2019年12月25日

キリスト教:ローマ教皇ってどんな人?

令和最初のクリスマスの日に当たり、キリスト教についてまとめました。ただ、キリスト教の膨大な歴史や複雑な教義など一回の投稿で紹介できるわけはなく、これから何回かに分けてキリスト教について気の赴くままに書いてみます。最初は今年11月、ローマ教皇の来日もあったので、ローマ・カトリックからです。

☆★☆★☆★

 

カトリック教会と教皇

ローマ・カトリック教会は、信者数約13億人と、キリスト教のなかでは最大で、世界中に教会と修道会があります。文字通り、世界宗教ですが、現在では、信者の半数が近くを中南米で占め、欧州は全信者の約4分の1を占めるに過ぎません。信者の増加率ではアフリカが最も高いとされています。このキリスト教の最大宗派、ローマ・カトリック教会の最高指導者が、ローマ教皇(法王)です。英語ではパパを意味するポープ(Pope)と言います。現在のフランシスコ教皇は第266代目に当たります。ローマ教皇は、「キリスト12使徒」(後述)の筆頭ペテロの後継者で、地上での「キリストの代理人」という位置づけです。

 

また、教皇は、カトリック教会の精神的指導者であると同時に、独立国家バチカン市国(後述)の国家元首でもあります。バチカン市国は世界最小の国家ですが、170以上の国と外交関係を結び、官僚機構も備えています。元首である教皇は政治的な権力も兼ね備えているという言い方も可能です。

 

このように、ローマ教皇は、外交、各教会・修道会、信者の3ルートを通じて、世界の情報を集め、世界的に影響力を行使することができます。各国の首脳と会って直接対話できます。教皇(法王)も、非核化、人権、貧困、移住、環境などグローバルな問題から、パレスチナやスーダンといった地域問題までさまざまな所見を披露し、世界に警鐘を鳴らしています。各国メディアも教皇の言動を報じます。法王発言は、宗教・宗派の違いを超え、国際社会がたえず注目しています。各国の政治家たちがバチカンを訪れ、謁見を望むのはこのためだと言えるでしょう。

 

<法王選出>

では、ローマ教皇はどうやって選ばれるかというと、「コンクラーべ」と呼ばれる法王の選出会議の場で行われる投票で選出されます。投票権を持つのは、世界52ヶ国、120人いるとされる枢機卿のうち80歳未満の者(117人)で、欧州圏と非欧州圏それぞれ半数を占めています。投票は無記名(投票者の名前は書かない)で、(公開されない)秘密選挙です。会場はシスティーナ礼拝堂ですが、外部を完全に遮断し、全体の3分の2を上回る票を得る者が出るまで、毎日昼と夕方の2回投票が繰り返れます。投票用紙は結果が出たらすぐに燃やされますが、礼拝堂の煙突から出る煙の色で投票結果が外部へ伝えられます。白い煙が出たら「決定」、黒い煙なら「未決」を表します。

 

現在の「コンクラーベ」方式による選出は13世紀から行われるようになったと言われています。その時、クレメンス4世の死後(1268年)、新教皇を選出しようとしたのですが、2年以上たっても決まりません。それに業を煮やした市民が会場にカギ(ラテン語でクラーベ)をかけ、パンと水だけを与えて缶詰めして、選出を迫ったという逸話が残されています。

 

<歴代教皇(過去3代)>

ヨハネ・パウロ2世(1978.10~2005.4)

共産圏のポーランド出身で初の教皇に選出、455年ぶりの非イタリアの法王が誕生しました。逆の言い方をすれば、ヨハネ・パウロ2世まで450年間、ローマ教皇はイタリア人であったということになります。在任中、ポーランドはワレサ議長率いる「連帯」による民主化運動が進み、東欧改革の先駆けとなり、法王は冷戦崩壊の精神的支柱になったと言えます。ヨハネ・パウロ2世は、在任中の27年間に129カ国以上の海外訪問を精力的に行った「空飛ぶ教皇」との異名をとりました。その外遊の目的は、諸宗教との対話と和解でした。

 

  1. 6 共産政権下のポーランドに里帰り、自主労組「連帯」発足を促す。
  2. 2 広島、長崎を訪問。
  3. 5 バチカンのサンピエトロ広場で暗殺未遂
  4. 5 英国国教会を訪れ、約450年ぶりに和解
  5. 7 バチカン、ポーランドと外交関係回復。以後、次々と旧東側諸国とも。

1989.12 マルタ会談の前日にソ連のゴルバチョフ最高会議議長と会談。

  1. 3 バチカン、ソ連と外交関係樹立
  2. 1 キューバ訪問

 

  1. 3 中東の聖地巡礼、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区を歴訪

十字軍、異端審問、反ユダヤ主義など過去の教会の罪(過ち)を事実上謝罪

 

