帝国憲法57~59条:司法権は独立していた!?

 

私たちが学校で教えられてきた「明治憲法(悪)・日本国憲法(善)」の固定観念に疑いの目を向ける「明治憲法への冤罪をほどく!」を連載でお届けしています。今回から第5章「司法」に入ります。司法権は、天皇主権のもとで行使され、裁判は「天皇ノ名ニ於テ」行われていたことは、今の時代に批判の的になりそうですが、実際はどうだったのでしょうか?

 

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帝国憲法 第57条(司法権・裁判所)

① 司法権ハ天皇ノ名ニ於テ 法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ

司法権は天皇の名において、法律によって裁判所が行使する。

② 裁判所ノ構成ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

裁判所の構成は法律で定める。

 

<既存の解釈>

帝国憲法(明治憲法)下における司法権(具体的な紛争に対して法を適用する権限)は、統治権を総攬する天皇に属し、裁判も「天皇の名において」行われ、また、裁判官も「天皇の名において」国務大臣により任命されました。このため、司法権の独立や、裁判が国民の自由・権利を守るために行われるという考え方が希薄で、裁判も行政に従属しがちでした。

 

これに対して、日本国憲法では、国民の自由と権利を守るために、司法権の独立を明確に打ち出している。司法権は76条で、裁判所(最高裁判所と下級裁判所)に属すると明記し、裁判が政治部門や社会的諸勢力からの干渉を受けずに独立して、職権を行使できなければならないとしています。

 

日本国憲法 第76条

①すべて司法権は,最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。

②すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

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では、帝国憲法を起草した伊藤博文や井上毅は、どういう意図で本条を定めたのでしょうか?

 

<善意の解釈>

確かに、本条も含めて司法権に関わる行為はすべて「天皇の名に於て」なされ、裁判所が天皇大権を代表していました。しかし、それだからと言って、「裁判が国民の自由・権利を守るために行われるという考え方が希薄であった」という批判は当たっていません。

 

帝国憲法の起草者である伊藤博文が「憲法義解」で説明したように、当時、司法の役割は臣民の権利の侵害を回復することであり、裁判が政府の行政活動によって左右されることは最も避けるべきことと考えられていました。

 

従って、本条1項において、裁判は必ず法律によって行なわなければならないと規定されました。つまり、法律は裁判の唯一の判断基準とされ、必ず裁判所で裁判を行うことが求められました。これが本条1項に「法律ニ依(よ)リ」という文言が入った理由でもあります。

 

ですから、2項にいて、裁判所の構成もまた必ず法律で定めることが求められました。これによって、裁判所の組織が行政の組織と別のものとなり、司法官は法律に基づいて、他に束縛されない独立の地位を確保することができたのです。

 

こうした保障の下で、帝国憲法下における裁判官は、法律に従って裁判を行なうことが求められていました。実際、行政による干渉を排し、司法権の独立を守った事例に、大津事件があります。

 

◆ 大津事件

帝国憲法施行後まもない1891年5月11日、滋賀県大津市で、来日していたロシア帝国の皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)に対し、警備に当たっていた巡査、津田三蔵が突如斬りかかり、皇太子が負傷するという事件が発生しました。

 

これを受けて、ロシアの報復(日露関係の悪化)を恐れた政府は、大審院(現在の最高裁判所)に対し、大逆(たいぎゃく)罪(ざい)(天皇、皇后、皇太子などに危害を加えるような犯罪)の適用によって津田三蔵を死刑にするよう迫りました。

 

しかし、大審院長児島惟(い)謙(けん)は政府による強要を退け、謀殺未遂罪で死刑にできないという当時の刑法の規定に従い、法規どおり、津田を普通謀殺未遂罪で無期懲役に処しました。これに対して、ロシア側もこの判決に納得しました。政府側の非立憲的な司法への干渉を拒んだ児島の判断は、司法権の独立を守った事例として現在も高く評価されています。

 

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帝国憲法 第58条(裁判官とその身分保障)

① 裁判官ハ法律ニ定メタル資格ヲ具フル者ヲ以テ之ニ任ス

裁判官は法律に定めた資格を有する者が任命される。

② 裁判官ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分ニ由ルノ外 其ノ職ヲ免セラルヽコトナシ

裁判官は刑法による宣告か懲戒による処分を除いてその職を罷免されることはない。

③ 懲戒ノ条規ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
  懲戒の条規は法律で定める。

 

