなく天皇お一人がされる特別の祭祀です。天皇が何かしらの事情で行えない際も御代拝(ごだいはい)(代理人が祭祀を代行すること)は認められません。そのため、天皇の体調が優れないなどの場合、四方拝は中止となります。過去においては、天皇がみこ元服を迎える前は御座だけ作られて四方拝は行われず、また日蝕(にっしょく)や、天皇が喪に服している期間は行われないことが慣例となっているそうです。

 

<四方拝の歴史>

四方拝は平安時代に定着

四方拝は、7世紀中期の飛鳥時代に起源を持つとも言われていますが、史料で確認できる起源は、平安時代の初め、嵯峨天皇の時代まで遡ります。ただし、正月の祭祀として定着したのは宇多天皇の時代とされています。

 

当初は、在来の信仰を土台としつつも、中国的要素が強かったようです。とりわけ、道教、より具体的には陰陽道の影響が濃厚な祭祀でした。その所作は、これまで公開されていませんが、平安時代の儀式書、「内裏儀式(だいりぎしき)」や「江家次第(ごうけしだい)」などには、四方拝の様式が記されています。また、2009年1月3日には、日本テレビ系列で放送された「ビートたけしの教科書に載らない日本人の謎」でも四方拝について解説されました。その時の放送内容などをまとめました。

 

北斗七星の属星

平安時代以降、四方拝は禁裏御所(現在の京都御所)にある清涼殿の東庭(とうてい)で行われていました。東庭の御座には、畳で3つの座が設けられ、一つは属星(ぞくしょう)を拝し、一つは天地四方の神々を拝し、一つは天皇陵を拝するための座でした。三つの座の北側には燈台と机が置かれていたといいます。机にはお香と花が供えられ、それらを取り囲むように屏風が張り巡らされていた記されています。

 

天皇は、最初の座で「属星(ぞくしょう)」を拝礼します。属星は、年の干支(えと)を、北斗七星の7つの星にそれぞれ割り振ったもので、具体的には次のようになります。

 

貪狼星(どんろうせい)⇒子年(ねずみ)
巨門星(こもんせい)⇒丑年(うし)、亥年(いのしし)
禄存星(ろくそんせい)⇒寅年(とら)、戌年(いぬ)
文曲星(ぶんきょく)⇒卯年(うさぎ)、酉年(とり)
廉貞星(れんていせい)⇒辰年(たつ)、申年(さる)
武曲星(ぶきょくせい)⇒巳年(へび)、未年(ひつじ)
破軍星(はぐんせい)⇒午年(うま)

(令和2年は子年(ねずみ)ですから、今年の属星は「貪狼星(どんろうせい)」といことになる。)

 

御座に着座された天皇は、御笏(みしゃく)(神主が手に持つ白木の板)をおとりになり、北に向かい新年の属星の名字を七回唱えられ、拝礼されます。その作法は、まず正座の姿勢から立ち上がり、腰を折って深々と頭を下げながら正座に戻り、そのまま平伏(へいふく)(両手をつき、頭を地や畳につけて礼をすること)になります。この動作を2回繰り返す「再拝」に続けて、以下のような呪文が唱えられたそうです。

 

賊冦之中過度我身(ぞくこうしちゅうかどがしん)
(賊冦の中、我が身を過し度せよ)

毒魔之中過度我身(どくましちゅうかどがしん)
(毒魔の中、我が身を過し度せよ)

毒氣之中過度我身(どくけしちゅうかどがしん)
(毒氣の中、我が身を過し度せよ)

毀厄之中過度我身(きやくしちゅうかどがしん)
(毀厄の中、我が身を過し度せよ)

五急六害之中過度我身(ごきろくがいしちゅうかどがしん)
(五急六害の中、我が身を過し度せよ)

五兵六舌之中過度我身(ごひょうくぜつしちゅうかどがしん)
(五兵六舌の中、我が身を過し度せよ)

厭魅之中過度我身(えんみじゅそしちゅうかどがしん)
(厭魅の中、我が身を過し度せよ)

百病除癒、所欲随心、急急如律令
(ひゃくびょうじょゆ、しょよくずいしん、きゅうきゅうにょりつりょう)

 

その内容は、賊、毒、危害、病気、苦悩などの排除を祈願するものですが、天皇は「さまざまな国難はわが身を通過しますように」と唱えられています。つまり、この呪文は、さまざまな災いを天皇が一身に受け、国民に向かぬように守りたまえと、国家国民の安泰を祈る厄払い(魔除け)の呪文であると解されています。最後の「急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」は、陰陽道の呪文とされ、四方拝に中国の道教色が反映している好例と言えるでしょう。

 