  1. 5 キリスト教会の1054年の東西分裂以来、初めてギリシャを訪問。

十字軍の迫害などについて「カトリック信徒は正教徒に対して罪を犯した」と謝罪

 

2001  シリア訪問、ローマ法王として初めてモスクに入る

  1. 4 死去

 

ベネディクト16世(2005.4~2013.2)

ドイツ出身の保守派で、キリスト教の保守的な価値観を重視し、同性愛や人工中絶などに強く反対してきた。学者肌の教皇として有名。

 

2006.11 トルコ訪問

東方正教会であるコンスタンチノープル総主教庁のバルトロメオス総主教が法王を招待。歴代法王として2人目のイスラム教モスク訪問(イスタンブール)。

 

2007.3  プーチンロシア大統領と初会談

 

2013.2.28 生前退位

ベネディクト16世(85)は、高齢により体力が衰え、職務遂行が困難になったことが理由に退位しました。在位は8年でした。法王の地位は絶対で、罷免は許されず、終身制が原則とされてきたため、存命中の退位は中世以来598年ぶりのこととなりました。ベネディクト16世は、バチカンの小さな修道院に移り、「名誉法王」となります。

 

法王は就任後の5年間、イスラム教の聖戦(ジハード)への否定的発言や、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を疑問視した司教の破門解除などで批判を受け、前教皇の意思を受けついだ「諸宗教との対話と和解」は後退したとの見方もでていました。

 

生前退位したローマ教皇

1294年のセレスティン(ケレスティヌス)5世

不本意に法王に祭り上げられたことに抵抗し、在位5カ月で退位しました。

 

1415年のグレゴリオ12世

当時、複数の法王が併存し、分裂した教会を統一するために、退位に追い込まれたとされています。

 

 

フランシスコ1世(2013.3~)

 

アルゼンチン人でブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76)が選出、第266代目のローマ法王、フランチェスコ1世(フランシスコ)が誕生しました。伝統を誇る欧州以外から法王が選ばれるのは約1300年ぶり(8世紀以来初めて)で、初の中南米出身の教皇が誕生しました。

 

世界に13億人いるカトリック教徒の4割以上が中南米の信者で、その数は5億人を超え、世界全体の半数に迫る勢いです。例えば、ブラジルとメキシコには合計2億2000万人以上のカトリック教徒がおり、フランシスコ教皇のアルゼンチンでも、人口約4000万人の90%以上がカトリック信者が占めています。

 

本家本元の西欧ではカトリックが停滞している一方、南米やアフリカは信者の増加で貢献度が高く、地元出身の法王選出を希望する声が高まっていたと言われています。このような状況を反映して、今回初めて南米のアルゼンチンからの教皇誕生となったのかもしれません。ただし、フランシスコ教皇は、アルゼンチン人と言っても、イタリア系移民2世であり、白人です。白人ではない教皇の誕生というわけではなかったのです。

 

一方、フランシスコ教皇のもう一つの顔は、彼がイエズス会員としての顔です。ベルゴリオ枢機卿が法王名に「フランシスコ」を選択したので、13世紀のアッシジの聖フランチェスコにちなんだと思われましたが、本人はフランシスコ会出身ではなく、日本でもお馴染みのイエズス会出身だったのです。そして、フランシスコ教皇は、イエズス会出身としては初の教皇です。

 

イエズス会

イエズス会といえば、16世紀、日本に最初にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの名前で日本人にもなじみ深いですね(ザビエルはイエズス会の創設メンバーの1人)。イエズス会そのものは、イグナティウス・デ・ロヨラが創設し、「戦闘的騎士団」として、アジアへの布教を推進してきた修道会です。

 

新たな修道会創設のきっかけは、1513年3月に就任したレオ10世は、教会の財源として免罪符を大々的に売り出し、これを批判したルターが宗教改革を起こしたことでした。ルター派やその後にカルバン派は結果的にプロテスタントとして、カトリック教会から分離します。ルターやカルバンとは逆に、カトリック教会の内側からの改革を目指したのがイエズス会でした(これは反宗教改革と呼ばれる)。

 

ちなみに、ヨハネ・パウロ2世が、イエズス会を毛嫌いしていたことは有名です。1960年代後半、カトリック教会内で、「キリスト教は貧しい人々の解放のための宗教である」とみなす「解放の神学」が中南米を中心にして支持を広げ、しかも共産主義に接近しました。この運動を支えたのがイエズス会だったのです。共産圏のポーランド出身で「反共」のヨハネ・パウロ2世にとっては相いれないものであったのかもしれません。

 

さて、フランシスコ教皇は、穏健派な保守派として知られています。近年、カトリック教会にあって、キリスト教の原理的な教義を重んじる保守派と、現代社会に即した対応を促すリベラル派の対立があるとされています。そこで、フランシスコ教皇がいかに両者にバランスよく対応できるかが注目されています。