<既存の解釈>

1項で、裁判官の資格について定めた後、2項で、刑法の宣告または懲戒処分以外では罷免されないとして、裁判官の身分保障を規定しています。しかし、次の3項では、懲戒についての規定を法律で決定できる旨、定められています。これは法律によっていくらでも裁判官を処罰することできることを意味しており、裁判官の身分保障はその分弱いものとなっています。

 

その点、日本国憲法では、裁判官に対する手厚い身分保障を、法律より上位の憲法の中で具体的かつ明確に規定しています。

 

日本国憲法 第78

裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。

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では、本条を起草者の伊藤博文や井上毅の意向をくみ取って善意に解釈すれば、次のようになるでしょう。

 

<善意の解釈>

裁判の公正を保つために、裁判官は、職権行使に対する妨害行為や、裁判への干渉を受けないようにしなければなりません。そのため2項では、裁判官は、刑法または懲戒裁判の判決により罷免されることを除いて終身その職に就くことできるという身分保障が規定されています。また、3項には、停職・非職・転任・老退など裁判官の懲戒に関する条規は法律で定めるとするなど、行政権に不当な介入から裁判官の独立を保障しています。

 

帝国憲法に対する否定的に解釈する向きは、3項で、「法律によっていくらでも裁判官を処罰することできる」と批判します。彼らの前提が悪い法律を作りうるということであるのに対して、帝国憲法では、行政部門からの干渉や介入を避けるために法律という盾を使うという考え方に立っています。

 

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帝国憲法 第59条(裁判の公開)

裁判ノ対審判決ハ之ヲ公開ス 但シ安寧秩序又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキハ法律ニ依リ 又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ 対審ノ公開ヲ停(とど)ムルコトヲ得(う)

裁判の対審、判決は公開される。但し、安寧(世の中が平穏無事なこと)と秩序、風俗を害する恐れがある時は、法律によりまたは裁判所の決議で、対審の公開を停止する(非公開にする)ことができる。

 

対審:訴訟において対立する当事者が裁判官の前で主張を展開することによって進められる審理。

 

<既存の解釈>

裁判(対審と判決)の公開原則規定の例外として、公序良俗に反する恐れがある時は、法律により、または、裁判所の多数決による決議により、対審についてのみ非公開とすることができると定めている。

 

これに対して、日本国憲法でも、裁判の公開を規定しているが、旧憲法との比較でいえば、対審を非公開とするときは、裁判官の全員一致の決議が必要と定め、さらに、政治犯罪,出版に関する犯罪、基本的人権にかかわる事件については、民主主義にとって極めて重要であることから、非公開を認めないなど、より徹底している。

 

日本国憲法 第82条

① 裁判の対審及び判決は,公開法廷でこれを行う。

② 裁判所が,裁判官の全員一致で,公の秩序又は善良の風俗を害する虞(おそれ)があると決した場合には,対審は,公開しないでこれを行うことができる。但し,政治犯罪,出版に関する犯罪又はこの憲法第3章で保障する国民の権利が問題となっている事件の対審は,常にこれを公開しなければならない。

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では、日本国憲法82条と趣旨は変わらない本条を、日本国憲法の規定と比較したら不十分という批判は妥当なのでしょうか?

 

<善意の解釈>

帝国憲法で規定された裁判の公開の原則は、日本国憲法でも原則引き継がれました。日本国憲法の方がより手厚いという批判はあるかもしれませんが、以下の時代背景を考慮する必要があります。

 

帝国憲法における公開裁判の意義

江戸時代、民衆には公開されない白州裁判の慣わしが、久しく行なわれてきました。白州とは、時代劇などではおなじみの、奉行所(訴訟機関)に置かれた法廷で、白い砂利が敷きつめられていた庭に罪人等が座って裁判を受けていました。そうした前近代的な裁判制度が数百年行なわれてきた日本にあって、明治維新の後、裁判における対審・判決の公開を許したのは、実に司法上の一大進歩であったということができ、日本国憲法の方がより手厚いという主張は不公平な批判と言わざるを得ません。

 

 

<参照>

帝国憲法の他の条文などについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 明治憲法への冤罪をほどく!

日本国憲法の条文ついては、以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法のなりたち

 

 

<参考>

明治憲法の思想(八木秀次、PHP新書)

帝国憲法の真実(倉山満、扶桑社新書)

憲法義解(伊藤博文、岩波文庫)

憲法(伊藤真、弘文社)

Wikipediaなど

 

(2022年11月8日)