天地四方の神々

続けて天皇は、二つ目の座で、天と地、四方の神々を遥拝(ようはい)されました。まず北に向かって天を、次に北西に向かって地を再拝されました。そして東・南・西・北の順にそれぞれの方角を拝されました。最後に、天皇が三番目の座で拝礼されるのは、歴代天皇が葬られている天皇陵で、天皇は再拝を2回重ねる「両断再拝」を行って、祭祀は終了したそうです。

 

このように、平安時代の四方拝では、天皇は元旦の早朝に天皇がその年の北斗七星の属星(ぞくしょう)、天と地、四方の神々、山陵(さんりょう)(天皇陵)を拝み、年の災いを祓い、国家・国民の安康、豊作を祈願されたのでした。

 

現在の四方拝

さて、四方拝は、応仁の乱で一時中断されましたが、後土御門天皇の文明7年(1475年)に再興されて孝明天皇に至るまで続き、明治以降は、日本的な内容が取り込まれ、現在の形が確立しました。大きな変化は、何より呪文を唱えなくなり、中国(道教・陰陽道)色が薄くなったことで、儀式の次第も、伊勢神宮の皇大神宮(こうたいじんぐう)(内宮)・豊受大神宮(とようけだいじんぐう)(外宮)の両宮に向かっての拝礼が加えられ、その後、四方の諸神祇等を拝するように改められました。祭祀の場所も遷都に伴い、京都御所の清涼殿の前庭(東庭)から、皇居の神嘉殿になりました。

 

法令面では、四方拝(当時は四方節と呼ばれた)の様式は、明治41(1908)年制定の皇室祭祀令(こうしつさいしれい)で規定され、戦前までは国家行事として行われ、祝祭日の中の四大節の一つでした。終戦後、皇室祭祀令は廃止されましたが、現在の四方拝は天皇の私的な祭祀として、明治時代の作法に準拠して行われ、今も脈々と引き継がれています。

なお、平成24(2007)年には、天皇陛下(現上皇陛下)の年齢と体調を考慮し、代理が懸案されましたが、前述したように、四方拝は代理人が祭祀を行う御代拝を認めていません。したがって、祭祀の場所を、皇居の宮中三殿の西側に付属する神嘉殿南庭に設けられた仮屋から、皇居内のベランダに移して執り行われ、また、天皇のみが着る黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)ではなく、タキシード(モーニングコート)姿という簡略化した形で執り行われていました。しかし、代替わりの2020年の四方拝は、従来通り皇居の神嘉殿にて挙行されました。

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歳旦祭(さいたんさい)

 

実は、現在の四方拝は10分ほどで終わります。陛下は、四方拝の後すぐに宮中三殿に移動され、5時40分から「歳旦祭」という年始の祭典に臨まれます。歳旦祭は、賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿にそれぞれ祀られている皇祖・天照大神や、八百万の神々(天神地祇)、歴代天皇・皇后・皇族の霊(皇霊)に対し拝礼する祭祀です。天皇にとって、いわば「初詣」のようなものと評されています。歳旦祭は、戦前の祝祭日の中の皇室祭祀礼に基づく小祭の一つで、明治時代以降、行なわれるようになり、天皇は国家国民の安寧を祈られます。

 

歳旦祭の次第は、四方拝が始まる同じ時刻(5時30分)、宮中三殿では、掌典長(宮中祭祀の儀礼担当責任者)が主宰し祝詞をあげ、午前5時40分ごろ四方拝を済ませた天皇陛下が拝礼されます。その後、陛下が退室されてから、皇太子(皇嗣)が続いて拝礼します。

 

上皇陛下が天皇であらせられた際、陛下は四方拝の後に拝礼されてきましたが、平成24年から体調への負担を考慮して掌典職(しょうてんしょく)が陛下の代わりに拝礼していました。ただ、代拝になってからも、陛下は御所に戻った後、皇后さまとともに儀式終了までお慎みされていました。

 

なお、伊勢神宮をはじめ、全国の神社においては、皇統の繁栄と、五穀豊穣と国民の加護を祈念する歳旦祭が行われています。

 

 

<参考>

陰陽道とは何か: 日本史を呪縛する神秘の原理

(戸矢学、PHP出版)

「ビートたけしの教科書に載らない日本人の謎」

(2009年1月3日、日テレ)

四方拝 人の幸せを祈る 困難を過度する

ぼやきくっくり時事ネタぼやきと番組書き起こし

最も重要な宮中祭祀~四方拝~

年間約30回!天皇陛下が守り続ける「祈り」とは何か

(週刊FLASH 2017年1月10日号)

四方拝のやり方・・心の御柱(こころのみはしら)Gooブログ

(2012年11月1日)

天皇にとって1年のうちで最も忙しい日、元日の過ごし方

(Newsポストセブン)

天皇陛下のお正月、ご多忙の元日

(2018年1月1日、産経)

日本人なら知っておきたい皇室

(週刊ダイヤモンド2016年9月17日号特集)